第二十四話
機内で出されたコーヒーを飲んだネイサン・ムボロは、しばらくすると睡魔に襲われた。出発準備のために早起きしたせいか、と考えているうちに、うとうとと眠り込んでしまう。
目を覚ましたムボロは、腕時計で時刻を確認して眉をひそめた。離陸してから、七時間以上経っていたのだ。アマニアから北アフリカのイフリーキヤまでは、確か五千キロメートル前後だったはずだ。ガルフストリームはビジネスジェット機としては速い方だから、七時間あればもうとっくに着陸していていいはずだが、まだ飛行中らしく、窓外には青空が見えている。
……トラブルでもあって、途中着陸したのだろうか。
ムボロが起きたのに気づき、スリム・バドラがシートから立ち上がり、近付いてきた。
「お目覚めですか。もうすぐ着陸です」
「そうか」
ムボロは安堵してそう答えた。逆風か何かで遅れたのかもしれない。
シートから身を乗り出すようにして、ムボロは窓外の風景を見た。巡航はすでに終わっており、ガルフストリームはかなり低いところを低速で飛行していたので、地上の様子はかなり細かいところまで判った。整然と区切られた緑の畑地、低い丘陵、灰色の線となって伸びている幹線道路などが見える。
……おや。
ムボロは違和感を覚えて眉をひそめた。イフリーキヤに行ったことはないが、隣国のアルジェリアなら訪問したことがある。同じ地中海沿岸の北アフリカなので、その景観は大して変わらないはずだ。
だが、眼下に見えているのはどう見ても北アフリカの大地とは思えなかった。森の緑色が鮮やか過ぎるし、街の様子も洗練されている。地上はくまなく緑色に覆われており、乾燥した荒地やカーキ色の砂地なども見当たらない。さらに、北アフリカではめったにお目にかかれないゴルフ場がいくつも眼下を過ぎ去ってゆくのを認めたムボロは、ここがイフリーキヤ上空でないことに確信を持った。
「ムッシュ・バドラ! これはどういう……」
「大人しくしていてください、閣下」
いつの間にか、バドラの部下二名がムボロの背後に回っており、その肩と上腕をぎゅっとシートに押さえつけた。
「これから着陸ですのでね」
そう言いながら、バドラがムボロのシートのベルトを締める。
「特別製のベルトです。閣下には外せません」
バドラが、自分のシートに戻った。部下二人も戻るが、その視線はムボロにしっかりと向けられていた。
ムボロは通路を挟んだ反対側のシートに座っているラッセルを見た。ラッセルが、首をゆっくりと振り、諦めろというサインを送ってくる。
……嵌められたのか。
ムボロは観念した。少なくとも、殺されるようなことはないだろう。敵の出方を見極めてから、反撃のチャンスを窺うとしよう。
機体がさらに高度を下げ、着陸態勢に入った。接地の衝撃と、ブレーキ。機体がエプロンに入って停止したところで、ようやくバドラとその部下がシートから立ち上がった。バドラがムボロのベルトを外し、立つように身振りで促す。
「どこだ、ここは?」
「まずは降りていただきます」
質問に答えずに、バドラが立ち上がったムボロの腰を押す。
押されるままに、ムボロはガルフストリームのタラップを降りた。待ち構えていたのは、スーツ姿の四人のヨーロッパ系の男たちだった。その背後には、灰色に塗られたC‐130軍用輸送機やエアバスA330らしい双発ジェット輸送機が見えている。その機体には、青い円の中に赤い小円が入るラウンデルが描かれていた。……イギリス空軍機だ。
四人のうち、一番年嵩の男が進み出た。豊かな白髪頭で、がっしりとした体格だ。ムボロにとっては初めて見る顔であったが、ここには居ないAI‐10たちにはお馴染みの人物であった。
……デニス・シップマンである。
「ようこそ。入国を歓迎します」
達者なフランス語でにこやかに、デニスがムボロを出迎えた。
「ここは、どこだ? イギリスなのか?」
ムボロは挑むようにあえて英語で訊いた。
「オックスフォードシャー。RAFブライズ・ノートン基地です。イギリス政府は、閣下の亡命受け入れを決定しました。極秘裏に、ですが」
英語に切り替えたデニスが、簡潔に答える。
「家族はどうなった?」
「ご安心ください。ご家族の亡命も決定済みです。今はキプロスに居ますが、明日までにはこちらに移送される予定です」
年季の入ったセールスマンのような爽やかな口調で、デニスが答える。ムボロは歯噛みした。妻は、キプロスの英軍基地あたりで軟禁され、そこがイフリーキヤであると信じ込まされたに違いない。東地中海に浮かぶキプロスなら、その景観はイフリーキヤに似ているだろう。
「わたしはどうなるんだ?」
「身の安全は保障しますよ。アマニアの混乱は、我々としても歓迎しませんのでね。ヘミ族に大人しくしていてもらうためにも、閣下は某国で平穏に過ごしている、ということにしておかねば。もちろん、その引き換えとして色々喋ってもらうことがあるわけですが……」
「な、何も喋らんぞ」
ムボロは思わず後ずさりした。
「おやおや。こちらとしても、閣下にタダ飯を喰わせる気はないのですよ。もう、調べはついています。リヒテンシュタイン、ヴァイセンベルク、アルバ。そうとう貯め込んでいらっしゃるのでしょう? 小汚い金を」
デニスの口調が、徐々にどすの利いたものに変わってくる。
「わが国民は、テッサ・ファーガスン記者殺害の犯人を、いまだ捜している処なのですよ。閣下が国内にいる、とマスコミにリークしたら、どうなりますかね?」
ムボロには答えようがなかった。
「とりあえず、近くのセーフハウスにお連れしましょう。うちの専門家が、じっくりとお話を聞きますのでね」
デニスが首をちょっと傾けて合図する。背後に控えていた部下のうち二人が進み出て、ムボロの腕を取った。そのまま、停めてある黒塗りのBMWの方へと引っ張ってゆく。小走りに先行したもう一人が後部ドアを開けた。
「ご苦労さん」
デニスが、三人のアラブ系SIS職員を労った。次いで、ラッセルに歩み寄る。
「よくやってくれた。期待を大きく上回る成果だ。長官もお喜びだよ。首相も、驚かれたとのことだ」
「ありがとうございます」
ラッセルが、差し出されたデニスの手をしっかりと握る。
「お帰りーおまいらー。今回はえらく長期出張になってしまったなー」
畑中二尉が、居並ぶAI‐10たちを労う。
いつもの岡本ビルである。ただし、今日は長浜一佐と石野二曹の姿は無く、シオたちの前の長テーブルに座っているのは畑中二尉と三鬼士長の凸凹コンビだけだ。
すでにAI‐10たちは、アサカ電子開成工場において、徹底的なメンテナンスを受けていた。特別仕様になっているとはいえ、インド洋やアフリカの大地で暴れ回ったのである。故障予防のためにも、分解清掃と一部可動部品の取り換え、バッテリーの交換は必須である。ちなみに、服も新しいものが与えられたので、全員いつもの格好に戻っている。
「一応、アマニア入国後の行動について報告してもらうぞー」
畑中二尉の要求に従って、スカディが報告を開始する。時折亞唯が補足する形で、報告は実に二時間に渡って行われた。
「そうかー。じゃあ、CIAは間接的に絡んでいただけらしいなー」
書き散らしたメモを読み返しながら、畑中二尉が言う。
「どういうことでありますか?」
シオは訊いた。
「CIAとはおまいらの救出に関して、密接に連絡をとっていたのだが、急にアマニア国内での任務に貸してもらいたい、という要請が来たのだー。長浜一佐は渋ったが、上に説得されてなー。仕方なく貸すことにしたのだー。てっきり、CIAの何らかの工作に利用されていたのかと思ったが、報告内容からして違うようだなー」
「そうですわね。CIAの影は感じませんでしたわ」
スカディが、言う。
「となると、やっぱり裏で動いていたのはブリテンかー。おまいらはSISにも知られているからなー。いいタイミングでアマニアに現れてくれたんで、利用されたんだろー」
「FPAとSISが手を組んでいた、ってことですかぁ~」
ベルが、首を傾げる。
「BBCのテッサ・ファーガスン記者殺害問題に絡んで、SISは以前からアマニアでの工作を活発化させていたらしいー。国防軍とFPAに手を結ばせたのも、SISの差し金かもしれんなー。結果としてムボロ政権を打倒し、内戦終結できたー。新政権は親台路線継続で、西側各国との関係改善に意欲を示しているー。まだ噂の段階だが、ジズカカ大統領はテッサ・ファーガスン記者殺害事件の真相究明と適正な処罰を行うそうだしなー。FPAの解散で中華人民共和国の影響力も削がれたしー。イギリスとしては、『計画通り』なのかもしれんー」
「SISの工作に手を貸すために、CIAがうちらを又貸しした、ってことやな」
雛菊が、言う。
「その可能性が高い、とあたしは踏んでいるー。ひとつ気がかりなのは、おまいらが見つけたシラリア産サリンの行方だー。新政権と南アマニア政府、それに国防軍が必死になって探してるが、いまだ見つかっておらんのだー」
「SISが回収したんじゃないのか?」
亞唯が、そう推測する。
「どうもそうじゃないようだなー。どこかの地中にでも埋められているか、当事者が死んだり投獄されたりして所在不明になっているのか、あるいは転売されたのかー。転売だと厄介だなー。またどこかの独裁者やテロリストが使うかもしれんー」
「……その回収が、次の任務だったりして」
亞唯が、ぼそっと言う。
「こらこら、変なフラグ立てるなー。次の任務だが、どうやら近いうちに頼むことになりそうだー。長浜一佐は、打ち合わせでアサカ電子本社に出向いているのだー。すでに、任務で使用するある物も発注済みだしなー」
にやにやしながら、畑中二尉が言う。
「ある物。何でしょうか?」
スカディが、首を傾げる。
「専用狙撃銃、とかだったら最高なんだが」
亞唯が、言う。
「専用装甲車両とか、欲しいのであります!」
シオはそう要求した。特撮の戦隊ものみたいで、格好良さそうだ。
「やはりここは爆薬なのではないでしょうかぁ~」
こう言うのは、もちろんベルである。
「おそろの専用ユニフォームとか、どうや? もちろん縦縞で」
雛菊が、言った。
「お、まぐれ当たりだな。実は、専用ユニフォームを発注済みなのだー。何のユニフォームかは、見てのお楽しみだー。では、今日は解散ー。おまいら、お疲れさまー」
畑中二尉が、終了宣言をする。AI‐10たちは、会議室を出ると車のキーを手にした三鬼士長のあとに続き、ぞろぞろとエレベーターに乗り込んだ。
オー・ジーワ州のヴィラール市にあるイタリアン・レストラン、『リストランテ・フィーコ』の奥まったテーブルに、三人のアマニア人女性が集っていた。
オデット、エリザ、ソランジュのジズカカ三姉妹である。
「で、来てあげたけど、何の集まりなの、これ?」
エリザが、挑むように訊く。
「ムボロもいなくなった。FPAも発展解消した。もう喧嘩する必要はないでしょ? 手打ちのお食事会、というところよ」
オデットが、宥めるように言う。
「本当は、母さんも呼びたかったんだけど、ちょっと、ね」
今や、マリナ・ジズカカは大統領閣下である。情報省長官時代よりも忙しく、実の娘たちと云えども、時間を割いてもらうことはまず無理だ。
「姉さん。わたし、こう見えても清貧の誓いを立てた身なんですけど」
遠慮がちに、ソランジュが言う。FPA解散後に、彼女は再び教会に戻り、今は以前に面倒を見ていた子供たちを含む孤児たちの母親代わりとして、ラヴィーヌヴィルに新設された孤児院で働いているのだ。ちなみに、エリザの方はそのまま南アマニア防衛軍に入り、大尉の階級を得て勤務している。
「大丈夫。安いランチコースだから。あ、もちろん奢るからね」
エリザが、いまだ容貌に幼さの残る三女に笑顔を向ける。
前菜はいちじくの生ハム巻きサワークリーム添えだった。それをつつきながら、ぎこちない会話が始まる。
だが、二皿目のパスタが供されたころには、会話はかなり弾んだものに変化していた。もともと、仲の良かった姉妹である。エリザも、頑固にムボロ支持の姿勢を変えなかった母親は嫌っていたが、さんざん世話になったオデットに関してはそこまで悪感情は抱いていない。昔話が始まると、会話には時折控えめな笑い声が混じるようになった。
「最初はどうなるかと思ったけど、楽しい食事会になったね」
デザートのいちじくのジェラートを食べつつ、エリザが満足げに言う。
「生き方は三者三様だけど、こうしてたまに顔を合わせるのもいいことよね。また機会があったら、集まりましょう。次は、エリザの奢りね」
オデットが、スプーンでエリザを指す。
「なんでそうなるの?」
「ちゃんと俸給貰ってるんでしょ、大尉殿? ソランジュは、修道女でお金ないから、仕方ないけど」
オデットが、諭すように言う。
「……姉さんには敵わないわね。いいわ。次はわたしの奢りで」
エリザが、折れた。その様子を見ていたソランジュが、くすくすと笑う。
「お二人とも、変わってませんね。そんな情景、何度も見たことありますわ」
「そう?」
オデットが、意外そうな表情でソランジュを見る。
「『エリザ、ソランジュはまだ小さくて無理なんだから、あなたとわたしがやらなきゃだめだよ』……とか」
ソランジュが、神妙な表情で幼いころのオデットの物真似をする。
「あー思い出した。おやつを三等分した時とか、そんな感じで姉さんに丸め込まれて、一番小さいやつで我慢させられたような記憶があるよ」
エリザがそう言って、愉快そうに笑った。
食後のコーヒーは、冷たいカフェ・シェケラートだった。さっそく味わおうとグラスを持ち上げたエリザに、オデットがすっとある物を差し出す。
ストローだった。
「やめてよ姉さん。そんな物使うのはマリナだけでしょ」
エリザが、苦笑する。
「いいからお使いなさい。毒は入ってないから」
オデットが、満面の笑みを湛えたままストローをエリザの手に押し付ける。
エリザの眼が、すっと細まった。
「知ってたの、姉さん?」
「もちろんよ。母さんの変な習慣を利用した、いい手だったわね。危ういところだったわ」
オデットが笑みを消し、さばさばとした口調で続ける。
「で、どうする気?」
諦めたのか、ストローをカフェ・シェケラートのグラスに差して一口飲んだエリザが、訊いた。
「何もしないわ。確たる証拠は何もないし、FPAももう無いし。母さんも、あなたを恨んでないしね。ここで新政権と南アマニア共和国政府のあいだに厄介な問題を持ち込んでも、誰も得をしないからね。どこかの馬鹿が情報省長官の暗殺を企てたけど、優秀な情報省職員によって阻止された、というだけの話よ」
自分のカフェ・シェケラートを味わいながら、オデットが言った。
「お二人の会話内容で推測した限りですが……それがいいでしょうね」
ソランジュが、口を挟んだ。
「もう時代は新しいページに移行しているのです。その一件は、過去の話ですわ。これを飲み干したら、おしまいにしてしまいましょう」
「賛成だね」
なおもストローでずるずるとカフェ・シェケラートを啜りながら、エリザが賛成する。
「同意するわ」
オデットが言って、自分のグラスをぐっと呷った。
第二十四話をお届けします。




