第二十一話
……やるな、ラッセル。
ダークは厳しい表情でムボロ大統領を見つめながら、内心で友人に拍手を送った。
ケタミンを注射され不動化されたうえで拉致されたムボロは、当然のことながらここがどこであるかは知らないし、時間の経過も把握していない。ここがFPA本部であり、その場所が実質的にFPAの首都であるラヴィーヌヴィルである、というラッセルの主張はもっともらしく聞こえるであろう。
ぴろぴろぴろ……。
いきなり、人民裁判法廷に軽快な電子音が控えめに鳴り響いた。
傍聴席に座っていた男が慌てて立ち上がり、ポケットからストレート式の携帯電話を取り出しす。
「アロ?」
恥ずかし気に背を丸めながら、携帯電話を耳に当てた男が、足早に法廷を出ていった。数名が、それを苦々しい表情で見送る。
と、いきなり哄笑が法廷内に響き渡った。全員が、声の主を注視する。
笑っていたのは、ムボロ大統領だった。
「いや、見事な嘘だったな。危うく騙されるところだったぞ」
ムボロが、ラッセルに向かって言い放つ。
「ラヴィーヌヴィルで電話が通じるはずがない。わたし自らが命じて、通信インフラを徹底的に破壊させたのだからな。諸君らの手で、携帯電話網を復旧させるのは不可能だろう。したがって、ここはラヴィーヌヴィルではない。それどころか、シュデスト州内でもないだろう。違うかな?」
法廷内が、ざわめいた。
「残念だけど、こちらの負けね」
覆面を取ったエリザが、悔しそうに言う。
人民法廷は、実質的に休廷状態になっていた。一応、ムボロ大統領に対する糾弾は続けられ、ビデオ映像も記録されているが、すでに勝ちを悟ったムボロは余裕の笑みを浮かべたまま即時解放を要求するだけだった。FPAの主要メンバーは、別室に移って対策を急いで協議しており、AI‐10たちもエリザとソランジュ、二人の傭兵にくっついて法廷を出ていた。
「仮に拷問に掛けたとしても、サリン散布の中止命令は出さないだろうな、奴は」
ダークが、諦め口調で言った。
「ムボロを解放し、中止命令を出させるしかありませんね」
ラッセルが、なぜか明るい調子で言う。
「その様子ですと、何か策がお有りのようですわね」
スカディが、微笑みを浮かべたラッセルの顔を見上げる。
「大統領。当法廷は遺憾ながら、貴殿の解放を決定しました」
裁判長役を務めていたFPA幹部が、厳かに告げた。
「賢明な判断を下されたことを、高く評価しよう」
見下した笑みを見せながら、ムボロ大統領が応じる。
「もちろん無条件ではありません。ラヴィーヌヴィルに対する、化学兵器の散布計画を即刻中止し、撤去していただきたい。さすがに、廃棄までは求めませんが、化学兵器の使用はいかなる理由があろうとも非人道的であり、アマニア人民はもとより国際社会が到底受け入れることのできない非道な行いであることを、警告しておきます」
「下手に出たな、よかろう。解放してくれれば、すぐに使用中止命令を出そう。ただし、それ以前に部下が使用してしまった場合の、責任は持てんが」
ムボロが、上から目線ながら確約する。
「我々はここを退去します。大統領は、この場を動かないでいただきたい。居場所は、国防軍に連絡しますので、すぐに迎えが来るでしょう。我々が安全に脱出するための保険として、武装したロボットを残置します。その指示には従っていただきたい。もちろん、ロボットを破壊、または捕縛することも禁じます。貴殿が国防軍に保護されたと同時に、ロボットも自由にここを立ち去ることを確約していただきたい。よろしいですかな?」
裁判長役の男が、壁際に並んでいるAI‐10五体を指し示す。
「いいだろう。だが、こちらにも付帯条件がある。諸君らが撮影したビデオのデータはすべて置いていってもらおう。すべて、だぞ。例外は、許さん」
ムボロは声高に主張した。公表されて不利益を被るような映像は撮られていないという自信はあるが、将来的にFPAに悪用されかねないものを残しておくのはまずい。それに、データが手元にあれば、一部を切り取って何らかの政治的宣伝に使えるかもしれない。拉致されたにも関わらず毅然とした態度でFPA幹部と渡り合っている映像は、さぞ一般大衆受けするであろう。
「よろしいです。すべて、置いていきましょう」
裁判長役の男が、即断した。
「ではこれで、取引成立だな」
ムボロ大統領は、笑顔でうなずいた。
「閣下、コーヒーをお持ちしました!」
シオは、カップの載った盆を差し出した。
「ありがとう」
ムボロ大統領が受け取って、一口飲んだ。
人民法廷が開かれていた部屋は、がらんとしていた。今は、椅子に座るムボロ大統領と、それを見張っているスカディとベル、それにコーヒーを持ってきたシオしかいない。亞唯と雛菊は外で見張り番をしているので、ここにはもちろんいない。
FPAのメンバーが退去してから、二十分が経過していた。FPA側からは、『国防軍』の迎えが来たら、大統領を解放していい、と指示されている。
「しかし……諸君は何者だね? 軍用ロボットには見えないが」
機嫌良さそうに、ムボロが訊く。
「申し訳ありませんが、正体は明かせませんわ」
素っ気なく、スカディが答える。
「まあ、それに関しては深く訊くまい。ところで、データ消去に関しては、大丈夫だろうね?」
「もちろんですわ。閣下の映像と音声は取得後十秒で自動消去されております。閣下のお言葉と行動のみ、テキストデータ化して保持しておりますが」
スカディが、応じる。
「結構だ」
鷹揚にムボロが言い、コーヒーを一口飲み下す。
『スカディ。連中が来たよ。予定通りだ』
スカディらのFM無線機に、亞唯の声が届いた。
『問題はないかしら?』
スカディが、問う。
『問題ないね。手筈通り、いくよ』
『了解。シオ、ベル、準備はいい?』
『準備はできているのです!』
盆をテーブルに置いたシオは、元気よく応諾の返信を行った。
『こちらもできておりますのですぅ~』
ベルも、答える。
「大統領閣下、外に居ります者から連絡が入りました。国防軍所属と思われる車両が接近中とのことです。お支度を願えますか」
スカディが、丁寧な口調で告げた。
「早かったな」
なおもにこやかなまま、ムボロが飲みかけのコーヒーカップを盆に戻した。立ち上がり、スーツの裾を引っ張ったり、ネクタイを直したりして身じまいを整える。
「こちらであります、閣下!」
シオは扉を開け、ムボロを室外へと導いた。スカディを先頭に、殿をベルが務める形で廊下を進む。FPAが放棄した三台のビデオカメラは、まとめてシオが持った。
「ふむ。この風景は、プラトー州だな」
戸外に出て、あたりを見回したムボロが、そう言う。
「よくお分かりですねぇ~」
ベルが、感心したように言った。辺りは農村地帯で、草原の中に農家と畑地が点在しているだけだ。
ムボロが、薄く笑う。
「ここはわたしの国だよ。一目見れば、わかる。この国を、この大地を愛しているのだからな」
その草原の中に拓かれた砂利道を、一台のランドクルーザーがこちらへ向けて走ってくる。無標識の、民間の車だったが、運転しているのは陸軍の兵士のようだ。
ムボロを守る様に立つAI‐10三体の前で、ランドクルーザーが減速して停車した。後部のドアが開き、スーツ姿の男性が急いで降りてくる。
一般のアマニア人よりも明るい肌の色。……サカイワ大佐だ。
「閣下! ご無事でしたか!」
「おお、ナクララ将軍のところのサカイワ君か。早かったな」
「たまたま近くに居りましたので、FPAの連絡を受けて急いで来たのです。お車へどうぞ。詳細は、FPAの方から聞いております」
サカイワ大佐が、ムボロを急かすように言った。ムボロがうなずき、ランドクルーザーに乗り込んだ。ドアを閉めたサカイワ大佐がシオからビデオカメラを受け取ると急いで反対側へと回り、ドアを開けて乗り込む。
すぐに、ランドクルーザーが走り出した。スカディ、シオ、ベルの三体は、それを見送った。
道端の草が割れ、隠れていた亞唯と雛菊が顔を見せた。
「うまくいったな」
スカディの隣に並んで走り去る車を見送りつつ、亞唯が言う。
「いえ、これからよ。サカイワ大佐たちの演技と機転に、期待しましょう」
スカディが、重々しく応じた。
……助かった。
ムボロ大統領は、ランドクルーザーの座席に深々ともたれると、数秒間だけ眼を閉じる贅沢を自分に許した。常にカリスマ性を維持するために、気を抜いた表情を他人に見せることを極端に嫌っているので、人前で目を瞑ることはめったにない。
「大佐、すぐに部隊を派遣し、あそこに居たロボットどもを殲滅してくれ」
眼を開けたムボロは、横に座っているサカイワ大佐にそう命じた。
「閣下。FPAからの通告内容を信ずるとするならば、閣下とFPAのあいだで交わされた約束では、あのロボットたちに手出しはできないはずですが……」
サカイワ大佐が、眉をひそめる。
「馬鹿を言うな。わたしを拉致し、虚仮にした連中だぞ。無事に帰すわけにはいかん」
ムボロは強い調子で言い返した。あっさりと拉致されるという不名誉を挽回し、カリスマを守るためには、FPAに対し激烈な報復を行うしかないのだ。
「今我々が向かっている先に居る兵力は、陸軍一個小隊に過ぎません。当面、閣下をお守りするだけで手一杯です。あのロボットたちは武装していましたから、数名を派遣すれば済む、というわけにはいかないでしょう。ここで兵力を分割するのは、上策ではないと愚考いたしますが」
サカイワ大佐が、下手に出つつ反駁する。
「むう。ならば仕方ないな」
ムボロは命令を撤回した。やはり、ここで優先すべきは自分の安全だろう。
……おや。
ムボロはそこでようやく、前席に座っている二人がいずれも女性であることに気付いた。運転しているのは陸軍の作業服を着た小柄な若い女性兵士だが、その隣に座っているのはラフな服装の若い女性だ。
「情報省の職員です。たまたま行動を共にしておりましたので、同行してもらいました。警護任務には慣れておりますので、適任かと」
ムボロの戸惑いに気付いたサカイワ大佐が、説明する。
「では閣下。さっそく化学兵器散布の中止命令を出していただけますか?」
サカイワ大佐が、ポケットから携帯電話を取り出した。
「陸軍部隊が無線機を所持しております。これで最寄りの陸軍基地と通信し、ラヴィーヌヴィルと連絡できます」
「そうか。では、『サパン』と名乗って『フォイユ』を呼び出し、即時作戦実行と伝えてくれ。周波数は……」
ムボロは、短波帯の周波数を告げた。サカイワ大佐の顔に、唖然とした色が浮かぶ。
「閣下。確認させていただきますが、即時作戦実行でよろしいのですか?」
「もちろんだ」
「それが、中止命令なのですか?」
「むろん違うぞ。ラヴィーヌヴィルにサリンを全面的に散布し、FPAに大打撃を与えてやるのだ。わたしを拉致したことを、後悔させるためにな」
抑えきれぬ残忍な笑みを浮かべて、ムボロは言い放った。
「では、FPAと先ほど交わした約束は……」
「馬鹿かね君は。わたしが犯罪者どもと、取引するわけがないだろう」
「閣下。ラヴィーヌヴィルには、推定ですが二十万人近い一般市民がおります。大量虐殺となれば、一般大衆が……」
「FPA支持者の命など知ったことか。命令を実行したまえ」
ムボロは声高に命じた。
「それはまずいです、閣下」
情報省の女性職員が、身体ごと後ろを向いて喋り出した。
「情報省が掴んだ情報では、現在ラヴィーヌヴィルには中国人が入っています」
「中国人?」
「はい。詳細は不明ですが、FPAは中国より本格的な防空システムを購入する模様です。早期警戒レーダーと新型地対空ミサイル、さらに既存の対空火器を統合運用するシステムです。この商談のために、将官一名を含む人民解放軍の一団と、民間技術者数名が来訪中です。彼らに被害が及べば、対中関係の悪化は必至です。下手をすれば、北京政府によるFPAに対する無償軍事援助の非公式な開始、さらには人民解放軍の軍事顧問団派遣、といった事態に発展しかねません」
「中止だ中止! 大佐、『フォイユ』に対し作戦即時中止と撤収を指示しろ!」
ムボロ大統領は慌てて命じた。ただでさえ、台湾との交流強化で中華人民共和国との関係は悪いのだ。これ以上悪化させるわけにいかない。
「ただちに」
サカイワ大佐が、携帯電話で指示を伝える。
「終わりました、閣下」
通話を終えたサカイワ大佐が、携帯電話をポケットに仕舞った。ムボロは安堵すると、考えをまとめ始めた。今回サリンが使えなかったのは残念だが、またチャンスは巡ってくるだろう。それよりも今は、拉致されたという恥辱をどうやって晴らすか、である。軍内部か情報省に裏切り者がいた、ということにして、そいつを公開処刑するというのはどうだろう。部下の裏切りが見抜けなかったせいで、拉致されてしまったと言い訳すれば、一般大衆も厳しい視線を向けることもあるまい。では、だれを生贄にするか……。
ムボロは脳内で部下の名簿を繰り始めた。そこそこ有能で地位が高い者の方が、もっともらしく見えるだろう。処刑するのは少しばかり勿体ない気もするが、これも自身のカリスマを守るためである。なに、代わりの人材などいくらでもいる……。
ランドクルーザーが揺れ、砂利道を逸れた。前方の草原を情報省女性職員の肩越しに透かし見たムボロは、そこに一団の武装兵たちがいるのを見つけた。これが、サカイワ大佐の言っていた一個小隊だろう。
……おや。
近付くにつれ、その一団の細部が見て取れるようになると、ムボロは違和感を覚えて腰を浮かした。どう見ても、陸軍兵士たちには見えない。服装はばらばらだし、所持している兵器も制式とは違うようだ。
FPAだ。
「おい、引き返せ!」
ムボロ大統領は、運転手に向かって怒鳴った。
「お静かに、大統領」
情報省女性職員が振り向き、手にした拳銃をムボロに向ける。……ロシア製マカロフにそっくりな拳銃。……中国製の、64式だ。
「謀ったな、大佐!」
ムボロは、サカイワ大佐に掴みかかろうとしたが、下腹にCz75自動拳銃を突き付けられ、踏みとどまる。
「大佐? 誰のことですかな? わたしは、『エール・ブランシュ』の者ですよ」
落ち着いた小声だが、明らかに嘲りの色を交えて、サカイワ大佐が言う。
ランドクルーザーが停車し、周囲を武装したFPAメンバーが囲む。後部のドアが開かれ、サカイワ大佐が素早く降りた。代わりに左右から、ヨーロッパ人男性二名が乗り込んでくる。
「また会ったな、大統領」
人民法廷にいた男……ダークが、微笑みかけてくる。反対側に乗ったのは、もちろんラッセルである。
「どういうことだ? 軍がFPAと組んだのか?」
混乱しつつ、ムボロは訊いた。
「詳しいことは、あとで話してあげますよ。とりあえず、人民法廷の再開です」
後部シートに置いてあったビデオカメラを取り上げ、撮影を再開しながら、ラッセルが言う。
ムボロが浮かべた憤怒の表情は、高画質でビデオカメラの内蔵メモリーに納まった。
第二十一話をお届けします。




