第二十話
「ムボロ大統領の動きは、情報省側から入手できます。装備その他必要なものがあれば、国防軍……もとい、『エール・ブランシュ』が用意します。拉致は容易でしょう」
もっと詳しい話を聞きたい、と要求された『蝙蝠男』が、説明する。
「拉致したあと、どうするつもりだ?」
ダークが、訊いた。
「あなた方の手で政治的に葬っていただきたい。彼の支持者が政権を掌握し、英雄の帰還を待つなどという事態になって欲しくないのでね。カリスマ性を、徹底的に破壊してもらいたいのですよ。あくまで提案ですが、人民裁判など、いかがでしょうか?」
『蝙蝠男』が、言う。
「人民裁判ねえ」
エリザが、胡散臭そうな表情で応じる。
「ムボロの醜聞なら、山ほど用意できます。FPAで人民裁判を開き、ムボロを糾弾する模様をビデオに収め、インターネットを通じて全世界に公開する。カリスマ性さえ失わせることが出来れば、彼もただの人間です。放置しても、害はありますまい」
「それで、この企てにFPAが一枚噛んで、何の得があるの?」
エリザが、語気鋭く訊いた。
「国防軍は、ムボロ支持者による次期政権を認めない方針です。そして、穏健な次期政権にFPAとの和平交渉を行うように働きかけるつもりです。現状FPAが支配している地域に大幅な自治権を付与し、タンザニアのような連合共和国化を目指します。戦争は終わるし、FPAも実質的に目的を達成できるでしょう。いかがですか?」
「それは……魅力的な提案だね」
エリザが、薄く笑う。
「もしよろしければ、わたしが人質兼任の連絡役として、あなた方と行動を共にしてもよろしいですよ」
『蝙蝠男』が、そう提案する。
「それは歓迎するが……一方的に、こちらを信用しているのは、なぜかな?」
ダークが訊いた。もしこちらの予想通り、『蝙蝠男』がサカイワ大佐で、なおかつナクララ将軍の意向で動いているとすれば、それをネタにFPAがナクララ将軍を脅す、などということも可能なはずだ。
「これほどFPAにとって有利な提案が蹴られるはずがない、という判断ですよ。それに、わたしを捕えて、あなた方がわたしの上官だと想像している人物に圧力を掛けようとしても無駄です。『エール・ブランシュ』などという組織は存在しない、と言い逃れできますからね。さらに、『エール・ブランシュ』はFPAを大きく上回る軍事力を有しています。敵に回さない方が、いいですよ」
『蝙蝠男』が、『エール・ブランシュ』の正体が国防軍であることを暗に認めつつ言う。
もちろんこんな重要な提案を、FPAの軍事部門の一幹部であるエリザが勝手に受け入れるわけにはいかない。一同は、『蝙蝠男』を伴っていったんアジトへと戻ることになった。
「じゃあ、わたしは帰るわ」
オデットが、ランドクルーザーに乗り込む。
「失礼」
ダークが手を伸ばし、『蝙蝠男』のマスクをぐっと引っ張って、眼の部分の穴がずれて前が見えないようにした。……目隠しの代わりである。アジトの場所がばれないように、との用心だ。
FPA上層部は、『ショーヴスーリ』による提案を大筋で受け入れることを決定した。サリンを使われれば防ぎようがないし、ムボロ排除が実現すれば、FPAの悲願達成に大きく前進することとなる。
ムボロ拉致の責任者には、成り行き上エリザが就くことになった。ダークとラッセルの二人の傭兵と、AHOの子たちもその実績を買われて、メンバーに指名される。
お膳立ては着々と進んだ。FPAが指定したデッド・ドロップ(極秘情報受け渡し場所)に、ムボロ大統領の悪事に関する大量の情報が『エール・ブランシュ』の手によって置かれ、無事に回収される。FPAは、プラトー州内に新たにアジトを設置し、そこで人民裁判の準備を整えた。
FPAと『エール・ブランシュ』が正式に手を組んでから四日後。AI‐10たち五体は、セントラーレ州南部のとある田舎道の脇に身を隠していた。
「あと五分ですわね。ベル、準備はいい?」
体内クロノメーターをチェックしたスカディが、訊く。
「セイフティを外しましたぁ~。いつでも爆破できますぅ~」
有線リモコン装置を手にしたベルが、嬉しそうに報告する。
道路脇には、ベルお手製の『ロードサイド・ボム』が複数仕掛けられていた。音と煙は盛大に生じるものの、プラスチック容器に詰められているだけなので殺傷力は僅少であり、車両の内部にいる限りまず安全、という代物である。
道路のそばには、三隊のFPAの小部隊が隠れていた。エリザ率いる突入部隊と、ダークとラッセルが率いる援護部隊、それに逆サイドで待機する予備部隊である。AI‐10たちを含めない兵力はわずか三十名だが、陸軍とは事前に話がついており、一切抵抗せずに逃げてもらうという手筈になっているので、数的には充分なはずだ。
「来たぞ」
東側を見張っていた亞唯が、告げた。
地方都市訪問を目的としたムボロ大統領一行の車列は、情報では十台からなる。前から、道案内兼用の地元警察のセダン。護衛である陸軍のM242ストーム。ラーテル20装輪装甲車。大統領警護隊の乗ったセダン。ムボロ大統領が乗った装甲リムジン。随員の乗ったセダン。歩兵一個小隊が分乗したサミル50トラック二台。再びラーテル20装輪装甲車。そして、殿を務めるM242ストームという布陣である。
「中止の合図はないで」
道路脇の草むらに潜む突入部隊を注視している雛菊が、そう報告した。この手の車列襲撃作戦において一番厄介なのが、民間人を巻き込んでしまうことだが、この辺りには人家も農耕地もないし、道路は地元警察が通行規制を行っているので、民間車両が通りかかる可能性も少ない。
車列が、秒速十一メートル……時速四十キロメートルほどか……で接近を続ける。先頭の警察車両が、襲撃エリアの目印である立木を通り過ぎた。
「では、いきますよぉ~」
ベルの指が踊り、複数の起爆スイッチを最適なタイミングで次々と押した。合計六発の『ロードサイド・ボム』が炸裂し、轟音と派手な黒煙が撒き散らされる。
すぐそばで爆発に見舞われた六台の陸軍車両……M242ストーム、サミル50トラック、ラーテル20装輪装甲車がいずれも急停止した。しかも、ラーテル20は、全長七メートルを超える巨体で道路を塞ぐように、わざわざ急ハンドルを切ってから斜めに停車する。
停止した陸軍の車両から、兵士たちがばらばらと降車する。その頭上に向け、FPAの援護部隊が威嚇射撃を行った。銃声に追われるようにして、兵士たちが逆サイドの草原へと逃げてゆく。
先頭の警察車両は爆発を見て急停車し、乗っていた警察官四名が慌てて降車した。彼らは拳銃と散弾銃で反撃の構えを見せたが、56式自動歩槍数丁による威嚇射撃を受け、さらに陸軍兵士が一発も撃たずに逃げてゆく姿を目にして戦意を喪失し、同じように草原の中に駆け込んだ。
前から四番目を走っていた大統領警護隊が乗ったセダンは、アクセルを踏み込んで路肩に乗り上げ、停車したラーテルの尾部を迂回して前方へと逃げようと試みる。だが、そこに突入部隊が発射した69‐Ⅰ式対戦車ロケットランチャーが命中した。非装甲のセダンはばらばらに引き裂かれ、大統領警護隊員四名は即死した。
六番目を走っていたセダンには、エンジンルームに対し汎用機関銃が放たれた。走行を諦めた運転手兼用の大統領警護隊員がUZI短機関銃を手に、果敢に撃ち返してくるが、突入部隊による狙撃によって倒される。
ムボロ大統領が乗るリムジンにも、銃弾が降り注ぐ。だが7.62×51mm抗弾仕様なので、威嚇射撃にしかならない。
陸軍兵士と警察官がすべて逃げ去り、抵抗が皆無となったことを確認したFPA突入部隊が、相互に援護を行いながら残された二台……装甲リムジンと随員の乗ったセダン……に接近する。援護部隊も射撃を中止し、大統領側の出方を窺った。
リムジンの窓が細目に空き、そこから白いハンカチがぴらぴらと振られた。数秒後、後部ドアが開き、スーツ姿の大統領警護隊員が姿を見せ、両手に何も持っていないことを示すために大きく腕を広げながらリムジンから降り立った。
そのあとから、ネイサン・ムボロ大統領自身がゆっくりと降りた。背筋を伸ばし、威厳のある態度であたりを見回す。運転手の大統領警護隊員や、秘書官らもリムジンを降りる。それを見て、後ろのセダンに乗っていた随員たちも、両手を挙げて出てくる。
突入部隊十二名が素早く駆け寄り、生き残り全員の動きを封じる。ムボロ大統領には、覆面姿のエリザと男性幹部の一人が近付いた。エリザが56‐2式自動歩槍の銃口を突き付けているあいだに、男性幹部がムボロ大統領のボディチェックをする。
「FPAか。マリア様のお告げは、やはり本物だったのだな」
ムボロが、落ち着いた表情で言う。
「アマニア人民の名において、閣下を逮捕します」
エリザが、冷たい口調で告げた。
「逮捕だと? 罪状は、何かね?」
嘲るように、ムボロが訊く。
「人民の敵、として告発されております」
エリザが返すと同時に、男性幹部がムボロの太腿にいきなり注射器を突き刺した。少量のケタミンが筋肉内に注ぎ込まれる。
「お目覚めになりましたか」
うっすらと眼を開けたネイサン・ムボロに、覆面姿の少女……ソランジュだったが、もちろんムボロとの面識はない……が微笑みかける。
ゆっくりと身を起こしたムボロは、素早くあたりを確認した。ありふれた民家の一室のようだ。窓には板がはめ込まれており、外は見えない。隣室または廊下へと通じる戸口は見えるが、扉はない。彼自身が横たわっていた粗末な寝台以外、調度品の類は皆無だが、床の壁際には長期間置かれていたチェストか何かを移動させた跡が歴然と残っていた。
覆面姿の少女の背後には、小柄な二足歩行ロボットが二体付き従っていた。軍用には見えないが、いずれもUZI短機関銃を携えており、持ち方からしてその使い方は充分に心得ていそうだ。戸口の脇にも、誰かがいる気配がする。いずれにしても、抵抗は無意味かつ無謀だろう。
その戸口から、お盆を手にした同型のロボットが現れた。少女が盆からポットを取り上げ、カップに黒い液体を注ぐ。コーヒーの香りが、ムボロの鼻に届いた。
「どうぞ」
少女が、受け皿付きのカップをムボロに差し出した。受け取ったムボロは、一口すすってみた。……明らかに安物の豆を使った温いコーヒーで、ムボロの好みより砂糖が多すぎたが、ムボロはありがたく一杯目を飲み干した。少女が、お代わりを注いでくれる。ムボロは、それもすぐに飲み干した。
「では、参りましょうか」
カップを盆に戻すと、少女が手を貸してムボロを立ち上がらせた。
「どこへ行く?」
ムボロは小柄な少女を見下ろしつつ訊いた。
「まずはトイレへ。そのあとで、人民法廷へご案内しますわ」
二体のロボットと少女が先導し、三体のロボットが後方を固めるという形で、ムボロは民家の中を連れて行かれた。明るく照明が灯された大きな一室に連れ込まれ、思わず眼をしばたたく。
……なるほど。これが人民法廷か。
中央には、どう見ても被告席であるテーブルがあった。その向かいには、覆面姿の男女三人が座る長テーブル。左手にも長テーブルがあり、四人が座っている。左手には十数個の腰掛が並び、すべてが埋まっていた。銃を手にした警護の兵は十名ほど。
三脚に据えられたビデオカメラ二台が、それぞれ全体と被告席とを狙っている。その他に、ハンディタイプのビデオカメラを手にした二人がいて、出番が来るのを待っていた。
……茶番だな。
ムボロは内心で嘲笑った。
「こちらへどうぞ、大統領閣下」
廷吏役らしい覆面男が、ムボロを被告席へと導いた。どうやら、こちらに心理的圧力を掛けるつもりはないらしい。
通常、この手の見せしめ裁判の場合、被告に対し過度の心理的圧力を掛け、審議を有利に進めるのが常道である。睡眠を妨害し、わざと不味い食事を与え、粗末な衣服を着せる、まともなトイレを使わせない、などなど。所持品をすべて取り上げる、頭髪を刈る、若い女性による嘲笑を浴びせる、通常の犯罪者と同房にする、無意味な労働を強制する、同じ姿勢を強要する、などもよく使われる手だ。心理的に追い込まれた被告は抵抗力が弱まるので、いわゆるマインドコントロールされやすい状態になるのだ。そのような状態に追い込めば、被告に不利な証言を引き出したり、虚偽の供述を行わせたり、事実に基づかない宣誓供述書にサインさせたりすることが容易となる。
しかし、これらの方法により被告が『弱くなった』ことは外部から容易に看取することが可能だ。それを映像記録として残せば、当然裁判自体が『不正』であると看做され、指弾されるうえに裁判自体の結果も否定的に取られることになる。FPA側は、それを避けようというのだろう。
ならば、受けて立つまでだ。……いや、その前にこちらには切り札がある。
ムボロは背筋を伸ばし、意図的に余裕のある笑みを浮かべると被告席に立った。
「では、人民法廷を開廷します。被告人に尋ねます。あなたは、ネイサン・ムボロですね?」
裁判長役らしい男が、訊いてくる。
「その前に。わたくし、ネイサン・ムボロは、当法廷に対し、わたくしの身柄の即時解放を求めます」
ムボロは笑顔でそう言い放った。
「……被告人は、当法廷を愚弄するおつもりかな?」
「いえいえ。実は、FPAの事実上の首都であるラヴィーヌヴィルに危機が迫っているのですよ。それを回避したければ、わたしを解放するしかない、と言いたいのです」
ムボロの発言に、周囲がざわめく。
「大統領、どういうことです?」
通常の裁判ならば検察席である長テーブルにいた女性……実はエリザだったが……が、鋭い声を上げる。
「部下に、大量のサリンを仕掛けさせたのだよ。わたしがFPAに拉致された場合、報復のために散布するように命じてある。今すぐ解放し、中止の連絡を入れさせなければ、ラヴィーヌヴィルは全滅するぞ」
楽し気に、ムボロは告げた。拉致に成功して有頂天になっているFPAの連中が、慌てふためくのを見るのは痛快であった。
「うそ。子供たちが……」
ソランジュが、涙目になってつぶやく。ラヴィーヌヴィルには、教会の子供たちが避難しているのだ。
「嘘は言ってないようですわね。これは、まずいことになりましたわ」
スカディが、言う。
「ま、まずいのであります! 困ったことになったのであります!」
シオはうろたえた。
いきなり、室内に哄笑が響き渡った。全員が、声の主を見る。
笑っていたのは、ラッセルだった。
「大統領は、自分の命が惜しくないと見える。いや、さすがに度胸がある」
「わたしを脅して中止連絡を入れさせようとしても、無駄だぞ」
ムボロが、きつい語調で言い返す。
「違いますよ、大統領。ここは、人民裁判の法廷ですよ」
「それがどうした?」
「人民裁判法廷は、FPA本部にあるのです。つまり、ここはラヴィーヌヴィルなんですよ。サリンが散布されれば、あなたも死ぬんです。お分かりですか?」
ラッセルが言って、ムボロに向かってからかう様に指を振って見せた。
……なんだと。
ムボロの心中に、焦りが浮かんだ。
急いで中止命令を出さねば、自分も死んでしまう。だが、サリンという切り札を失えば、このまま人民裁判に掛けられるだろう。堂々と渡り合う自信はあるが、見せしめ裁判が失敗したと知ったFPAの連中が、無茶なことをやり出す可能性は高い。FPAに良識や慈悲の心を期待するほど、ムボロは愚かではなかった。
第二十話をお届けします。




