第十九話
「近いうちに『スコンド』を実行するぞ」
ネイサン・ムボロ大統領が、強張った笑顔で告げた。
「承知いたしました、閣下」
エクメト中佐は冷静さを保とうと必死の努力を続けながら、命令を受領した。経験上、大統領がこんな顔をしている時は、内心では怒り狂っているということを知っているのだ。下手に刺激するような言動をすれば、お気に入りの部下と云えどもただでは済まない。
FPAによるトレミニ基地襲撃で、傭兵空軍部隊はその機材装備の大半を失い、実質的に壊滅した。ムボロ大統領が、多額の予算を費やして編成させた虎の子部隊が、何の成果も挙げぬままに消滅したのだ。そしてもちろん、これで『ドラゴニ』計画の本作戦である『プルミエ』の実行も不可能になった。
「わたしの命令があり次第、『スコンド』を即時実行できるように準備しておけ。それと……」
ムボロ大統領が言葉を切り、笑顔を消した。
「わたしにもしもの事があった場合も、即時実行だ」
「もしもの……事でありますか?」
エクメト中佐は驚きの表情を押さえようとしたが、無理だった。
「最近どうも嫌な予感がするのだ。マリア様が、わたしに警告してくれているのだと思う。もしわたしが死んだら、『スコンド』を実行せよ。死亡が確認されなくとも、わたしがFPAの手に落ち、奪回が困難な場合でも同様だ。わたしの計画を邪魔したFPAの奴らに、復讐してくれるわ」
いくつか細かいトラブルには遭遇したものの、AI‐10五体と二人の傭兵は夜までにはプラトー州北部にあるFPAのアジトに帰り着いた。
「やれやれ。ひどい目にあったのであります!」
さっそく充電させてもらいながら、シオはぼやいた。
「無事で良かったですわ」
みんなが充電しているところへ、ソランジュが大きな布の束を抱えてやってくる。
「スール・ソランジュもご無事だったのですね。エリザさんもご無事ですか?」
スカディが、訊く。
「ええ。姉さんも無事よ」
ソランジュが、AI‐10たちの服代わりに大きな布を器用に巻き付けてくれた。腰のところを布紐で縛って、ベルト代わりにしてくれる。……サリーとトーガの合いの子のような格好だ。
「リーダー。これからどうするんだい?」
裾の具合を直しながら、亞唯が訊いた。
「FPAにマルキアタウンまで送ってもらって、さっさと出国したい……と言いたいところですが、トレミニ基地でサリンを見つけてしまった以上、あっさりと手を引くわけにはいかなくなりましたわね」
スカディが、難しい顔をする。
「潰したのはIPA化合物だけだからな。アマニアの技術でも、こっちの方は簡単に作れるはずだ。それに、予備もある可能性も高い。なんとか、使わせないようにしないと」
亞唯が、断固とした口調で言う。
「独裁者はその地位を守るためには手段を選びませんからねぇ~」
ベルが、嬉しそうに言う。
「ご苦労だったわね、みんな」
エリザが歩んできた。側には、留守番だったROCHIがちょこちょこと従っている。
「おおROCHI殿、再会できて嬉しいのであります!」
シオはROCHIを手招いた。ROCHIが、ごそごそとシオのボディを這い上って、頭の上にちょこんと乗っかる。
AI‐10たちの協力要請は、FPA上層部に好意的に受け入れられた。やはり、トレミニ空軍基地襲撃を『成功』させた実績は高く評価されたのだ。ダークとラッセルは、謎の組織『エール・ブランシュ』に関し情報収集を行ったが、成果はまったくなかった。
「やはり架空組織だな。サカイワ大佐があのバッ〇マンだとすると、その背後にいるのはまず確実にナクララ将軍だろう。将軍の関与をごまかすための障壁が、『エール・ブランシュ』だな」
ダークが、言う。
「『エール・ブランシュ』など知らない、と言えばそれまでですからね。実際に将軍は知らないのだから、潔白の証明になる。賢いやり方です」
ラッセルが、微笑む。
「将軍の関与は濃厚だな。あの時、移送命令はナクララ将軍名で出ていたはずだ。そして、俺たちはFPA支配地域に近いオー・ジーワ州内で救出された。救出劇は、最初から国防軍の茶番だったんだ」
ダークが、そう断定する。
一方、AI‐10たちはCIAとの定期連絡でサリンのことに触れ、情報提供を要請したが、CIA側の反応は予想に反し冷淡であった。救出準備も、いまだ中断中だと告げられる。
「どうも妙ね」
通信を終えたスカディは、亞唯に問い掛けるような視線を向けた。
「妙だな。CIAにしちゃ、動きが鈍すぎる。何か裏があるのかもしれないな」
亞唯が言って、腕組みをする。しかししばらく頭を捻ったものの、亞唯もスカディもなにも考え付かなかった。
トレミニ基地襲撃から二日後、FPAの政治部門に一通のメッセージが届いた。このメッセージを吟味した政治部門情報班は、軍事部門本部の承認を受けたうえでこのメッセージを転送し、それはいくつかのカットアウト(中継場所)を経たうえでプラトー州北部にあるこのアジトへと届けられた。
「……という経緯で、届けられたのがこのメッセージだ。差出人は、『エール・ブランシュ』の『ショーヴスーリ』となっている」
ダークが、一枚のコピー用紙をぴらぴらと振って見せる。
「蝙蝠。あの仮面の男ですわね」
スカディが、うなずく。
「推定サカイワ大佐か。で、内容はなんだい?」
亞唯が、訊いた。
「会いたいそうだ。場所も指定してきた。ここからそれほど遠くない地点だ。向こうは『ショーヴスーリ』と、もう一名。こちらは、俺とラッセル、君たち五体。それに、ジズカカ姉妹。安全を保障してくれるならば、その他に護衛を連れてきても構わない、と言ってきている」
「……ジズカカ姉妹? 誰ですか、それはー?」
シオは訊いた。
「姓は名乗ってなかったからね」
ぶすりとした表情で、エリザが言った。
「あのぉ~。ジズカカという姓は、アマニアではありふれているのでしょうかぁ~」
小さく挙手したベルが、遠慮がちに訊いた。
「いいえ。どちらかと言えば、珍しい姓ですわね」
こちらも苦い顔をしたソランジュが、言う。
「ジズカカって、有名人がおるな」
雛菊が、亞唯を見る。
「ああ。マリナ・ジズカカ。情報省の長官だ」
亞唯が、エリザとソランジュを見据えながら言う。
「あー、そうか。君たちはまだ知らなかったな。この二人、ジズカカ長官の娘なんだ」
ダークが、こともなげに言った。
「な、なんですとー!」
シオは飛び上がった。
「たしかに、わたしたちの母親はマリナ・ジズカカ。情報省長官よ」
渋々と、エリザが語り出す。
「わたしは次女。ソランジュが三女。オデットという長女がいるけど、彼女はマリナの部下となっているわ」
「……スケールの大きな母子&姉妹喧嘩やなー」
雛菊が、小声で突っ込む。
「マリナは内務省時代から、ムボロ政権を支えることに全精力を傾けていたのよ。内心では、ムボロを嫌っていたのにね。オデットはそれに感化され、マリナの部下になった。わたしはマリナとオデットに反発し、ソランジュを連れてFPAに身を投じたわけ」
エリザが、視線をAI‐10たちから逸らしたまま語る。
「わたくしは仲の良かったエリザ姉さんに付いてきましたけど……結局殺し合いに嫌気がさして、FPAを抜けて宗教に走りましたが」
ソランジュが、自分の立場を説明する。
「お母様とお姉さまを説得なさるとかいう選択肢はなかったのでしょうかぁ~」
ベルが、訊いた。
「無理ね。マリナは、アマニア人民を全く信用していないのよ。ムボロ政権が倒れれば、内戦になると盲信しているわ。この件に関しては、貸す耳など端から持っていないの。オデットは、まだ柔軟な考えの持ち主だったけど、もう無理でしょうね。すでに情報省の幹部職員にまで出世しちゃったから」
エリザが、ため息交じりに言う。
「エリザは長官暗殺まで企てたしな。失敗したけど」
ダークが、苦笑する。
「わたしたちのことはもういいわ。この話、乗るの?」
エリザが、コピー用紙に指を突き付ける。
「『ショーヴスーリ』の背後には、アマニア国防軍参謀総長アルフォンス・ナクララ将軍がいると判断して間違いないのでしょうか?」
スカディが、訊く。
「ベルナール・サカイワ大佐が単独で動いているとは思えない。その可能性は、高い」
ダークが、自信ありげに答える。
「目的は何でしょうか?」
ソランジュが、訊く。
「それを確かめに行きましょうよ」
ずっと黙ってやり取りを聞いていたラッセルが、そう言ってにこりと微笑む。
「呼ばれたメンバーに姉さんが入っているのは判りますが、わたくしは何で指名されたのでしょうか?」
ソランジュが、訝し気に問う。
「トレミニ基地襲撃に参加したからではないのでしょうか?」
シオはそう推測した。
「いや、あの作戦でわたしとソランジュの正体はばれなかったはずだよ。わたしは一応幹部だし、この二人とよく作戦行動しているから指名があっても不思議じゃないけど……たしかにソランジュまで呼ばれているのは妙だね」
エリザが、首を傾げる。
「行ってみれば判りますよ。ね?」
ラッセルが、ぽんとエリザの肩を叩く。
「お前、最近ずいぶんと楽観的だな」
ダークが、呆れ気味にラッセルを見た。
翌日の昼前、『ショーヴスーリ』の指名を受けた四人と五体は、完全武装したうえで指定地点のそばの草原に身を潜めていた。
「開けた場所だな」
双眼鏡で指定地点を観察しながら、ダークが言う。土が悪いのか、そこだけ草の生育が悪く、野球のグラウンドくらいの広さの平地……形も正三角形に近いので、余計に野球のグラウンドのように見える……が草原の中にはめ込まれているように見える。
「来たぞ」
立ち上がって周囲を見張っていた亞唯が、告げた。
北の方から、一台のランドクルーザーが近付きつつあった。草をかき分けるようにして、ゆっくりと走ってくる。
指定地点まで到達したランドクルーザーが停止し、運転していた人物が降り立った。例の黒いマスクとマント。『蝙蝠男』だ。
助手席のドアが開き、黒いパンツスーツ姿の長身の女性が姿を見せた。サングラスを外し、辺りを見回す。
双眼鏡を覗いていたエリザが、舌打ちした。
「どうした?」
双眼鏡を覗いたまま、ダークが訊く。
「わたしとソランジュを呼んだ理由が判ったわ。あの女、オデットよ」
吐き捨てるように、エリザが言う。
「おおっ! 三姉妹集合ですね!」
シオはひとり盛り上がった。
「とりあえず、罠じゃなさそうだね。あの車に爆薬でも仕掛けられていない限り」
亞唯が、そう判断を下す。
「じゃ、行きましょうか」
朗らかな表情で言ったラッセルが、立ち上がった。エリザとソランジュも、ダークに促されて渋々立ち上がる。
「亞唯、雛菊。念のためここに残って周辺警戒をお願い。シオは右方、ベルは左方をチェックしつつ前進。わたくしは、前方を警戒します」
スカディが、命ずる。
スカディを先頭に、四人と三体はランドクルーザーに近付いて行った。『蝙蝠男』もオデットも、目につくような武器は持っていない。一方こちらは、ソランジュ以外は完全武装状態である。
「来ていただいて、感謝します」
『蝙蝠男』が言って、歓迎するかのように両腕を広げる。
「久しぶりだね、姉さん」
エリザが、笑顔を見せずに挨拶する。
「元気そうね、エリザ。ソランジュも」
オデットの方は、対照的に笑顔だ。
「何で来たの?」
エリザが、姉に問う。
「彼から頼まれたのよ。人物保障を兼ねて付いてきてくれって。知らない仲ではないし……」
「ということは、やっぱりあんたはサカ……」
「おっと、詮索はやめていただきたいですな」
言いかけたダークの問いを、『蝙蝠男』が大声で遮る。
「わたしはあくまで『エール・ブランシュ』の者です。今回は、代表の代理として来ました」
「なるほど。では、『エール・ブランシュ』の代表の正体も詮索してはいけないのですか?」
スカディが、質問する。
「そうですね。ま、推測はご自由にどうぞ。そしてたぶん、その推測は合っていると思いますよ」
楽し気な口調で、『蝙蝠男』が答える。
「で、今回は何の用事なんだ?」
ちょっと苛ついたような口調で、ダークが訊く。
「協力要請です」
「ほう。で、何をすればいいんだ?」
「ネイサン・ムボロ大統領の拉致です」
こともなげに、『蝙蝠男』が言い放った。
「あんた、正気か?」
しばしの沈黙の後、ダークが問うた。
「至って正気です。そうですね?」
『蝙蝠男』が、傍らのオデットに問う。
「この男は正気よ。とにかく、話を聞いてあげて」
オデットが、真面目な表情で請け合った。
「あなた方、トレミニ空軍基地で化学兵器を見つけませんでしたか?」
『蝙蝠男』が、訊く。
「ありましたわね。サリン用のイソプロピル化合物のキャニスターだけでしたけど」
スカディが、答えた。
「なら、話が早い。ムボロ大統領は、FPAに対しサリンを大規模使用するつもりです。『エール・ブランシュ』としては、これを阻止したい。ついでに、ムボロ大統領をその地位から放逐したいのです」
「ほう」
ダークが、厳しい表表で相槌をうつ。
「理由はふたつ。化学兵器の大規模使用となれば、我が国の国際的な評判は地に落ちます。まあ、今もろくな評判は得ていませんがね。特に、台湾関係の悪化が懸念されます。ここで台湾に見放されたら、我が国は終わりです。もうひとつは、サリン使用に対する国防軍の反発です。ムボロ大統領がサリンを使用した場合、国防軍内にクーデターの動きが生じることは確実である、と『エール・ブランシュ』代表は予測しております。今まで政治に対し不介入を貫いていた国防軍内でこのような動きが起これば、政治的対立と民族対立が相まって、国防軍が分裂、内戦が生ずるおそれも大きい。これは、絶対に阻止しなければなりません。それを避ける唯一の方法が、ムボロを大統領職から放逐し、穏健な指導者を据えることなのです」
「……大筋では同意するが……」
ダークが、気圧されたようにうなずく。
「姉さん。この男、本当に信用できるの?」
エリザが、訊いた。
「信用してもいいわ」
オデットが、うなずきつつ言う。
「もうひとつ。この件、マリナは関わってるの?」
「いいえ。母さんは無関係よ」
「ジズカカ局長は有能な方ですからね。ムボロ追放後の情勢立て直しに手を貸してもらうことは確実ですが、現時点ではなにも知らないはずです」
オデットの返答を、『蝙蝠男』が補足する。
「ちょっと相談したいわね」
エリザが、ダークとラッセルを見た。ダークが、うなずく。
『蝙蝠男』とオデットに話し声が聞こえず、かつ見張るには充分な距離まで、四人と三体は移動した。
「あのオデットという女性は信用できるのか?」
まず口を開いたのは、ダークだった。
「思想信条はアレだけど、卑怯な手を使ってくる奴じゃないわ。マリナが関わっていないとなると、信用していいと思う」
エリザが答える。
「ソランジュ?」
「昔から、嘘はつかない人ですわ」
ダークに振られたソランジュも、エリザの判断を追認した。
「『ショーヴスーリ』もオデットさんも、嘘はついていないようですわね」
音声ストレス検出器である程度は発言内容の真偽を見抜けるスカディが、そう発言する。
「『ショーヴスーリ』がサカイワ大佐で、ナクララ将軍の意向で動いていると仮定すると、将軍はムボロによるサリンの使用を阻止したい、と考えているということか」
ダークが、考え込みながら言う。
「ムボロによるサリンの使用を察知。もし使用を阻止できなければ、国防軍内でクーデターの動きが生じるのは必至。そして、ナクララ将軍でもその動きを押さえることは難しい、と」
エリザが、続ける。
「サリン使用阻止のためにムボロを排除したいけど、政治不介入を貫いていた国防軍が直接動けば国民の信頼を失うし、下手をすれば国防軍の政治的分裂、民族対立の激化で内戦に発展しかねない。だから、『エール・ブランシュ』なんて偽組織をでっち上げて、FPAにムボロを排除させようとしている。そんなところでしょう」
ラッセルが、苦笑しつつ言う。
「罠ではないと仮定して……乗るのか、この話?」
ダークが、エリザとラッセルを見る。
「ムボロ大統領を葬り去ることが可能ならば、乗らない手はないでしょう。問題はそのあとです。FPAの立場はどうなるのか。新政権の安定を誰が担保してくれるのか。国防軍はどう動くのか」
ラッセルが、朗らかに言った。
「もう少し、詳しい話を聞きたいわね」
エリザが、ランドクルーザーの脇で突っ立っている二人の方に顎をしゃくった。
第十九話をお届けします。




