第十六話
「アマニアに化学兵器が?」
シオとベルの話を聞いたソランジュが、驚愕の表情を浮かべる。
「ここにIPA化合物を仕舞っていたということは、傭兵空軍に使用させる前提だったのではないでしょうか?」
シオはそう指摘した。
「アマニアは弾道ミサイルを保有していない。砲兵部隊も多連装ロケットや長射程の火砲は保有していない。……サリンを実戦使用するなら、航空機からの投下が現実的選択ね。たぶん、その通りでしょう」
スカディが、同意した。
「被害が広範囲に及ぶ化学兵器は、機動性の高い小部隊を主力とするゲリラ戦を得意とする敵に対しては、極めて効果的な兵器ですからねぇ~」
ベルが、付け加えた。
「なるほど、それで判りましたわ。ムボロが、なぜ空軍の反発を買ってまで、傭兵空軍を編成したのかが。アマニア空軍のレベルでは、化学兵器を任せるには不安がありますし、国土への使用もためらうでしょうから」
ソランジュが、うなずきつつ言う。
『スカぴょん、聞こえるかや?』
いきなり、雛菊から通信が入った。
『何かしら?』
スカディが、応答する。
『予定通り格納庫の目標はすべて処置したわ。でも敵の車両に近接されて、今は身動きが取れん状態や。修理棟に残り一機だけ目標があるはずなんやけど、そっちで処置してくれへんやろか』
『了解したわ。爆薬はまだ余っているから、お安い御用よ。こちらも、すべての目標を処置済み。とんでもない目標も見つけたけど、詳細はあとで報告するわ』
『ほな、頼むで。修理棟は明りが点いとるから、誰か居る可能性が高いで。気いつけてや。以上や』
雛菊が、通信を終わる。
無線でのやり取りを傍受できないソランジュに対し、スカディが早口で説明を行った。
「判りました。行きましょう」
状況を把握したソランジュが、即断する。シオとベルが先導し、ソランジュとスカディが続くという隊形で、一行は修理棟を目指した。見た目は、他の格納庫と変わらない、鉄骨組に薄い鋼板を張った大きな建物だ。正面に引き戸式の巨大な扉が、その脇に人間用の通用口がある。明り取りの窓から光が漏れており、内部の天井照明が点いているのは確実だった。
通用口までたどり着いたシオは、壁の鋼板に頭部を押し付けて、中の気配を探った。だが、工具類を使っているような金属音や、整備員が歩き回る足音などはいっさい聞き取れなかった。
「さぼって寝ているのではないでしょうかぁ~」
同じように聞き耳を立てていたベルが、小声で言う。
「ベルちゃん、ちょっと覗いてみてください!」
シオは通用口が施錠されていないことを確かめると、ほんの少しだけ開けてみた。すかさず、ベルが内蔵ビデオスコープの先端を差し入れる。
「ミラージュ2000‐5が一機いますが、誰も修理や整備をしていませんねぇ~。八人の方が視認できますが、四人ずつに分かれて、床に毛布のような物を敷いて、その上で車座になって何かをやっていますぅ~」
「ベルちゃん、武器は見えますか?」
「見当たらないですねぇ~。皆さん、寛いでいる感じですぅ~。ちなみに、全員アマニア人の整備員のようですねぇ~。揃いの作業服を着ていらっしゃいますぅ~」
シオの問いに、ベルがのんびりとした口調で答える。
「では、一気に突入して制圧しましょう。シオ、ベル。突っ込んでその八名を押さえてちょうだい。わたくしは援護をします。スール・ソランジュ。あなたは通用口に留まって支援と外部の警戒をお願いしますわ」
「心得ました」
ソランジュが、うなずく。……空砲を込めた拳銃しか所持していないので、脇役に回されるのは仕方のないところである。
AI‐10三体は突入の準備を整えた。ビデオスコープで取得した映像を元にベルが作成した修理棟内部の疑似3Dマップをシオとスカディが取り込み、目標や障害物の位置を確認し、各人の射界の調整を行う。56‐2式自動歩槍のストックをロックした三体は、セレクターが単射になっていることを確認した。
「では、参ります。3、2、1、GO!」
スカディが、通用口のスチール扉を押し開けた。シオとベルは、素早く中へと飛び込んで走った。シオが右寄り、ベルが左寄りに走って、目標である八人の整備員を左右から挟み込むようにして制圧する算段だ。
「ずぇぇ員動くぬぅぁぁぁ! とぅぅぅえぃ抗は無どぅあだぁぁぁぁぁっ!」
スカディが、若本〇夫声で叫んだ。……地声のお嬢様声で警告するよりも、効果的だとの判断である。
八人の整備員が、一斉に驚きの表情を浮かべた。三人ほどが慌てて立ち上がったが、突撃銃を手に走り寄ってくるシオとベルを見て抵抗を諦めたのか、あるいは若〇声にびびったのか、それ以上の動きは見せなかった。
「大人しくするのであります!」
足を止めたシオは、56‐2式自動歩槍の銃口を整備員たちに向けると、叫んだ。反対側でベルも、同様に銃口を向ける。
「何だお前ら? FPAか?」
立ち上がった整備員の一人が、おずおずと両手を挙げながら訊く。
「そうなのですぅ~。抵抗すると、容赦しないのですぅ~」
脅すように銃口を前に突き出しながら、ベルが答える。
「全員立ち上がって一列に並ぶのであります!」
シオは命じた。整備員たちが、素直に立ち上がって列を作る。突撃銃をスリングで背中に回したベルが、すかさず近寄って武装解除を開始した。服の上から身体を探って、武器になりそうな物はすべて取り上げる。
「賭博でもしていたのでありますか?」
毛布の上にカードや紙幣が散らばっていることを見て取ったシオは、そう訊いた。
「そうだよ。博打禁止令が出てるんでね。大っぴらに宿舎でやるわけにはいかないんだ」
中年の整備兵が、ふて腐れたような口調で言う。
「徹夜で修理する、という名目で集まって楽しんでただけだよ。俺たちはただの整備兵だ。FPAは敵だとは思ってないぜ」
背の高い整備兵が、おもねる様に言った。
「お仕事をさぼってはいけないのですぅ~」
整備兵のポケットからスマホを取り出して投げ捨てながら、ベルが言った。
「さぼっちゃいないよ。さぼりと言うのは、やらなければならない仕事をやらないことだろ。こいつは、最初からどこも壊れてないんだ。夜間にここを占有するために、偽っただけだよ」
別の整備兵が、言い訳する。
「いずれにしても、この機は破壊させていただきますわ」
ミラージュ2000‐5に歩み寄ったスカディが、RDXの入った袋を下ろすと、中身を取り出し始める。……ちなみに、声はいつも通りに戻っている。
「武装解除終了なのですぅ~。シオちゃん、整備兵の皆さんを見張っていてくださいぃ~。わたくしはスカディちゃんを手伝いますですぅ~」
ベルが宣言し、いそいそとスカディの元へと向かう。
「合点承知なのです、ベルちゃん!」
シオは整備兵たちに銃口を向けたまま、そう返答した。
……AI‐10たちは知らなかったが、基地内の各所にはFPAの破壊工作に備え、非常通報用の緊急ボタンが設置されており、この修理用格納庫内にあるボタンのひとつは、先ほど一人の整備兵の手によりこっそりと押されていた。非常事態発生を知った当直士官は、事態を空軍憲兵本部に報せると、南部軍管区の警備本部へと通じる内線電話を取り上げた。
M242ストームが、ようやく走り去った。
「なんや、慌ててたで」
暗がりから這い出しながら、雛菊が言った。
「ああ。緊急の無線が入ったみたいだな」
亞唯はそう言った。
「今のうちにソランジュたちと合流しよう。亞唯、先導してくれ」
ダークが、修理用格納庫の方を指差しながら指示する。
「了解だ。雛菊、行くぞ」
亞唯と雛菊は、誘導路へと繋がる開けた場所を走り抜けた。遮蔽物となる駐車中のクレーン付きトラックの陰に走り込む。周囲の安全を確認してから、亞唯はダークに合図を送った。
ダークとラッセルが、走り出した。だが、亞唯たちが隠れている場所にたどり着く前に、眩い光が二人に浴びせられる。
「ズット!」
ダークが、フランス語で悪態をつきながら、光源に突撃銃を向ける。
一足先に、敵が発砲した。二人の傭兵の足元に数発が着弾し、コンクリート舗装を浅く抉る。
ダークとラッセルが走りながら撃ち返す。亞唯と雛菊も、身を乗り出すと単射で撃ち始めた。エンジン音が響き、イスラエル製のRBY装甲車が走り込んできた。デューンバギーを大型化し、装甲を施したかのような低姿勢の古いオープントップ四輪装甲車である。乗員室のピントル・マウントに装備するMAG汎用機関銃の銃火に追われるようにして、ダークとラッセルがクレーン付きトラックの陰に転がり込む。
「やばいぞ。装甲車のあとから、トラックも来る」
亞唯が、早口で報告する。
「逃げるぞ」
ダークが、修理用格納庫目指して走り出した。
……まずい。
エリザは暗がりで固まっていた。
完全に孤立してしまった。今下手に動けば、PBYや後続のトラックに見つかって、あっさりと殺されてしまうだろう。持っていた爆薬はすべて亞唯と雛菊に使ってもらったので、今手元にある武器は56‐2式一丁と、スペアの弾倉二個だけだ。
走ってきたPBYが、逃げるダークたちを追うために左折した。後続のトラック……南アフリカ製のサミル20トラックが、それを追う。
スカディとシオは、修理用格納庫の通用口から援護射撃を行い、PBYを牽制した。PBYの銃手は暗視装置を使っていないらしく、幸いなことに銃撃の精度は甘かった。ダークらが、一発も被弾することなくすぐ側までたどり着く。
「ベル、彼らを見張っていてちょうだい。退路を確保します」
ソランジュは、裏口へと走った。武装していない彼女にできることは、それくらいしかない。
裏口は、正面の通用口と同じようなスチール扉であった。それを引き開け、外に飛び出したソランジュは、思わず固まった。
いつの間にか、修理用格納庫の裏手には二台の車両が停まっていた。M242ストームが一台と、サミル20トラックが一台だ。そして、それを楯にして十数名の歩兵が銃を構えてこちらを見つめている。
飛び出して来たソランジュを見て、何人かの兵士が思わず引き金を絞りかけたが、幸い発砲した者はいなかった。今のソランジュは、空軍の作業服を着た若き女性兵士にしか見えないのだ。
ソランジュの頭が高速で回転した。ここで最善の選択は……。
ソランジュはくるりと反転しつつ、腰のCz75自動拳銃を抜いた。素早くスライドを引き、裏口の内部に向け乱射する。……空砲なので、仲間や整備員たちを傷つける恐れはない。
「助けて! FPAよ!」
叫びながら、ソランジュは身をひるがえすと駆け出した。短い距離を無事に走り切り、ストームとサミルトラックのあいだに駆け込む。
「大丈夫か?」
南部軍管区の少尉が、半ば抱きかかえるようにしてソランジュを受け止めてくれた。そしてそのまま、トラックの陰に引き摺り込んでくれる。
「FPAのゲリラです。十名はいます」
ソランジュは、ショックを受けているふりをしながら報告した。とりあえず、無害な味方だと彼らに信じ込ませる必要がある。油断させ、隙を衝いて武器を奪い取り、一時的にでもこの場を制圧する。それが、ソランジュが思いつくことができた最善のプランだった。その状態で仲間を呼び寄せることができれば、全員逃げ切ることが可能だろう。
だが、彼女のその目論見は無駄に終わった。轟音をあげてサミル50トラックが二台到着し、そこからガリルARを手にした歩兵が三十名ほど降りてくる。……とてもソランジュ一人で何とかできる数ではない。
……いったいどうすれば……。
「囲まれてしまったのですぅ~」
裏口を閉めたベルが、そう報告する。
「どうやらそのようだな」
無事に修理用格納庫まで逃げ込んだダークが、苦々し気に言い放った。
「エリザとはぐれてしまったよ」
ラッセルが、途方に暮れたように言う。
「あいつなら、自力で脱出するだろう……たぶん」
ダークが、自信なさそうに言う。
「これはまずいのだわ。八方塞がりに近いのだわ」
スカディが、珍しく焦り気味に言った。敵兵力はそう多くはないが、こちらの火力も心許ないレベルである。まともに戦えば、勝ち目はない。
「はっと! シオはひらめいたのです! ミラージュの30ミリ機関砲で、敵を蹴散らしましょう!」
「あかんで、シオ。これは複座型や。DEFA機関砲は付いてないで」
シオのアイデアに対し、雛菊があっさりと駄目出しをする。
「整備員の方々ぁ~。何か武器は無いのですかぁ~」
ベルが、相変わらず一列に突っ立っている整備員に訊く。
「悪いが、無いな」
中年の整備員が、首を振る。
「ラッセル。こいつを飛ばせるか?」
ミラージュ2000‐5を親指で肩越しに指しながら、ダークが訊いた。
「……離陸だけなら何とかなると思う。着陸は、さすがに自信がないね。デルタ翼は飛ばしたことないし」
顔をしかめながら、ラッセルが答える。
「あんたら、この機は飛べる状態にあるのか?」
ダークが、整備員たちに詰め寄りながら訊いた。
「状態は申し分ないし、整備も済んでる。飛ばせないことはないが……」
中年整備員が、戸惑い気味に答える。
「燃料は?」
「テスト飛行ができる程度は積んでる」
「よし。エンジン始動準備だ。今すぐにな」
ダークが、56‐2式の銃口を振って命じた。
「ちょっと待つのであります! これは複座型なのです! パイロット以外に一人しか乗れないのであります!」
シオは慌ててそう指摘した。今ここには、ダークとラッセルの他に、AI‐10五体がいる。
「安心しろ。お前らも連れてってやる」
慌ただしくエンジン始動準備に取り掛かった整備員たちを見張りながら、ダークが言った。
「敵はどうするつもりだい?」
亞唯が、訊く。
「手はある。まあ、任せておけ」
ダークが言って、にやりと笑った。
「中尉殿、突入しましょう!」
PBY装甲車の脇で、UZIを抱えた曹長が喚く。
「馬鹿者。ミラージュ一機幾らすると思ってるんだ。突入は最後の手段だ。奴らが諦めて降伏するように、説得するんだ」
ムザレレ中尉は道理を説いた。
南部軍管区に属する警備兵の大半は、侵入したFPAゲリラの残党狩りに投入されていた。爆薬が仕掛けられた模様なので、空軍の連中はその発見と撤去作業に当たっているようだ。
ひゅいーん。
ムザレレ中尉の耳に、甲高い騒音が聞こえた。
「これは……」
「ジェットエンジンの作動音です、中尉殿!」
曹長が、喚く。
「中尉殿、奴らミラージュで飛んで逃げる気では?」
傍らに控えていた軍曹が、そう言った。
「まさか、パイロットを連れてきているとは……いや、あり得るか」
ムザレレ中尉は困惑した。
「どう対処しますか?」
曹長が、訊いた。
ムザレレは困り果てた。離陸を阻止するには射撃するしかないが、そうすれば機体が損なわれてしまう。上官はいい顔をしないだろう。なにしろ、ムボロ大統領が自ら音頭を取って編成した傭兵空軍の主装備なのだ。……さすがに軍法会議、ということはないだろうが、降格くらいは覚悟しないと……。
……そうだ!
「タイヤだタイヤ! もしミラージュが出てきたら、総員タイヤを狙って射撃しろ! 機体の他の部分には、当てるんじゃないぞ」
ムザレレ中尉は自分の機知に満足した。修理用格納庫までの距離は二十五メートルほど。よく狙えば、外す距離ではない。タイヤなら、予備がたくさんあるだろうし、価格も……他の部品に比べれば……安いだろう。そしてもちろん、タイヤが損なわれれば、固定翼航空機は離陸滑走どころかタキシングも不可能になる。
「おい、何をしている!」
蹲っていたエリザは、驚いたふりをして顔をあげた。
ハンドライトの光が、エリザの顔に当てられる。
「何者だ?」
近付いてきた下士官が、訊いた。その背後には、一個分隊ほどの兵士が付き従っている。
「酒場で買われて、ここで待っているように言われたんです。ずっと待っていたけど、誰も来なくて……。そのうち、銃声が聞こえ始めて怖くて……」
エリザは演技を続けた。十数名の兵士が走ってくるのを見て、ここは撃ち合っても無駄だと判断、銃と予備弾倉を素早く隠し、関係のない娼婦に成りすましたのである。幸い、衣装も化粧も娼婦そのものだ。
「ここは危ないぞ。FPAのゲリラが暴れてるからな。伍長、二人つけてこの女を基地外へ放り出せ」
下士官が、命ずる。エリザは、差し出された手を素直に握って立ち上がった。
第十六話をお届けします。




