第九話
「中尉殿」
屋外トイレ……縦穴の上に粗末な差し掛け小屋があるだけの施設だが……で用を足し終わったテクヤナ中尉は、よく知った声に背後から呼び掛けられ、脚を止めた。
「なんだね、一等軍曹?」
すぐにヘラスス一等軍曹だと気付いたテクヤナ中尉は、振り返った。だが、サナココ少尉の右腕たるヘラススの姿はなかった。
「どこだ、一等軍曹?」
訝りつつ、テクヤナ中尉は周囲を見回した。屋外トイレのあたりは暗く、星明りしかない。
「あまり近付かないでください、中尉殿。少尉に知られると、まずいですからね」
……トイレの裏か。
声の出所から、テクヤナ中尉はそこにヘラスス一等軍曹が隠れている、と見当を付けた。
「中尉殿、気を付けてください。少尉が、中尉のことをついに見限りましたよ」
「そうか」
一等軍曹の衝撃発言を、テクヤナ中尉は冷静に受け止めた。サナココ少尉の再三の要請を、すべて断ってきたのだ。見限られるのは、時間の問題だと、テクヤナ中尉もすでに覚悟していた。
だが、次のヘラスス一等軍曹の言葉は、テクヤナ中尉を大いに驚かせることになった。
「少尉は、中尉殿の追放をウスメメ軍曹に提案しました。ウスメメは、表向き態度を保留しましたが」
……追放。しかも、それをウスメメ軍曹に提案したとは。
「少尉の思惑としては、あなたが居なくなれば、穏健派の連中はすべて自分が取り込める、と考えているようですね。ですが、それは甘い考えです」
ヘラスス一等軍曹が、言う。
「そうなんですよ、中尉殿」
いきなり別な声が割り込んで、テクヤナ中尉はおもわずぎくりとした。……ウスメメ軍曹の相談役、ソナクワ二等兵の声だ。
「ムワリムか?」
テクヤナ中尉は、訝しんだ。サナココ少尉の最も信頼する部下と、ウスメメ軍曹の側近中の側近が、なぜ一緒にいるのだ?
「実はですね、中尉殿。ヘラスス一等軍曹殿とわたしは、しばらく前から密かに通じていたのですよ」
ムワリムが、打ち明ける。
「そうなんです、中尉殿。このままサナココ少尉とウスメメ軍曹の対立が激化すれば、このグループは崩壊する、という点で彼とは一致を見ましてね」
ヘラスス一等軍曹の声が、続けた。
「お互い、上官の言動を監視し、過激な行動を諫めつつ、手を組んで事態の鎮静化を図ろうと企んでいたわけです」
……やるな。
テクヤナ中尉は素直に感心した。いかにも野戦指揮官タイプのヘラスス一等軍曹と、兵士らしからぬソナクワ二等兵。正反対の存在と言えるが、それゆえに互いを補完する形での良い関係を築けたのかもしれない。
「話を元へ戻しますが……ウスメメ軍曹が、中尉殿の追放に賛成しなかったのは、別の思惑があったからです。実は、軍曹は中尉殿の暗殺を考えていたのです」
ムワリムが、言う。
「もちろん、あからさまな暗殺ではありません。目的は、穏健派の取り込みですからね。事故死か、病死に見せかけたかったようですが、軍曹の貧弱なおつむではいいアイデアが浮かぶわけがない。わたしに相談を持ち掛けて来たんで、それは難しいと言って逃げておきましたよ」
……八方塞がりだな。
テクヤナ中尉は自虐的に苦笑した。サナココ少尉に見捨てられたうえに、ウスメメ軍曹に殺意を持たれているとは。
「そこで、ご相談なんですが、中尉殿」
ヘラスス一等軍曹が、口調を改めて言う。
「いっそのこと、グループを割って逃げ出しませんか? 中尉殿がご決断すれば、穏健派の連中は付いて行くでしょう。俺も、信頼できる数名と共にお供します」
「わたしも何人かの仲間とご一緒します。内心ではウスメメ軍曹を嫌っている奴が大勢いますからね」
ムワリムが、口添えする。
「唐突な話だな」
テクヤナ中尉は正直な思いを口にした。しかし……これ自体は魅力的な提案と言えた。このままここに留まっても……サナココ少尉に愛想をつかされたうえ、ウスメメ軍曹によって殺されかねない現状では……碌なことにはならないだろう。
「よく考えさせてくれ」
テクヤナ中尉は、今はそう答えるに留めた。
「ふう。こんなものかしらね」
難しい顔をしながら去ってゆくテクヤナ中尉の後ろ姿を見送りながら、スカディが大きく息を吐くふりをする。
「お見事だったのです、リーダー! 一人二役までこなすとは、まさに怪演! これで疑心暗鬼に陥った連中は混乱すること請け合いです!」
シオは誉めそやした。ROCHIも、腕をぱたぱたと打ち合わせ、拍手のまねごとをしている。
「もう打てる手はないわね。いったん、ベルの処へと戻りましょう」
スカディが言って、シオに先導するように手振りで命ずる。
サナココ少尉の逮捕監禁。
ヘラスス一等軍曹……もちろんスカディの物真似に過ぎないのだが……からの、サナココ少尉とテクヤナ中尉が手を組んだという偽情報を信じ込んだウスメメ軍曹が、ムワリムと相談して出した結論が、これであった。
両者の結託を主導したのは、もちろんサナココ少尉だろう。必要最小限の行動でこの策謀を阻止するには、彼を排除してしまうのが最善の策である。ここまで状況が進展してしまった以上、慎重な姿勢は事態の悪化を招くだけだ。
実行は、一刻も早い方がいい。もたもたしていると、相手の組織固めが進んで手も足も出せない状態になりかねない。関わる人数も、少ない方がいい。人手を集めれば、まず確実に情報が洩れて相手を警戒させることになる。
ウスメメ軍曹は、自分のCz75自動拳銃をムワリムに貸し与えた。ムワリムは普段丸腰で歩き回っているので、ガリルを持たせて連れ歩いたら不審に思われかねない。ウスメメ自身は、肌身離さず持ち歩いているUZIを手にした。この二人だけで訪ねれば、夜間とは言えサナココ少尉も怪しむことはないだろう。素早く逮捕し、連れ帰って監禁する。サナココ少尉派がボスの不在に気付く頃には、こちらは守りを固め終わっている。奴らは手の打ちようがないはずだ。
ウスメメ軍曹は、Cz75をポケットに隠したムワリムを伴って歩き出した。途中、何人もの兵士と出くわしたが、不審そうな顔をした奴は皆無であった。みな、ムワリムを従えて歩くウスメメ軍曹など見慣れているのだ。これが、血相を変えてガリルを握り締めた四名の兵士を率いて、などであれば、あっという間にサナココ少尉の元に警告が飛ぶ羽目になる。当然、こちらがサナココの住まいに現れた時にはMAGの銃口が出迎える、という事態になるはずだ。ムワリムは、荒事の相棒にはいささか頼りないが、銃の腕前は人並み以上であり、背後を守らせるくらいの役には立つ。
とりあえず、態勢を立て直さねばならない。
ヘラスス一等軍曹と慌ただしく協議したサナココ少尉は、そう結論した。
サナココ少尉の目論見のすべては、テクヤナ中尉が最悪の場合でも中立的立場を貫いてくれる、という予測に基づくものであった。その中尉が、ウスメメ軍曹と手を組んで、サナココ少尉の追い落としを決めたとなると、根本から戦略を練り直さねばならない。
「ヘラスス。セワシシとハワクリを呼んできてくれ。全員で、話し合おう」
サナココ少尉は、部下の二人の分隊長を連れてくるように、ヘラスス一等軍曹に命じた。
……ここで逃げても、何の解決にもならない。
テクヤナ中尉は、そのような判断を下した。
テクヤナ中尉がその支持者……これには、ヘラスス一等軍曹とソナクワ二等兵も含まれる……を連れてグループを抜ければ、サナココ少尉とウスメメ軍曹の対決を妨げる者はいなくなってしまう。流血沙汰は、必至だろう。
テクヤナ中尉は、座っていた腰掛から立ち上がった。まず、どうすべきか?
ウスメメ軍曹の処へ行くのは、ためらわれた。なにしろ、命を狙われている状況なのだ。夜間にのこのこ出掛けて行ったら、いい機会とばかりに事故に見せかけて抹殺されかねない。
となれば、行くべきところはひとつ。サナココ少尉の処だ。
とりあえず協力を申し出て、追放を撤回してもらう。そのあとで、ウスメメ軍曹と穏健な話し合いに応じてもらうように説得するのだ。
ウスメメ軍曹が期待した通り、サナココ少尉が住まいとしている家には特別な警戒の様子はなかった。気配からすると、サナココ一人だけのようだ。ウスメメ軍曹は、邪魔なヘラスス一等軍曹が居ないことに安堵すると、戸口脇の柱をノックし、名を告げた。
……しまった。もう行動を起こしたのか、ウスメメは。
サナココ少尉はUZIを取り上げると、壁際に身を寄せた。外を監視できるようにわざと作ってある煉瓦の隙間に、眼を寄せる。
見えたのは、ウスメメ軍曹とムワリムだけであった。武器は、ウスメメがいつも通りUZIを携えているだけだ。
……どうやら、捕まえに来たわけではないらしい。
サナココ少尉は安堵すると、UZIを置いた。念のため、ホルスターからCz75自動拳銃を引き抜き、スライドを引いて初弾を薬室に送り込んで、サムセイフティを掛けてからホルスターに戻しておく。
「入ってくれ、軍曹」
「ボンソワール」
一応挨拶しながら、ウスメメ軍曹が入ってきた。すぐ後ろに、ムワリムが続く。
「おや、お一人かね?」
室内を見渡しながら、ウスメメ軍曹が訊く。
「そうだが?」
ウスメメ軍曹の顔に浮かんだ笑みを怪しいと感じたサナココ少尉は、そっとホルスターに手を伸ばしながら答えた。
「そうか」
いきなり、ウスメメ軍曹が動いた。素早い動きでUZIのコッキングハンドルを引き、銃口をサナココ少尉の腹にぴたりと向ける。
サナココ少尉も反応してCz75を抜いたが、銃口をウスメメ軍曹に向けるまでには至らなかった。
「やめろ、少尉。銃を置け」
笑みを湛えたまま、ウスメメ軍曹が言った。サナココ少尉は、素直にCz75をテーブルの上に置いた。いくらなんでも、ここでいきなり射殺されることはないだろう、と踏んだのだ。それに、ムワリムは敵ではない。いざという時は、助けてくれるだろう。
「少尉、当グループを統括指揮する者の権限として、あなたを逮捕します」
ウスメメ軍曹が言って、肩をくいっと動かして合図を出した。右手に拳銃、左手に細いロープを持ったムワリムが進み出て、サナココ少尉の背後に回る。
と、不意に聞こえてきた足音に気付き、全員が動きを止めた。
……ヘラススが、二人の軍曹を連れて戻って来たのだ。
サナココ少尉は内心でほくそ笑んだ。ムワリムは、こちらの敵ではない。つまり、これでウスメメ一人対四人プラス一人となる。一気に形勢逆転だ。
だが、戸口に現れたのは、意外なことにテクヤナ中尉であった。
「ど、どうしたのだ、これは」
武装解除されたサナココ少尉と、その後ろで拳銃を構えているムワリム。そして、場を制するようにUZIを構えているウスメメ軍曹。これらを目にし、テクヤナ中尉が固まる。
……しまった。まずい奴が現れた。
サナココ少尉と、ウスメメ軍曹の心の声が一致した。
……どうなっているのだ。
テクヤナ中尉は混乱した。
一見すると、ウスメメ軍曹とムワリムが、サナココ少尉を捕えようとしているように思える。だが、先ほどヘラスス一等軍曹とムワリムから聞いた話では、ウスメメとサナココの関係は悪くなかったはずだ。それが、いきなり悪化したとでもいうのか。
訳が判らないまま、テクヤナ中尉はこの場をなんとか収めようと一歩踏み出した。
ウスメメ軍曹は、UZIの銃口をさっとテクヤナ中尉に向けた。
……サナココ少尉と手を組んだテクヤナ中尉に、今ここで邪魔をされるわけにはいかない。
「中尉、おとなしくしていてください。妙な真似をしたら、遠慮なく撃ちますよ」
……ウスメメがテクヤナ中尉に銃を向けた。なぜだ?
サナココ少尉は訝った。この二人、通じ合っていたのではないのか?
仲違いだろうか。だとすれば、チャンスだ。
「ムワリム。縛ったふりだけしてくれ」
サナココ少尉は、背後にまわったムワリムにそっとささやいた。
「は?」
ムワリムが、怪訝そうな顔をする。
「全員動くな!」
いきなり、戸口からUZIの銃口が突き出された。
ヘラスス一等軍曹だった。部下である二人の軍曹を探しに行ったヘラススだったが、すぐに見つかったのはハワクリ軍曹だけであった。サナココ少尉を長時間一人にしておくの危険だと考えたヘラススは、ハワクリ軍曹に対し、セワシシ軍曹を探してなるべく早くサナココ少尉の家に来るように命ずると、自らは一人で戻ってきたのである。
状況がよくつかめないまま、上官がピンチであることを見て取ったヘラススは、銃口を主にウスメメ軍曹に向けながら、戸口脇の柱で身を隠すようにしてUZIを構えた。
……驚かしやがって。ヘラスス一等軍曹じゃないか。
ウスメメ軍曹は安堵した。サナココ少尉に、ウスメメ軍曹と通じたことを知られたくないので、わざと芝居をしているのだろう。ここは、『逆らえばサナココ少尉を撃つ』とでも言えば、素直に銃口を下げてくれるはずだ。むしろ、テクヤナ中尉を押さえていてくれる役が来てくれたのは、僥倖とも言える。
「一等軍曹、銃を置け」
ウスメメは、落ち着いた声で命じた。
……なんだ、ヘラスス一等軍曹か。
テクヤナ中尉は安堵した。彼とムワリムの協力があれば、この状況を収めることは可能だろう。もちろん、二人が以前から通じていることを、両者の上官に悟られてはいけない。それには、テクヤナ自身が主導して事態の収拾を図ったように見せかけねばならない。
「みんな、落ち着くんだ」
テクヤナ中尉は落ち着いた声で呼びかけた。
……でかしたぞ、ヘラスス一等軍曹。
サナココ少尉は安堵した。分隊長二人を伴っていないのは残念だが、これで完全に形勢逆転である。ムワリムは撃たないだろうし、テクヤナ中尉も同様だろう。
「ウスメメ軍曹。銃を置け」
サナココ少尉は、落ち着いた声で命じた。
場が固まった。
誰一人動かず、また動けなかった。ヘラスス一等軍曹も、ウスメメ軍曹も自分のUZIの銃口を下げようとしない。
その状況で、最初に動いたのはサナココ少尉だった。さっと手を伸ばし、テーブルの上に置いた自分のCz75をつかみ取ろうとする。
ムワリムが動いた。サナココ少尉の腕を掴みつつ、自分の拳銃をサナココの脇腹に突き付ける。
「やめろ、ムワリム」
サナココ少尉とムワリムが、もみ合った。
「抵抗するな、少尉!」
UZIを肩まで持ち上げ、サナココに狙いをつけつつ、ウスメメ軍曹が鋭い声で命ずる。
「ヘラスス、撃て!」
ムワリムともみ合いを続けつつ、サナココ少尉は命じた。
ヘラスス一等軍曹が、発砲した。一連射が、ウスメメ軍曹の背中に叩き込まれる。
上官が撃たれたことに驚いてムワリムの動きが止まった隙に、サナココ少尉は自分のCz75をしっかりと握った。ムワリムを突き飛ばすと、銃口を倒れているウスメメ軍曹に向ける。
ムワリムが、発砲した。銃弾は、サナココ少尉の背中に命中した。
「なんだか騒がしいですねぇ~」
ベルが、草のあいだから伸び上がるようにして、サヴージュ村の方を見る。
「宴会でも始まったのでしょうか?」
明らかに聞こえてくる銃声を無視し、シオはボケてみた。
「どうやら、派閥争いが激化してしまったようね」
スカディが、意外そうな表情で言う。
数分のうちに、生じる銃声が切れ目なく聞こえてくるほどに、銃撃戦は激しくなった。MAG汎用機関銃らしい連射音も、聞こえている。
どん、という爆発音が響く。誰かが、手榴弾を投げたのだろう。
故意か偶然か、火災も発生した。赤々とした炎の柱が、辺りをオレンジ色に染め上げる。
第九話をお届けします。




