第二話
「マスター! 起きるのであります! もう七時半を過ぎたのであります!」
シオは、聡史の身体を掛け布団ごと揺さぶった。
「……あと十分」
眼を閉じたまま、聡史がつぶやく。
「では、朝食はシオが準備するのであります!」
「任せる」
聡史がぼそりと言い、掛け布団の下で身体を丸める。
「まったくー。毎朝のこととは言え、マスターの朝の弱さには閉口するのであります……」
ぶつぶつとつぶやきながら、シオは短い脚をせかせかと動かしてキッチンへと向かった。アサカ電子製、型式名AI‐10。比較的高性能な、一般家庭向け女性型家事兼愛玩ロボットである。身長はきっかり一メートル。三頭身で、頚部のないユーモラスな小太りの体型。顔の造作は、最近流行のリアルロボット系と一線を画したかなりデフォルメされたもので、大きな黒い円でしかない眼と、その上にある棒状の眉、それに常に半開きの口しかない。寸胴の雪だるまに短い手足が生えたような姿、と言えばイメージし易いだろうか。セミオーダーの髪の毛は漆黒で長く、頭の後ろでリボンを用いポニーテールに結んである。着ているのは、簡素なピンクのミニワンピースだ。
キッチンでは、すでに二合の米が炊飯ジャーによって炊き上げられていた。一時間ほど前に、シオがセットしたものだ。ちなみに、無洗米である。完全防水仕様で、やろうと思えば一緒に入浴することも可能なAI‐10シリーズだったが、米を研ぐのは苦手なのだ。
シオは冷蔵庫の冷凍室から、冷凍食品の筑前煮を取り出すと、ひとパック小鉢に空け、ラップを被せた。踏み台に乗って、冷蔵庫の上においてある電子レンジに突っ込み、『あたため』のスイッチを入れる。
ぶーんという電子レンジの作動音を聞きながら、シオは再び冷蔵庫を開けると、納豆のパックと海苔の佃煮を取り出した。畳の上に置かれた折り畳みテーブルの上を布巾で拭ってから、納豆と佃煮、箸、茶碗などを並べる。
温まった筑前煮も並べたシオは、インスタント味噌汁の袋を開けると、木椀に空けた。電気ポットの湯を、そこに注ぎ込む。AI‐10シリーズは、民生ロボット安全法(通称ロボ法)によって、ガスコンロなどの火や包丁等の刃物の使用を禁じられているので、食事の支度はどうしても冷凍食品やインスタント食品中心となる。
シオは蒸らし終わった炊き立てご飯を、しゃもじで茶碗に盛った。最後に冷蔵庫からウーロン茶のペットボトルを出し、大きなグラスになみなみと注いで、朝食の支度は終了した。
体内クロノメーターをチェックする。聡史が『あと十分』と言ってから、八分十二秒が経過していた。
「……もう一品くらい準備できそうであります」
つぶやいたシオは(この独り言機能も、AI‐10の高性能ぶりの証左である)冷蔵庫を開けた。買い置きの、真空パックされた沢庵を見つけ、引っ張り出す。
「包丁が使えない以上、仕方ないのであります」
シオはキッチン用の鋏を手にすると、真空パックを切り開けた。十五センチくらいあるそれを、丸のまま皿に空ける。それをテーブルに並べる頃には、クロノメーターの数値は限りなく十分に近付いていた。シオは布団に歩み寄ると、再び聡史を揺さぶった。
「マスター、朝食の支度ができたのであります! 起きるのです! 仕事に遅れてしまうのです!」
普段よりもきつい口調で呼びかける。そのデフォルメされた顔の造作から、表情のバリエーションは乏しいAI‐10だったが、声に関しては細かい感情まで表現することが可能だ。ちなみに、声質はオーナーの好みで自在に調節ができる。聡史が選択したのは、いかにも活発そうな中学生くらいの少女を連想させる声であった。
「う~」
唸りながら、聡史が上体を起こした。起き抜けというハンディキャップを差し引いても、冴えない風貌の若者である。体型はやや太め。身長も低く、髪は寝癖でぼさぼさだ。
なおも唸りながら、聡史が立ち上がった。その姿が、ふらつきながらトイレに消える。そのあいだに、シオは布団を部屋の隅へと引っ張り、マスターが座るスペースを確保した。さして広くない賃貸アパートなので、床面積は有効に使わねばならない。
戻ってきた聡史が、シオが敷いた座布団の上にどっかりと腰を下ろした。ウーロン茶のグラスをつかみ、半分ほどを一気に飲み干す。ペットボトルを手にしたシオは、すぐに中身を注ぎ足した。ここに来てもう半年になる。すでに、マスターの細かい癖や習慣は、シオのメモリーにしっかりと刻み込まれていた。
と、玄関のチャイムが鳴った。聡史が、訝しげな表情で玄関ドアを見やる。
「あたいが出るのであります!」
シオは黒いポニーテールを揺らしながら、とことこと玄関まで歩いた。メモリー内の『マスターの本日の予定表』の中に、来客や宅配便受け取りに関する情報は入っていない。こんな朝早くに誰かが来るなどめったにないことだ。シオは設定されている警戒レベルを、意図的に一段階アップさせた。防犯およびマスターの身の安全を図ることも、家庭用ロボットの大切な仕事のひとつである。
開錠し、慎重に玄関ドアを細めに開けたシオは、外を眺めた。
二人の男性が立っていた。正面にダークスーツ姿が一人。その斜め後ろに、くすんだような緑色の、妙に金色のボタンが目立つジャケットを着込んだ一人。シオはその男性が着用している服は、特徴からして制服の一種であると類推した。内蔵外部記憶装置から記憶している類似の制服を引っ張り出して検索してみたが、一致するものはない。
当然の用心として、シオは二人の様子を光学的に素早く観察した。ダークスーツの男性は、クリップボードを手にしている。制服姿の男性は、左手にブリーフケースを下げていた。とりあえず、刃物や鈍器のような物騒なものは手にしていないし、外見上身につけたりもしていない。顔の表情も分析してみたが、過度の緊張や怒りなどはなさそうだ。とりあえず、危険な人物ではない、とシオは判断した。
「何の御用でありますか?」
「高村聡史さんのお宅ですね? 防衛省の者です。陸上幕僚監部装備部ロボット課の谷口と申します」
ダークスーツの男性が、指先でつまんだIDカードを、シオの眼の高さに垂直に掲げた。……ロボットの扱いに慣れている証拠である。
シオは素早くピントを合わせ、IDをスチール撮影した。張られている写真と、男性の顔も照合する。一致率は、97%を超えた。まず間違いなく、本人の写真だ。IDに記載されている事項と、男性がしゃべった内容も、一致している。しかしながら、IDの様式はシオのメモリーに入っていなかった。だから、本物かどうかは判断がつかない。
「しばらくお待ち下さい」
シオはいったん玄関ドアを閉めた。……マスターに判断を仰がねばならない。
「防衛省?」
シオから話を聞いた聡史は、箸を置くと立ち上がった。Tシャツにトランクス姿であったことに気付き、とりあえず畳んであったイージーパンツだけ穿いて、玄関に出る。
「お早うございます。高村聡史さんですね」
ダークスーツ姿の男性が、にこやかに言った。
「……そうですが」
「防衛省の谷口と申します。型式名AI‐10‐003B。シリアルナンバー00412。パーソナルネーム『シオ』のオーナーですね」
手にしたクリップボードに眼を落としながら、男性が尋ねた。
「そうですけど」
「ロボット産業促進法第三十二条第二項および自衛隊法第百三条に基づき、所有するロボットを自衛隊に徴用させていただきます。急で申し訳ありませんが、本日の午後二時二十分にお迎えに上がります」
男性が、クリップボードから一枚の紙を外し、聡史に手渡した。
「徴用……。地震でもあったんですか?」
紙に眼を落としながら、聡史は訊いた。シオを購入する際に、聡史はロボット産業促進法による割引制度を利用していた。その代償として、災害時などには地方自治体や警察、消防、自衛隊等の要請があれば、無条件でロボットを貸さねばならない、という契約に署名している。
「いいえ。自然災害ではありません。第三十二条一項ではなく、二項に基づく徴用です」
少しばかり苦味を帯びた表情で、男性が告げた。
「二項って……たしか、有事の際になんとか、って」
「そうです。まだご存じないようなのでお伝えしますが、本日午前五時に内閣総理大臣は我が国が東アジア共和国と戦争状態にあることを宣言しました。今現在、日本は戦争当事国なのです」
「寝てるあいだにこんなことになっていたなんて……」
テレビを眺めながら、聡史はぼやいた。
一局を除くすべてのチャンネルが、報道特別番組を流していた。東アジア共和国……旧ソ連が崩壊した際にユーラシア東部にできた、アジア系民族の国家……が、突如日本に戦争を吹っかけてきたのだ。いまだ直接的な交戦は行われていないようだが、陸海空自衛隊はすでに各所でREA(東アジア共和国)軍の攻撃に備えて展開している。テレビの画面には、慌しく離陸するF‐15J戦闘機のペア、洋上を進む護衛艦隊、東京近郊の公園に展開したパトリオット対空ミサイルの中隊、高速道路を疾走する暗緑色のトラックの群れなどが、次々と映し出されている。
「はぁ~。なんだかよくわからないけど、凄いことになっているのであります!」
テレビの前に正座したシオが、嬉しそうに言う。
「言っとくが、これはお前の好きな戦争映画でも怪獣映画でもないからな」
「合点承知であります!」
拳を握った右腕を宙に突き出しながら、シオが言う。……いつの間にかついてしまった、彼女の癖である。AI‐10は各個体の『個性』を出すために、独特の口癖やしぐさ、習慣などが定着し易い高度な学習機能を搭載しているのだ。
テレビ画面が切り替わり、REA大統領ロベルト・ルフ氏が演説しているシーンとなった。資料映像らしく、どこかの議会の演壇に立ち、厳しい表情でなにか説いている。REAの公用語はロシア語だし、字幕も出ていないので、当然話の内容は聡史には理解できなかった。
「大統領ということは、このおじさんが日本に喧嘩を売ってきた一番悪い人なのですね!」
キャプションを読み取ったシオが、黒い線でしかない眉を逆八の字にして、怒りの表情を作る。
「まあ、そうだろうな」
「でも、あんまり悪い人に見えないのです」
今度は眉を八の字にして、シオが困り顔をする。AI‐10はかなり精度の高い表情読み取りプログラムを搭載しているから、ある程度は人の『人相』を識別分析することも可能だ。
「たしかに、悪人には見えんな」
REAの国民は、いわゆる北方系モンゴロイドが大半で、ルフ大統領もきわめてアジア的な顔立ちだった。眼は細いが柔和で、どこかの大学教授を思わせる知的な風貌である。
「ま、とりあえず準備を始めるか」
リモコンでテレビの音量を下げた聡史は……シオは指向性マイク機能と音声増幅機能を持っているから、小さな音でも明瞭に聞き取ることができる……、防衛省の男から渡されたマニュアルをめくり始めた。すでに、会社の方には電話で事情を説明し、欠勤の許可は得てある。防衛省から指定された時刻まで、あと六時間ほどしかない。
「……パーソナル・データとダイアリー・データは防衛省で責任を持ってバックアップを取りますが、念のためにオーナーによるバックアップをお勧めしますか。これは一応取っとかないとな」
聡史はシオを購入した際に付属してきたストレージ用ハードディスクの電源を入れた。短い脚を折り畳んで正座したままテレビに見入っているシオのワンピースを、後ろから大きくめくりあげて背中をむき出しにする。
「エッチなのはいけないのであります!」
「いや、ここは突っ込まなくていいから」
聡史はシオの背中のアクセスパネルを開けると、ケーブルをポートに差し込んだ。ぴろりん、という軽快な電子音が鳴って、データの転送が始まったことを告げる。
「パンツ丸出しは恥ずかしいのでありますぅ~」
白地に水色の水玉パンツ姿のシオが、聡史を見上げて恨めしげに言う。はあ、とため息をついた聡史は、バスタオルを腰に巻いてやった。ちなみに、AI‐10は一応女性型だが、むろん性器などついていないし、乳首すらない。一応胸部は盛り上がっているが、それはあくまで『女性型』としての記号的表現であり、貧乳と呼ぶことすらはばかられる程度のささやかな膨らみである。
「えーと。……万が一ロボットが損傷もしくは全損した場合……防衛省が責任を持って修理あるいは補償か。まあ、そんなことはないと思うが」
マニュアルに戻った聡史は、ふと首を傾げた。自衛隊は、AI‐10に何をやらせるつもりなのだろうか?
すでに数年前から、自衛隊には警備支援ロボット……諸外国ならば軍用ロボットとか戦闘ロボットと呼ばれる種類……が配備されている。迷彩塗装を施された、巨大なカブトムシみたいな六本足のロボットが、演習場をちょこまかと走り回ったり、基地祭などのイベントで市民に愛嬌を振りまいたりしているシーンは、すでに日本国民には馴染みのものになっている。
聡史は腰にバスタオルを巻いてテレビを熱心に視聴しているシオを見やった。法令で包丁さえ使うことができない、身長一メートルのユーモラスな三頭身ロボットが、戦闘で役立つとは思えない。軽作業ならば自立作業用ロボの方が適任だし、その他の雑用も本格的な家事ロボや介護ロボの方が役立つだろう。殺伐とした戦場を和ませようとでもいうのだろうか。
お読みいただきありがとうございます。
投稿ペースですが、一話の分量が三千から六千数百文字程度とやや短めなので、当面週一回の投稿としたいと思います。(近いうちに月二回になりそうですが) 毎週土曜日夜、七時を目処に投稿する予定です。
全体の構成および分量ですが、Mission一回が予定では八万から五万字程度(01は初回ということもあり大盤振る舞いの十万字越えしますが)、これが構想では十数回分ありますので……まともに書いたら百万字越えすることになります。……読み始める際には一応ご留意下さい。作品の放棄などは高階が倒れない限りありませんのでご安心下さい。一応、九十九万字の長編を完結させたことがありますので。人気低迷で打ち切りの場合も、それなりの結末をつけて終わらせるつもりです。
※本作のジャンルについて。本作は当初冒険ジャンルで投稿しておりましたが、あまりにアクセス数が少ないため戦記ジャンルに引っ越しました。ご了承下さい。