第四話
そんな中で、一人の将軍が国防軍を退き、政界入りした。
ネイサン・ムボロ。ベルギー王立士官学校を卒業し、アマニア国防軍設立にも携わった古参軍人である。
その優れた容貌と、長年の軍人生活で培われたカリスマ性を武器に、ムボロは政界の出世階段を駆け上がった。出身部族が、第三の部族ヘミ族ということも、出世には役立った。二大部族の抗争からは無縁な『クリーンな』政治家だと見られたおかげである。元軍人らしからぬ敬虔なカトリックであったことも、有利に作用した。
充分に力を蓄えたムボロは、やがて大統領選挙に打って出る。政党内で足の引っ張り合いに終始し、統一候補を立てることに失敗したチシャ族系政党とニラ族系政党は敗北。僅差ながら、ネイサン・ムボロが当選する。ここにアマニア共和国史上初めて、二大部族以外の少数部族出身者が大統領となった。
当選したムボロが副大統領に指名したのは、国民に人気はあるが政治には無縁だった文化人であった。大統領となったムボロは、二大部族の利害調整に心を砕きながら、経済振興策を次々と打ち出した。そのうちのひとつが、中華人民共和国との断交と、台湾との友好政策であった。北京はもちろん激怒したが、台北は歓迎し、経済および技術援助、有利な融資などが続々と行われる。『タイワン・マネー』の流入でアマニアは潤い、国民の生活レベルは徐々にではあるが向上し、ムボロ大統領への支持はさらに高まった。
さらにムボロ大統領が行った大胆な改革が、主に鉱業関係企業の国営化であった。乱立していた中小の鉱工業関連企業を整理統合し、海外資本によって支配されていた採掘権の買い戻しなどを行って、自国の鉱物資源……アマニア共和国にとって、唯一の外貨獲得手段……をより効率的に運用しようと試みたのである。
この目論見は成功し、世界的な資源価格の上昇気運にも乗ってアマニア共和国はさらに潤うこととなる。だが、この措置は旧来からの資本家たちの反発を招いた。国外に資本を移した彼らは結託し、反ムボロ勢力を支援することとなる。
この一連の動きに対し、ムボロ大統領が採った対抗手段は、強硬策であった。大統領警護隊……奇しくも、その構成部族は大統領と同じヘミ族であった……を多用して反ムボロ勢力への締め付けを行い、さらに内務省の一部局であった情報局を情報省として独立させ、規模及び権能を拡大、警察と連携しての反ムボロ勢力の取り締まりに当たらせる。
ムボロ自身も変わった。ある側近の裏切りを切っ掛けに、疑心暗鬼に陥ったのだ。カリスマ性は相変わらずで、大衆の支持も受けていたが、その立ち位置はより独裁者に近付いてゆく。大統領警護隊による、反ムボロ勢力への弾圧……拷問や政治的暗殺も、多発した。
そんな中起きた事件が、『ノートル‐ダムの奇跡』(政府プロパガンダによる呼称)であった。バー・ジーワ州にある田舎町、ノートル‐ダムにおいて、演説中のネイサン・ムボロが銃撃された事件である。
暗殺を試みた青年、ジャコブ・トメススの得物はブローニングM1910自動拳銃。警備陣に悟られずに、熱弁を揮うムボロまで、約五メートルの位置まで近付いたトメススは、やおらポケットからM1910を掴み出すと、ムボロに向け引き金を引いた。
その後の状況は、証言者によってかなりの食い違いを見せているが、次の四点は動かしがたい事実である。発砲と同時に、付近で落雷があったこと。銃弾はムボロではなく、大統領警護隊の一員、マクシミリアン・オルベに命中したこと。ジャコブ・トメススは次弾を発射しようと再び引き金を引いたが、ミスファイア(発火不良)により発射には至らなかったこと。そして、当然ながらネイサン・ムボロが無傷であったこと。
ジャコブ・トメススはその直後に射殺され、撃たれたマクシミリアン・オルベもムボロ大統領自ら行った救命処置……元歩兵科なので、銃創の治療には経験がある……の最中に死亡した。警察と情報省は徹底した捜査を行ったが、ジャコブ・トメススの背後関係は詳らかとならず、突発的単独犯行であるとの断定がなされた。
この事件を境に、ネイサン・ムボロは変わった。自らを神に……正確に言えば聖母マリアに寵愛された人物、と信じ込んでしまったのである。
キリスト教においては、聖母マリアはあくまで『崇敬』の対象であり、決して『崇拝』の対象ではないとされている。プロテスタントに至っては、イエスの母としての重みしか認めていない。
だが、中南米やアフリカ、アジアの一部では半ば神と同格の信仰対象として、公然とマリア崇拝が行われているのが現状である。これは、それぞれの地に土着していた地母神を始めとする女神とマリアが同一視、あるいは曖昧な形で融合され、根付いていった場合がほとんどである。
このアマニアも、そのようなマリア崇拝の根強い土地柄であった。元々地母神信仰が強く、かつてアシャーペ女王というシャーマン系の半ば神格化された女性が活躍した歴史もある。それらがドイツ人が持ち込んだキリスト教の諸概念と融合し、さらにベルギー人が本格的に布教に努めたカトリックによってマリア信仰に昇華発展したのだ。
話を元へ戻すと……暗殺を免れたネイサン・ムボロは、なんと命を聖母マリアによって救われた、と思い込んでしまったのである。
ノートル‐ダム、というのは、『私たちの』『婦人』という意味であり、普通は聖母マリアを指す言葉である。いわばムボロの身代わりとなって死んだマクシミリアン・オルベの名は、アウシュビッツの聖者として知られる聖人、マキシミリアノ・マリア・コルベと酷似している。ジャコブ・トメススが一発目の銃弾を発射したのとほぼ同時に落雷があった。そして、二発目は引き金を引いたにも関わらず発射されなかった。加えて、ムボロ自身が敬虔な(本人曰く、であるが)カトリックという事実。
当時、上空では積乱雲が発達中であり、いつ落雷があってもおかしくない気象状況だったこと。ジャコブ・トメススが使用した7.65×17mmは、ベルギー植民地時代の代物であり、保管状況も悪かったことからミスファイアが起こっても不思議ではないこと。そしてジャコブ・トメススが拳銃の扱いに関しては素人であり、初弾を大きく外してもおかしくなかったこと、などは無視された。
なお、この事件に関しては今もなお謎の部分が多く、すべてがムボロ大統領の『自作自演』であった、との説がいまだにささやかれている……。
その二年後、結集した反ムボロ勢力が、FPAを名乗り南部地域の分離独立を目指して突如軍事蜂起する。アマニアの主要鉱山の実に八割が、南部のプラトー、シュドウェスト、シュデストの三州に集中しているのだ。分離独立により、これを手に入れようというのが、FPAの目的であることは明らかだった。
実質的に内戦状態に陥ったアマニア共和国。普通の国家ならば、軍隊が鎮圧に乗り出すところだが、アマニア国防軍は出動を拒否した。国内の政治勢力たるFPAと戦うのは、国防軍の基本方針である政治的中立性を侵す行為である、という理屈である。
実は国防軍が出動を拒んだ本当の理由は、別なところにあった。南部諸州には、ニラ族が多く居住していた……例えば、シュデスト州の住民の約八十パーセントがニラ族である……のだ。下手に国防軍が介入すれば、内戦がチシャ族とニラ族の戦いに発展しかねない。そうなれば、長年にわたって保たれてきた国防軍の政治的中立性が損なわれるだけではなく、軍内部も分裂し、アマニアは再び戦乱の時代を迎えてしまうだろう。それだけは、絶対に避けねばならない。
仕方なくムボロ大統領が選択した手段が、大統領警護隊の投入であった。ニラ族の若者を半ば強制的に徴募し、警護隊の規模も拡充する。役に立たない国防軍から南部軍管区を受け継いだ大統領警護隊は、北上を目指すFPAの軍事部門を阻止するべく展開した。
FPA軍事部門は極めて優秀であった。特に兵器類は、隣国キファリアから重火器を含む中国製兵器を多数買い入れており、南部軍管区部隊は圧倒的火力の前に敗退を繰り返した。兵器を買う資金は、外国に逃げている資本家連中が積極的に支援した。上手く事が運んで南部に独立政権が樹立されれば、その十数倍の利益が懐に転がり込むのである。ハイリスク・ハイリターンの投資と言えた。
勢い付くFPAを前にして、ネイサン・ムボロ大統領は焦っていた。国防軍内で絶対的権力を握っているアルフォンス・ナクララ将軍は、ムボロ政権を支持していたが、FPAとの戦いにはあくまで不介入の立場を貫き通そうとしている。ムボロ大統領は外国軍の介入によって事態の解決を図ろうと目論んだが、これはナクララ将軍によってきっぱりと拒否された。いかなる国家に属するものであろうと、外国の軍隊がアマニア国内に入った場合、国防軍はこれを外寇とみなして撃退する、と断言されてしまったのだ。
ネイサン・ムボロは焦り……そして奇策を求めていた。FPAを一気に葬り去ることのできる奇策を。
「なるほど。南部軍管区の兵士は、大統領警護隊の一部であり、ヘミ族が主体なのですね」
スカディが、うなずきつつ言う。
「そうです。わたくしたちを襲ったのも、ヘミ族ですわ。北部のノレスト州に主に居住しているので、ここではやりたい放題です」
肩をすくめつつ、ソランジュが言う。
「しかし……厄介ね。神がかった独裁者とは」
スカディはぼやいた。
やがて、草原のあいだに道……といっても、獣の踏み分け道と大差ないものだったが……が現れた。先頭をゆく犬が、その道を辿り始める。一行はそのあとに続いた。しばらく歩むと、もう少しまともな道に突き当たる。そこを右折したところで、左手に一軒の大き目な建物が見えてきた。焼成煉瓦造りの平屋建てで、トタン板の切妻屋根が載っている。その天辺には、白い十字架が突っ立っていた。……小規模な小学校か集会場、あるいは単なる倉庫にしか見えないが、これが教会なのだろう。
「周りに人家がありませんねぇ~」
ベルが、そう指摘した。たしかに、見渡す限り周囲には一軒たりとも家が見当たらない。
「この辺りには、いくつかの村があるのです」
ソランジュが、説明を始めた。
「すべての村に教会を作るわけにはいかなかったので、村人が通いやすいように教区のほぼ真ん中、道が交差しているところの近くに建てたのですわ」
教会の周囲には、かなりの規模で畑が作られていた。作物はほとんどが野菜類で、日本でもおなじみのトマト、ナス、ピーマン、カボチャ、スイカ、ニンジン、タマネギ、ジャガイモといったものが栽培されている。簡易な造りだが、畑の中には井戸があった。乾季はここから水を汲んで与えるのだろう。
「スール・ソランジュ!」
そこで働いていた男性が、一行が近付いてきたのに気づき、水桶を放り出して駆け寄ってきた。地元民らしい肌の色をした細身の男で、頭髪は白髪交じりだ。相当の年配に見えるが、走る姿は溌溂としており、老いを感じさせない元気なものだ。
「ご心配をおかけしました、シルヴァン」
立ち止まったソランジュが、にこりと微笑む。
幼い子供たちが、一斉にシルヴァンに駆け寄った。大きく腕を広げて腰をかがめたシルヴァンが、その全員を受け止める。
「スール、この方々は?」
シルヴァンが、胡散臭そうな視線をAI‐10たちに当てた。
「詳細はあとでお話ししますが、子供たちを助けていただいた方々ですわ。大丈夫。皆さん信用できる方々です」
「そうですか」
納得顔になったシルヴァンが、子供たちを腰にまとわりつかせたまま歩み寄ってきて、AI‐10一体ごとに握手を求めてくる。
「シルヴァン、子供たちを頼みます。わたくしは、皆さんを教会へご案内しますわ」
「引き受けました、スール」
ソランジュの言葉に、シルヴァンがうなずく。
「では、皆さんはこちらへ」
ソランジュが、AI‐10たちを畑沿いの小道へと導いた。
「なかなか立派な畑なのです!」
辺りを見回しながら、シオはそう言った。アフリカのまばゆい日差しを避けるかのように、茂る葉の陰には赤みを帯びたトマトや、黄色や朱色の丸いナスがぶら下がっている。
「いまいち形が悪いな」
未成熟の唐辛子のようにも見える細いピーマンをそっと指でつつきながら、亞唯が言う。
「土が悪いんやな」
しゃがみ込んだ雛菊が、畑の土をいじった。赤茶色の土で、乾いたところは固まって硬くなっているようだ。
「鉄やアルミニウムが酸化してるんやな。有機分の少ない酸性土壌や。農業には、向いていないで」
「お詳しいですねぇ~」
ベルが、感心したように言う。
「マスターの実家は農家やからな」
指についた土を払いながら、雛菊が答える。
「皆さん。教会に入る前にひとつお願いがあります」
正面出入り口らしい開口部……扉はない……の前で、ソランジュが告げた。
「教会内に武器を持ち込むことは構いませんが、その管理はしっかりとしていただきたいのです。事故が起きて、子供たちが怪我をするようなことがあるといけませんので」
「当然ですわね」
スカディが、うなずく。
「どこかに鍵の掛かる小部屋とかないかな? そこに一時保管させてもらえば、ありがたいんだけど」
亞唯が、訊いた。
「教会内に鍵の掛かる場所などありませんわ。ですが、倉庫の一郭が開いています。そこをお貸ししましょう。子供たちには近寄らないように言い含めておきましょう」
ソランジュが、言う。
教会の建物自体は、雨期対策のために石で周囲を補強した高さ三十センチほどの土台の上に造られていた。これも雨期対策なのだろう、その周囲には狭いが深い溝が掘られている。
入り口をくぐると、そこはすぐに広々とした聖堂(礼拝所)となっていた。一般の教会にあるような信徒席はなく、大きなテーブルと三人掛けくらいの長い腰掛がいくつか置いてある。壁際には、余った腰掛が積み上げてあった。その奥、祭壇の前には薄汚れたマットレスが何枚も敷かれ、その上には木のおもちゃや人形などが点々と散らばっていた。……どうやら、そこが子供たちの起居する場所らしい。
「すでに周辺の村もほとんど放棄されて無人ですし、もはや教会ではなく託児所状態ですわね」
ソランジュが、苦そうな笑みを浮かべる。
「ガソリンはこちらですわ」
ソランジュが、祭壇の脇にある扉をくぐった。裏手の方には、司祭や修道士の部屋、サクリスタンの作業室兼居室、トイレ、屋外へ通じる開口部のある土間のキッチンなどが並んでいた。
「ここが倉庫です」
古風な灯油ランプに火を灯したソランジュが、木戸を引き開ける。
中には、様々ながらくたが詰め込まれていた。壊れたベッドや椅子、古びた農具や食器類、半ば朽ちてしまった本の山。真新しい段ボール箱も、いくつか積み上げられている。
「お、お宝発見なのであります!」
シオは目ざとく赤く塗られた二十リットル入りジェリカン二個を見つけた。
「ひとつはほぼ空ですが、もうひとつは一杯に入っているはずです。差し上げますわ」
ソランジュが、ジェリカンを手で指し示す。
ベルがさっそくにじり寄り、重い方の注入口を開け、中にビデオスコープを突っ込んだ。
「きれいなガソリンのようですねぇ~。劣化もしていないようですぅ~。これなら、フィルターなしで大丈夫ですねぇ~」
「これでひと安心やな」
雛菊が、笑う。
AI‐10たちは銃を置くと、ソランジュが出してくれた木箱の中に予備の銃弾と箱弾倉、それに手榴弾をしまい込んだ。ガリルとUZIの弾倉も外し、念のため薬室の中も空にしてから、箱に立てかける。亞唯だけは、この後見張りにつくことを志願したので、装備はそのままだ。
「連中、人数の割に持っていた食料はわずかだった。どこかに本拠があるか、もっと仲間がいるはずだ。それに備えないと」
憂い顔で、亞唯が言う。
「どうもそのようね。お願いするわ、亞唯」
スカディが、改めて亞唯に見張りを依頼する。
「ではみなさん、たいしたおもてなしもできませんが、どうぞ寛いでください」
倉庫の木戸を閉めながら、ソランジュが言った。
「わたくしは失礼して、食事の支度をさせていただきます。子供たちが、おなかを空かしているはずですから」
「お料理ですか! ならば、お手伝いするのであります!」
シオはすかさず申し出た。
「いえ、一人でできますわ。もしよろしければ、皆さんは子供たちの相手をしていてくださいませんか? みんな、ロボットと接するのは初めてでしょうし、いい勉強になると思いますの」
「そういうことでしたら、おまかせくださいぃ~」
ベルが嬉し気に請け合う。
第四話をお届けします。




