第二十三話
多くの人命を救ったのは、ヒューバート・ユグワ大佐のペットであるサーバルであった。
基地がいつもより騒がしいことから、彼女は夜の運動を諦めて寝床に戻ってひと眠りした。夜明け前に目を覚まし、あたりが静かになっていたことから、気をよくして外へと出る。
鼻をひくつかせたサーバルは、地面にわずかではあるが嗅いだことのある臭いを感じ取った。人間の臭いだが、少し違う臭い。……さきほどちょっと『遊んで』もらった、狩りごっこを禁じられていない人間の臭いだ。
サーバルは、その臭いを辿っていった。かなり薄れてしまった臭い……おそらく、少し前に付けられたものだろう……が、追っていけば臭いの源である人間たちが見つかるかもしれない。
サーバルが行きついた先は、密輸兵器を収めた倉庫群であった。サーバルは、高いフェンスに囲まれた倉庫群を恨めし気に見た。さすがの彼女でも、このフェンスを飛び越えるのは無理だ。
迷っていた彼女は、すぐそばでフェンスの通用口が開けられたのを目にし、そこに駆け寄った。中から出ようとしていた数名の陸軍兵士が、サーバルが走ってくるのを見て、わずかに驚いて動きを止める。
その隙に、サーバルはフェンスの内側に潜り込んだ。兵士たちが、口々に何か言いながら、サーバルを追いかけ始めた。サーバルは気にせず、臭いを辿った。特に強い臭気を感じ、一棟の倉庫の扉にたどり着く。彼女は、散歩をねだる室内飼いの犬のような格好で、扉に前足を掛けた。
いつもとは違うサーバルの様子に、追いかけてきた兵士たちが顔を見合わせる。
連絡を受けてやってきたユグワ大佐の副官が、サーバルをなだめつつ、警備していた士官に尋ねる。
「なにか異常があったのかね?」
「目視点検した限りでは、異常ありません」
陸軍中尉が、首を振る。どこかの国の特殊部隊と思われる一隊が基地内に侵入し、『撃退』されて以降、ヒンメルハーフェン基地では破壊工作等が行われていないことを確認するため、基地内外で捜索活動が始まっていた。しかしながら、多数の兵員が敵特殊部隊の追撃に割かれているうえに、捜索開始からまだ間もないこと、さらに夜間という状況も重なり、その捜索内容は徹底を欠いた簡易なものであった。
「いずれにしろ、我々は倉庫内部に入ることを原則的に禁じられておりますし」
陸軍中尉が、言い訳するように言う。
ユグワ大佐の副官は、なおも扉に取りすがっているサーバルを見やった。
……ひょっとすると、中に逃げ遅れた特殊部隊員が潜伏しているのかもしれない。
副官はそう考えた。このサーバルがそこそこ賢い奴だ、ということは知っている。臭いを嗅ぎつけて、知らせようとしている可能性はある。
「周囲の警戒を厳重にしてくれ」
副官は陸軍中尉にそう依頼すると……階級は副官の方が上だが、相手は陸軍なので直接命令するわけにはいかない……携帯無線機を取り上げた。
ユグワ大佐の許可を得て、呼び出された倉庫管理責任者の海軍少佐が問題の倉庫の扉を解錠した。
さっそくサーバルが、扉の隙間に細身の身体を押し込んで中に入った。半秒遅れて、81式自動歩槍を構えた陸軍兵士たちが乗り込む。海軍少佐が分電盤のスイッチを入れ、天井照明を点けた。
内部には、大型の火器がずらりと並べられていた。榴弾砲、迫撃砲、対空機関砲といった兵器群だ。人の気配は、ない。
サーバルは臭いの元を辿った。だが、その臭跡は希薄で、ここに『遊んでくれる人』が居ないことは、すぐに判った。残念に思ったサーバルだったが、空気の中に記憶にない臭いを嗅ぎ取って興味を覚えた。ふんふんと鼻を鳴らし、臭いの元がどこにあるのか確かめようとする。
「異常はないようですね」
54式手槍……有名なトカレフのコピー……を手にした陸軍中尉が、あたりを見回しながら言う。
サーバルは、一門の迫撃砲……89式100ミリ……に近付いた。臭いの元は、どうやらここからのようだ。
サーバルは、二脚砲架に前足を掛けると、伸び上がった。臭いが漂ってくる砲身の中に、いかにもネコ科らしい仕草で鼻先を突っ込む。
異様な光景に、陸軍兵士たちがざわめいた。一番サーバルが懐いているユグワ大佐の副官が、サーバルに優し気に声を掛けつつ、彼女をそっと押し退けた。身を乗り出すようにして、迫撃砲の砲身の中を覗き込む。
「中尉、来てください」
振り返った副官の顔は、その黒褐色の色にも関わらず蒼ざめて見えた。
「どうかしましたか?」
陸軍中尉は54式手槍をホルスターに収めながら歩み寄った。
「この砲身の中に押し込まれている物を見てください。ひょっとして、これは……」
陸軍中尉は、言われるままに迫撃砲の砲身を覗き込んだ。中に入っている物を見て、弾かれたように身を起こす。慌ててポケットに手をやった中尉は、小型のハンドライトを取り出した。点灯し、砲身の中を照らす。
「間違いない。爆弾です」
固い声で、中尉が断言した。
時刻は午前四時四十一分のことであった。
東アフリカ時間0500。『アイリス』が仕掛けた多数の爆薬がほぼ同時に起爆した。
最大の爆発を起こしたのは、やはり弾薬類が収められていた倉庫であった。仕掛けられたC4により、総量約一トンにおよぶ工兵用爆薬、さらに合計九万発に上る各種砲弾、機関砲弾、手榴弾、地雷、航空機用爆弾、ロケット弾、各種のミサイルなどが、すべて誘爆する。
サーバルが爆弾を発見してくれたおかげで、ヒンメルハーフェン基地の人々は大多数が基地外への避難を終えており、死者はわずか一桁で済んだ。
KH‐13という仮の名を世間から与えられているNROの画像偵察衛星が高度約三百キロメートルから撮影した写真を眺めていたタッカー大統領が、読書用眼鏡を外すと国家情報長官を見た。
「大成功のようだな。それで、こちらの損失は?」
「SEALsは五名が負傷。うち一名は重傷ですが命に別状はありません。参加艦艇および航空機の損失、損傷なし。ただし、作戦に参加した日本のロボット五体の回収には失敗しました」
「そのことは聞いている。現況は?」
「安全の確認は取れています。現在、西のアマニア共和国との国境へ移動中。後日CIAが救出する予定です」
国家情報長官が答えた。
「アマニアか。内戦の状況はどうなっている?」
「小康状態にあります。実際には、政府軍側がアマニア人民戦線の勢力が強い地域から手を引いたためですが。そのため、取り残された地方駐留の政府軍部隊が軍閥化しているとの情報もあります」
「いまやネイサン・ムボロのカリスマ性だけで持っているような国ですからね」
国務長官が、口を挟んだ。
「独裁国家とは、そういうものだよ、メリッサ。……わたしにも彼の半分くらいでいいからカリスマ性があれば、再選は確実なんだがな」
大統領が、自虐的ジョークで皆の微笑みを誘った。
「それで、CIAはロボットたちの救出に自信があるのかね?」
「残念ながら、アマニアにおけるCIAの資産は最低レベルです」
国家情報長官が、正直に告げた。
「SISが、例のテッサ・ファーガスン記者事件に絡んで作戦を展開中だと聞いておりますので、彼らの手を借りた方が早いかもしれません」
「あのAI‐10たちなら、自力で脱出してきそうですがね」
首席補佐官が、苦笑しながら言う。
「そのあたりは、CIAに任せよう。メリッサ、キファリアの反応はどうだね?」
「ミティシタの反応は、一言で言ってしまえば当惑ですね」
女性国務長官が、答えた。
「爆破を行った特殊部隊が我が国の所属であることは、当然見抜いていると思われます。はっきりとした反応が出てくるのは、現地時間で昼頃でしょう」
「ふむ。北京はどうだ?」
「こちらも当惑しているようです。ですが、こちらのメッセージは明確に伝わったはずです」
「よろしい。中国人が理性的であることを期待しよう。フィル。SEALsの指揮官に一言メッセージを送りたいから、手配を頼む。文面はいつも通りのやつをライターに手直しさせてくれ」
大統領が満足げに命じた。
「アマニアかー。また厄介なところへ逃げ込んだものだなー」
畑中二尉が、明るい表情のまま嘆息した。
「自衛隊も外務省も、手の打ちようがありませんものね」
石野二曹が言う。小国ゆえ日本大使館は置かれておらず、在ケニア日本大使館が大使館業務を兼任しているのが現状だ。在留邦人の数は、わずか一桁らしい。
「それもあるが、あたしとしては連中が余計なことをしないかと心配しているのだー」
長浜一佐の顔色を窺いながら、畑中二尉が続けた。
「内戦中の国となれば、トラブルに巻き込まれる可能性も高いだろー。それを切り抜けるために暴れたりすれば、どうしても注目を浴びることになってしまうー。大人しくしていてくれればいいのだがー」
「まあ、その辺りはかなり経験を積んでいるはずだ。彼女らを信ずるとしよう」
長浜一佐が、宥めるように言う。
「あの子たちなら、軍用輸送機の一機も乗っ取って、自力で帰って来そうですけどね」
三鬼士長が、笑いながら言った。
「冗談に聞こえないぞー」
うんざり顔で、畑中二尉が突っ込む。
「まあ、我々がここで気を揉んでも仕方がない。救出はCIAに任せよう。畑中君、アマニアの最新情報は?」
長浜一佐が、訊いた。
「アマニア共和国は九つの州から成ります。そのうち政府側が押さえているのは、首都マルキアタウンのあるセントラーレ、ノルウェスト、ノレスト、ウェスト、オー・ジーワの五州。アマニア人民戦線が押さえているのが、シュドウェスト、シュデストの二州。競合しているのが、プラトーとバー・ジーワの二州。政府が北と中部を保持し、反政府側が南部を支配している状況ですねー。うちの子たちが向かっているのは、プラトー州になりますー。その名のとおり高原地帯で、サバンナが広がっている田舎ですねー」
「アマニア人民戦線というのは、どんな連中なんだ?」
続けて、長浜一佐が訊いた。
「フロン・ポピュレール・ドゥ・ラマニア。エリジオンするからラ・アマニアではなく、ラマニアになるらしいですが……略称FPA。名前からすると左翼勢力に見えますが、それほど赤くない連中ですー。実のところ寄り合い所帯で、資源目当ての国外資本家と、ムボロ大統領憎しの反政府主義者と、民主化運動をこじらせちゃった自由主義者と、わけもわからず反権力闘争を続けている社会主義者の野合勢力ですねー。ムボロ政権になって国外へ逃亡した資本家連中から、潤沢な資金を得ているようで、キファリア経由で中国製兵器を買いまくったおかげで、軍事的には政府側と対等に渡り合っているようですー」
「これもまた資源を巡る争いか。何が産出するんだ?」
「南部でニオブとタンタルが見つかってますー。ニオブは高張力鋼や耐熱合金を作るのに主に使われる金属ですが、産地が極めて限られていますー。ブラジルとカナダで、産出量の99%を占めるとか。タンタルは主にコンデンサーに使われるそうですー。どちらも価格は高くはありませんが、レアメタルとされていますー。安定した産出が開始されれば、結構儲かるはずですねー」
「中国製兵器の供給が絶たれたら、軍事バランスが変化するのでは?」
石野二曹が、そう懸念する。
「どうなるかわからんなー。この手の内戦には、軍事的常識が通用しないのだー。意思決定手段が、論理的ではないからなー。寛いでいた動物の群れが、何かのきっかけで一斉に同一方向に駆け出したりすることがよくあるだろー。あんな感じで、何の下準備もなしにいきなり大攻勢が始まったり、それが理由もなく唐突に終息したりする。戦略的要請や必要よりも、『雰囲気』によって意思統一がなされ、兵力が運用されるのが、この手の低レベル内戦の特徴でもあるー」
呆れたように首を振りつつ、畑中二尉が説明した。
「あの子たちなら、大丈夫ですよ。どんなピンチでも、自力で切り抜けてくれます」
三鬼士長が、畑中二尉を宥めるように言う。
「いや、むしろそれが心配の種だー」
畑中二尉が、三鬼士長を見上げた。
「無能なロボットであれば、CIAに救出されるまで大人しくしているだろー。だが、あいつらはとてつもなく優秀だー。何をしでかすか判ったもんじゃないー」
「そこまで心配なさらずとも……」
そう言いかけた石野二曹を、畑中二尉が遮る。
「あいつらはある意味異常だー。極めて刺激的かつ集中的な後天的学習により、人工知能が特定方向に変異的に異常発達したとしか思えんー。そしておそらく、個性の強いAIが同一経験を同時にしたうえで、相互に影響し合った結果さらに学習効果を高め、相乗的に成長しているのだろー」
「まことに残念なことだが、戦場は優れた学校でもあるからな」
長浜一佐が、重々し気に言った。
「凡庸な人物が、戦場に放り込まれて覚醒し、優れた兵士や軍人に急成長することはよくあるケースだ。AI‐10たちも、おそらく同じだろう」
「とにかく、CIAによる早期回収を期待するしかないですねー」
畑中二尉が、嘆息気味に続けた。
「今は、いわば完全に手綱が外れてしまった状態にあるわけですー。これは、AI‐10たちにとっても初めての経験であるはず。そして、逃げ込んだ場所がトラブル必至の内戦中の小国。嫌な予感しかしませんー」
「それには同意せざるを得んな」
長浜一佐が、苦笑した。
「どうもありがとうございました」
路肩に一列に並んだAI‐10たちは、一斉に頭を下げて走り去ってゆくおんぼろのBMCミニを見送った。
「親切なおじいさんだったのであります!」
シオはそう言いつつ、黄色……たぶん元はオレンジ色だったのだろうが、退色してバターイエローに見える……の小型車に向け手を振った。
「なんだか、怯えてるように見えたけどな」
亞唯が、ぼそっと口を挟んだ。
「いいですか、みなさん。あのおじい様は自ら進んでわたくしたちを車に乗せ、ここまで運転してきて下さったのです。いいですわね?」
スカディが、念押しする。
目的地であるアマニアの国境まではかなりの距離がある。歩いてゆくには時間もかかるし、バッテリーが持たない。公共交通機関……といっても、バスとタクシーしかなかったが……を利用したくても、キファリア・シリングもUSドルも持っていない。
仕方なく、AI‐10たちが採用した手が、ヒッチハイクであった。田舎道で最初にでくわしたおんぼろのミニを運転していたキファリア人の老人は、AI‐10たちが車に乗り込むことを拒まず、さらに目的地の変更にもあっさりと応じてくれた。まあ、半自動小銃で武装した見慣れぬロボット五体の『要請』を、元市役所職員が拒否できるはずもない。
そんなわけで、AI‐10たちはキファリア共和国とアマニア共和国の国境線至近まで無事に到達した。これを超えてしまえば、とりあえずキファリア軍の追求から逃れることができる。
「早くアマニアに入りたいのですぅ~」
ベルが、スカディを急かす。
「そうね」
スカディが、隊列を決めた。亞唯と雛菊が先導し、自らは指揮の執り易い中央に位置し、シオとベルに後ろを任せるといういつものパターンだ。
一行は草地に脚を踏み入れた。地雷などはないと聞いていたが、一応警戒してゆっくりと進む。
スカディはGPS座標を確認しつつ歩んだ。国境線上に来たが、それらしい標識は見当たらない。
「アマニア共和国に入ったわ。とりあえず、一安心ね」
スカディはそう宣言した。
「よし。どこを目指す?」
立ち止まった亞唯が、スカディを見た。
「とりあえず、一番近くの村を目指しましょう。充電は無理としても、ガソリンか何か手に入れられるかもしれませんわ」
スカディはそう言った。とにもかくにも、かなり減ってしまったバッテリーが心配である。
「じゃあ、こっちだな」
メモリー内地図を参照した亞唯が、方角を確認した。五体は、生い茂る丈の長いイネ科の草をかき分けながら歩き出した。
Mission08、AHOの子ロボ分隊未帰還のまま終了!
第二十三話をお届けします。Mission08はこれで終了となります。次週は資料集め名目でお休みをいただき、Mission09第一話の投稿は7月1日となる予定です。




