第十九話
「『シスル』はどうだ?」
ドリスコル大佐が、訊く。
「動きはありません」
ディスプレイを注視している女性准尉が、即座に答えた。
キファリア兵に阻まれて動けないというブリックス大尉らの苦境は、RQ‐4からの映像を通じて、作戦指揮所でも把握していた。
「チームを二つ投入したのは、正解でしたね」
メガンが数えた限りでは七杯目のコーヒーを飲みほしたオメーラ少佐が、苦笑いする。
「『アイリス』の現況は?」
ドリスコル大佐が、『アイリス』の動きをモニターしている上級兵曹に訊く。
「順調です。現在位置は『シャングリラ』のD。周辺に異常は認められません」
『シスル』が本作戦の不運をすべて背負ってしまった代償か、カーヴィル中尉率いる『アイリス』の作戦行動は支障なく進んでいた。巡回中の警備兵をやり過ごすために数回にわたって待機を余儀なくされたものの、0200までに密輸兵器倉庫群……『シャングリラ』の中に入り込むことに成功する。
『シャングリラ』には大きな倉庫が六棟建っていた。いずれも、軽量鉄鋼と亜鉛メッキ鋼板を組み合わせた安っぽい作りだ。
カーヴィル中尉は、見張りにオールマン二等兵曹とナバーロ三等兵曹を残すと、まっすぐに一棟の倉庫を目指した。事前評価では、弾薬類の倉庫だと判断された一棟だ。
通常、弾薬類……火薬類全般……を収める倉庫を地上に設置する場合は、鉄筋コンクリートないし同程度の強度を持つ材質で外壁を造り、天井は簡易なものに止め(爆発事故の際に爆風等を逃がすため。軍事基地など外部からの耐弾性、耐爆性が求められる場合はこの限りではない)、周囲を土提などで囲むのが普通である。だが、この倉庫は偵察衛星の眼をごまかすために、外見はごく普通の倉庫と変わりなく造られていた。
五名のSEALsは倉庫の通用口に取りついた。ありふれた接触型の警報センサーを解除してから、施錠されている扉をこじ開けに掛かる。
倉庫の中には、巨大なコンクリートの立方体が収まっていた。弾薬倉庫の本体である。外側の倉庫は、この本体を隠しているいわば『覆い』に過ぎないのだ。
『アイリス』は早速仕事に掛かった。複数の区画に分かれている弾薬庫それぞれの対爆扉をこじ開け、内部にC4を仕掛けてゆく。設置する量は、ほんの少し……一か所当たり二ポンド半ブロック一本……で良かった。いったん起爆すれば、周囲の弾薬が誘爆してくれるのは確実である。
すべての区画に爆薬を仕掛け終わった五人は、弾薬倉庫を出た。周囲の倉庫に納まっている兵器にも、爆薬を設置しなければならない。……時間と爆薬の量が許す限り、ではあるが。
フィンレー一等兵曹とラスキー三等兵曹は、大きな木箱を運んでいた。物陰に入ったところで、二人が箱を開け、中に入っていた防水紙にくるまれたバターの塊のような物体を皆に配り始める。結合剤を混ぜ込んでブロック状にしたPETN(ペンスリット)を、弾薬倉庫から盗み出してきたのだ。これと手持ちのC4を合わせれば、より多くの兵器を破壊できる。
SEALsは高価値の目標を探しに散った。
電気修理がようやく終わった。
バンが走り去ったところで、ブリックス大尉は時刻を確認した。0247。
今から急げば、最終撤退期限の0330までに爆薬を仕掛け、撤退することは不可能ではない。だが、それにはかなり急がねばならないし、急げばミスをする危険性が増す。『ハイアシンス』から異常を知らせる連絡が入っていないことからして、『アイリス』は無事に爆薬の設置を終え、すでに撤退に入ってることだろう。ここで無理をしてすべてを台無しにするよりは、素直に諦めて撤退する方が利口である。
ブリックス大尉は、後退のハンドサインを出した。リチャーズ二等兵曹を先頭に、全員が整然と元来たルートを戻り始める。
侵入した箇所まであと二百メートルほどのところで、再度不幸が『シスル』を襲った。今度のトラブルは、細身で美しく、しなやかな形状であった。
暗がりから飛び出した黒い影が、いきなりリチャーズ二等兵曹を襲った。心臓の弱い高齢者ならそのまま昇天してしまいそうなほど唐突かつ衝撃的な出来事にもかかわらず、リチャーズがまったく声を出さなかったのは、訓練の賜物であろう。しかし、十キログラムを超える体重にいきなり圧し掛かられ、バランスを崩して尻餅をついてしまう。
後続していたバグショー三等兵曹が駆け寄ったが、あいにく彼の得物はMk18であった。リチャーズからぱっと飛び退いた黒い影が、四本の脚を踏ん張って頭を下げ、警戒の姿勢を取りつつバグショーを睨む。そのあたりでようやく、『シスル』のSEALs隊員たちは襲撃者の正体を悟った。軍用犬ではなく、ネコ科の動物のようだ。
リチャーズ二等兵曹を『襲った』のは、ヒンメルハーフェン海軍基地司令ヒューバート・ユグワ大佐のペットであるサーバルだった。運動のために、夜間は基地内に放たれているのだ。
彼女は……このサーバルは雌であった……たいへんよく躾けられており、基地内の水兵や警備兵にちょっかいを出すことはなかった。だが、キファリア人とは明らかに『違う匂い』を放っている一団は、飼い主による『狩りごっこ禁止令』の対象外にある、と判断したのであろう。
マカリスター中尉とアルバレス一等兵曹が、サーバルに向けてMP7を撃った。だが、野生動物の本能か、危険を感じたらしい彼女は発砲の寸前に飛び退いていた。SEALsたちの殺意を悟り、サーバルが逃げ出す。基地内の区画を区切っている境界柵に行き当たった彼女は、得意のジャンプ力を発揮してそれを飛び越えた。
がしゃん。
静まり返った海軍基地内に、金属系の騒音が鳴り響いた。積み上げてあった古い空のジェリカンの上に、サーバルが着地してしまったのだ。足元が不安定なことに気付いた彼女は慌てて再ジャンプしたが、これは着地の衝撃でバランスが崩れたジェリカンの山に、サーバルの強靭な後脚で思いっきり蹴りを入れたと同じ効果をもたらした。
どんがらがっしゃん。
ジェリカンの山は完全に崩壊し、死体でも目覚めそうなほどの大音響をまき散らした。。
「走れ!」
ブリックス大尉は即座に命じた。これだけの騒ぎを起こした以上、キファリア側に気付かれぬわけはない。対応策を取られる前に、基地外に出てしまうのが賢い選択だ。
だが、不運は続いた。巡回中の警備兵が、81式自動歩槍を構えて走ってくるのに出くわしたのだ。即座にリチャーズ二等兵曹とマカリスター中尉がサプレッサー付きのMP7を発砲し、撃ち倒す。だが、数メートル遅れて走ってきた相棒には、遮蔽物の陰に隠れるだけの時間的余裕があった。MP7から浴びせられる銃弾に対抗し、81式自動歩槍で反撃に及ぶ。
『シスル』の退却の脚が止まった。
「『シスル』の周囲に兵力が集まりつつあります」
女性准尉が、報告する。
「RQ‐4の高度を下げるように要請しろ」
ドリスコル大佐が、カリフォルニアのビール空軍基地……RQ‐4の操縦は、衛星回線を通じてそこから行われている……との通信リンクに付いている三等兵曹に命ずる。
「大佐、『アイリス』は現在『シェラトン』の南側にいます」
オメーラ少佐が、早口で告げた。
ドリスコル大佐は迷った。早急に何か手を打たないと、『シスル』の離脱が不可能になるおそれがある。『アイリス』を『シスル』の救出に向かわせれば、まず確実に事態は打開できるが、それでは『シャングリラ』に『アイリス』が侵入したことを暴露することになるだろう。仕掛けた爆薬が早期に発見されれば、爆破を阻止されるかもしれない。
「『アイリス』に命令。『ラッフルズ』に向かわせろ。『クレマティス』に命令。『ラッフルズ』で『アイリス』を収容、離脱させろ」
……わかりやすく言い換えれば、カーヴィル中尉の分隊は北に向かわずに、代替脱出地点に向かわせ、予備のRHIB二隻からなるボートチーム〈マイク〉によって脱出させる、ということである。
「では『シスル』は?」
オメーラ少佐が、訊いた。
「自力で脱出させる。『サンフラワー』に命令。支援に向かわせろ」
「やっぱりお祓いが必要ね」
そう言いながら、スカディが金網フェンスに開けられた穴をくぐる。
「ではROCHI殿、留守番を頼みましたぞ!」
シオはベルに続いて穴をくぐった。MP7をいつでも撃てるように構え、スカディと並んで走る。
先ほどから始まった銃撃戦は、激しさを徐々に増しながら続いていた。81式自動歩槍と思われる重めの連射音。Mk18のはじけるような軽い単射音。幸いなことに、大口径機関銃や機関砲の発射音は聞こえてこない。
「こちらへ」
『デイジー』……作戦指揮所に陣取るメガンのこと……を通じて、RQ‐4からの情報を得ているスカディが、シオとベルを宿舎らしい建物のあいだに導く。開けた処に出る寸前で、スカディが足を止めた。シオも止まる。
二体はそこからそっと頭を突き出した。右手の方に、八名ほどのキファリア兵の姿が見えた。遮蔽物の陰に身を隠し、81式自動歩槍を盛んに撃っている。そこへ二名の兵士が走ってきて、二脚のついた80式汎用機関銃を据え付け始めた。
「こちらサンフラワー1。フロックス、聞こえますか?」
スカディが、呼び出した。
『フロックス1だ』
すぐに、返答がある。
「そちらの北側にいる敵の背後にいます。今から攻撃を掛けますから、その隙に離脱してください」
『了解した』
「ベル。頼みます」
スカディが、自分が携行していたM67手榴弾を二個、ベルに渡した。
「お任せくださいぃ~」
受け取ったベルが、さっそくセイフティ・クリップを外し、セイフティ・ピンを抜く。
「では、いきますよぉ~」
左右の手に手榴弾を持ったベルが、同時にそれを放った。右手で高く遠くへ投げ、左手で低く転がすように投げる。……人間ならばまことにやりにくい動作だが、ロボットならば朝飯前だ。
投擲に気付いたキファリア兵が振り返る。手榴弾が爆発する一瞬前に、スカディとシオはMP7を乱射した。不意を衝かれたキファリア兵が、次々と被弾する。
二発の手榴弾が炸裂し、さらにキファリア兵を殺傷した。スカディとシオは弾倉を入れ替えると、新たな目標を探したが、すでにその場にいたキファリア兵は全員が地面に倒れ、動きを止めていた。
『サンフラワー、走ってそちらへ向かう。発砲するな』
AI‐10たちの無線に、ブリックス大尉の声が入った。すぐに、走ってくるSEALsの姿が見えてくる。スカディが手を振り、それを認めたSEALsたちが走り寄ってくる。
「ベル、先導してさしあげて。シオ、殿を務めますわよ」
「了解しましたぁ~」
「了解なのです、リーダー!」
シオは勢いよく返答すると、MP7を構え直した。
『シスル』では負傷者が出ていた。三等兵曹の一人が腕を、二等兵曹の一人が脚を撃ち抜かれている。脚を撃たれた方は、アフリカ系の三等兵曹に半ば担がれるようにして運ばれていた。
追ってきたキファリア兵を見つけたシオは発砲した。狙われたキファリア兵が、慌てて遮蔽物の陰に飛び込む。
「……やっぱりこうなったか。デイジー、現況を教えてくれ」
亞唯はAN/PRC‐152を通じて、メガンに要請した。
「了解した。『サンフラワー』を援護したい。移動の許可をくれ」
メガンの説明を聞き終え、事態を把握した亞唯が、そう願い出る。
「どうや?」
周囲の警戒を続けながら、交信内容に聞き耳を立てている雛菊が、訊く。
「許可が出た。メガンいわく、『止めても聞かないでしょうに』だそうだ」
苦笑しつつ、亞唯が答える。
「さすが、判っとるな」
雛菊も、笑う。
「で、どうするんや?」
雛菊が言いつつ、南方を見やった。『サンフラワー』を援護するには、四キロメートルほど移動しなければならないが、AI‐10の短い脚でその距離を短時間で走りぬくのは無理だ。
「西の農場にトラックがあった。それを拝借しよう」
亞唯がAN/PRC‐152を腰から下げたケースに収めた。
「こっちだ」
亞唯が走り出す。雛菊が、続いた。
「『シェラトン』から小艇が出港しました。北東へ加速しつつ移動中。識別終了。シャンハイⅡタイプ哨戒艇です」
ビール空軍基地から転送されてきた情報を、上等兵曹が読み上げる。
「対応が早すぎるな」
ドリスコル大佐が、唸る。
「レーダー波探知。識別終了。タイプ351。水上捜索モード。発信源、航行中のシャンハイⅡ。ビールより勧告です。『ペリウィンクル』の進路変更を勧告。このままでは、シャンハイⅡに発見されます」
上等兵曹が、続けた。
「これは、まずいですよ」
オメーラ少佐が、慌てた口調で言う。
シャンハイⅡ……062型哨戒艇は旧式だが、37ミリ連装機関砲二基、25ミリ連装機関砲二基を備えており、近距離なら極めて強力な火力を発揮できる。小艇なのでかなり海岸に近づけるので、撤退中の『シスル』を側面から攻撃することも可能だ。
「少佐。『バターカップ』を離陸させろ。『シスル』は『ヒルトン』で『バターカップ』に収容させる。『ペリウィンクル』はシャンハイⅡを引き付けさせろ。コーナーリフレクターを使ってわざとレーダーに捉まるんだ。シャンハイⅡは『ペリウィンクル』より遅いはずだ。機関砲の有効射程内に入らなければ危険はない。湾外におびき出すんだ」
ドリスコル大佐が、矢継ぎ早にMV‐22B二機の離陸と、ボートチーム〈リマ〉による緊急囮作戦を命じた。コーナーリフレクターは金属板を組み合わせて、レーダー波を発信源に明瞭に反射させるように工夫したものである。普通は自己の位置を他者に明示したい時に使われるものだが、実際よりも大きな電波反射を行えるという特性を利用して、こちらのサイズを大きなものに『見せかける』ことにも使える。つまり、11メートル級RHIB二隻をより大きな哨戒艇か何かに思わせることも可能なのだ。……波長の短いレーダーだと、目標の細かい形状まで識別可能なので、あっさりと見破られてしまうが。
第十九話をお届けします。




