第十一話
キファリア海軍司令部は、南部の港町ヒンメルハーフェンに司令部を置いている。
元々ヒンメルハーフェンは、斜辺を東側に、もっとも角度の小さな鋭角を北に向けた直角三角形状の湾の最奥部……直角の部分……に流れ込んでいる川付近にあったさびれた漁村に過ぎなかった。ここが港として栄え出したのは、ドイツ人がやって来てからの話である。近くで発見された無煙炭を当時主流であった軍用機帆船に供給するために、小規模な海軍基地が建設されたのが、その嚆矢であった。
その後紆余曲折はあったが、内陸の首都ミティシタに近いバンダリカーサが貿易港、南のヒンメルハーフェンが軍港という棲み分けがなされて、今日に至っている。
その海軍基地内にある高級士官専用食堂で、夕食の席に着いているシュ・リーガン中佐は、もそもそと米を口に運んでいた。
同じテーブルに座っているのは三人。いずれも濃褐色の肌の、キファリア人である。キファリア海軍司令官兼艦隊司令長官、ヴィクター・ユイニャ少将。ヒンメルハーフェン海軍基地司令の、ヒューバート・ユグワ大佐。そして、同副司令のウィリアム・ヌガンガ中佐。
シュ中佐が、所属する中華人民共和国人民解放海軍からこのキファリア海軍に軍事顧問兼任の連絡将校として派遣されてから、すでに半年が経った。だが、いまだシュ中佐はここの諸環境に慣れていなかった。
特に慣れぬのが、この食事である。口に合うのは、米だけだ。白米と、ここの連中がピラウと呼ぶクミンを利かせたピラフは、まずまずの味である。だが、他の料理は、まったく食欲をそそらない。ウガリと呼ばれるコーンミールを湯で練ったもの……米と並ぶ主食……は、そもそも味らしい味がしないし、よく使われるヤギの肉も旨くはない。スープや煮込み料理のベースにやたらとトマトを使うのも解せないし、ジャガイモがありとあらゆる形状と調理法で出されるのも不可解である。スパイス貿易で栄えた土地柄ゆえか、どれもたっぷりと香辛料が入っており、中国四大料理のうち最も洗練されていると言われる……これには異論があると思うが……広東料理で育ったシュ中佐の舌は受け付けてくれない。ビールでも飲みながらであれば、まだ喰えそうに思えるが、ここの連中はほとんどがムスリムであり、これら料理をチャイやフルーツジュースを飲みつつ食べるのである。
……今日も飯屋に行くか……。
ビーフシチュー……なんとトマト味……から牛肉だけをより分けながら、シュ中佐は思った。最近では、ここヒンメルハーフェンにも中国人が一定数住み着いており、一軒だけだが中華料理屋が営業している。そこでなら、豚肉を食べることも酒を飲むことも可能である。……回鍋肉に冷えた珠江ビールで、口直しするとしよう。
しかし……。
牛肉をスプーンで口に運びながら、シュ中佐は隅の床の上で平皿の生肉をぱくついている獣を横目で見た。
食事時に一番慣れないのが、この獣が相伴することである。基地司令ユグワ大佐のペット。
体長八十センチくらいで、細身。黄褐色の地に黒い斑点。大きな立ち耳。ネコ科ネコ族の中型獣。
中国語で『藪猫』、スワヒリ語ではモンド、英語ではサーバル、と呼ばれている肉食獣である。
人に慣れているとはいえ、家畜化されていない猛獣である。犬とは違うのだ。その鋭い牙と爪で突如襲い掛かってくるのではないかと、シュ中佐は気が気ではなかった。
そのサーバルが、いきなり食事を中断した。頭を高く上げ、大きな耳をひょこひょこと動かす。
シュ中佐は手にしたスプーンを無意識のうちに握り締めながら、サーバルの動きを注視した。
と、サーバルが鋭い動きで戸口の方に頭部を向けた。感情が読み取れないが鋭さは感じられる視線を、じっと戸口に注ぐ。
ほどなく、戸口に一人の下士官が現れた。サーバルに見つめられていることに気付いてちょっと驚きの表情を浮かべつつ、一礼してから高級士官食堂に入ってくる。
「閣下、お食事中失礼いたします。国防省より、緊急命令を受領いたしました」
テーブルにつかつかと歩み寄ってきた下士官が、敬礼するとユイニャ少将に封筒を差し出した。
「ご苦労」
フォークを置いたユイニャ少将が、封筒を受け取った。下士官が数歩下がり、視線を壁に向ける。
封筒を開き、命令内容に眼を通したユイニャ少将の表情が曇った。
「いかがなさいました?」
チャイのカップを静かに受け皿に戻したユグワ大佐が、訊く。サーバルが、飼い主の声に反応してユグワ大佐に視線を向けた。
「国防大臣からの出撃命令だな。艦隊司令長官は速やかに可能な限りの戦力を出港させること。目的は、今現在バンダリカーサに向けインド洋を航行中の中国籍コンテナ船商船隊の護衛だ」
ユイニャ少将が、命令内容を簡単に説明する。
シュ中佐は、思わずユグワ大佐とヌガンガ中佐と顔を見合わせた。
中華人民共和国によるアフリカへの兵器密輸。キファリア共和国の軍部と政府の一部は、いわば中国と共犯関係にある。主な担当は、アフリカ大陸内での兵器の安全な保管だ。中国商船によってバンダリカーサへ運び込まれた兵器入りのコンテナは、通関を経ることなく、より小型のコンテナ船……通常、フィーダー船と呼ばれる……に積み替えられ、ここヒンメルハーフェンへ運ばれる。ヒンメルハーフェン海軍基地内には、陸軍によって警備されている一郭があり、密輸兵器はそこに運び込まれる。それら兵器は、中国側が手配した、または売却先が手配した船舶やトラックに積まれて出荷されるまで、キファリア側の手によって安全に保管されるのである。
キファリア側が得る見返りは、兵器の現物となる。大半の兵器はそのままキファリア陸海空軍の装備品となるが、一部は外国の武器商人などに売却され、現金収入となる。
海軍司令官兼艦隊司令長官のユイニャ少将はもちろん、当基地司令のユグワ大佐もこの密輸作戦におけるキファリア側の代表的な関係者である。基地副司令のヌガンガ中佐に至っては、密輸品倉庫の管理責任者だ。シュ中佐も、連絡役としてこの作戦には深く関わっている。
「中佐」
ユイニャ少将が、問うような視線をシュ中佐に向けた。今現在バンダリカーサに向かっているコンテナ船団が、密輸兵器を積載していることは、四人とも承知している。
「すぐに問い合わせます」
シュ中佐は、立ち上がった。キファリア政府が海軍にも知らせず勝手に船団護衛を決定するとは思えない。この命令は、中国側の要請によるものだろう。何かトラブルが生じたに違いない。
戸口へと足早に向かうシュ中佐を、サーバルが無感動に見送った。
キファリア海軍司令官兼艦隊司令長官ユイニャ少将は、艦隊出港を翌未明と決定し、徹夜での出港準備を下命した。
現在ヒンメルハーフェン海軍基地には、最大の戦闘艦である艦隊旗艦のフリゲート〈シーガル〉(中国製053H2(H)型フリゲート ジャンフーⅢ級の改良型)と、大型哨戒艇〈クレイン〉級(中国製037型哨戒艇 ハイナン級)三隻、ミサイル艇〈ラーク〉級(中国製037‐IG型ミサイル艇 ホウシン級)四隻、小型哨戒艇〈ペトレル〉級(中国製062型哨戒艇 シャンハイⅡ級)四隻の、合計十二隻の艦艇があった。ユイニャ少将は、そのうち整備中であった〈クレイン〉級の一隻と〈ラーク〉級の一隻、それに先月座礁事故を起こして修理中の〈ラーク〉級一隻、そして小型で外洋運用が難しく、航続距離も短い〈ペトレル〉級を除くすべての艦……つまりフリゲート一隻、大型哨戒艇二隻、ミサイル艇二隻の合計五隻に指揮下に入るように命じ、自ら〈シーガル〉に座乗し、艦隊を直卒する意向を国防省に伝えた。
東アフリカ標準時で午前六時過ぎ、五隻のキファリア海軍艦隊は無事にヒンメルハーフェン海軍基地を出港し、進路を真東に向けた。この動きは、すぐに合衆国海軍のNOSS(海軍洋上監視システム)衛星群によって検知され、海軍はすぐさまNRO(国家偵察局)に対し光学観測を依頼した。NROは、それから三時間後に上空付近を通過した低軌道画像偵察衛星……HK‐12と俗称されている衛星……に当該艦隊の画像を撮影させた。画像はほぼリアルタイムで軌道上の通信衛星を通じNROに電送され、明瞭化のために画像処理が施された上で海軍に送られた。
「これが、NROが撮影した画像です」
国家安全保障問題担当補佐官が、大判の写真をタッカー大統領に手渡した。
読書用眼鏡を掛けた大統領が、モノクロの写真を眺める。最新式の画像偵察衛星は、真下だけではなく横方向の画像も撮影できる……これにより、軌道を変更することなく広い地域の任意の画像を得ることが可能だ……ので、この写真も一般人が考えるグーグルアースの映像のような平面的な『衛星写真』ではなく、中高度を飛行する航空機の窓から海を行く船を撮影したかのように、もっと立体的に目標物を捉えることのできる斜め上方からの映像であった。
「全部で五隻か。フリゲートが一隻、ミサイル艇が二隻、砲艇が二隻か」
「その通りです。053H2(H)型フリゲート一、037型哨戒艇二、037‐IG型ミサイル艇二」
国家安全保障問題担当補佐官が、大統領の分析を補足する。
「通常の訓練とか、ではないのですか?」
女性国務長官が、尋ねた。国家安全保障問題担当補佐官が、首を振る。
「それは考えにくいです、長官。これは、キファリア海軍の全戦力の約四十パーセントに当たる水上戦力です。定期演習以外で、これだけの規模の艦隊が洋上に出たのは、キファリア海軍史上初めてのことでしょう。周辺諸国との紛争の気配もありません。従いまして、この艦隊の目的が、例の中国籍コンテナ船の護衛にあることは確実です」
「だろうな。フィル、CIAの作戦の方は、どうなっているのかね?」
大統領が、首席補佐官に振った。
「約四十時間前に定期通信が行われましたが、例の日本のロボットたちは異常を報告していません。台湾の工作員も、依然協力的とのことでした」
「ふむ。となると、作戦そのものが中国側に発覚したわけではないのだな。あくまで、予防措置としてのキファリア艦隊投入、ということになる」
「完全に同意いたします、閣下」
国家安全保障問題担当補佐官が、うなずいた。
「では、作戦はこのまま続行するとしよう。その場合、どのような支障が出る?」
大統領が、首席補佐官を見た。
「このままですと、現地時間で明後日の朝、おそらくキファリア本土から千七百キロメートルほど東の地点で、ブラボーとキファリア艦隊は合流するはずです。これは、我々が予定している臨検の約三十時間前となります。つまり、その後行われる臨検は必然的にキファリア艦隊に妨害されることになります」
「ふむ。キファリア艦隊の具体的な兵装は?」
思わし気な表情になったタッカー大統領が、国家安全保障問題担当補佐官に訊く。
「フリゲート〈シーガル〉はC‐801対艦ミサイル連装ランチャー四基、100ミリ連装砲二基、37ミリ連装機関砲四基、Z‐9Cヘリコプター一機、それに対潜ロケット発射機を搭載しています。大型哨戒艇〈クレイン〉級は57ミリ連装速射砲二基、25ミリ連装機関砲二基、その他対潜兵器を搭載。ミサイル艇〈ラーク〉級はC‐801対艦ミサイル連装ランチャー二基、37ミリ連装機関砲二基などを備えています」
「C‐801は、かなり旧式なミサイルだったな?」
タッカー大統領が、確かめるように言う。
「はい。中国海軍では改良型が装備されていますが、キファリア海軍の装備品は旧式です。射程は四十キロメートル程度。初期型のエグゾセと同等、という評価がなされています」
国家安全保障問題担当補佐官が答える。国務長官が、ほっとした表情を見せた。
「よかった。この程度なら、こちらのイージス駆逐艦の敵ではありませんね」
「遠距離からミサイルを撃ち合うだけなら、この程度の艦隊はアーレイ・バーク級なら簡単に片づけられます。しかし、今回の作戦は臨検です。近接する必要があります。大口径機関砲弾が楽々届くような二千メートル、三千メートルといった距離まで近付けば、キファリア艦隊の砲熕兵装が威力を発揮します。アーレイ・バーク級の火砲は5インチ砲一門、25ミリ機関砲二門、それに20ミリCIWSだけです。完全に、撃ち負けます」
冷静な口調で、国家安全保障問題担当補佐官が指摘する。
「では、どうする?」
タッカー大統領が、訊いた。
「より多くの戦力を投入、誇示してキファリア側の戦意を削ぎ、引き下がらせる必要があるでしょう。空母が使えれば一番いいのですが、残念ながら近くの海域に海軍の空母は一隻もいません。しかし幸い、中東艦隊は艦艇に余裕がありますし、時間も十分にあります。ドリスコル戦隊がソマリア沖を出発するのが、現地時間で明後日の朝の予定ですから、現在アラビア湾に居る海軍艦艇をこれに合流させるのは可能です」
首席補佐官が、壁の地図を示しながら説明する。
「よかろう。それで行こう。すぐに海軍をせっつくんだ。キファリアごとき三流海軍に嘗められるわけにはいかん」
タッカー大統領が、キファリア艦隊が映った写真に手のひらを軽く叩きつけつつ言った。
合衆国大統領命令を受けて、中東艦隊はサンアントニオ級ドック型揚陸艦〈メサ・ヴェルデ〉と、タイコンデロガ級イージス巡洋艦〈アンツィオ〉の二隻を抽出し、即座にアラビア湾から出るように命じた。
サンアントニオ級はホイッドビー・アイランド級よりもはるかに大きな揚陸艦であり、MV‐22B二機を搭載している。たとえ非武装でも、先進的な対空システムを持たないキファリア海軍にとってはかなりの威嚇効果が期待できよう。タイコンデロガ級もそろそろ旧式化が否めないとはいえ、充分に強力な戦闘能力を有している。この二隻が加われば、弱体なキファリア艦隊は近付くことすらできないであろう。……たぶん。
第十一話をお届けします。
※お詫びと訂正 ドリスコル戦隊に属するUSNアーレイ・バーク級イージス駆逐艦ですが、フライトⅡAのDDG87〈メイソン〉ではRGM‐84『ハープーン』を搭載していないことに気付きました。そこでフライトⅡのDDG78〈ポーター〉に変更させていただきます。




