第十話
作者急用につき翌日投稿となってしまいました。申し訳ありません。
グー・ウェンイー上尉は、上海で何をしていたのか?
中国人民解放軍総参謀部第二部長カオ少将は、数日にわたって首を捻り続けていた。
彼の標的が、アフリカへの武器『輸出』コンテナ船であったことは、ほぼ疑いない。言うまでもなく上海は中華人民共和国最大の都市であり、政治的、軍事的に枢要な施設も多いが、ここ最近台湾が特別に興味を引くような作戦は行っていないはずだ。では、グーは実際に何を行ったのか……あるいは、行うつもりだったのか?
工作員を船に潜り込ませた可能性は少ない、とカオ少将は踏んでいた。海軍側は、コンテナ船および埠頭の警備が万全であったと保証している。軍用犬まで使い詳細に調べたので、あらかじめコンテナに工作員を潜ませておくという手も使えなかったはずだ。
となれば、可能性として浮上してくるのが、偵察ロボットの侵入である。台湾唯一の軍用ロボットメーカーである太平精密工業は、世界の軍用ロボット界をリードするトゥエルブ・パペッターズには及ばないものの、第二集団である八社を加えたトゥエンティ・ファクトリーズに名を連ねる程度の技術力は持っている。同社が製作した小型の偵察ロボットなら、何らかの方法でコンテナ船に潜り込ませることは可能だろう。そして、いったん船内に隠れてしまったそれをこちらが探し出すことは、船を半ば解体するレベルの捜索をしない限り不可能に近い。
もし仮に、グー・ウェンイーが『宝鶏』に小型ロボットを潜り込ませることに成功したとしたら、その目的は何であろうか?
単なる破壊工作ではない、とカオ少将は踏んでいた。小さいとはいえ、コンテナ船一隻を沈めるための爆発物は、偵察ロボットが携行できる量ではとても足りない。航行を妨害する手段なら、船内で調達した材料だけで事足りる。例えば、ディーゼルエンジンの燃料に海水を混ぜたり、エンジンオイルを抜くなどの方法で船を止めることは可能だ。事前にプログラムしておけば、小型のロボットでもその程度の芸当は可能だろう。
だが、その程度の破壊工作では『いやがらせ』レベルである。台湾側がわざわざそのような『せこい』妨害を仕掛けてくるとは思えない。
ひとつ考えられるのが、偵察ロボットがコンテナ船の位置情報を密かに送信しるために送り込まれた、という可能性である。
その場合、台湾側の狙いは?
今現在、台湾海軍水上艦艇はインド洋に一隻もいない。だが、台湾海軍には、海龍級潜水艦が二隻在籍している。かなり旧式化したとはいえ、定評あるオランダ製のズヴァールトフィス級潜水艦をタイプシップとして建造されているので、いまだ侮れない存在である。
グー上尉、あるいはその部下が密かに『宝鶏』に偵察ロボットを潜り込ませる。インド洋まで進出した台湾海軍潜水艦が、位置を割り出してこれを密かに撃沈してしまう……。
カオ少将の部下の一人は、このような推測を述べた。だが、カオはその可能性はないと判断していた。どう考えても、それは台湾のやり口ではない。……合衆国なら、あの粗野で暴力を愛する国家ならば、そのような下劣な手段を取るかも知れないが。
となるとあり得るのが、コンテナ船の『乗っ取り』であろう。商船に台湾軍特殊部隊を隠し、『宝鶏』を待ち受けて、往時の海賊のごとく接舷、乗り込んで制圧する。そしておそらく、密輸の動かぬ証拠を押さえ、水面下で中国側に密輸を止めるように圧力を掛ける……。
中国近海では、人民解放海軍に妨害される可能性があるので、作戦はインド洋で行うしかないだろう。そしてインド洋における台湾軍の洋上偵察能力は低いので、確実にインターセプトを行うにはコンテナ船の位置を正確に把握する何らかの手段を講じなければならない。それが、偵察ロボットの潜入だったのではないか……。
カオ少将が考え付いた、もっともあり得そうなシナリオが、これであった。
この推測を上司である副総参謀長の一人に伝えた結果、コンテナ船団は急遽ミャンマーのチャウピュ港に寄港し、北京軍区より急派された特殊作戦部隊が乗り込むことになったのである。五隻すべてに同じように乗り込ませたのは、もちろん本命の兵器積載船がどれであるかを特定されないためである。兵力をわずか一個排に抑えたのは、機密保持の意味合いもあるが、台湾側の用意した兵力が多くはない……おそらく、一個小隊程度であろう……と見越してのものだ。奇襲がほぼ不可能な洋上で、かつ精鋭部隊が待ち構えているならば、乗っ取りを防ぐことはた易い。作戦があまりにハイリスクだと台湾側が悟れば、仕掛けてくることはない、と総参謀部は判断している。
……まあ、すべて推測に過ぎないのだが。
カオ少将は箱から抜き出した『中華』に火を点けた。グー上尉はただ単に探りを入れていただけで、具体的な作戦は行っていなかった、という可能性も高い。カオ少将の推測も、杞憂に過ぎないのかも知れない。
「因果な商売ではあるな」
紫煙を吐き出しつつ、カオ少将はつぶやいた。はっきりとした成果が表れにくいのが、諜報の世界である。仮に敵の破壊工作の兆候を察知し、適切な手を打った結果、何も起こらなかった場合、実際には何が起きたのだろうか? こちらが打った手が功を奏し、破壊工作を阻止したのか? あるいは、別な理由で破壊工作が取りやめになったのか? 情報自体が間違っており、そもそもそのような作戦など存在しなかったのか? または、情報自体が敵の工作であり、引っかかったこちらが無用な阻止作戦を展開しただけなのか?
……敵の上級工作員が将来詳細かつ赤裸々な回顧録でも書いてくれぬ限り、真相は永遠に闇の中だ。常に手探り状態で行動し、手柄すら推測するしかないが、国防のためには必須の存在。それが、国家機関レベルの諜報の世界なのだ。
カオ少将は机上の電話に視線を落とした。アリシアからは、捜査継続中という定期連絡しか来ていない。さすがの彼女も、今回の件では手こずっているようだ。なにか進展があれば、もっと確実で有効な手も打てるのだが……。
ロサンゼルス国際空港発台湾桃園国際空港着。チャイナ・エアラインのボーイング777‐300から降り立った老夫婦に、不審な点は微塵もなかった。
パスポートはアメリカ合衆国のもの。したがって、台湾にはビザなしで入国できる。大柄で、赤ら顔の夫と、上品な白髪頭の妻。ごく平凡な、ダニエル&カレン・ジョンソンという名前。毎日何千人と押し寄せるアメリカ人観光客の群れの中に、二人は完全に埋もれていた。
二人はタクシーで台北市内に向かうと、園山大飯店にチェックインした。翌日は、故宮博物館、龍山寺、忠烈祠などの定番の観光名所を巡る。
『事件』は翌日起こった。
ワン・ツウォは中華人民共和国国家安全部第四局に所属する情報員である。
国家安全部は、国務院直属の情報機関である。第四局は、台湾および香港、マカオに対する諜報活動を統括する部局だ。北京での大学生時代に国家安全部にスカウトされたワンは、台湾訛りをマスターし……同じ北京語でも、大陸で話されている『普通語』(プートンホァ)と、台湾で話されている『國語』(グオユイ)は細部が異なる……台北に送り込まれた。
まだまだ新米なので、任される仕事は簡単なものが多い。主な任務は、二次的な『ターゲット』に対する緩やかな定期監視である。それほど重要ではないが、動向を把握しておきたい人物……引退した主要な政治家、退役した将官、影響力のあるジャーナリストや著述家など……を、一日一回程度の頻度で簡単に監視し、その動向を探るのだ。在宅しているか否か。顕著な変化……たとえば、家族が増えた、使用人を雇った、自家用車を買い替えた……などを調べ、上司に報告するのだ。
ワンはいつものように、台北市内を徒歩で回り、各ターゲットの確認を行った。超高級マンションが立ち並ぶ大安区の仁愛路に来たところで、初老の白人男性が歩いているのを目にして、思わず足を止める。
……見たことある男だ。
ワンは必死に考えた。訓練の時に見せられた写真の一枚と、男の顔は完全に一致していた。だが、名前や肩書は思い出せない。……アメリカの軍人だったような気がするが……。
情報員らしく、ワンは男を詳細に観察した。連れはいない。服装は、アメリカ人観光客が好みそうなこざっぱりとしたものだ。小さな紙袋をひとつ下げているが、中身は判然としない。
……焦っているのか?
男の足取りは、なぜかおかしかった。年配のアメリカ人観光客ならば、普通は不遜と思えるほどに堂々たる歩み方をするものだ。
男はワンに気付くことなく、一軒のマンションの中へと足早に入っていった。ワンがぎくりとして、二十階建ての高級マンションを見上げた。……この八階に、ターゲットの一人が住んでいるのだ。
ワンは男のあとを追うようにマンションに入った。このような時のために持っている偽の名刺……証券会社外務員だ……を取り出しながら、男の様子を窺う。
男はあきらかにこのマンションの住人ではなかった。ロビー受付の者が、エレベーターのある処を指差して教えている。ワンは近付いてきた警備員に名刺を見せながら、男の動きを目線で追った。エレベーターの前に立った男は、どう見ても落ち着きがなかった。扉が開き、男が一人で乗り込んだ箱は上へと上がってゆく。階数表示は八階で止まった。……ターゲットが住む階だ。
そこでようやく、ワンは男の正体を思い出した。……ダニエル・ジョンソン退役海軍大将。元合衆国海軍作戦部長じゃないか!
悪い偶然というものは、なぜか重なりやすいものである。
ダニエル・ジョンソン元提督の友人である台湾人実業家の自宅が、中華民国国防部軍事情報局元局長である退役中将と同じマンションであり、しかも同じ八階にあったこと。
ジョンソン元提督の妻が朝食後に頭痛を訴え、仕方なくジョンソンが一人で友人を訪ねてきたこと。
その時ジョンソン元提督は尿意を催しており、一刻も早く友人宅に……より正確に言えば友人宅のトイレにたどり着こうとしていたので、挙動が不審に見えてしまったこと。
そして、一日一回のワンによる監視業務と、ジョンソン元提督の訪問が重なってしまったこと。
さらに、ワン・ツウォが上司に注目されようと、『ソン元中将とジョンソン元提督が密かに会った可能性は高い』と日次報告書に記載してしまったこと。
以上の偶然……最後は意図的ではあったが……が重なり、さらに意図的または意図せずに情報に尾鰭がついた結果、中華人民共和国国家安全部第四局長の処に報告が届いた時には、台北において元合衆国海軍作戦部長ジョンソン元提督と、中華民国国防部軍事情報局元局長ソン退役中将が密かに会ったことは確実とみられる、という評価がなされていた。
第四局長はこの報告を上司である国家安全部長に上げ、関係各機関にも一日一回の定期通達に記載して伝達した。その関係各機関には、当然人民解放軍総参謀部も含まれていた。
元合衆国海軍作戦部長と中華民国国防部軍事情報局元局長が密かに会談を持った。
この情報に接したカオ少将の脳に、文字通り電撃が走った。
……この作戦、米台共同作戦ではないのか?
だとすると……商船に乗り込んだ台湾人ではなく、合衆国海軍艦艇が『宝鶏』をインターセプトするのでは?
あり得ない話ではない。密かにアフリカに運び込まれた兵器は、キファリア経由で反米思想を持つ武装組織にも流れている。思惑が一致した米台が手を組んだ可能性は高い。
カオ少将は、すぐに第一部(作戦局)海軍局に電話を掛け、資料を請求した。部下の中で海事に詳しい中尉も呼び、秘書官には紙の海図……古いタイプなので、コンピューターのディスプレイはあまり好きではない……も準備させる。
海事に詳しい中尉が、インド洋とその周辺に展開中の合衆国海軍艦艇を、海軍局の資料に基づいて海図に記入してゆく。カオ少将は自ら定規とペンとディバイダ―を手にすると、『宝鶏』の予定針路を描き込んだ。
「こいつが怪しいです、閣下」
中尉が、ソマリア沖を指差した。
「イージス駆逐艦一隻と揚陸艦一隻。現在揚陸艦が機関不調で立ち往生していますが、三日後の朝には南下を開始する予定です。そうなると、四日後の昼間にキファリアの沖で『宝鶏』とすれ違います」
「うむ。確かに」
カオ少将は、自ら引いた線が中尉が指で引いたラインと交差するのを確認した。
「それだけではありません。アメリカ艦艇が、機関故障を起こさずに南下していた場合、『宝鶏』がミャンマーに寄らなかった場合の航路と近接交差します。つまり、アメリカ側は『宝鶏』の到着が遅延したために、機関故障をでっちあげて南下を遅らせたのではないでしょうか」
「おそらくそうだろうな。これは確実な証拠だ」
せわしなく『中華』を吹かしながら、カオはうなずいた。
カオ少将の推測は、総参謀長の認可を受けてから、人民解放海軍司令部に伝達された。
すぐに、対策が協議される。だが、打てる手は限られていた。
最も安全な手は、コンテナ船団を引き返させることである。だが、米台共同作戦が進められている、というのは推測に過ぎない。確証はないのだ。それに、コンテナ船を呼び戻せば無用の疑惑を生む。全世界に向けて、密輸を認めることにも繋がりかねない。
次善の策は、人民解放海軍艦艇による護衛を付けることであろう。公海における自国商船護衛は合法であるし、もし仮に合衆国海軍艦艇が現れても、人民解放海軍が居るのを見ればおとなしく引き下がるであろう。
だが残念なことに、今現在インド洋に人民解放軍艦艇は一隻もいなかった。一番近い位置にいるのはソマリア沖派遣艦隊だが、現在は商船護衛のためにジブチ沖を通過し、紅海に入ってしまっている。それでも今すぐ引き返させれば、経済速力でも三日以内には『宝鶏』の護衛が可能だ。
だが、本当に合衆国海軍が『宝鶏』の乗っ取りを企んでいるのであれば、ソマリア沖派遣艦隊がキファリア沖にたどり着くのは無理であろう。ソマリア沖には、多数の合衆国海軍艦艇と、その同盟国の海軍艦艇が存在する。それら艦艇が、必ず中国艦艇の妨害に出るはずだ。
代案は、すぐに見いだされた。相互防衛協定を結んでいるキファリア共和国海軍に、護衛を依頼するのだ。こちらの方が『宝鶏』に近い位置にいるから、出港から二日あれば護衛任務を開始できる。キファリア海軍の規模は小さいが、それでも東アフリカ最大の海軍である。正式に護衛として付いていれば、合衆国海軍といえども無茶はできないだろう。……たぶん。
かくして、中国共産党中央軍事委員会名で、キファリア共和国政府および国防省に対し、正式に『中国商船護衛』の依頼が発せられた。
第十話をお届けします。




