第七話
その女性の出現は、シオにとっても想定外の出来事であった。
全乗組員と保安要員に関するデータ……隠し撮りした顔のスチール写真も含めて……はROCHIから受け取ってあったので、その女性が『員数外』の人物であることは瞬時に判断できた。となれば、彼女がボルトシールを切断し、接着剤でくっつけた犯人……おそらくは、合衆国以外の国家が送り込んだ工作員であることは、シオでも予想が付いた。
問題は、どう接するかである。彼女の任務が、中国のアフリカ武器密輸に関する情報収集か、その阻止にあることはまず間違いない。敵の敵は味方、という理屈に従えば、彼女は味方であり、シオの任務の邪魔にはならないはずだ。正体身分を明かして、お互い不干渉を貫いたり、協力し合ったりすることは可能だろう。
しかし、工作員という者は実に疑い深く、そしてその正体を秘匿したがる人種である。こちらがCIAの依頼で動いていることをばらしても、それを素直に信じてくれるとは限らないし、自分の任務内容を教えてくれる可能性は低い。
シオは迷った。女性は、手を背中の方に回している。これは、携帯している武器を取り出すための予備動作だろう。
撃たれる前に右腕のエレクトロショック・ウェポンで女性を昏倒させるべきだろうか? あるいは、最大電圧で殺害して、さっさとインド洋に放り込んでしまうべきだろうか?
シオはとりあえず右腕を突き出した。死なない程度の電圧に調整し、女性が拳銃などの剣呑な武器……小さなナイフや特殊警棒程度なら、シオにとってはまったく脅威とならない……を抜いた場合に備える。
しかし、女性は武器を抜かなかった。相変わらず右手を背中に回したままだが、緊張がありありとうかがえる表情で、挨拶してくる。
シオは素早く計算した。どうやら、女性は『様子見』を選択したようだ。となれば、こちらも『様子見』すればいい。
日本では一般的ではないが、所定の手続きさえ踏めば、貨物船でも船客として一般人が乗り込むことはできる。だが、深夜にデッキをうろちょろしている船客などあり得ないだろう。乗組員も、同様である。となると、員数外の乗船者、つまり密航者という判断になる。……間抜けなロボットなら、きっとそのように考えるだろう。
「判ったのです! お姉さんは、密航者さんなのですね!」
シオはそう告げた。
言われた女性が、一瞬驚きの表情を浮かべる。だが、すぐに笑顔を見せた。
「そうよ。あなたはこの船のロボット?」
「違うのです! あたいも密航者……密航ロボットなのです!」
シオはそう答えた。船のロボット……つまり、中国のロボットだと主張すれば、いきなり撃たれかねないとの判断である。
「密航ロボット?」
女性が、怪訝そうな表情となる。
「そうなのです! マスターのセクハラがひどかったので、家出してきたのです! 新天地を求めて、この船に乗り込んだのです!」
シオは嘘八百を並べ立てた。
……軍用ロボットなの?
シャオミンは、寸足らずのロボットを注視した。
こんなロボット……一応女性型だが……を性の対象にするなど、よほどの変態しかいないだろう。それに、普通の家事ロボットや愛玩ロボットが、あの厳重な上海のコンテナ埠頭の警備網を潜り抜けて、コンテナ船に潜り込むのもまず不可能だ。シャオミンの属する組織でさえ、下準備まで含めれば半年以上の時間を掛けて、やっと一人だけ工作員を送り込むことができたくらいなのだから。
つまり、このロボットは意図的に正体を偽っているのだ。
そこでやっと、シャオミンはロボットがボルトカッターを携帯していることに気付いた。
となると、正解はひとつしかない。どこかの組織……十中八九アメリカ合衆国……が何らかの方法で送り込んできた、軍用偵察ロボットだ。その任務は、おそらくシャオミンと同じ。
敵対するのは避けるべきだ、とシャオミンは判断した。譲歩して、お互いの任務に干渉しない約束を取り付ける。あるいは、もう一歩踏み込んで情報の共有を行い、限定的ではあるが協力体制を取る。
「ここはお互い正直にいきましょう。あなたの任務は、あたしと同じく、このコンテナ船に関する工作活動でしょう。足の引っ張り合いは、したくないわ」
「正直なのはいいことなのです! では、お姉さんはどこかの組織の工作員なのですね?」
あっさりと密航者でないことを認めたロボットが訊く。シャオミンはうなずいた。
「あたいはシオなのです! 所属する組織は明かせませんが、このコンテナ船が武器密輸を行っていることを確かめるために送り込まれたのです!」
ロボットが、己の任務を明かす。
こちらよりも情報を掴んでいないのか……。
シャオミンは素早く頭を働かせた。彼女が『宝鶏』に送り込まれたのは、この船が囮ではない……つまり五隻のうち唯一密輸兵器が積み込まれた船である、という確実な情報を第二処が掴んだからだ。
となると、協力体制を取ってもこちらが得るものは少ないはずだ。合衆国……たぶん……が送り込んできたロボットなのだから、彼女は見た目の印象よりも高性能だろう。だが、工作員としての総合的な能力はシャオミンよりは下に違いない。保安要員に見つかる可能性は、おそらくロボットの方が高い。そして、このロボットが見つかれば、船内の徹底捜索が行われて、シャオミンが発見される危険性も高まる。
……足を引っ張られないためには、手を貸してやるしかないか。
シャオミンは覚悟を決めた。
「あたしはシャオミン。同じく所属は明かせないけど、目的は同じようね。あなたに協力するわ」
シャオミンは背中に回していた手を前に出し、ロボットに向けて差し出した。
「喜んで協力させてもらうのです!」
ロボット……シオが、差し出された手を握った。
シャオミンは、シオを隠れ場所である偽装コンテナに案内した。下手にうろちょろされるより、ここに連れ込んでしまった方が安心できる。
「すごい装備なのです! 『ミッション・インポッシブル』の世界なのです!」
偽装コンテナ内の薄暗く狭い空間を見渡しながら、シオが感嘆する。
「まあ落ち着きなさい」
シャオミンはシオを座らせた。とりあえずの譲歩として、コンパクトデジカメを取り出して、今までに調べたコンテナ内で撮影した中国製兵器のスチールを見せる。返礼に、シオが自分の調べたコンテナのことを話した。
「じゃあ、あなたはもう自分の任務を果たしたのね」
その通り、という返答を期待して、シャオミンは尋ねた。
「まだなのです! もっとコンテナを暴いて、調べたいのです! 今夜も調べるために出かけてきたところで、お姉さんに出会ってしまったのです!」
勢い込んで、シオが言う。
シャオミンは内心でため息をついた。任務が終わっているのであれば、説得してこのコンテナの中に閉じ込めておけたのだが。
「いいわ。一緒に調査しましょう」
シャオミンは諦めてそう持ち掛けた。
「喜んでご一緒するのです!」
シオが、感激の面持ちで言う。
とりあえずお姉さん……シャオミンと協力体制に持ち込めたことに、シオは満足した。
自分用のボルトカッターを手にしたシャオミンが、足音を忍ばせて進む。シオはそのあとをついて行った。しばらく歩んだところで、シャオミンが足を止める。
意図的に感度をアップさせてあるシオの収音マイクに、ROCHIがかさこそと動き回る音が届いた。シャオミンもこの音を聞きつけて、足を止めたに違いない。
シャオミンが振り向き、手ぶりで後退すると告げる。シオは首を振った。
「これはROCHI殿です。あたいの仲間なのです」
「仲間?」
シャオミンが、怪訝な顔をする。
「ROCHI殿、こっちです」
シオはそっと呼びかけた。がさごそと音がして、ROCHIが近寄ってくる。
「こちらはシャオミンさんなのです。あたいに協力してくれることになった味方なのです」
シオはそうROCHIに説明した。ROCHIが、了解の印に前腕を高く上げて振る。
「あなたの仲間だったのね。てっきり、保安用のロボットだと思ってたわ」
シャオミンが、安堵したように言う。
「ROCHI殿、見張りは頼みましたぞ」
シオはそう依頼した。
「ここにしましょうか。あたしもあなたも、まだこの辺りは調べていないはずだし」
シャオミンが言って、ラッシングバーに手を掛けた。軽快な動きで、コンテナの山を登り始める。シオは後に続いたが、その登るスピードはシャオミンよりもはるかに遅かった。……手足の長さが違い過ぎるので、仕方のないところである。
シオが一番上のコンテナにたどり着いたころには、すでにシャオミンはシールボルトを切断し終えていた。ロックを外し、中を覗き込む。かちりとかすかな音がして、扉のあいだから明りが漏れた。シャオミンが、コンテナの中に突っ込んだ手の中のLEDライトを点灯したのだ。
シオはシャオミンの身体の下に潜り込むと、コンテナの中を覗いた。
「……パンダさん、ですか?」
コンテナの中は、ジャイアントパンダでいっぱいだった。半透明のビニールに包まれ、木枠の中に鎮座している。大きさは、ほぼ等身大のようだ。
「鶴一電子のパンダロボットね。こんなものまで、アフリカに輸出するとは」
呆れたように言ったシャオミンが、LEDライトを消した。
次に調べたコンテナは、当たりであった。いかにも中国製の兵器が収まっていそうな、深緑色に塗られた細長い金属ケースが詰まっている。
シャオミンが、一番上に乗っていたひとつを引っ張り出そうと試みたが、重すぎて無理だった。シオが手を貸し、ようやく引きずり出す。重さは、五十キログラム以上はあるだろうか。
金属箱は、上蓋が開くようになっていた。シオに箱を支えてもらいながら、シャオミンがロックを外して上蓋を開ける。
「これは、ヴァンガードね」
シャオミンが言った。中国製携帯式地対空ミサイルの『前衛』シリーズの輸出名称だ。
シオもない首を伸ばして中を覗き込んだ。灰色のラバーフォームの中に、ミサイル入りランチャーが二本、照準器や発射システム一基、それに赤外線シーカー冷却用のボトルが四本入っている。ボトル形状が円筒ではなく球形なので、これはQW‐2……ヴァンガード2だろう。
「予想していたよりもお高そうな兵器があったのであります!」
シオは正直にそうもらした。ヴァンガード・シリーズは中国航天科技集団公司……チャイナ・エアロスペース・サイエンス&インダストリーが開発した兵器である。もちろん、突撃銃などよりはるかに値が張る兵器だ。
それから外れを二本引いた二人だったが……ちなみにコンテナの中身は合成皮革の紳士靴と、紐で縛られた白いポリエステル繊維の梱だった……三本目はまたもや当たりだった。木枠に覆われた禍々しい兵器が、コンテナの中にでんと置かれている。
二つの大きなゴムタイヤと三つの簡易な座席。簡便な光学照準器と、二本の太い砲身。……対空機関砲だ。
「これは87式連装機関砲ですね!」
シオはそう識別した。有名なZSU‐23を参考に、口径25ミリにスケールアップした対空機関砲である。奥の方に、さらに二門が収まっているのが確認できる。
次に調べたコンテナも、どう見ても当たりであった。怪しげな灰色に塗られた、細長い木箱がいくつも入っている。長さは、三メートル以上はあろうか。
シオとシャオミンは、一番上に乗っていたひとつを引っ張り出そうと試みたが、重すぎて無理だった。仕方なく、コンテナ天井との間にあった詰め物を退かしてから、箱の天板をこじ開ける。
「歯車のようなものが見えるのです! これはローレロンなのです!」
ローレロンとは、主に空対空ミサイルの尾翼部分に取り付けられる、歯車状の姿勢制御装置である。AIM‐9空対空ミサイルのそれが有名だが、ロシア製のR‐60や、イスラエルのシャフリル・シリーズなどでも使われている。
「ローレロン? じゃあ、PL‐8かしら」
シャオミンが、顔をしかめつつ言う。
「いいえ! 尾翼形状がサイドワインダーに似ているのであります! あたいの持っているデータによれば、これはPL‐9なのです!」
シオは断言した。イスラエルのパイソン3空対空ミサイルをライセンス生産したPL‐8は、尾翼が尾部よりもかなり前についている。しかし、この木箱の中にあるミサイルの尾翼は、後縁が尾部に接している。
「輸出専用の短射程空対空ミサイルね。なら、辻褄は合うわね」
シャオミンが、納得した。
「予想外なのです!」
シオは納得しなかった。CIAの予測では、密輸兵器は歩兵用小火器が中心で、あとは多少の対戦車火器と迫撃砲程度の火器、爆薬、それに無線機のたぐいほどしか積んでいないはずだったが、携SAMに対空機関砲、その上空対空ミサイルまで見つけてしまった。……この情報を伝えれば、今後の作戦方針が変わるかもしれない。
「今日はこんなところにしておきましょう」
シャオミンが、コンテナの扉を閉めた。シオは、ロックボルトを接着剤で元通りに直すシャオミンを手伝った。
まだ夜明けには早いが、空は漆黒の闇を脱しようとしていた。右舷方向が、わずかに灰色に見え始めている。もう少しで、美しい熱帯の夜明けが始まることだろう。
「はっと!」
シオはいきなり気付いた。船は、インド洋を西に向かって航行しているはずだ。つまり、太陽は船尾方向から登らねばおかしい。
急いでGPS電波を受信する。……現在位置は、予想していた位置よりも六百五十キロメートルほど北東にずれていた。アンダマン海の中、小アンダマン島の東百八十キロほどの地点だ。
シオは急いで状況をシャオミンに説明した。シャオミンが慌てて偽装コンテナまで戻り、外にポータブルのGPS受信機と小型のコンパスを持ち出して、位置と方位を確認する。
「本当だ。これは……ミャンマーに寄港するのかしら」
「キファリアまでノンストップだと聞いていたのです!」
シオはそう主張した。このままでは、作戦計画に大きな狂いが生じてしまう。
「こっちも、事前の情報ではそう聞いていたわ。……なんだか嫌な予感がするわね。とりあえず、隠れましょう。あなた、充電するなら、今のうちにしておきなさいな。わたしも、食事にするわ」
シャオミンがそう言って、コンテナに引っ込んだ。
第七話をお届けします。




