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突撃!! AHOの子ロボ分隊!  作者: 高階 桂
Mission 08 インド洋武器密輸船捕捉せよ!
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第一話


    中華人民共和国 上海市 崇明区


 崇明島は、中華人民共和国で二番目に大きな島である。ちなみに、一番大きな島は中国南部に浮かぶ海南島だ。もっとも、北京の主張によれば、中国最大の島は海南島ではなく、台湾島だそうだが。

 崇明島の面積は千二百平方キロメートルを超える。長さ約八十キロメートル、幅は約十五キロメートルという細長い島だ。これは、沖縄本島よりも若干大きいサイズである。

 この島が横たわっているのは、長江の河口付近……河口の外側ではなく内部……であり、その周囲を取り巻いている水は当然海水ではなく河川水である。これほど巨大な島が、中洲状態で河口部に存在するのが、長江という川なのだ。さすが、アジア最大を誇るだけのことはある。

 大部分が上海直轄市に属する崇明島は、2009年に開通した長大な橋梁と海底トンネルで上海市街地と繋がっている。リー・チン海軍中尉は、その崇明島側入り口にほど近い陳家村のメインストリートに、咥え煙草で突っ立っていた。腕時計に目をやって、時刻を確認する。……約束の時間まで、あと一分。

 チン中尉は、こっそりと周囲を窺った。歩道を歩む人は、誰一人としてチン中尉に注意を払っていないようだ。安物の地味なポロシャツ姿で、煙草をくゆらせている冴えない中年男。上海なら、百万人くらい居てもおかしくない風体だ。チン中尉の姿は、完全に街の風景に溶け込んでいた。

 吸っていた『紅双喜』……地元の人気煙草である……をちょうど吸い終わったところで、青いフォード・フォーカスがチン中尉の前に停まった。運転席を覗き込むと、リャンの姿が見えた。チン中尉は、煙草を足元に投げ捨てると、助手席のドアを開けて乗り込んだ。わざわざ、吸殻を足で踏みつけて消したりはしない。中国人にとって、地面や床に『落ちた』ゴミは、その時点で自分とは無関係な物体に成り下がるのだ。ヒマワリの種の滓で床が汚れようと、吐いた痰を誰かが踏みつけて不快な思いをしようと、煙草の火の不始末で火事になろうと、気にすることはない。……一見『未開』に思えるが、これが中国流の合理主義なのである。……日本人には、理解し難いことではあるが。

リャンが、すぐにフォーカスを発進させる。

「ひとつ、頼まれてください。なに、大したことじゃありませんよ」

 リャンが気さくな口調で切り出した。

「今現在、人民解放海軍上海基地に近いコンテナターミナルの一部が、海軍によって封鎖されているでしょう。そこに、うちのカメラマンを一人、こっそりと入れてほしいんですよ」

 チン中尉は唸った。

 人民解放軍上海基地は、宝山区の呉淞口にある。そこから黄浦江をわずかに遡った位置にあるコンテナターミナルが海軍により封鎖されたのは、昨日のこと。チン中尉が勤務する上海基地からも多数が動員され、その封鎖に参加している。

「こちらが掴んだ噂じゃ、海南の基地に新兵器を運ぶそうです。それを、撮りたいんですよ」

 リャンが笑顔で言う。

 ……こいつ、やっぱり外国のスパイなんじゃないか?

 チン中尉は、軽快なハンドルさばきで運転を続けるリャンを横目で窺った。年のころは三十代の初め。ワイシャツに赤いネクタイという姿は、どこにでもいそうな若い中国人ビジネスマンにしか見えない。

「で、いくら出す?」

 諦めのため息をひとつ吐いてから、チン中尉はそう尋ねた。

「五千元でいかがですか?」

「安いな」

「封鎖区域に入れてもらうだけでいいですから。出るのは、簡単でしょ?」

 リャンが媚びたような笑顔を作って、チン中尉をちらりと見る。

「俺の権限じゃ、入れるのは難しい。少し金をばら撒かなきゃならん。五千元じゃ、俺の取り分が無くなっちまうよ」

 チン中尉はそう主張した。

「よろしい。では、一万元出しましょう」

 リャンが即座に値を上げた。

「いいだろう」

「支払いは、いつもと同じでよろしいですね?」

「ああ」



 あの試合でマンチェスター・ユナイテッドが負けなければ、こんなことにはならなかったのに……。

 チン中尉は、何百回目かになる愚痴を口中でそっと呟いた。

「なにかおっしゃりましたか?」

 シャオミンと名乗った女が、訊いた。

「何でもない。気にするな」

 チン中尉は、素っ気なく応じた。

 中国人の賭博好きは有名である。まだ世界の諸民族が顔に入れ墨をしたり、粗雑な槍を振り回して野豚を追いかけていたころから、中国の庶民は……いや、富者や貴族も……様々な賭け事に興じ、金銭や物品をサイコロや牌や動物や昆虫に託し、一喜一憂してきたのである。現在の中華人民共和国においては、営利目的で開帳することは重罪だが、それ以外の個人レベルでの賭け事は罪に問われることはない。日本においては警察に摘発されるほどの金額が動いても、犯罪にはならないのである。

 チン中尉が手を出したネットを利用したサッカー賭博は、もちろん違法であった。『微信』のチャットを介して賭け、アリババのアリペイ(オンライン決済サービス)を通じて金銭のやり取りを行うのだ。チン中尉はこれに嵌まり、十万元を超える借金をこしらえてしまったのだ。

 中国の都市部労働者の賃金は、毎年呆れるほどのテンポで伸びを見せている。それに引き換え、軍人を含む公務員の給与の伸びは鈍い。一介の水兵から叩き上げで中尉となったチンが、これ以上出世するのはまず不可能だ。彼が、まともな手段でこの借金を返すのは無理な相談だった。膨れ上がった借金を返すために、さらに高いレートのサッカー賭博に手を出し、さらに借金を増やしてしまうという負のスパイラルに落ち込んでいたところに現れたのが、リャンであった。香港の雑誌に載せるために、人民解放海軍に関するスクープ記事を書く手伝いをしてもらえないか、と持ち掛けられたのだ。薄茶色の二十元札の札束をポケットに押し込まれたのでは、チン中尉に抗うすべはなかった。

 こうして、チン中尉の『副業』は始まった。幸い、リャンは軍事機密を盗み出せ、などと言い出すことはなく、いかにも雑誌記事になりそうなネタや目新しい写真に気前よく金を払ってくれた。おかげで、借金額はすでに半分程度にまで減っている。

 チン中尉は、傍らにしゃがんでいる女を見やった。身長は百五十センチくらいしかなく小柄だが、華奢な感じではない。田舎育ちらしく色黒で、あか抜けない感じだがなかなか可愛らしい顔立ちだ。年齢は二十代半ばだと聞かされているが、小柄なせいかもっと幼く見える。カメラマンというより、この上海には掃いて捨てるほどいる、地方の農村出身の工場労働者のようだ。

 すでに日はとっぷりと暮れていた。付近を走る高速道路から、絶え間なく騒音が聞こえてくる。コンテナヤードは今日の業務を終え、しんと静まり返っていた。衝突防止灯を光らせた巨大な赤いガントリークレーンが、攻撃命令を待っている古代の攻城兵器のように、沈黙を纏って一列に並んでいる。

 と、フェンス際で小さなライトが点滅した。チン中尉は、時刻を確かめた。……間違いない、合図だ。

「行くぞ」

 チン中尉は立ち上がると、身を隠していた植え込みから人気のない道路に踏み出した。シャオミンが、無言のまま続く。

 フェンスの内側には、スン二級軍士長が立っていた。足早に近付く二人を認め、フェンス越しに手招きする。

「ほう、可愛いじゃないですか」

 スンが、シャオミンを見て相好を崩した。スンには、上官のお楽しみのために女を『買ってきた』と偽っているので、シャオミンのことを街娼だと思っているのだ。

「早くしてくれ」

 チンはぶっきらぼうに言った。

「はいはい」

 スン二級軍士長が、フェンスの扉に掛けられている南京錠を外す。チンは急いで中に入った。シャオミンが、続く。

「それは?」

 スンが、チンが肩から下げているニコンのカメラに気付いた。

「チョ少校への手土産だ」

 チンは素っ気なく応じた。

 チンとシャオミンは、そのままコンテナヤードを進んで、二段に重ねられている四十フィートコンテナの迷路の中に分け入り、オレンジ色のナトリウムランプが作る影の中に入った。チンはニコンのカメラをシャオミンに渡した。

「これで今回の依頼はすべて果たしたな?」

 念のため、シャオミンに確かめる。

「はい。ありがとうございました」

 シャオミンが、薄く笑みを見せてわずかに頭を下げた。

 ……可愛いんだが、なんだか薄気味の悪い女だな。

 チン中尉はそんなことを思いつつその場を足早に離れた。




 コンテナ船の登場が、海上物流において革命的な出来事であったことは、一般にはあまり知られていない。

 古い映画などで、港湾における貨物の積み下ろしの様子をご覧になった方は多いだろう。クレーンが貨物ではち切れんばかりの大きな網を船倉から吊り上げて、岸壁にそろそろと降ろしてゆく。網の中には、木箱、樽、網袋、布袋、木枠で保護された機械類、ドラム缶などなど。網が外されると、大勢の男たちが群がり、それら貨物をトラックの荷台に分類しつつ積み込んでゆく。……おそろしく人手と時間の掛かるやり方である。

 平パレット……これは現在でも陸上物流で広く使われている優れものだが……の採用で、この状況は劇的に改善された。木製(現在はプラスチック製が増えてきたが)の正方形ないしそれに近い形状の荷役台に貨物を積み上げ、固定する。

 このパレットシステムの登場により、港湾における貨物の扱いは格段に効率がアップした。トラックからフォークリフトを使いパレットごと荷を降ろし、そのまま貨物船の船倉に運ぶか、ローラーコンベアーなどを使って運び入れる。荷下ろしは、もちろんこの逆のプロセスによって、パレットのままトラックに乗せ換える。

 理想的ともいえるパレット方式だったが、欠点はいくつかあった。そのひとつが、パレットの積み重ねに関するものである。強度のない貨物の場合はもちろん積み重ね不可だし、上面が水平かつ平らでない場合も積み重ねができない。充分に強度がある場合でも、高く積み重ねれば船体の動揺で荷崩れを起こすおそれがある。そのようなわけで、パレット輸送の場合、大きな船倉を持つ船が、最大積載量をはるかに下回る量の貨物しか積み込むことができないのが、普通であった。

 規格化された金属コンテナの登場で、このパレットの欠点は一気に払拭される。堅牢なコンテナ……ほとんどがスチール製である……は、何段にも積み重ねることが容易なのだ。これにより、コンテナ専用船はその船倉内のみならず、甲板上にも色とりどりのコンテナをぎっしりと積み上げたおなじみの姿で航行することが出来るようになった。荷役作業も、大型の専用クレーンを使用することにより、パレットを上回る効率化が図れる。また、コンテナに収納することで風雨などの気象や塩害から荷物を保護できるという点、さらに盗難も防げるという点も、大きな利点として挙げられるだろう。

 コンテナ自体のアイデアは、実は蒸気機関車が先進国で普及した頃から存在した。貨車からそのまま船や艀、馬車などに積み替えられる大型の木箱は便利であったが、機械力の不十分な当時では箱は小さくせざるを得ず、また鉄道会社がそれぞれ独自規格のコンテナを採用したことにより互換性を欠いたため、物流における役割は限定的なものに留まった。その後、国家単位での鉄道コンテナの規格統一が行われ、二十世紀前半には主要国おいて統一規格による鉄道コンテナ輸送が広く普及する。ちなみに、日本で本格的鉄道コンテナ輸送が始まったのは遅く、1956年になってようやく試験輸送が開始された。この時採用されたコンテナのサイズは全長十一フィートのタイプであり、今現在よく見かける十二フィートタイプよりも若干小さめとなっている。

 現在海上輸送で国際規格として主に使われているコンテナは、全長四十フィートタイプと二十フィートタイプ、それに新しく登場した四十五フィートタイプの三種類である。このうち最も普及しているのが四十フィートコンテナで、シャオミンの周囲を取り囲んでいるコンテナも、大部分がこれであった。

 シャオミンは……実はこれは偽名だが……頭の中の地図を参照し、現在位置を特定した。おびただしい数……数百に達するこのコンテナの中から、お目当ての物を探し出すには、記憶してある地図に頼るしかない。

 探すこと十五分。ようやく、シャオミンはコンテナを見つけ出した。あたりに人気がないことを再確認してから、ポケットに手を突っ込んで小さなリモコン装置……見た目は、ありふれたガスライターの形状をしており、実際に火を点けることもできる……を取り出した。コンテナの側面中央部に先端を向けて、隠しスイッチを押す。

 一見したところ、変化は何も起きなかった。だが、シャオミンは自信ありげな表情でコンテナ側面の下部に手のひらを当てて、ぐっと押した。まるで魔法のように、コンテナ側面の一部……一辺が一メートルくらいの正方形が内側に引っ込む。シャオミンは上体をコンテナに突き入れるようにして、その正方形を押し続けた。身体全体をコンテナの中に入れ、身体を起こすと、今度はその正方形を逆方向へと押しやる。コンテナ内部は真っ暗だったが、練習用のコンテナで何度も繰り返した手順なので、何も見えていなくても戸惑うことはなかった。

 かちり、と音がして、秘密の出入り口が閉まった。小さな緑色のLEDランプが点灯し、電子ロックが正常に作動したことを告げる。極めて精妙に作られた出入り口なので、正しい手順で閉められた場合、外部からその存在を察知されることはまずあり得ない。

 シャオミンは手探りで照明のスイッチを入れた。小さなLEDランプが点灯し、内部をぼんやりとした明りで照らし出す。

 狭い空間だった。床面は二メートル×三メートルほど。高さは、二メートル二十センチくらい。六面には分厚く防音材兼保温材が張られていた。通気確保用の隠しスリットもあるが、いまのところそれは閉じられている。

 壁面には、ネットを使って固定された物資の数々……半分以上は飲料水……が段ボール箱に入った状態で納められていた。シャオミンは、カメラをネットの内側に入れて固定すると、LEDランプを消して楽な姿勢を取った。まだまだ先は長いのだ。体力は温存しなければならない。

 空気は、わずかに甘い匂いを含んでいた。コンテナの残余の部分には、浙江省産の蜂蜜の瓶がぎっしりと詰められているのだ。

 ……匂い、か。

 シャオミンは苦笑した。この『匂い』というもののせいで、わざわざこのような厄介な潜入方法を取らざるを得なかったのだ。というのも、人民解放海軍は極めて用心深く、コンテナヤードにコンテナを入れる前に、すべての封印をいったん解いて中を軍用犬によって検めさせる、という手順を踏んでいたからである。

 いかに工夫しようとも、コンテナの内部に人間が潜んでいれば犬は反応する。密閉されたスーツを着用して、酸素ボンベで呼吸し、吐いた息も回収するのなら犬の鼻をごまかせるだろうが、長期間それで過ごすのは不可能に近い。密閉した区画を設けても、同じことだ。使用された換気口があれば、犬が気付く。

 とにもかくにも、最初の関門は突破した。あとは、情報通りにこのコンテナが『本命』の船に積み込まれることを願うだけだった。


 第一話をお届けします。

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