第二十六話
「よし、許可が出た。わたしたちも奴らを追うわよ」
短い通話を終え、スマホをポケットに押し込んだメガンが、エレベーターに向かって走り出した。
「追うって、ヘリでもチャーターするんか?」
並んで走りながら、雛菊が訊く。
「海兵隊に、空港にいるMV‐22Bを貸してくれるように頼んだの。〈ボノム・リシャール〉から呼び寄せていたんじゃ、時間が掛かるから。あれなら、ヘリコプターよりもはるかに速いわ」
エレベーターの箱に乗り込みながら、メガンが説明する。
「行ってもいいけど役に立つかな?」
亞唯が、疑義を呈した。
「連中が降伏しなかった場合、撃墜する事態になるかもしれない。その際に、海上で救助できる航空機がいないとまずいわ。ドミンゴとコリンを生きたまま捕えなきゃならないのよ。今回の陰謀、絶対に裏があるはずよ。それを、暴かないと」
「なるほど! それならばあたいたちでもお役に立てそうなのです!」
活躍できそうだと知ったシオは単純に喜んだ。
グラウンドレベルまで降りた一同……コンスタンサもちゃっかりと付いてきている……は、警備の警察官に先導されて軍用区画まで走った。すでに無線で連絡が行っていたのだろう、MV‐22Bはプロップローターを回しながら待機していた。大きく手を振っているフライトエンジニアの指示に従い、一同は後部ランプから機内に乗り込んだ。
「なんだい、これは」
ジョーが、機内に大量に積み込まれている段ボール箱を見て訝し気な表情になる。
「手土産だよ。今日は小学校を五か所回る予定だったんだ」
奥へ入るように手で促しつつ、フライトエンジニアが答えた。
「缶入りの炭酸飲料ですねぇ~」
ラベルを見て、ベルが言う。日本でも人気がある、アメリカを象徴する赤い色がトレードマークの炭酸飲料だ。二十オンス缶(日本の三百五十ミリリットル缶とほぼ同じ)が二十四本収まった段ボール箱が、全部で六十箱くらいはあるだろうか。
「邪魔だな。放り出しちまえ」
亞唯が、箱に手を掛ける。
「大した重さじゃないわ。時間が惜しい。機長、すぐに離陸してちょうだい」
メガンが、コックピットに声を掛けた。応諾の声が聞こえ、エンジン音が高まる。
シオは段ボール箱に背を預けるようにして座った。後部ランプを閉めながら、MV‐22Bが離陸する。
高度を上げたMV‐22Bは、進路を西北西に取った。離陸して間もなく、その上空をAV8BハリアーⅡのペアが追い抜いて行った。オスプレイが早いと言っても、それは回転翼機としては驚異的な速さというだけであり、その巡航速度はハリアーの半分程度に過ぎない。
しばらくは、単調な飛行が続いた。二十分ほど経ったところで、先行したAV8Bから、目標らしき飛行物体をレーダーで捉えたとの報告が入る。
じりじりとした時間が過ぎる。待つこと十分、ついにAV8Bのペアが目標を目視した。フィリピンの領空まで、あと百十キロメートルほどの地点だ。
「機種は206L。……どうやら聞き分けが悪いようね。威嚇射撃を試みるようよ」
副操縦士から予備のヘッドセットを借りたメガンが、通信の状況をAI‐10たちに実況してくれる。
しばらくして、メガンがほっとした表情でヘッドセットを外した。
「ヘリのパイロットが降伏したわ。AV8Bが、このままミンダナオ島のマティ空港までエスコートします。そこで、フィリピン国家警察が捕まえるわ」
「大丈夫かいな」
雛菊が、心配そうに言う。……フィリピンの警察の腐敗具合は、有名である。
「フィリピン国家警察とCIAはたびたび協力しているから、大丈夫よ」
メガンが安心させるように言った。
「とりあえずこれで一件落着ですわね。このままフィリピンへ向かいますの?」
スカディが、訊いた。
「いえ。あとはフィリピン国家警察とマニラ支局に任せましょう。あなた方をフィリピンへ連れて行ったら、色々と厄介なことになりそうだし」
メガンが言って、機長にメイアルーアへと引き返すように指示を出す。
「しかし速いな。まだ一時間も飛んでいないのに、もうメイアルーアから四百キロメートル近く離れてるんだから」
窓外の海を見下ろしながら、亞唯が言う。
「多少お高くても、欲しがる軍隊が多いのもうなずけますね」
コンスタンサが、言った。
「通信が入っています」
メイアルーア本島に向け二十分ほど飛行を続けたところで、副操縦士がメガンにヘッドセットを差し出した。頭に被って通話を始めたメガンの表情が、驚きの色を浮かべる。
「どうしたんだい?」
ジョーが、訊いた。
「マニラ支局経由で、マティ空港の状況報告よ。着陸させた206Lには、パイロットの他に一名しか乗っていなかった。ジュリーオ・テンダ。PLDMのスタッフだと名乗っているわ。外見的特徴はドミンゴ・ソウタンあるいはコリン・スーと一致せず。本人の話では、コリン・スーに電話で命じられて、あらかじめ確保してあったヘリを飛行させたそうよ。ただし、電話があったのが十二時過ぎ。十四時に離陸するように指示があった、とのこと」
「囮ですわね」
スカディが、即断する。
「悪党二人はどこに行ったのでありますか?」
シオは首を傾げた。
「まだメイアルーアで隠れているのではないでしょうかぁ~」
ベルが、そう推測する。
「もうひとつ情報があるの。NRO(国家偵察局)のリアルタイム衛星画像分析が終わったわ。メイアルーア本島の西方海上を、推定三十ノットの高速で西に向かう小型船が見つかったわ。現在の推定位置は、インドネシア領のカラケロン島の東、約六十キロメートルあたり。速度からして、漁船ではあり得ないわ」
「それにドミンゴ・ソウタンとコリン・スーが乗っているのでしょうか?」
コンスタンサが、訊いた。
「可能性は高いわね」
メガンが、言う。
「なぜカラケロン島なのでしょうかぁ~。インドネシア領に逃げるのであれば、モロタイ島の方が近いはずですがぁ~」
ベルが首を捻る。
「合理的な説明としては、カラケロン島に確実な脱出手段がある、というものでしょうね。船を使ったのは、こちらの裏をかこうとしたのでしょう」
「すぐハリアーに来てもらうのです!」
シオはそう主張した。
「残念だけど、ハリアーは間に合わないわ。マティ空港のペアは燃料補給をしないと飛んでこれないし、〈ボノム・リシャール〉の位置は遠すぎる。彼らが到着る頃には、小型艇はインドネシア領海に入っているわ」
メガンが、首を振る。
「では、みすみす逃がしてしまうのですか?」
コンスタンサが、悲し気な表情で訊く。メガンが、微笑んだ。
「いえ、方法はあるわ。この機の現在位置は、小型船の推定位置の北東約百十キロメートルの位置なの。巡航速度で飛んでも、三十分で追いつけるわ。領海侵入前に、阻止してやりましょう!」
失敗した。
三十ノットの高速で海原を突っ走る50フィートクラスのモーターヨットのキャビンに座り込んで、コリン・スーはくよくよと考えていた。
構想に二年。そして、実に十年という長い時間を費やした作戦が、無残にも失敗に終わったのだ。
ネーヴェ島が突如独立宣言を行ったあたりで、失敗の予感はあった。だからこそ、いつでもメイアルーアを脱出することが出来るように準備万端整えていたのだ。マラミス大佐から大統領官邸爆破のテロ情報を貰い、アントニオ・ワルアを犠牲にして一挙にメイアルーア政界の大掃除を行うプランを急遽立てて実行したが、これもなぜか失敗に終わった。大統領府内の情報源から、ワルアが警察局に逮捕されたとの連絡を受けて、ドミンゴ・ソウタンを連れて慌ててサン・ジュアン港に駆けつけて出港し、携帯電話で囮の手配をしたのが五時間半ほど前のこと。
以来、コリンは座り込んでくよくよと反省を続けていた。一方ドミンゴの方は、船内で見つけたビンタン・ビールを飲み続けている。
この虚しさを酒で紛らわせることができたら、どんなにいいことか……。
コリンはテーブルに緑色の瓶を乱立させ続けているドミンゴを羨ましそうに見やった。人生の中でこれほど、酒の飲めない体質であることを恨めしく思ったことはない。
「ミスター・スー」
古びたM16突撃銃を肩にしたスハルヤディが、キャビンに入ってきた。コリンが、荒事に備えて雇ってあった『傭兵』たちのリーダーである。元々は海賊で、インドネシア人だがなぜかコリンに対しては英語で話しかけてくる痩せた男だ。
「なにかね、ミスター・スハルヤディ?」
むっつりと、コリンは応じた。
「あと三十分ほどで、カラケロン島に到着します」
「ありがとう、ミスター・スハルヤディ」
「ミスター・スー。向こうに着いたら、俺たちはどうなるんですか?」
スハルヤディが、訊いてくる。
「話はついている。全員、漁船に乗り換えてスラウェシ島行きだ。向こうに着いたら、千ドルずつボーナスを出そう。君は二千ドルだ」
嘘だった。カラケロン島の海賊くずれの男とは、金さえ払えば漁船でこっそりと逃がしてくれるように契約を交わしてはいるが、その際の人数は三人が限度だと言われている。海岸に着いたら、護衛役に一人だけスハルヤディの部下を付けてもらい、ドミンゴを連れて船を降りる。護衛役は適当なところで射殺し……コリンは、ポケットの中に小さなS&W M38リボルバーを忍ばせていた……、漁船に乗り込んで追っ手の意表を衝いて南のハルマヘラ島へ向かう。これが、コリンの思い描いている逃走プランだった。
納得したらしいスハルヤディがキャビンを出てゆく。コリンは、なおもくよくよと反省を始めた。しばらくして、キャビンの外が騒がしいことに気付く。
コリンはキャビンを出た。すぐ近くにいたスハルヤディの部下を捉まえ、訊く。
「どうした、ラシード?」
「追っ手です!」
ラシードが、船尾方向を指差す。
そこで初めて、コリンはかすかに響いているローター音に気付いた。ラシードの指さす先を見やる。
青空の中に、灰色の点が見えた。それが、見る見るうちに大きく膨れ上がってゆく。
「オスプレイ……」
コリンはすぐに機種を見分けた。〈ボノム・リシャール〉の搭載機にちがいない。
「銃を取れ! 相手は一機だ! 追っ払え!」
コリンは喚くように命じた。あと少しで、インドネシアの領海に入れる。カラケロン島に着いてしまえば、姿を隠すことは容易だ。アメリカ軍と言えども、インドネシア国内で無茶はできまい。
「ミスター・スー。相手はアメリカ海兵隊だぞ!」
M16を手にしたスハルヤディが、コリンをなじるように叫んだ。
「どこの海兵隊だろうが構わん。あいつは所詮輸送機だ。たいした火力は持っちゃいない。みんな、M16を構えろ。撃ちまくって追っ払うんだ!」
「仕方がない。射撃準備だ」
スハルヤディが、命令口調で言う。だが、甲板上でM16を抱えた八名の部下たちはためらっていた。……しょせんは町のチンピラに毛の生えたような連中である。正規軍……しかも『悪名』高い合衆国海兵隊と喧嘩はしたくないのだ。
「スラウェシに着いたら全員にさらに五千ドル払う! これでどうだ!」
コリンは喚くように約束した。……もちろん、払うつもりなどない。
ようやく、男たちがM16を持ち上げた。肩付にして、銃口を接近するMV‐22Bに向ける。
かつん、という音がしてライフル弾がMV‐22Bに命中した。機長が悪態をつきながら、ヘリモードにした機体を上昇させる。
「あなた方、武器は?」
ベレッタPx4自動拳銃を手にしたメガンが、AI‐10たちを見た。
亞唯とスカディが、自分のPx4とM1911A1自動拳銃を見せる。
「ボクはこれを持ってるよ!」
ジョーが、グロック26を抜いて見せた。丸腰のシオ、ベル、雛菊はいずれも首を振る。
「ねえ、ライフルはないの?」
メガンが、フライトエンジニアに詰め寄った。
「積んでありませんよ。小学校訪問に、武器は必要ないし」
「なんで積んでないのよ! My rifle is my best friendじゃないの?」
メガンが、『海兵隊信条』の一部を引用してなじる。
「小学校訪問に武器を持っていったらまずいでしょう」
フライトエンジニアが、言い訳する。
「拳銃四丁じゃ、どうしようもないわね」
メガンが、唇を噛んだ。撃ち下ろしになるから、射程は通常よりもはるかに伸びるが、遠距離ではまず当たらない。もちろん低空に降りれば、敵の射撃に晒されることになる。いくらMV‐22Bでも、充分に弾丸を喰らえば撃墜されてしまうだろう。
「こんなことなら、ミスター・ベーから爆弾をいくつか分けてもらってくればよかったですぅ~」
ベルが、悔しがる。
「はっと! シオは思いついたのです!」
シオは勢い良く挙手した。
「カミカゼは願い下げだよ」
ジョーが、顔をしかめて告げる。
「爆撃するのであります!」
ジョーに構わず、シオは続けた。
「爆弾があらへんよ?」
雛菊が、首を傾げつつ突っ込む。
「なるほど。これを落とそうというのですわね」
スカディが、キャビンに積み込まれている段ボール箱をぽんぽんと叩いた。
「当たるでしょうか?」
コンスタンサが、首を捻った。
「……悪い手じゃないわね。そうね、千フィートくらいまで下げれば、上手く行くかも」
メガンが、眉根を寄せて考え込む。
「千フィートじゃ、撃たれちまうよ」
亞唯が、指摘する。
「でも、他に手もなさそうね。機長、とりあえず千五百まで下げて、敵の射撃を誘ってちょうだい。進路と速度を目標に合わせてね。あなた方は、準備をお願い。段ボールを切り欠いてから、後部に積み上げるの……」
メガンが、指示を出し始めた。
「高度を下げてきたぞ! 撃て!」
コリンは命じた。
M16を構えた男たちが、真上をヘリモードで飛行するMV‐22B目掛けて射撃を再開した。吐き出された薬莢が、磨かれたチーク材の甲板に当たって、乾いた音を立てる。
「撃つな! 撃っても威力のない高度だ!」
スハルヤディが、手を振って部下に射撃を止めさせた。彼は目標の高度を五百メートルほどと見積もった。この高度だと、軽機関銃ですら有効射高の限界に近い。5.56×45ミリでは、命中しても有効打にはならない。
「こちらに無駄弾を使わせようとしているんです」
スハルヤディは、こちらを睨みつけているコリン・スーに説明した。コリンの傍らでは、心細げな表情のドミンゴ・ソウタンが空を見上げている。
「よーし。では一発目、いくぞ!」
開いた後部ランプドアから身を乗り出した亞唯……一応、命綱はつけている……は、手にした二十オンス缶をそっと機外に落とした。
高度は千二百フィート(約三百六十六メートル)。機長が敵に気付かれにくいように、ゆっくりと高度を落とし、ここまで下げてくれたのだ。幸い、敵の火器は沈黙している。
ぼちゃん。
小さいが高い水柱が、モーターヨットの左舷後方二十五メートルほどの位置で生じた。
「なんだ?」
水柱に気付いたスハルヤディが、左舷後方を見やる。と、今度は左舷真横五メートルほどの位置に、同様の水柱が生じた。
「速度そのまま。左へ十五フィート!」
三缶目を手にした亞唯は、観測結果を大声で叫んだ。ジョーが中継し、コックピットへと伝える。
「いったい……」
見上げるスハルヤディの眼に、黒い物体が飛び込んできた。それがあっという間に大きくなり、がつんという音と共に甲板上にぶつかる。茶色い泡が、周囲に飛び散った。
「いかん! 全員、遮蔽物の下に入れ!」
事態を悟ったスハルヤディは叫んだ。
第二十六話をお届けします。




