第十七話
「はぁ~。変なところに降りてしまったのです」
シオは、周囲を眺め渡してため息をついた。
そこは、森の中にさながら島のように盛り上がって横たわる丘の上であった。岩石質らしく、草がまばらに生えているだけで、なんとも不毛で陰気臭い丘だ。
「GPSとマップをチェックすると、ヴォルホフ基地まで百二十キロはあるわね」
呆れたように、スカディが首を振った。
「百二十キロも歩けないのですぅ~」
ベルが、情けない声で言う。
AI‐10の通常歩行速度は、時速三キロ程度。この速度で行けば、丸一日掛けてもヴォルホフ基地までたどり着けないし、予備バッテリーを使ってもそこまで電気がもたない。
「爆破準備、終わった」
夏萌と一緒に、ブラックアウルの自爆準備をしていたシンクエンタが、スカディとAM‐7に報告する。時限装置は現地時間の午前五時にセットされている。今から、ほぼ五時間後だ。遊動スイッチも仕掛けられているから、誰かが機体を調べようとすれば、その瞬間に爆発することになる。ちなみに、REAは日本中央標準時子午線よりも西にある国家だが、国家運営の都合上ロシアのウラジオストック時間と同調させた時刻を採用しているので、夏時間である今は日本より二時間も早いタイムゾーンにある。
「ねえ、お兄さん。一号機のAM‐7は、どうなっちゃったの?」
エリアーヌが、訊いた。
「連絡なし。機能停止と推測する」
「うわぁ」
ライチが、顔をしかめた。
「作戦、続行する。お前たち、残れ」
AM‐7が、告げた。
「残れって。お兄さん、あんたひとりでヴォルホフ基地に殴りこむつもりかい?」
亞唯が、呆れたように言う。
「お前たち、電気足りない。速度遅い。AM‐7、行ける」
AM‐7が、集っているAI‐10たちをセンサーマストを回転させて眺めながら、言った。
「いくらお兄さんでも、ひとりじゃ無理やで。うちらも、ついてくわ」
きっぱりと、雛菊が言う。全員が、同意した。
「どこかで乗り物を調達するしかありませんわね」
スカディが、言った。
「車が現実的だろうね」
亞唯が、腕を組む。
「こんな山奥にレンタカー屋さんはないのです! したがって、黙ってどなたからか借りるしかないのです!」
シオはそう意見した。
「シオちゃん、それは盗むと同義だと思いますがぁ~」
すかさず、ベルが突っ込む。
「単なる婉曲表現です、シオちゃん!」
「とにかく、この場を離れましょう。不時着したところを目撃されているかもしれませんわ。それに、道路に出れば、車が見つかるはずですし」
スカディが言う。
「よし、みんな装備を確認しろ」
亞唯が、命じた。
予備バッテリーのバックパックを背負い、ケーブルを接続する。腕の機関拳銃のコッキングハンドルを引いて薬室に一弾目を送り込む。予備弾薬と爆薬を確認し、手榴弾をすぐに使えるようにコンテナーから出してベルトに下げる。
「なんだか、ランドセルみたいですね」
バックパックを背負っためーが、嬉しそうに言った。
「ちょっと異様だわね」
スカディが、困り顔で言う。
揃いの迷彩ポンチョに、サイズのあっていない日の丸キャップ。ランドセルのような予備バッテリーを背負ってぞろぞろと歩む十体の姿は、遠目に見れば小学生の通学風景に見えないこともなかった。
二組が先導し、AM‐7が真ん中。そして一組が後衛を務めるかたちで歩み始めた一行は、丘を降りると森の中へと分け入った。生えている樹は樫、楓、楡などの広葉樹が混じっており、下生えはあまり濃密ではないので、AI‐10でもさほど支障なく歩むことができる。むしろ苦労しているのが、AM‐7だった。図体がでかいので、AI‐10ならば問題なく通ることができる狭い箇所でも、AM‐7の場合迂回するかグリッパー付きマニピュレーターで枝などを折り取りながら進まざるを得ない。
ほどなく一行は、森の中に穿たれた小道に出た。黒っぽい土がむき出しになった、幅三メートルほどの道路だ。わだちの跡からすると、自動車の通行はあるようだが、あたりはしーんと静まり返っている。もちろん街灯などなく、真っ暗だ。
「マップによれば、ここをたどって行けばもう少し広い道に出る」
亞唯が、説明した。
一行は、ぞろぞろと小道を進んだ。三十分ほど歩いたが、車は一台たりとも通らない。一回だけ、上空にヘリコプターが飛来したので、全員急いで森の中に入ったが、ヘリはそのまま飛び去っていった。
やがて小道が突き当たったのは、幅六メートルはある道だった。ただし、舗装などされておらず、砂利道である。路肩には木製の電柱が等間隔に突っ立っており、そこには弛んだ電線が張られていた。
「この道なら、車が通るんじゃないの?」
周囲をきょろきょろと眺め渡しながら、夏萌が言う。
「うまい具合に、北の方に向いているわね。この先に、村もあるし。そこまで行けば、車が手に入るでしょう」
「ミアススコエだね。その前に車が通りかかったら、それを調達すればいい」
スカディの意見に、亞唯が同意した。
「大きな車でないと、駄目なのです! お兄さんが乗れません!」
シオは意見した。
「わかってるって」
亞唯が、笑う。
一同は再び隊列を整えると、今度は一組が先導する形で歩き出した。五分ほど経ったところで、後方から黄色いヘッドライトが近付いてくるのに気付く。
十一体は、急いで路肩に伏せて隠れた。
「トラックだよ。中型。あれなら、お兄さんでも楽々乗れるよ」
最後尾だったライチが、嬉しそうに報告する。
「REAで中型トラックを個人所有している割合は低いですぅ~。時間帯も考えると、企業所有のものとも考えにくいのですぅ~。軍か民警、あるいはお役所のトラックではないでしょうかぁ~」
ベルが、そう推測した。
「同意しますわ。荷台に、陸軍兵士や警官がぎっしりと詰め込まれている可能性も、考慮しないと」
スカディが、言う。
「見送るかい?」
亞唯が、訊いた。
「あたいの知識によれば、あんなトラックに乗れる兵隊さんの数はたかだか二十人程度なのです! あたいたちとお兄さんの敵ではないのです! それに、荷台に誰か乗っていると決まったわけではないのです!」
シオはそう主張した。
「待った。運転台に乗っているのは一人だよ。運転手だけだ」
近付くトラックを観察し続けていたライチが、そう報告した。
「ならば、荷台に人は乗っていないのではないでしょうかぁ~。運転台のシートの方が、乗り心地がいいはずですからぁ~」
「たぶんそうだね」
亞唯が、ベルの推定に同意する。スカディが、うなずいた。
「では、こういたしましょう。一組で、トラックを止めます。二組はお兄さんに援護してもらって、荷台を押さえてちょうだい。それでいいかしら?」
「心得た」
亞唯がすかさず、二組メンバーと打ち合わせを始める。
「どうやって止めるの?」
夏萌が、スカディに訊いた。
「ライトの前に出れば、運転手はブレーキを踏むでしょう。夏萌、あなたやりなさい」
「え~」
「文句言わない。わたくしの合図で、飛び出しなさい。シオ、ベル。あなたたちは今のうちに道路の反対側に渡って、運転台の右側から制圧。わたくしはシンクエンタと左側から行きます。二組が戦闘に巻き込まれた場合は、運転台を無力化した上でその援護を優先。よろしいわね」
「合点承知なのです! ベルちゃん、行くのです!」
シオとベルは、急いで反対側の路肩に隠れた。
トラックが、道路の凹凸にあわせてヘッドライトを上下に揺らしながら近付いてくる。ボンネットタイプだが、フロントグリルが狭く、大きなフェンダーが目立つ。荷台は、幌で覆われていた。
「あれはZIL‐151ですねぇ~。ずいぶんと古いトラックですぅ~」
嬉しそうに、ベルが言う。
「ベルちゃん、あたいを運転台まで押し上げてください」
「了解ですぅ~」
トラックが、さらに接近する。ヘッドライトが地面を照らし、エンジン音に混じってタイヤが砂利を踏みしだくざくざくという音が聞こえてくる。
と、その黄色い光の中に、夏萌が飛び出した。
金属の軋むいやな音と共に、トラックが急減速する。
シオは立ち上がると、ポニーテールを揺らして走り出した。ベルが、続く。
トラックが停車する。シオは、そのフェンダーに飛び乗った。
ベルが、運転台のステップに乗る。ベルの肩に、シオは足を掛けた。閉まっている窓越しに、機関拳銃の銃口を突き出す。
運転席では、中年の男が火の点いていない煙草を咥えたまま硬直していた。ありえない事象を目撃して、思考停止状態に陥ってしまったのだろう。身につけているのは、シオのROM内ファイルを参照するに、REA陸軍の作業服のようだ。ただし、かなり着崩して着ているうえに、そうとう汚れている。
スカディが、運転席側のドアを開けた。
シオも助手席側のドアを開けようとしたが、鍵がかかっているのか開かない。
ようやく我に返った運転手が、咥えていた煙草を口から吹き飛ばすと、アクセルを踏み込んだ。トラックが、がくんと動き出す。
「ストーイ!」
スカディがロシア語で鋭く言って、運転手の側頭部に銃口を押し付けた。
「荷台は誰も乗ってなかったよ。荷物だけだ」
寄って来た亞唯が、スカディにそう報告した。
「ありがとう。二組に、周辺警戒を頼めるかしら?」
「任せて」
亞唯が、二組の面々に指示を飛ばし始める。
運転手は、手を頭の上で組んだ状態で地面に座らされていた。背中には、夏萌が銃口を突きつけている。
「階級章からすると、この人はムラドシイ・セルジャントなのですねぇ~」
ベルが言う。REA陸軍は、旧ソ連式の階級と階級章を受け継いでいる。この中年兵士の肩章は、二本線であった。
「はっ! ということは、陸上自衛隊で言えば士長殿なのですね! あたいたちの階級はなんなんでしょうか、ベルちゃん?」
「入隊して間もないですから、どう考えても二等陸士ではないでしょうかぁ~」
「なんと! ではREAならリャダヴォイですね! 一番下っ端ではないですか! ではこの方に対して、下士官として敬意を持って接しなければ!」
シオとベルは、捕虜に向かってぴしりと敬礼した。
「そこ。ふざけてないで。シンクエンタ。あなたは運転台を調べてみて。書類とか、あるかもしれない。燃料の状態も、チェックしてね。わたくしは、彼を尋問します。シオ、ベル。あなたたちは荷台を詳しく調べて。何か役に立つものがあるかもしれませんわ」
「了解なのです、リーダー」
真面目なモードに戻ったシオは、スカディに対し敬礼した。シンクエンタは、黙ってうなずいて運転台に潜り込む。
「行くのであります、ベルちゃん」
二体はトラックの後ろへと回った。まずベルがシオを荷台へと押し上げ、次いでテールゲートから身を乗り出したシオに引っ張りあげられて、ベルも荷台に登る。
広々とした荷台……幅二メートル、長さ三メートル半くらいだろうか……の半分ほどは、積荷で埋まっていた。布袋、木箱、段ボール箱、大きな籠などが、いくつも置いてある。
「これは、お芋なのであります」
シオは、籠の中に手を突っ込んでジャガイモをつかみ出した。
「こっちは人参なのですぅ~。キャベツもありますが、ちょっと痛んでいるのですぅ~。臭いのですぅ~」
ベルが、別の籠を指差して顔をしかめる。
「たしかに腐敗臭がするのです!」
AI‐10の嗅覚センサーは、それほど鋭くはない。ただし、家事用ロボットとして、三種類の臭いだけは敏感に察知することができる。都市ガスなどの燃料系ガスの臭いと、焦げ臭いなどの燃焼系の臭い、それに食品の腐敗臭である。
奥に進んだシオは、目に付いたダンボール箱を開けてみた。ぎっしりと詰まっていた缶詰をひとつ、取り出してみる。
「お魚の絵が描いてある缶詰なのです! サルディーナ、と読めるので鰯の缶詰のようです!」
「こちらにいくつも積んである布袋には、ムカー、と書いてあるのですぅ~。小麦粉ですねぇ~」
シオは別の箱も開けてみた。これも缶詰だ。書いてあるキリル文字はスヴィニーナと読めるから、中身は豚肉だろう。
「どうやら、食べ物ばかりのようですねぇ~」
ベルが拾い上げた箱には、黒字でトレスカと書いてあった。鱈の缶詰が入っているのか、それとも干し鱈が入っているのだろうか。
「食べ物では、あたいたちの役には立たないのです!」
「スカディちゃんのところに戻りましょうかぁ~」
「賛成なのです!」
シオはぴょんと荷台から飛び降りた。ベルと共に、トラックの前へとまわる。
運転台に登ったシンクエンタがエンジンを切り、ヘッドライトも消灯したので、あたりは闇に閉ざされていた。もちろん、パッシブIRモードや光量増幅装置が使えるAI‐10には闇夜もなんら支障はない。
「やっぱりね。尋問結果とも押収書類とも一致するわ」
シオの積荷に関する報告を聞いたスカディが、手にした紙束を振ってみせた。
「オクチャブリスキーの東にある砲兵部隊駐屯地へ食料を届けるのが任務らしいですわ」
「オクチャブリスキーはこの北なのです! ちょうどいいのです!」
素早くROM内マップを検索したシオは、喜んだ。
「問題はその先ね。ヴォルホフ基地は、オクチャブリスキーの北東三十二キロの位置よ」
スカディが、困り顔をする。
「衛星写真から、検問所の位置はわかっていますから、裏道をたどって行けば何とかなるのではないでしょうかぁ~」
ベルがそう提案した。
「他に車、通りそうにないしね」
夏萌が、言う。
「運転はどうするのでありますか? お兄さんでは、運転台に収まらないのであります!」
シオはそう問題提起した。
「ムラドシイ・セルジャント殿にやってもらえないでしょうかぁ~」
「信用できるかしら?」
ベルの意見を聞いたスカディが、困り顔で首を傾げる。
「問題ない。わたしがやる」
運転台から降りてきたシンクエンタが、告げた。
「どうやって?」
スカディが、訊く。AI‐10の身長は一メートルしかない。手足も、それに応じて短い。普通に運転席に座ったら、アクセルに足が届かないどころか、ハンドルすらまともに握れないはずだ。
「シオ、ベル。手伝って」
シンクエンタが、手招いた。
第十七話をお届けします。




