第二十四話
「しまったー。わなにはまってしまったのでありますー」
シオは棒読み口調で言った。その隣で、メガンが深いため息をつく。
「大佐。わたしはCIAの上級職員ですよ? 殺害などしたら、ただでは済みませんよ?」
「それは承知の上だ。だが今回は、すでに積み上げた賭け金が大きすぎるのでね。ここで降りるわけにはいかないんだよ。もう引き返せない処まで来ている」
マラミス大佐が、笑みを消して答えた。
「それにこのビルはわたしの城も同然だ。君らの失踪は、なんとかしてごまかすさ。手はある」
「わたしは充分に予防措置を講じてから、大佐に会いに来たのです。わたしから定時連絡がなければ、この建物は攻撃される手筈になっています」
メガンが、大佐の眼をしっかりと見据えて告げる。
「これははったりじゃないよ、大佐! 部下にビルの外を見に行かせた方がいいよ!」
ジョーが、口添えした。
マラミス大佐が瞬時ためらったのち、内線電話を取り上げた。受話器を耳に当て、電源スイッチを入れる。緑色のランプが点灯するのを待ってから、内線に繋がる数字を手早く入力した。
「マラミスだ。ランタン大尉を頼む。……なんだと?」
ポルトガル語で通話するマラミス大佐の顔色がさっと変わった。ちらりとメガンに視線を送ってから、受話器から流れる声に聞き入る。その眼が、大きく見開かれた。
マラミス大佐が、乱暴に受話器を置いて通話を切った。
「しっかり見張っていろ」
ベレッタM12S短機関銃を構えている国家憲兵隊員たちに固い口調で声を掛けてから、マラミス大佐が扉へと歩んだ。その姿を、メガンが余裕の微笑みを浮かべて見送る。
防音扉を開けたとたん、マラミス大佐の耳に爆音が飛び込んできた。
焦る気持ちを押さえ、しっかりと扉をロックしてから、マラミス大佐は執務室の窓に走り寄った。
ちょうど、二機の軍用ジェット機が窓外の空を右から左へと横切ってゆくところだった。マラミス大佐はすぐに機種を識別した。明るいグレイに塗られた、アメリカ海兵隊のAV‐8BハリアーⅡだ。翼下にJDAM誘導キットを取り付けたMk83千ポンド爆弾をこれ見よがしに吊っている。
その姿を見送ったマラミス大佐は、東の空から複数の回転翼機が接近してくることに気付いた。合計八機。ヘリモードで飛行する六機のMV‐22Bオスプレイ輸送機を、二機のAH‐1Zヴァイパー攻撃ヘリコプターが護衛している。その八機編隊の上空を、別のAV‐8Bのペアが轟音を響かせながら追い抜いてゆく。
マラミス大佐は急いで会議室へと戻った。
「我が国を侵略する気か!」
マラミス大佐が、メガンに噛みついた。
「演習ですわ。合衆国海軍と海兵隊、それに貴国陸軍とのね」
しれっとした表情で、メガンが受け流す。
「ただし、演習とは言ってもすべて実弾装備だけどね! 合衆国海兵隊一個中隊を相手にしたいのなら、止めはしないよ!」
ジョーが、嘲るように付け加える。
「対地装備のハリアーと攻撃ヘリコプター付きじゃ、あんたらに勝ち目はないけどね」
短機関銃を構えている国家憲兵隊員たちに向けて、ポルトガル語で亞唯が言う。隊員たちのあいだに、わずかに動揺が走った。
「いい加減、諦めたらいかがですか? わたくしたちの目的は、あなたを破滅させることでは無いのです。陰謀そのものを潰したいのです。協力して、いただけませんこと?」
言葉は優しいが、断固たる口調でスカディが諭す。
ようやく『落ち』たマラミス大佐だったが、得られた情報は期待を下回るものであった。
マラミス大佐が接触しているのは、『マチャン』と名乗る正体不明の人物だけであり、しかも電話連絡に限られていること。電話は基本的には向こうから掛かってくるだけであり、緊急連絡用の電話番号は教えられているが、一度も使ったことはないこと。初接触は国家憲兵隊司令官に就任するはるか以前であり、それ以降の破格の出世は『マチャン』より得られた情報を活用した結果であること。今回の陰謀に関しては詳細を知らず、内務大臣の椅子を引き換えに協力しているだけということ……。
「電話番号ひとつと中二病じみた暗号名ひとつ。期待外れなのです!」
シオは喚くように言った。
「まあ、しゃあないやろ。敵さんもアホちゃうで。尻尾掴まれんように気を遣ってるわ」
雛菊が、宥めるように言う。
シオ、ベル、亞唯、雛菊の四体は、サングラスで変装したコンスタンサに車で迎えに来てもらい、いったんセーフハウスへと戻っていた。残るメガンとジョー、それにスカディは、マラミス大佐を伴って大統領官邸へと出向いていた。『生きた証拠』を手土産に携え、ラニアガ大統領に大統領選挙をめぐる陰謀について説明し、協力を仰ぐためである。ラニアガ大統領も、国防会議に出席できるほどの大物の証言があれば、メガンの言葉に耳を傾けてくれることだろう。
ちなみに、マラミス大佐が『落ち』たことは極秘にされている。陰謀勢力がそのことに気付かない方が、色々とこちら側には有利なはずだ。
メガンたちは、二時間ほどで戻ってきた。疲れた顔のメガンが、食堂の椅子にどさりと座る。ジョーとスカディも、浮かない顔で充電を始めた。シオは気を利かせて、メガンにコーヒーを淹れてやった。
「ありがと」
カップを受け取ったメガンが、力なく微笑む。
「どうしたのですかぁ~? ラニアガさんとの交渉が上手く行かなかったのですかぁ~?」
ベルが、訊いた。
「そっちは上手く行ったよ。大統領は、全面的な協力を約束してくれたんだ」
メガンではなく、ジョーが答えた。
「じゃあ、なんでそんな顔してるんや?」
雛菊が、訊く。
「手掛かりが事実上途絶えてしまったのだわ。『マチャン』への緊急連絡先として指定されていた電話番号はメイアルーア国内の携帯電話番号だけど、いわゆる飛ばし携帯で所有者不明。そしてまず間違いなく、『マチャン』本人へ直接繋がることはないでしょう。野党三党のうち、どこが黒幕かは今の処皆目見当がつかない。下手に追及すると、政治問題化しかねないので、親米与党政権を守るためにもこちらも無理はできないわね」
スカディがそう答え、深々とため息をついた。
「今度『マチャン』から電話が掛かってきた時に、逆探知するという手はどうでしょうか?」
シオはそう提案した。
「一度こっそりとマラミス大佐が逆探知してみたことがあるそうよ。サン・ジュアン市内を車両で移動している所有者不明の携帯からだった。発信元の特定は不可能だわ」
メガンが、説明した。
「どうやれば、政治問題化させずに野党三党のうちどこが陰謀元なのかを突き止められるのかしら……」
スカディが、天井を仰ぐ。
「時間さえ掛ければ、状況証拠を積み上げて突き止めてゆくことは可能だろうけど、できれば早期解決したいよね。国家非常事態宣言を出しっぱなしにするわけにもいかないし、ネーヴェ問題も平和的に解決したいし。君たち、なにかいいアイデアはないかい?」
ジョーが、留守番組のAI‐10たちに訊く。
「三人寄れば文殊もナトリウム漏れと言います! コンスたんとミスター・ベーにも加わってもらいましょう!」
良いアイデアが浮かばなかったシオは、そう主張した。
「わたくしがお連れしてきますぅ~」
すっかりミスター・ベーと仲良くなったベルが、いそいそと食堂を出てゆく。
メガンらの説明を聞いたコンスタンサは、残念そうな顔で首を振ったが、ミスター・ベーの反応は違った。
「なるほど。……昔の話だが、似たようなことがあったな」
そんなことを言いながら、シオが淹れてやったコーヒーを美味そうに啜る。
「似たようなこと? どんな話だい?」
ジョーが、身を乗り出した。
まだソビエト社会主義連邦共和国が健在だったころ……。
社会主義を標榜しつつ独裁政治を行うとあるアフリカの小国があった。当然親ソ国であり、国内には例によってソ連の軍事顧問団が派遣されており、まだ若かりし頃のミスター・ベーもその一員として加わっていた。
その国は西側と通じている反政府反共テロ組織の跳梁に悩まされていた。独裁者である大統領は、腹心の部下である副大統領、内務大臣、陸軍司令官の三人に支えられ、政権の維持に腐心していた。
だが、ある日情報局長官から極秘情報を伝えられ、大統領は驚愕することになる。捕らえたテロ組織幹部を拷問したところ、三人の腹心のうち、一人は西側と内通したうえで、反政府テロ組織に情報を流している裏切り者だということを白状したのだ。別ソースからも、その情報は確認されており、内通者がいることは確実視されている。ただし、三人の腹心のうち誰が裏切っているかは、現時点では特定不可能だという。
困った大統領は軍事顧問団に相談を持ち掛けた。解決策を提示したのは、ミスター・ベーだった。得意の爆弾技術を駆使し、裏切り者を罠にかけるプランであった。
まずミスター・ベーは、手製の爆弾をいくつも作って、軍施設や政府の建物を次々と爆破した。死傷者が出ないと、偽装であることがばれてしまうので、現場には反政府テロリストに面が割れていない処刑された刑事犯の死体を置き、常に死者が出ているように見せかけた。さらに情報局を使って、これら一連のテロは、爆破を得意とする新たな反政府テロ集団による犯行だという噂を流布させる。それに加え、この新顔テロ集団の究極の目的は、大統領暗殺だという噂も流した。
その一方情報局は、反政府テロ組織を支援していることが確実視されている西側某国の情報関係者……表向きは大使館付きの商務官を名乗っていたが……に、新顔テロ集団の一員を名乗って工作員を接触させた。工作員の与えた情報通りに、次々と爆破テロが起きるのを見て、西側某国情報関係者は工作員のことをすっかり信用してしまう。
一連の偽装爆弾テロ発生から約二週間後、大統領は官邸に副大統領、内務大臣、陸軍司令官を招き、長時間にわたる会議を明日開催することをマスコミに発表した。同時に情報局の工作員は、西側某国情報関係者に会って、次のテロ目標は大統領官邸であり、目的は明日の会議中に爆弾を起爆させ、大統領とその側近を一掃することだ、と告げる……。
「なるほど。会議に欠席した奴が、裏切り者ということか」
亞唯が、感心したようにうなずいた。
「三人とも顔を見せた時には失敗したかと冷や汗をかいたがね」
楽しそうに、ミスター・ベーが続ける。
「結局、副大統領が中座した。補佐官を連れて裏口から逃げようとしていたところを、顧問団の連中が取り押さえて大統領に引き渡したよ。後はどうなったか、知らん。わしは褒美は何がいいかと問われて、祖国へ戻してくれと頼んだからな。アフリカはどうも性に合わなかった」
「これは使えるわね。一連の爆弾テロがCIAの偽装だということはばれていないし、大統領官邸に爆弾が仕掛けられるというのも不自然ではない。陰謀勢力への情報伝達は、マラミス大佐にやらせればいい。大統領が、ネーヴェ問題解決のため、野党三党の党首を集めて協議を行うのも自然」
メガンが、考え込みながら言う。
「急いだほうがいいですわね。マラミス大佐が裏切ったことが発覚したら、水の泡ですわ」
スカディが、言う。
「そうね。下準備にも時間が掛かるし」
メガンが、スマホを取り出した。
メイアルーア大統領官邸偽装爆破計画は、着々と進んだ。国家憲兵隊は信用できないので、大統領官邸警備……実際は、陰謀勢力逮捕が主目的だが……は警察局に任されることになる。作戦自体も、警察局主導で行われることになり、CIAとその協力者……つまりAHOの子ロボたち……は蚊帳の外に置かれることとなった。
「ここまで来ておいしいところを持っていかれるのは、納得がいかないのであります!」
活躍の場を失ったシオはむくれた。
「まあまあ。合衆国はなるべく関与していないように見えた方が都合がいいんだ。押さえてよ」
ジョーが、宥める。
ぱたぱたという音響が、セーフハウスに圧し掛かってきた。亞唯が、窓から外を見る。
「MV‐22Bが飛んでる。演習は終わったんだろ?」
「メイアルーア陸軍との合同演習は終わったよ。親善プログラムのために飛んでいるんじゃないかな? メイアルーアの要人を乗せての遊覧飛行とか、手土産持参で学校訪問とかやる予定だよ。ネーヴェ島問題で親米感情が低下しているからね。友好ムードを盛り上げないと」
ジョーが、そう説明する。
「もう籠っているのに飽きましたぁ」
コンスタンサが、泣き言をいう。新聞記者だけあって、生来好奇心旺盛で、活動的な女性である。引き籠っているのは、さぞかし苦痛なのだろう。
「もう少し我慢なさいな、セニョリータ・トロエ」
スカディが、宥めるように言う。
「自分の訃報の訂正記事でも書いたらどうや?」
雛菊が、そう言ってからかった。
「時間です」
マレー系の顔立ちをした警察局の警部が、告げた。
執務室のデスクに座るマラミス大佐は受話器を取り上げた。そらで覚えている『マチャン』への緊急連絡先の番号を押す。警部の部下の一人が、メモを片手にその指先をじっと見つめていた。……大佐が供述と異なる番号に掛けないようにチェックしているのである。
呼び出し音が鳴る。それが途切れ、通話が繋がったが、マラミス大佐は喋らずに心の中で数を数えた。五秒は何も喋らないことが、安全は確保されているという合図なのである。
「ロドリゴだが。フランシスコはいるかね?」
マラミス大佐は教えられた通りの問いかけをポルトガル語で行った。
「フランシスコは留守だ。叔母の処へ出かけている。三時間ほどで戻る」
通話先の声……まだ若い、おそらくは生粋のメイアルーア人が答える。……マラミス大佐の身分を確認し、メッセージを伝えても安全であるという意味合いの返答である。
「『マチャン』に伝えてくれ。国家憲兵隊が極めて重要な情報を入手した。大統領選挙延期を求めて爆弾テロを起こしていた連中の次の目標は大統領官邸の爆破だ。爆破予定時刻は本日の午前十時四十五分だ。もう一度言う。爆破目標は大統領官邸。時刻は午前十時四十五分。まず間違いなく、今日行われる大統領と野党三党首の会議を狙ったものだろう。今度は、大統領を含む政界の要人を一挙に葬り去ろうという魂胆らしい。この情報は、政府も警察局も掴んでいないはずだ。どう利用すべきか、早急に『マチャン』の指示を仰ぎたい。以上だ」
通話先がしばし沈黙した。……伝えた情報の重要さに、息を呑んだのか。
「了解した。すぐに伝える」
「頼む」
通話が切れた。マラミス大佐は、ほっと息をつきながら受話器を置いた。
「結構です。『マチャン』から電話があるまで、待機してください」
イヤホンで通話内容を確認していた警部が、笑みを湛えて言う。
大佐は少しでも寛ごうと、椅子に浅く腰かけて上半身の体重を背もたれに預けた。壁の時計を見る。今は午前八時過ぎ。大統領官邸で会議が始まるのは十時。『マチャン』が何らかの手を打つ時間は、充分にある。
待つこと三十分。女性秘書官が、秘話回線で外部から電話が掛かってきたと内線で知らせてきた。マラミス大佐は礼を言って内線を切ると、秘話回線を繋げる一連の数字を入力した。警部が、通話内容を一言も聞き漏らすまいと、耳に刺したイヤホンに指を押し付ける。
「マラミスだ。メッセージは受け取ってもらえたか?」
「ごきげんよう、大佐。確かな情報なのかね?」
聞き慣れたマチャンの声が、問う。
「ああ。ほぼ間違いない。わたしはどうすればいい?」
答えながら、マラミス大佐は警部に向けうなずいて見せた。相手が、確実にマチャンであるとの合図である。
「これは利用できると思う。この情報、他に伝えずに握り潰すことは可能かね?」
マチャンが、問うてくる。
「可能だ。ガセ情報だと、現場が判断したことにすればいい」
大佐はそう答えた。……マチャンの要求は基本的にすべて受け入れるように、と事前に警部に指示されているのだ。
「それでいい。いっさい他所に漏らさないでくれ」
「では、大統領には死んでもらう、ということか?」
大佐は訊いた。なるべく詳しく情報を得るように、とも警部から指示されているのだ。
「これは好機だよ。政界の要人が一気にいなくなれば、我々の計画も数年は前倒しできる。君も内務大臣どころか、さらに上を目指せるぞ。ネーヴェ問題で計画が頓挫してどうなることかと思ったが、まだ運は我々の味方のようだ。では、よろしく頼む」
それだけ告げて、マチャンが通話を切った。マラミス大佐も、受話器を置いた。
「結構です。あなたの役目は、これで終わりました」
イヤホンを外した警部が、メモを走り書きし、部下の一人に渡した。部下がそれを手に、足早に執務室を出てゆく。
「わたしはどうなるのだ?」
マラミス大佐は、訊いた。
「大統領のお気持ち次第ですな。上手く行けば、特赦のうえ国外追放くらいで済むかもしれません。いずれにしろ、午前十時四十五分以降に何が起こるか、に掛かっていますね」
警部が、壁の時計に目をやる。マラミス大佐も、釣られるように時計を見た。午前八時三十七分。大統領官邸偽装爆破予定時刻まで、あと二時間と八分。
長い待ち時間になりそうだった。
第二十四話をお届けします。




