第二十三話
メイアルーア共和国標準時で午後八時、ネーヴェ独立党代表ジョアン・レンサマはネーヴェ島唯一のラジオ局放送を通じ、ネーヴェ島およびいずれも無人島である付属島嶼五つを領土とする新国家、ネーヴェ共和国の独立を宣言し、自らが暫定大統領に就任することを発表した。同じく午後八時から、自称『大統領首席補佐官』を名乗る人物が、メイアルーア共和国大統領府を始めとするメイアルーアの関係各所に電話回線を通じ独立の通告を行った。また、自称『主席広報官』はインターネットを通じ、全世界に向けてネーヴェ共和国の成立を知らしめるべく活動を開始した。
この突然の事案発生に対し、メイアルーア共和国大統領マヌエル・ラニアガは大統領官邸においてウンバス内務大臣および防衛軍司令官パカヤ将軍と短時間の協議を行った上で、メイアルーア共和国憲法およびそれが保証する大統領権限に基づき、国家非常事態宣言を行うことを決定した。これにより、明日挙行される予定であった大統領選挙投票は無期延期となることが自動的に決まった。
ラニアガ大統領は、ネーヴェ島の独立を認める気は皆無であった。政権維持のためにも、早期に事態の決着を図る必要がある。対応策の筆頭に上がったのは、やはり防衛軍による『警察行動』であった。防衛軍陸軍部隊をネーヴェ島に『派遣』し、ジョアン・レンサマとその一党を、『内乱罪』により逮捕、処罰しようという案である。
しかしながら、このプランは大統領に掛かってきた一本の電話で没となった。在メイアルーア合衆国特命全権大使は、その通話において、合衆国は今回の事態を憂慮しており、依然メイアルーア共和国とラニアガ大統領の立場を支持するものであるが、事態の解決は平和的、非暴力的に行われるべきであり、いかなる理由があっても軍隊および治安部隊による武力の行使は認められない。合衆国は、メイアルーア共和国と、独立を望む『一部地域の政治勢力』との対話を仲介する用意がある、と述べ、基本的に現行のメイアルーア共和国を支援する姿勢に変わりはないが、『ネーヴェ共和国』を公式に『メイアルーア共和国と対等の立場で交渉できる政治勢力』と事実上認めたことを明らかにした。
さらにその後、ネーヴェ島の状況確認のために、パカヤ将軍の命令で水上部隊が派遣した哨戒艇が、ネーヴェ島から十カイリほどの海域にアメリカ海軍艦艇が侵入したのを発見する。ラニアガ大統領はただちに、在メイアルーア合衆国大使館を通じ、合衆国海軍に対し、領海侵犯……この時点で、メイアルーア防衛軍と合衆国海軍による合同演習計画に、合衆国海軍艦艇によるメイアルーア領海内での活動は含まれていなかった……を通告し、速やかな退去を求めたが、合衆国大使館は当該艦艇はメイアルーア共和国の『領海外』にあり、貴国の主権はいっさい侵害していないとの回答を行った。つまり合衆国は、すでにネーヴェ島にメイアルーア共和国の主権が及んでいないとの立場を取っていることを、行動によって示したのである。
メイアルーア時間午後十時。メイアルーア共和国全土……当然この中には、ネーヴェ共和国を自称した地域も含まれる……に対し、ラニアガ大統領は国家非常事態宣言を行うとともに、国民に対し冷静な行動を呼びかけ、この『ネーヴェ島問題』の早期解決を約束した。
「素早い行動でしたわね」
テレビでラニアガ大統領の呼びかけを聞きながら、スカディがそう評した。
「タッカー大統領が決断されたのでしょうね。まあ、合衆国が実際に動いたわけじゃないし。国務省が電話を何本か掛けただけだからね」
ベルによる同時通訳付きでテレビを見ながら、メガンが答える。
「レンサマの決断も早かったな。ま、アメリカの全面支援を受けて独立宣言できる、なんて千載一遇のチャンスだから、飛びついたんだろうが」
亞唯が、にやにやしながら言う。
「それにしてもアメリカさんも思い切ったことをしたものであります!」
シオはそう言った。このまま行けば、小さいとは言え新しい国が誕生してしまうことになるのだ。
「そうでもないわよ。彼女には悪いけど、メイアルーアなんて国、合衆国の有権者は誰も知らないもの。そこが分裂して新国家が誕生しても、大統領の支持率は微動だにしないわ」
コンスタンサに視線を送りながら、メガンが言う。
「ラニアガ大統領の支持率はだだ下がりやろうけどな」
雛菊が、笑った。
「それは仕方ないわね。だけど、合衆国の関与を最低限に止め、かつ大統領選挙を無期延期にできたんだから、まずは上首尾ね。ラニアガ大統領の支持率も、この陰謀をすべて暴いて野党の首謀者を吊し上げれば、相対的に回復するでしょう。バジーリオ・スウが選挙で負けたら、意味がないしね」
「これからどうするんだい?」
ジョーが、訊いた。
「とりあえず時間が稼げたから、カルロス・ノポリ少佐の帰国待ちね。また、みんなには手伝ってもらうわよ」
「まだ人手不足なのですかぁ~?」
ベルが、訊いた。
「アルは国務省の方でジョアン・レンサマとの連絡役に引っ張られちゃったし、人手不足状態は続いているわ。ここの大使館は小規模で、こちらの方も手伝いを欲してるし。もう少し付き合ってもらうわよ」
翌日のメイアルーア本島は平穏なままで終始した。野党三党はいずれも投票日延期に憂慮を表明したものの、ネーヴェ島独立は認めず、事態解決のために政府与党に対し協力する、という立場を取り、支持者に対し冷静に対応するように求めたからだ。一部で市民が集結しデモまがいの抗議行動が発生したが、それはすべてネーヴェ島独立を認めないという内容のものであり、政府与党を支持しネーヴェ独立党を非難することに終始したので、警察も国家憲兵隊もこれを放置し、自主的に解散するまで見守るに留まった。
その翌日の午後遅く、カルロス・ノポリ少佐がインドネシアから帰国し、メイアルーア国際空港に降り立った。コンスタンサ・トロエ記者と彼女に協力するロボットたちを首尾よく抹殺した褒美として与えられた休暇を外国で満喫してきた少佐が、妻への土産物で膨らんだトランクを抱えてタクシーに乗り込む。それを尾行したメガンの部下は、少佐が海沿いにある自宅に戻ったことを確認した。
「ノポリ少佐は妻と二人暮らし。子供はいないわ。一軒家だけど住宅街だから、騒がれると面倒なの。寝込みを襲って、一気に拉致しましょう」
市街地図を指し示しながら、メガンが説明する。
「嫁はんはどうするんや?」
雛菊が、訊く。
「気絶させて放置ね。暗い中で行動すれば、目撃されても問題ないでしょう。あなたたちなら、得意なはずよ」
「あの~」
作戦会議の様子を見つめていたコンスタンサが、遠慮がちに声を掛けてくる。
「何かしら?」
「わたしも、連れて行ってもらえませんか?」
「同行取材なら、お断りよ」
メガンが、やんわりとした口調で断る。
「取材じゃ、ありません」
コンスタンサが、悲し気な表情で首を振った。
「推測ですが、このノポリ少佐はジャマル殺害にも一枚噛んでいるんじゃないかと思うんです。捕まえるところに立ち会わせてもらえれば、少しでもジャマルの無念を晴らせるんじゃないか、と思って……」
「いい心がけじゃないか」
亞唯が、腕を伸ばしてコンスタンサの腕をぽんぽんと叩いた。
「いいでしょう。ただし、すでにあなたの訃報が流れていることに留意してね。生きていることが知れたら、厄介なことになるから」
メガンがあっさりと折れ、同行を認めた。
コンスタンサを含めた一同は、地図を囲んで作戦の詳細を詰めた。打ち合わせが終わると、AI‐10たちは充電を行った。
午後十一時過ぎ、一同はSUVに乗り込むとノポリ少佐の自宅を目指した。裏通りに車を停め、ジョーを留守番に残して徒歩で接近する。
ノポリ少佐宅はコンクリートの塀に囲まれていた。真新しい家屋は小さかったが、夫婦二人暮らしならば充分な大きさだろう。広々とした庭はいささか手入れが悪く、雑草が繁茂している。
「なんや、あれ」
雛菊が、雑草の中に妙なものを見つけて指さした。高さ三十センチくらいの石像が、間隔を置いて何体も突っ立っている。
「魔除けの像ですぅ。古い家にはよくあるんですが、新しい家には珍しいですねぇ」
「あれも魔除けでしょうか?」
シオは庭木の枝から下がっている布切れを指差した。雨風に晒されてすっかり変色しているが、元々は白い布だったようだ。
「そうですぅ。どうやらノポリ少佐は、迷信深い人のようですねぇ」
「あんなものもありますわ」
スカディが、指差した。玄関の脇の壁に、大きな仮面のような物が飾ってある。日本の鬼の面と、狛犬を混ぜ合わせたようなご面相だ。
「ねえ、ミズ・トロエ。このあたりの人って、幽霊とか信じる方なのかしら?」
何かを思いついたのか、にやつきながらメガンが訊いた。
「カトリック信仰が浸透していますけど、ほとんどの人は昔ながらの幽霊を信じていますよ。特に、この世に未練を残して死んだ幽霊は、害を為すとして恐れられています」
「ふん。……じゃあ、ちょっと遊んでみましょうか」
目覚めたとたんに気付いたのは、生臭い匂いだった。
家が海沿いにあるから、潮の香りがすることは珍しくはない。だが、これほど濃厚な生臭い匂いは異様だった。不審を覚えたノポリ少佐は、薄い上掛けを跳ね除けると起き上がり……そこで硬直した。
寝室の中に、淡く青白い光に照らされた若い女性が立っていた。全身ずぶ濡れで、黒髪が肌に張り付いている。手先や顎先からは水がしたたり落ちており、髪と服には海藻の切れ端がまとわりついていた。
顔には見覚えがあった。ハリアン・メイアルーアの記者、コンスタンサ・トロエだ。
……先日爆殺したはずの。
ひっという悲鳴がノポリ少佐の背後で聞こえ、続いてどさりという物音がした。……気配で起きた妻が、気絶したのだ。だが、硬直しているノポリ少佐には、愛妻を気遣う余裕はなかった。
「……なぜ、殺したのですかぁ~」
コンスタンサが、一歩ノポリ少佐に近付いた。びちゃり、という水音が、大きく響く。
「く、来るな!」
ノポリ少佐はぶるぶると震えながら、信仰する神の名と知っている聖人の名を片端から唱え始めた。だが、コンスタンサの幽霊は意に介さないようだった。もう一歩、歩みを進める。生臭い匂いが、一層強くなった。
「なぜ、殺したのですかぁ~」
執拗に、幽霊が訊いてくる。
「命令されただけだ! マラミス大佐から、口頭で命じられた! おれは命令に従っただけだ! 頼むから恨まんでくれ!」
幽霊が望むものを与えるしか、消えてもらう方法はないと悟ったノポリ少佐は、洗いざらいぶちまけ始めた。情報が出尽くしたところで、隠れていた亞唯が近寄り、電撃で気絶させる。
「はい、カット。いい演技だったわよ、ミズ・トロエ」
からからと笑いながら、メガンがタオルをコンスタンサに手渡す。
「二度とやりませんからね」
コンスタンサが、髪にへばりついていた海藻……海岸で拾ってきたものだ……を投げ捨て、髪の水気をタオルで拭き始める。
「まさに怪演でしたぁ~。お見事ですぅ~」
ゴミ捨て場で見つけた青セロファン……たぶんキャンディの包み紙……をかぶせたLEDライトで照明係を務めていたベルが、褒める。
「とりあえずの黒幕が国家憲兵隊司令官、マラミス大佐であることがこれではっきりしたわけですわね。……ってシオ。もうそれ捨ててきなさい」
SE担当として水音を出していたスカディが、海岸で拾ってきた魚や蟹の死骸、腐った海藻などを使って生臭い匂いを出していたシオに命ずる。
「はいなのです!」
シオはさっそく『ゴミ』を捨てに外に出た。
一同はノポリ少佐をセーフハウスに連れて帰り、改めて尋問を行った。最初は尋問に抵抗したノポリ少佐だったが、雛菊が撮影していた『自白』の映像を見せられ、さらにメガンに取り引き……すべてを話してくれればCIAを敵に回したことを不問にする……を持ち掛けられると、あっさりと落ちた。
「命令は口頭。文書は無し。つまり、マラミス大佐有罪の証拠はノポリ少佐の証言のみ、ということだね」
ノポリ少佐のサイン入り供述書を手に、ジョーが言う。
「これは、マラミス大佐を拉致って吐かせるしかありませんね!」
シオは勢い込んで言った。
「お待ちなさい、シオ。今度の相手は国防会議に出席できるほどの地位なのよ。ノポリ少佐やオロティカ大尉のような小物ではないわ」
スカディが、たしなめる。
「とは言え、時間を掛けても事態は好転しないのも事実よね。ここはひとつ、直接対決と行きましょうか。明日、国家憲兵隊本部にみんなで押しかけましょう」
メガンが、決断する。
「……大丈夫かな?」
亞唯が、訝った。
「もちろん、準備は十二分に整えたうえでね。マラミス大佐のような大物が陰謀に加担していると証明できれば、ラニアガ大統領にその事実を伝えて協力要請できるはずよ。そうなれば、一気に陰謀を暴けるかもしれない。気合いを入れていきましょう」
翌日、メガンとAI‐10六体は、電話でマラミス大佐が出勤していることを確認してから、国家憲兵隊本部ビルに出向いた。ベレッタM12S短機関銃を抱えた門衛はロボットがビル内に入ることに難色を示したが、メガンのCIAの身分がものを言って、五分間の押し問答の末、上から入館の許可が出る。
一行は案内の女性少尉に連れられて、エレベーターに乗せられた。いかにもお役所臭い殺風景な廊下を歩み、司令官執務室に通される。
「ようこそ。で、何の御用ですかな」
国家憲兵隊の白い制服ではなく、ありきたりのビジネススーツに身を包んだマラミス大佐が、にこやかに出迎えてくれた。メガンが改めて名乗り、CIAのIDカードを提示する。
「結構。では、彼女たちは?」
マラミス大佐が、AI‐10たちを見やる。彼女、という単語にジョーがむっとした表情を見せたが、口は挟まなかった。
「助手ですわ」
メガンが、あっさりと流した。
「どうやら、深刻なお話のようですな。会議室でうかがいましょう」
マラミス大佐が、隣室へつながる分厚い扉を開いた。ホテルマンのような恭しいしぐさで、入室を促す。
「どうぞ」
全員が会議室内の座席に落ち着いたところで、メガンが話し始めた。漁船爆破の処から始め、ノポリ少佐の証言まで詳しく話して聞かせる。
「なるほど。ノポリが行方不明だと聞いていましたが、CIAが拉致していたとは」
わざとらしい驚きの表情で、マラミス大佐が言う。
「CIAとしては、大佐も利用されているだけだと判断しています。どうでしょう。CIAに協力していただけませんか?」
メガンが下手に出た。
「協力しても益はないでしょう」
「CIAを敵に回すおつもりですか?」
メガンが言って、マラミスを見据えた。
不意に、会議室の扉が開いた。白い制服の国家憲兵隊員が十名近く、なだれ込んでくる。全員が、M12短機関銃で武装していた。その銃口が、メガンとAI‐10たちにぴたりと向けられる。
「この会議室はシールドルームだ。完全防音だから、発砲しても誰にも気付かれない。あらゆる電磁波を遮蔽するから、そのロボットたちが内蔵しているはずの無線機も役に立たない。助けは来ないぞ」
勝ち誇った笑みを湛えて、マラミス大佐が説明した。
第二十三話をお届けします。




