第二十一話
亞唯とシオとベルが、船体用の材木を切り出し始めた頃……。
ココヤシの樹にするすると登った船長が、ナイフでその大きな葉を次々と切り落とす。
ココヤシの葉は長さ四から五メートルほどもある大きなものである。その形状は羽状複葉と呼ばれ、その名の通り鳥の羽根のように細長い小葉が葉茎の両側にびっしりと付いている。この葉を葉茎の真ん中で縦に二つに割り、長さ六十から八十センチほどの小葉を葉茎に付けたまま織り込んでゆくと、細長いシート状の筵のような物が作れる。
船長が編み方を説明するのをしっかりと記録したスカディと雛菊は、葉編みを開始した。AI‐10の指先は人間よりも不器用だが、同じ動きを繰り返す作業には向いている、しかし、自然物であるココヤシの葉は工業製品のようにサイズや品質が一定しているわけではない。葉茎に近い部分と、葉先付近のでは、葉の幅も厚さもしなやかさも異なるので、加減を常に微調整しなければきれいに編むことはできないのだ。人間ならば無意識のうちに行えるこれらの手作業も、ロボットにとっては厳密な計算処理を必要とする複雑な動作なのである。しばし協議したスカディと雛菊は、作業工程を分担することにした。太めの部分はスカディが編み、残りの細めの部分は雛菊が担当することにしたのだ。これで、作業効率はだいぶ向上した。だが、これでも船長の編む速度の三分の一程度しか出せない。
「ヤシの葉編みなんて、小学校の時以来ですぅ」
そんなことを言いながら、コンスタンサが編んでゆく。伝統工芸の学習として、簡単なかご編みなどは授業で教えられるらしい。
二時間ほど黙々と作業を続けると、ヤシの葉のシートが何枚も溜まってきた。船長が、小葉を使ってそれらを大きな一枚にまとめ始める。
いったんココヤシジュース休憩を挟み……もちろんスカディと雛菊は作業を続けたが……約三時間で四メートル×三メートルほどの濃い緑色の帆が完成した。厚く、重く、不細工だが、風を受ける分には問題ない。
「船体組はもう少し掛かりそうやな」
組み立てに奮闘している亞唯、シオ、ベルの方を眺めながら、雛菊が言った。
「天候は申し分ない。風向きもいい。昼前に出帆できれば、日暮れ前までには本島南方の海域に着けるぞ」
日差しを浴びて輝く海を見やりながら、船長が言った。
「夕方になったら、漁船が港に帰ってしまうのでは?」
スカディが、懸念の表情で訊く。
「そのおそれはあるな。だが、あの辺りなら潮は落ち着いているし、帆を降ろして漂泊していても遠くまで流されることもない。朝になれば、見つけてもらえるよ。あんたらが良ければ、今日中に船を出そう。……いや、船じゃなくて筏だったな」
船長が、苦笑する。
「では、船体が出来上がるまで出港準備をしましょう」
スカディが、うなずいた。
二人と二体は作業を再開した。船長がココヤシの樹に登り、航海中の飲料と食料にするためにココヤシの実を切り落とす。コンスタンサは、帆編みを始めた。航海中に帆が損傷した場合の補修用だ。スカディと雛菊は、ここまで乗ってきた残骸から有用なものを集めて運んだ。
ほどなく、船体組が完成報告に来た。全員が協力して、最終仕上げに掛かる。小葉を使って、帆の上端と下端を帆桁にしっかりと固定する。さらにそれを、ベルのパラコードを使って帆柱に結わえ付ける。帆桁の端……つまり横帆の四隅に、長めのパラコードを結び付ける。これで、パラコードを引っ張ることで帆を自在に操れるようになった。
ポリスチレン製の浮きなど、浮力材として使えるものは筏本体に魚網で固定した。細い枝を組み合わせて、キャビンの骨組みを作り、そこに薄膜太陽電池シートを張る。人間二人用の日よけを作りながら、AI‐10が充電できるという一石二鳥の工夫である。
最後に、ココヤシの実を積み込んで網でしっかりと固定する。
「これで完成なのですぅ~」
ベルが、嬉し気に宣言する。
「よし、出帆準備は整ったな」
船長が、満足げに言った。
「いいえ! まだなのです!」
シオは異議を唱えた。
「まだ何か見落としがあるのかしら?」
スカディが、訝し気にシオを見る。
「船名を決めていないのです! 名無しでは進水できないのです!」
「なるほど。一理あるな」
シオの意見に、亞唯が同調する。
「……いいでしょう。で、どんな名前をご所望なのかしら?」
悪い予測から来るため息交じりに、スカディが訊く。
「ここはやはり、有名どころで『タイタニック』はいかがでしょうか!」
シオは自信ありげに言い張った。
「いや、『サイクロプス』なんてどうだ?」
亞唯が、言う。
「『ホワイトシップ』がええで」
にやにやしながら、雛菊が言う。
「『コバヤシマル』などいかがでしょうかぁ~」
ベルが、控えめに提案する。
スカディが、深いため息をついた。
「……どうして縁起の悪い船名ばかり持ってくるのかしら……」
「ふむ。船名なら、お嬢さんに付けてもらおうじゃないか」
船長が、提案した。
「それが良さそうですわね。セニョリータ・トロエ。なにかいい名前はありませんか?」
立ち直ったスカディが、訊く。
「……うーん。そうですねぇ」
問われたコンスタンサが、顎に指をあてて考え込む。数秒後、悩まし気な顔がぱっと輝いた。
「そうだ。『カロリーナ』っていうのは、どうでしょうか?」
「娘の名か。気に入ったぞ」
船長が、顔をほころばせる。
AI‐10五体が、『カロリーナ』を担ぎ上げ、海へと入ってゆく。
浮力は充分であった。人間二人とAI‐10五体、さらに雑多な積載物合計四百キログラムほどが乗っても、まだゆとりをもって海水に浮いている。
パドル代わりの木切れでAI‐10たちが水を掻き、島から離れた処で船長が帆の角度を調整し、風を受け始めた。東からの風に乗って、筏がするすると進み始める。
「五ノットは出てるな。素晴らしい」
海面を見て、船長が速度を推定する。
「船長。日よけの下に入って下さい。進路は北西でよろしいのですね?」
スカディが、訊く。
「それでいい。じゃあ、頼んだぞ」
船長が、キャビンの中に入ってコンスタンサの隣に腰を下ろした。
AI‐10たちは、それぞれの配置についた。亞唯が艇首……いや、筏首か……で見張り役。シオとベルが、帆の後方左右に陣取って、パラコードの端を握って帆の調整を行う。筏尾に座る雛菊が、後方と左右に目を配る。スカディは、空を見張るとともにその聴音能力を生かして、航空機のエンジン音などに注意を払う。
穏やかだが一定している東風に助けられ、筏は緩いうねりをものともせずに進んでゆく。だが、順調な航海は三時間ほどで終わってしまった。風が、急に弱まったのだ。相変わらず北西方向に進み続けていたが、船足……筏足か……が三ノットほどに落ちてしまう。
「これじゃ、日暮れまでに目標海域にたどり着けないな」
困り顔で、船長が言う。
「救助は明日の朝になりそうだな」
亞唯が、肩をすくめた。
これといった対応策もなく、一行は航海を続けた。太陽の位置が、徐々に下がってくる。
と、いきなり五百メートルほど前方の海面に、黒々とした物体が出現した。白いしぶきを纏いつかせながら、艦首とセイルが海面を割ってぬっと顔を出す。
潜水艦だ。
「あれは……ノーチラス号!」
シオはいきなりボケた。
「轟天号やろ」
雛菊が続く。
「ブルーノアではないでしょうかぁ~」
ベルが、乗っかった。
「やまと、だろ」
亞唯が言う。
「ネモ船長も神宮司大佐も土門艦長も海江田艦長も乗っていませんわ。セイルに潜舵が見えませんから、ロサンゼルス級SSNのフライトⅢのようですわね」
スカディが突っ込みつつ、冷静に艦種を識別する。
一同が驚きの表情で見つめる中、浮上した潜水艦はゆっくりと筏に近寄ってきた。そのセイルの上から、見知った顔がひょいと覗く。
細い茶色のリボンでまとめられた黒髪ツインテール。ジョーだ。
「ジョーきゅんではないですか!」
シオは驚いて筏の上で飛び上がった。筏がぐらりと揺れ、他のAI‐10たちが迷惑そうな顔であちこちに掴まって身体を支える。
「やあみんな! 久しぶりだね!」
ジョーが、ぴょこぴょこと手を振る。
「何であなたがそんな処にいるのかしら?」
スカディが、訊いた。
「君たちが関わっていると知って、メガンが呼び寄せたんだよ! ボクはパールからこれに便乗して来たんだ。散々探したんだよ! さあ、早く乗って!」
セイル直後のハッチが、ぱかんと開いた。数名の乗員が出てきて、うち一人がライン・スロアー用のショットガンを構え、発射する。浮きを付けたロープが飛翔し、筏のすぐ側の海面に落ちた。船長が海に入り、ロープを回収して筏に縛り付ける。
一行はすぐに艦内に収容された。ジョーの案内で、士官室に連れ込まれる。AI‐10たちは、手土産代わりに一個ずつ抱えてきたココヤシの実を、居合わせた潜水艦乗員に押し付けた。代わりに、何枚ものタオルを渡される。
「USSサンタフェへようこそ! ボクはジョーだよ!」
ジョーがにこやかに、船長とコンスタンサに自己紹介する。
「しかしSSN(原子力潜水艦)とは豪儀ですわね」
スカディが感心したように言う。
「この件に関しては海軍も神経質になっているんだよ! こんなところに人民解放海軍のSSBN(弾道ミサイル搭載原子力潜水艦)基地なんて作られたらたまったものではないからね! CIAに全面協力さ! 先乗りしていた駆逐艦の他に、この艦と巡洋艦一隻、フリゲート一隻がパールから来てるし、明日になれば日本から強襲揚陸艦一隻とフリゲート一隻が来るんだよ!」
ジョーが、自慢げに言う。
「物騒ですねぇ~」
ベルが、わざとらしく身を震わせる。
「もちろん名目は訓練だよ! 選挙が終わったら親善訪問や交歓プログラムを行う話も進んでるよ! MV‐22Bで小学校を訪問したりするんだ!」
「オスプレイで小学校訪問ですか! 日本でやったら、左翼のみなさんが悶絶死してしまいそうなのです!」
シオは素直に感想を述べた。
身体や髪を拭きながら二分ほど待っていると、士官室にがっしりとした体格の海軍士官がやってきた。白い軍装に付いている記章は、中佐だ。
「紹介するよ! 本艦の艦長、ジャレット中佐だ!」
嬉し気に、ジョーが艦長をみなに披露する。
「ご無事でなによりです、みなさん。事情はジョーから伺っています。すぐに、メイアルーア本島までお連れします。どうぞ、寛いでください」
ジャレット艦長は挨拶するとすぐに引っ込んだ、入れ違いに衛生下士官がやってきて、船長とコンスタンサを簡単に診察する。そのあいだに、水兵がコーヒーと軽食の支度を整えてくれた。
「君たちも寛いでよ! 充電は自由にしていいよ!」
ジョーが、壁のコンセントを指差す。太陽電池で多少は充電できたとは言え、漂流と筏造りで相当にバッテリーを消耗していたAHOの子たちは、ありがたく各々のプラグをコンセントに差し込んだ。
充電しながら、スカディと亞唯がジョーに漁船沈没とその後の漂流、筏造りと脱出行について説明する。
「それでわかったよ! 君たちが消息を絶ってから、衛星画像でこの辺りの海域をくまなく探したけど、漂流しているところを見つけられなかったのは、島にいたからなんだね! とにかく、無事で良かったよ! まあ、君たちなら、簡単にくたばるわけないけどね!」
訊き終えたジョーが、明るい表情で言った。
「それで、状況に変化はあったのでありますか?」
シオは気がかりだった事柄を尋ねた。大統領選挙は明後日なのだ。急いで陰謀を潰さないと、本当に親中政権が誕生しかねない。
「それが、大変な事態になっているんだよ! 君たちが無人島でのんびりしているあいだにね! メイアルーア人民民主党のナジブ・アルシャッド候補と、メイアルーア自由民主党のアントニオ・ワルア候補が、実質的に選挙戦を降りたんだ! 両候補の票は大部分がメイアルーア民主社会党のエルネスト・セパグ候補に流れるから、与党候補のバジーリオ・スウ経済産業大臣が負ける公算が大になったよ!」
「緑馬と桃猿の候補が降りて、黄鹿に一本化したわけやな。……ジャマルはんが探り出したシナリオ通りの展開やな」
おとなしくコーヒーを啜っているコンスタンサをちらりと見やって、雛菊が言う。
「まずいわね。ジョー、メガンと連絡を取れるかしら? 国家憲兵隊のノポリ少佐が陰謀に加担していることは、明白だわ。彼を締め上げれば、なにか情報を得られるでしょう」
スカディが、そう依頼する。
「水上部隊もだ。艦番号07の哨戒艇の連中も、締め上げる必要がある」
亞唯が、付け加える。
「よし、艦長に頼んでくるよ」
立ち上がったジョーが、士官室を出て行った。
SSN763〈サンタフェ〉が、再び浮上した。
ジョーも加わって六体に増えたAI‐10たちと船長、コンスタンサは、ゴムボートを使ってメガンが手配した迎えの漁船に移乗した。……さすがに原子力潜水艦でサン・ジュアン港に直接乗り付けるわけにはいかない。
「船長。漁船は最新型をCIAがプレゼントするから、それで勘弁してもらえるかい? もちろん、この一件は口外しないという条件付きだけど」
ジョーが、おもねるように言う。
「潜水艦にまで乗せられちゃあ、船乗りの端くれとしては黙らざるを得ないな」
船長が、苦笑しつつ承諾する。
漁船が減速し、50フィートクラスのモーターヨット……日本ではクルーザーと言った方が通りがいいが……に進路を譲った。船尾にマレーシア国旗を掲げた白い船体が、防波堤の内側に入ってゆく。漁船がそれに続き、漁船用岸壁を目指した。
岸壁には、メガン差し回しのSUVが待っていた。船長とはそこで別れ、コンスタンサを含む一行はCIAのセーフハウスに向かった。
「お帰りなさい」
出迎えてくれたメガンの表情は曇っていた。
「どうしたんだい?」
ジョーが、訊く。
「いい報せと悪い報せがあるわ。どっちから聞きたい?」
メガンが、言う。
「より早い処置が必要な方から、ですわね」
スカディが、しごく論理的な物言いをする。メガンが、微笑んだ。
「ロボットらしい回答ね。では、悪い報せからにしましょう。メイアルーア防衛軍水上部隊の艦番号07の艇長、トマス・オロティカ大尉と、国家憲兵隊カルロス・ノポリ少佐の姿が消えているの。今、アルをリーダーとして人員を集中させて調べているけど、どこにも居ないのよ」
「はっと! 二人とも陰謀勢力に消されたのでは?」
シオは息を呑んだ。
「ないやろー。いくら手駒とはいえ無駄遣いしてたらたちまち人手不足で身動き取れなくなるでぇ」
雛菊が、突っ込む。
「では、いい報せの方をお聞かせください」
コンスタンサが、頼む。
「ようやく、ジャマルが入手した書類の内容が大まかにではあるけれど復元できたわ。やはり、野党のひとつが中心となって企んだ陰謀のようね。他のふたつは利用されているだけ。ただし、その野党が三つのうちのどれかは判らない」
「緑馬と桃猿の候補が降りて、黄鹿に一本化したのですから、メイアルーア民主社会党が犯人、というのは単純すぎるでしょうかぁ~?」
ベルが、首を傾げつつ言う。
「最有力容疑者というのは確かね。今のところ、証拠は何もないけど」
メガンが、ため息交じりに言う。
「なあ。そろそろ、メイアルーア政府の手を借りられないのか?」
亞唯が、訊いた。
「まだ無理ね。もう少し証拠が揃わないと。ノポリ少佐ですら、陰謀全体からすれば小さな駒に過ぎないはずよ。もう少し大物を捕まえて大統領の前に突き出せれば、合衆国の関与が国民に発覚しても政権への打撃にはならないんだけど……」
「いずれにせよ、選挙当日まで時間がないのであります!」
シオはそう指摘した。
「そうね。実は、ジャマルが入手した情報の全容が判明すれば、もう少し具体的な証拠が得られると期待していたのよ。それに時間が掛かりそうだったから、爆弾騒ぎを起こして政府による非常事態宣言を出させて、選挙を延期させることを狙っていたわけ。復元が予定よりも早く終わったのは朗報だけど、内容は期待したほどではなかった。このままでは選挙延期の可能性はないから、何とか明日のうちに確たる証拠を手に入れなければならないのだけど……」
メガンの声が、自信なさげに消え入る。
第二十一話をお届けします。




