第十八話
翌朝午前六時半頃、スカディ、シオ、雛菊の三体は、コンスタンサを護衛しつつホテルを出た。念のためフォーチュナーに妙なものが仕掛けられていないことを確認してから乗り込み、港へと向かう。
サン・ジュアン港の漁船用岸壁には、すでに亞唯とベルの姿があった。足元には、AI‐10一体がすっぽりと収まるほどの木箱が置かれている。……もちろん、メガンから借りた『装備』が詰められた箱である。
「あ、あの船ですぅ」
コンスタンサが、岸壁に舫っている一隻の漁船を指差した。そのデッキ上で、アザリ族にしては背の高い……百八十センチ近くはあるだろうか……痩身の中年男性が、こちらを見つけたのか手を振っている。
一行が近付くと、中年男が身軽に岸壁に飛び降りた。日に焼けているのか、普通のアザリ族よりも色黒で、メラネシア人のようにも見える。
「紹介します。カロリーナのお父さんです」
コンスタンサが、ポルトガル語で中年男を紹介する。
「サメヘナだ。船長と呼んでくれると嬉しいな」
気さくな口調で、サメヘナ船長が自己紹介し、ロボットを乗せるのは初めてだ、と笑顔で付け加えた。
「よろしくお願いしますわ、船長。出港準備は、整っていますの?」
スカディが、訊く。
「すべて整えた。あとはエンジン掛けるだけだ。いつでも出発できるよ」
笑顔のままスカディを見下ろして、船長が応じる。
「では亞唯とベルは装備を運び込んでちょうだい。そのあとで、念のため船内のチェックを。わたくしたちは、取材名目でフェリー埠頭に行きます」
日本語で、スカディが指示を出す。
「取材ですかぁ?」
怪訝そうな顔で、コンスタンサが首を傾げる。
「こちらが罠に嵌まった、ということを敵に教えてあげる必要がありますわ。ついでに、メガンとアルがちゃんとフェリーに乗るかどうかを確かめましょう。大統領候補の警護状況も知りたいですわ。場合によっては、警察局や国家憲兵隊の手を借りることになるかもしれませんし」
「な、なるほど」
スカディの説明に納得したコンスタンサが、持参したバッグの中からごそごそと愛用のデジタルカメラを取り出す。
スカディ、シオ、雛菊の三体は、コンスタンサを囲むようにして近くにあるフェリー埠頭まで歩いた。メイアルーア本島とネーヴェ島を結ぶフェリーは小型のものが二隻あり、約三時間の航路を毎日一往復半している。朝八時に本島とネーヴェ島の双方を出発し、洋上ですれ違って十一時頃に到着。十一時三十分に出発してまたすれ違い、十四時三十分に到着。そして十五時に出発して十八時に到着、というスケジュールである。大統領候補たちは、朝八時の便で本島を離れ、十五時にネーヴェ島を発つ便で戻ってくる予定であった。
まだ大統領候補は誰も到着していなかったが、すでにフェリー埠頭のあたりには大勢の人が集まっていた。各候補の支持者、警備の警察官、国家憲兵隊員、テレビ局を含むジャーナリストたち、そして単なる野次馬。
ジャーナリストたちの中は、メガンとアルの姿があった。こちらに気付いたアルが、面白いものを見つけたといった顔でカメラを構え、一枚撮ってくれる。
「警察局の責任者はレンコン警視のようですねぇ」
何人もの警察官を相手に、なにやら相談しているスーツ姿の男性を見つけたコンスタンサが、言う。
「国立劇場でも責任者だった、あの人やね」
雛菊が、言った。
「そうですぅ。国家憲兵隊側は、ノポリ少佐ですねぇ」
何かの図面を広げ、部下と打ち合わせている中背のアザリ族男性を、コンスタンサが指さす。
「頼りになる人でしょうか?」
シオは訊いた。ちょっと貧相なイメージの男性で、あまり有能そうには見えない。
「結構なやり手で知られてますよぉ。司令官のお気に入りらしいですぅ」
「まあ、デモンストレーションはこんなところで充分でしょう。戻りましょうか」
スカディが、命じた。
サメヘナ船長の漁船は、木造船であった。といっても、完全な木製ではなく、補強や防水が必要な部分には、金属やプラスチックが使われている。
全長は二十メートルほど。通常、このくらいのサイズの漁船は、操舵室が船尾に近い部分に設けられているが、この船は流し刺し網漁船なので、操舵室はかなり前寄りにある。船首部分は波除けのために一段高く盛り上がっており、そこに張られた甲板の下には装具入れがある。前部デッキの下は魚槽で、プラスチック製の上げ蓋で覆われている。その後ろに簡易な屋根付きの操舵室があり、そのさらに後方は広々とした漁労用の作業デッキとなっている。作業デッキ右舷側に、巨大な糸巻きのようなネットホーラーと呼ばれる漁網巻き取り用の電動ウインチがある。作業デッキの下は機関室で、ディーゼルエンジンと燃料タンクがあった。
「他の乗員の皆さんはどこにいるのでありますか?」
漁船に乗り込んだシオは、きょろきょろとあたりを見回した。
「休みをやったよ。ネーヴェ島まで往復するだけなら、俺ひとりで充分だ。人数が増えると、それだけチャーター料金が増えちまうぞ」
笑いながら、船長が答える。
「では船長、お願いしますわ」
スカディが、頼んだ。
「よっしゃ」
船長が、操舵室内にある階段を下りて機関室に向かった。すぐにディーゼルエンジンが始動する。
「今日は天気もいいし、波も穏やか。風もいつも通りの南東の風だ。いい航海になるぞ」
操舵室に戻ってきた船長が、わずかな航海機器類をチェックしながら言う。今時の日本の漁船ならば、このクラスでも無線に航海レーダーにGPS受信機、自動方向探知機、魚群探知機などが装備されていることが普通だが、この船にはコンパスと受信専用のラジオ、それに古そうなクロノメーター程度しかないようだ。
船長が、岸壁に向かって合図を送ると、仲間の漁民らしい男が舫綱を解いて、船に投げてくれた。亞唯が気を利かせてそれをくるくると巻いてデッキに固定する。
漁船はゆっくりと岸壁を離れ、防波堤に守られた漁港の中を滑るように走り出した。塩気をたっぷりと含んだ朝の風が、デッキ上に突っ立っているAI‐10たちの髪をなぶってゆく。
「哨戒艇がいるな。水上部隊の奴だ」
フェリー埠頭の沖合で漂泊している小艇を、亞唯が指さした。
「フェリーの護衛ね。ダーメン・スタン4207型」
スカディが、言う。オランダ製の哨戒艇で、全長は四十三メートルほど。長い上構が特徴的で、小柄な割にどっしりとした印象を受ける艇である。
「メイアルーアの艇は、重武装ですねぇ」
必要ないのに小手をかざして眺めながら、ベルが言った。同じシリーズの艇を導入した各国海軍や沿岸警備隊、税関などは非武装か汎用機関銃程度の武装しかしていないが、メイアルーア水上部隊では前部甲板にフランス製のF2タイプA/二十ミリ機関砲を、後部甲板におなじみアメリカ製M2重機関銃を備えている。
「メイアルーア水上部隊じゃ、主力艦やからな」
雛菊が、くすくすと笑った。
「これなら、海上保安庁でも勝てそうですね!」
シオはそう言った。ボフォース四十ミリ機関砲を搭載している巡視船なら、余裕でアウトレンジして勝てるだろう。
漁船が、防波堤を迂回するようにして外海に出た。うねりが、船体を揺らし始める。
「では周囲の警戒に入りましょう。亞唯、あなたは船首方向を。雛菊は右舷、ベルが左舷。シオ、あなたは船尾を頼みます。わたくしは、対空警戒を行いますわ」
てきぱきと、スカディが取り決める。
「あのぉ。わたしは何をすればいいのでしょうかぁ?」
遠慮がちに、コンスタンサが訊いてくる。
「あなたも海は慣れていないのでしょう。船酔いで倒れられても困ります。休んでいてください。ただし、いざという時は船長のことを頼みますわ」
スカディが丁寧だが断固たる口調で言う。船長には、ネーヴェ島行きの真の目的については話していないのだ。戦闘が始まった時にパニックを起こされては困る。
漁船は順調にほぼ真東に向け進んでいった。速度は十二ノット(時速約二十二キロメートル)程度。この漁船の経済速度より速いが、後発のフェリーに追い越されないためにはこのくらいの速度が必要である。
メイアルーア本島に近い海域には、何隻か漁船の姿が見えたが、沖合に出ると他の船の姿はまったく見えなくなった。快調なディーゼルエンジンの音を響かせながら、空と海の鮮やかな青が広がる中を、漁船は滑るように進んでゆく。
一時間半ほど経つと、船尾方向に淡い藍色に見えていたメイアルーア島が水平線に没し、三百六十度見渡す限り陸地のない海面となった。水平線にへばり付くように白い雲がちらほら見える以外、海も空も青一色だ。
船尾に立つシオは大海原の監視を続けた。担当区域を電子ズームでくまなく探り、三十秒に一回は通常モードに切り替えて全体を見渡す。
「左舷前方に船影」
出港から二時間ほど経過したところで、船首で見張りを続ける亞唯が声を上げ、他の者の注意を促した。
「目がいいな。だが、ありゃネーヴェ島から来たフェリーだよ」
コンスタンサの通訳を聞いた船長が、顔をほころばせる。
十六ノットほどの速度で進んできた小型フェリーが、漁船の左舷七百メートルほどのところを逆航してゆく。シオは手を振ってみたが、誰も気づかなかったようだ。フェリーはそのまま、遠ざかっていった。
「どうやら、いつもより南向きの潮流が強いな」
船長が言って、進路を微調整した。サン・ジュアン港とネーヴェ港を直線で結ぶルートを航行しているので、同航路を使っているフェリーとすれ違う場合、衝突が懸念されるほど近くを通るはずなのに、七百メートルも離れていたということは、それだけ潮流によって流された、ということらしい。
三時間が過ぎると、さすがにシオも警戒に飽きを覚えた。他のAHOの子たちも同様だったらしく、部署交代のアイデアが出る。シオは雛菊と交代し、右舷の見張りについた。人間ならば、先ほどと同じことをやらねばならぬのだから何の解決策にもならないが、AI‐10の疑似感情プログラムにとっては居場所の変更は『飽き』発生条件を解消させるに足るものであった。シオは新鮮な『気分』で嬉々として右舷の見張りを続けた。
「ネーヴェ島が見えたぞ」
三時間半が経過したころ、船長が大声で言って前方を指差した。
シオは右舷から身を乗り出すようにして前方を見た。だが、まだ島影は見えない。シオの眼の高さは、操舵室で立っている船長よりもかなり低いのだから、無理はない。
やがて、シオの眼にも島が見え出した。ネーヴェ(雪)という南洋には不釣り合いな名前のとおり、薄く茶色がかった白だ。サンゴ礁と白い海鳥、それに乾燥した糞のせいで、島全体が薄汚れた雪に覆われているように見える。
「結局、襲撃はなかったわね」
近付く島を観察しながら、スカディが言った。
「そうだな。島内で襲う気かな」
予期していた戦闘が無かったことに不満なのか、亞唯が少し苛ついた感じで応じる。
漁船は速度を落とすと防波堤の内側に入った。そのころにはもう、大統領候補三名を乗せたフェリーボートが、その姿を数キロ離れた沖合に現わしていた。水上部隊の哨戒艇が、並走しているのも見える。
船長が、漁船を漁港の岸壁に近づけた。船首に立った亞唯と雛菊が舫綱を投げ、待っていた漁港の男がそれをボラードに結び付ける。
コンスタンサを含む一行は岸壁に降り立った。装備を納めた箱も、漁船から降ろす。コンスタンサがスマホを使い、ネーヴェ島の通信員に到着を伝えた。
小型バイクに乗った通信員はすぐにやってきた。後ろに、タクシーを一台従えている。
「では船長。くれぐれも船を離れないようにお願いします」
スカディが、念押しする。
「任せろ」
船長が、笑顔で請け合った。
一行は装備の箱を抱えたままタクシーに乗り込んだ。どう見ても定員オーバー状態だが、この程度で警察に摘発されるような国ではない。通信員のバイクに先導されるようにして、海岸沿いにある通信員の家まで向かう。到着したところでタクシーの運転手にスカディが料金を払った。通信員には、コンスタンサが大統領候補の取材に向かうように指示を出す。……無関係の彼を巻き込むわけにはいかない。
通信員の家は、ごくありふれた造りであった。白壁とオレンジ色の瓦屋根からなる一階建てで、四部屋ほどのささやかなものだ。ただし、強い海風を防ぐために、外周を取り巻くように低いが丈夫な石垣が設けられている。
「こいつはいいな。弾除けにぴったりだ」
亞唯が、石垣の石を拳でこつこつと叩きながら言った。
「では、さっそく準備を始めましょう」
スカディが、命ずる。
AI‐10たちは木箱を食堂に運び込むと蓋を取り去った。中から武器弾薬を取り出し、各々が装備する。
「亞唯、あなたは南側をお願い。わたくしが東、シオが北、雛菊が西を見張って。ベル、あなたはトラップを仕掛けてちょうだい。それが終わったら、各自交代で充電。セニョリータ・トロエ。あなたは手筈通りにしてください。くれぐれも、屋外へは出ないように。よろしいですわね」
M1カービンに短い十五発弾倉をはめ込みながら、スカディが指示を出す。すぐに、コンスタンサがスマホを使い始めた。あちこちに電話を掛け、現在の居場所をさりげなく伝えるのだ。……敵がこちらの動きを見失っていた場合に備えての、用心である。
シオはM3サブマシンガンを抱えて裏口から外へ出た。石垣が切れている部分から外に出て、適当な石を数個拾ってきて、石垣内側の基部に積み上げる。そこに乗ると、顔が石垣の頂部から出るだけの高さが得られた。これならば見張るには好都合だし、銃を撃つにも便利である。
「トラップを仕掛けさせてもらいますぅ~」
裏口から出てきたベルが、石垣が切れている部分に目立つように紐を張った。無関係な人が入るのを防ぐためである。次いで、少し内側に入った場所の左右にシャベルで穴を掘り、手製の対人地雷を埋め込む。地面を入念に均して、地雷の痕跡を隠したベルが、今度は石垣が切れている箇所の正面の地面を荒らした。
「こうしておけば、悪い人は用心して右か左に避けるはずなのですぅ~。そうして、わたくしお手製地雷のどちらかに引っかかるという寸法なのですぅ~」
埋設を終えたベルが、嬉しそうに解説する。
シオは辛抱強く見張りを続けた。さすがにグアノの産地だけはあり、海鳥の数は多かった。おなじみのカモメ、尾の長いネッタイチョウ、白黒のカツオドリ、小さなアジサシなどなどが、群れや単独で頭上を飛び交っている。ごくたまに『爆撃』されることもあったが、幸いシオに直撃することはなかった。
「交代やで」
M1カービンを抱えた雛菊が出てきたのは、一時間半後であった。シオは異常無しを報告すると、家の中に入った。ちょうどお昼時だったので、キッチンではコンスタンサが鍋に湯を沸かし、インスタントラーメンを作っているところであった。
シオは食堂のコンセントで充電を開始した。ラーメンが出来上がったコンスタンサが、湯気の立つラーメン丼をテーブルに置く。
「おいしそうですね!」
シオは丼を覗き込んだ。薄い色のスープの中に、縮れ麺がたっぷりと入っている。
「インドミーのソトですぅ。インドネシアのブランドですねぇ。おいしいですよぉ」
コンスタンサが、フォークを使って食べ始めた。
「何味なのですか?」
「チキンですねぇ」
シオは、自分の名の由来をコンスタンサに教えてあげた。コンスタンサが、くすくすと笑う。
「そうだったんですかぁ。でも、可愛らしいいい名前だとおもいますよぉ」
「ありがとうなのであります!」
一時間掛けて充電を済ませたシオは、亞唯と交代して南側の警戒を始めた。時刻は、午後一時を回った。だが、敵の姿は現れない。
さらに時間が経過する。二時が過ぎ、三時が近付く。だが、依然敵の姿はない。
二時五十分を過ぎると、さすがのスカディもしびれを切らした。コンスタンサに、スマホで通信員と連絡を取るように頼む。
「大統領候補三名は、全員無事にフェリーに乗り込んだそうですぅ。出港準備は滞りなく進んでいるそうですぅ」
通話を終えたコンスタンサが、そう報告する。
AI‐10たちは警戒を続けながら、無線で意見を交換し合った。結局、ここにいても仕方がない、というところで意見の一致をみる。
コンスタンサが、タクシーの手配をした。シオは、仕掛けたトラップを淋しそうに片付けるベルを手伝った。さすがにこれは、残してゆくわけにはいかない。
第十八話をお届けします。




