第十三話
「ということは、あたいとコンスタンサちゃんの『塩素系漂白剤ぶっ掛け』は意味がなかったということなのでありますか?」
シオは唖然として大口を開けた。
ホテル・クリスタルの一室である。五体全員で顛末を姉崎氏に報告し、呆れ顔をされた後であった。すでに時刻は日暮れに近く、大きな窓からは夕陽が差し込み、室内は淡いオレンジ色に染まっている。
「そうだ。警察局から入った情報では、爆薬と信管が最初から接続されていなかったとのことだ。テロ組織は、脅しを掛けたかっただけで、元々爆破するつもりはなかったようだな」
重々しい口調で、ソファーに腰かけた姉崎氏が説明する。
「やっぱり。手近にあった液体をぶっ掛けたら爆発を防げた、なんてハリウッド映画みたいな都合のいいこと、そうそうあるわけないよ」
亞唯が、笑いながら言う。
続いてスカディが、姉崎氏に対し今夜ヴィーラ・アズールで爆破テロが行われるという情報について説明した。警察局と国家憲兵隊内部に、テロリストへの内通者がいる可能性も、指摘する。
「ふむ。しかし、ここはメイアルーア側に任せるしかないだろう。情報が内通者からテロリスト側に漏れたとしても、犯行阻止には繋がるはずだ」
聞き終えた姉崎氏が、そのような意見を述べた。
「ですが、これは大きなチャンスです。ただ単に犯行を阻止するだけでは勿体ない。テロリストを拘束し、口を割らせることができれば、事態は一挙に好転する可能性が高いです。これを切っ掛けに、テロ事件そのものを収束させることができるかも知れません」
スカディが、喰い下がる。
「……まさか、諸君らでテロリストを捕まえる気かね?」
姉崎氏が、呆れ顔で問う。
「許可さえいただければ」
真顔で、スカディが答える。
「破天荒な連中だとは聞いていたが……」
姉崎氏が、嘆息しつつ天井を仰いだ。
「それで、勝算はあるのかね?」
十数秒後、立ち直った姉崎氏が問うた。
「似たような任務は再三こなしています。テロリストの目標も推定可能ですし、夜間作戦も得意です。相手も重武装はしていないでしょう。こちらの内蔵武器だけで充分対抗可能ですわ」
自信ありげに、スカディが応じた。
「大使館はバックアップできないぞ。それどころか、日本の関与は一切認められない」
「大丈夫です。手は考えてあります」
「うむ。それで、首尾よくテロリストを拘束したらどうする気だね?」
姉崎氏が、不安げにソファーの上で尻の位置を変えながら訊いた。
「こちらで尋問します。その上で、情報と共にメイアルーア側に引き渡しますわ」
「捕らえたことをどうやって言い繕うのだね? 諸君らの正体をばらすわけにはいかない」
「明日の選挙監視団の予定を、ヴィーラ・アズールの投開票所視察に変更し、管理委員会と警察局にその旨通告していただけませんか? どうせ、爆破予定箇所もそこでしょう。下見に赴いたところで、テロリストと遭遇。取り押さえたということにすれば、それなりに説得力のある言い訳になると思いますわ」
「なるほど。考えたな」
姉崎氏が、唸る。
「この一件が片付けば、選挙監視団の安全も図れる。ぜひ許可して欲しい」
亞唯が、スカディの後ろから頼んだ。
「テロリストの手口は、だんだんエスカレートしてきているのであります! 今ここで阻止しないと、選挙監視団が標的にされるおそれがあるのです!」
シオも口を挟んだ。姉崎氏が、しぶしぶうなずく。
「君の言うとおりだな。だがいずれにしろ、この件はわたしの一存で許可が出せる案件ではない。本省に照会するとしよう。ところで、防衛省側は許可を出すと思うかね?」
姉崎氏が、スカディを見つめた。
「わたくしたちの上官なら、たぶん許可を出すと思いますわ」
しれっとした口調で、スカディが言う。シオはふんふんとうなずいた。長浜一佐なら、みんなを信じてゴーサインを出してくれるはずだ。……そのあとでたぶん、こっそりと胃薬を飲むだろうが。
「よろしい。わたしは大使館へ行って本省と連絡を取る。諸君らは、作戦実行を前提に準備を進めてよい。現地時間で朝六時までには、後始末も含めてすべてを終えて、ここに戻ってくること。これが最低条件だ。いいね」
姉崎氏が、立ち上がった。
「ありがとうございます。ご期待に副えるよう努力いたしますわ」
スカディが、ぺこりとお辞儀した。
「運転免許ですかぁ? もちろん、持ってますよぉ。メイアルーアには鉄道がありませんからねぇ。車の運転ができないと、新聞記者なんてやってられないですぅ」
数種の野菜にチーズ、燻製鶏肉、魚介のカルパッチョといった具材が添えられた冷たい前菜をつつきながら、コンスタンサが答える。
ホテル・クリスタルにあるイタリアン・レストランである。シオとスカディは、警察局に無事『怪しい男』について届け出を済ませて、約束通りやってきたコンスタンサを、ここに連れ込んでいた。
「そう。それは良かった。では車はお持ちかしら? あるいは、すぐに借りられるかしら?」
スカディが、訊く。
「さすがに今のお給料じゃ自家用車は買えませんねぇ。ですが、社有車ならすぐに借り出せますよぉ」
活動的な若い女性らしく、旺盛な食欲を見せて前菜を平らげつつ、コンスタンサが答えた。ちなみに、スカディが注文したのは三万エスクードのディナーコースである。若手記者の懐具合を考慮すれば、このレベルの料理を自腹で食べる機会はめったにないはずだ。ただし、スカディは今夜のことを考慮して、アルコールは出さないようにウェイターに言い含めておいた。
そのウェイターが、空になった皿を下げに来た。コンスタンサが、満足した表情でグラスのナチュラルウォーターを啜る。
スカディとシオは、あたりさわりのない会話をしながら次の皿を待った。ウェイターが、魚介のパスタの皿をテーブルに置く。トマトソースのペスカトーレだ。
「食べながら聞いていただけます?」
スカディが、ヴィーラ・アズールで今夜テロリストを捕まえるという作戦について説明を始める。
聞いていたコンスタンサの食べるスピードが、徐々に遅くなる。スカディが話し終えた時には、フォークは完全に止まっていた。
「……えーと、なんでそんな話をわたしにわざわざしてくれるんですかぁ」
吹き出た冷や汗を下品にナプキンで拭いながら、コンスタンサが訊く。
「ヴィーラ・アズールまで移動するのを、手伝ってもらおうかと思って」
しれっとした表情で、スカディが言ってのける。
「このご飯は罠だったのですねぇ……」
コンスタンサが、肩を落とした。
「大丈夫なのです! 今回の一件は、たまたまそこに居合わせたという形にして、記事にしてもいいのです! かなり検閲脚色捏造隠蔽歪曲加筆修正演出加工したうえで、ですが」
シオは励ますように言った。
「ちなみにこれ、三万エスクードのディナーだから」
追い打ちを掛けるように、スカディが告げる。
「……わかりましたぁ。協力しますよぉ。いずれにしても、自由選挙を妨害するテロ行為は許せませんしぃ。そうと決まれば、存分に食べさせてもらいますよぉ」
コンスタンサが、勢いよくパスタをフォークに巻き付け始める。
「ところで、デザートは何が出てくるんですかぁ?」
「メニューによれば、グラニータ(氷菓)ね」
スカディが、答える。
「追加で、パンナコッタとティラミスとボネと紅茶のアフォガート、それにレモンとピスタチオのジェラートもお願いしますぅ」
コンスタンサが、一気にまくしたてる。
「はいはい。お好きにどうぞ」
スカディが、鷹揚にうなずいた。
「で、コンスタンサちゃんはヴィーラ・アズールをよくご存じなのですか?」
アフォガート……バニラジェラートに濃い紅茶を掛けて食べるコンスタンサを見ながら、シオは尋ねた。
「詳しくはないですが、何度も行ったことはありますよぉ。海岸通りを三十分も走れば、着きますぅ。元々漁村でしたが、十数年前に近くの丘を切り開いて宅地開発が行われ、人口が増えましたぁ。首都に住むお金持ちの別宅なんかも、多いですよぉ」
「大使館に選挙管理委員会と警察局に問い合わせてもらいましたが、この町のカルチャーセンターが、投開票所になるようですわね。まず確実にそこが、爆破目標でしょう」
コンスタンサの説明をうなずきながら聞いていたスカディが、言う。
「でもぉ、投開票所の警備はしばらく前から強化されているはずですよねぇ」
ぱくり、とジェラートの乗ったスプーンを咥えながら、コンスタンサが言った。
「あ、ちょっと待ってくださいぃ」
急に眼を見開いたコンスタンサが、スプーンを置くと傍らに置いたバッグの中に手を突っ込んだ。かなりくたびれた手帳を取り出し、ぱらぱらと捲る。
「あ、あったぁ。やっぱり、明日ですぅ」
「何が明日なのでありますか?」
シオは首を傾げつつ訊いた。
「スウ候補の支持者集会ですぅ。明日の午前九時から、ヴィーラ・アズールのサント・アタナシオ小学校。テロ組織は、こちらを狙っているのではないでしょうかぁ」
「なんと! 青鳩の大統領候補がヴィーラ・アズールに来るのでありますか!」
シオは驚いた。
「与党メイアルーア国民同盟候補で、ほぼ勝利が確実視されているバジーリオ・スウが来るのね。確かに、偶然とは思えませんわね」
スカディが、うなずく。
「当日の警備は厳しいでしょうが、前日の夜なら緩いでしょうぅ。夜間に爆破すれば、大きな揺さぶりになると思いますぅ」
手帳に目を落としたまま、コンスタンサが言う。
「その見解に賛成だわ。さすが新聞記者ね。あなたを味方に引き入れてよかったわ」
スカディが、笑顔を見せた。
スカディが予測した通り、長浜一佐のゴーサインはあっさりと出た。むろん、情報本部を通じて防衛省上層部に掛け合った結果ではあるが。
外務省側の許可も、現地時間の八時前に下りた。正確に言えば、『本件には外務省関係者は一切関知しない』という通告ではあったが。
これを受けて午後九時過ぎ、コンスタンサが運転しAI‐10たちが乗り込んだイノーバがサン・ジュアン市街地を抜け、海岸沿いの街道へと乗り入れた。ちなみに、イノーバは主にアジア諸国で販売されている三列シートのミニバンである。れっきとしたトヨタ車であるが、日本国内では販売されていない海外専用車だ。
ヴィーラ・アズールへ至る街道は、なかなかスリルのある道であった。陸側はさながら緑色の津波のように繁茂する熱帯植物が路肩まで押し寄せてきており、海側は低いが切り立った崖となっている。海側にガードレールは皆無で、カーブとなる部分だけにコンクリート製防護柵が取り付けてあるだけだ。ハンドルを切り損ねて崖下に落ちれば、そこは白波が泡立つ岩場である。……ロボットと言えども、全損は免れないだろう。
夜間ということで、街道は空いていた。時折対向車線に現れるのは、ハイビームのまま爆走してくるトラック程度。一度、サン・ジュアン行の定期バスとすれ違ったが、車内はがらがらであった。
「ここがヴィーラ・アズールですぅ」
コンスタンサが速度を落とした。ヘッドライトの光の中に、中華街の建物を連想させる赤や青、青緑などの派手な色に塗り分けられた漁船が浮かび上がる。
助手席の亞唯のナビゲートで、コンスタンサがイノーバを市街地へと乗り入れた。西郊にあるサント・アタナシオ小学校から百メートルほど離れた路上に停車する。
車を降りた一同は、裏通りをたどって小学校に向かった。あたりはあまり富裕とは言えない階層が多いらしい住宅街で、白い塗り壁と錆びたトタン屋根の平屋が立ち並んでいる。街灯は皆無だったが、窓からは白っぽい明りが漏れており、月明かりもあったので、土がむき出しの通りを歩くのに支障はなかった。
「いい感じの田舎の学校やな」
サント・アタナシオ小学校を目にし、雛菊がそう感想を述べる。
平屋建ての、さして大きくない小学校であった。規模からすると、在校生はせいぜい百人といった処だろう。白い壁に、大きな窓。屋根は、オレンジ色の屋根瓦で葺いてある。廊下が屋内ではなく、教室外側にある……いわゆる開放廊下になっているのは、教室内の通風を良好にするためだろう。
「塀やフェンスに囲まれていないのは、いいな。治安のいい証拠だ」
運動場……グラウンド、という程には広くない……を見渡しながら、亞唯が言う。
「道路は南側と東側に通じているわね。侵入逃走ルートは、このどちらかでしょう。爆弾設置前、建物に侵入を企てたところで、押さえることにしましょう。亞唯、南側を頼めるかしら? わたくしは東側を担当します。雛菊、あなたは念のため北側と西側を警戒して。ベル。あなたは屋内へ。すでに爆弾が設置されている可能性があるから、その捜索を。シオ、あなたはセニョリータ・トロエを守りつつ、ベルをサポート。よろしいかしら?」
てきぱきと、スカディが決める。
「ではシオちゃん、コンスタンサちゃん、参りましょうかぁ~」
ベルが、うきうきとした足取りで校舎に向けて歩みだす。
とりあえず二体と一人は、窓の外から中を覗いて様子を確認した。もちろん、誰も居残ってはおらず、照明もすべて落とされている。教室は全部で五つ。うちひとつは使われていなのか、あるいは講堂代わりにでも使用しているのか、机や椅子のたぐいはまったく置かれていなかった。その右隣は職員室で、教室より一回り狭い部屋だった。トイレは校舎の反対側にあった。
「では、端から調べましょうかぁ~」
ベルが、ポーチから工具を取り出した。一応、教室の扉は施錠されていたが、安っぽい南京錠が掛けられていただけなので、ベルがいじるとすぐに開いた。
「お邪魔いたしますですぅ~」
ベルが、そっと教室の中へ入る。
古びた木の机と、座り心地は悪そうな木の椅子がずらりと並んでいる中、シオとベルは爆弾らしきものを探した。さすがに室内は暗いので、コンスタンサは戸口で待機している。
「ここには無いようです! 隣を探すのであります!」
一通り探し終えたシオは、そう宣言した。
二体は五つすべての教室を探したが、爆弾らしきものは発見できなかった。職員室の扉には、がっちりとしたシリンダー錠が掛かっており、ベルがちょっといじった程度では開きそうにない。
「こじ開けた跡はありませんねぇ~。ここは建物の端ですし、職員室には仕掛けていないのではないでしょうかぁ~」
錠前を調べ終わったベルが、言う。シオは同意した。
「では、リーダーに報告するのです!」
シオは無線で捜索終了と爆弾発見せずをスカディに報告した。
『ご苦労様。いまのところ、こちらも異常はないわ。そのまま待機してちょうだい』
『了解なのです、リーダー!』
二体と一人は、待ちの態勢に入った。教室の扉の南京錠を、ひとつを除いてすべて元通り閉める。教室のひとつにベルとコンスタンサが入り、そこの扉の南京錠をシオが閉める。最後に、ベルが内側から窓のロックを解除して開け、シオを引っ張り入れる。
ベルとシオは窓ガラスに顔を押し付けるようにして、外を見張り始めた。ベルが廊下側、シオが反対側である。コンスタンサは椅子に座り、カメラを取り出して待機する。
シオは内蔵クロノメーターをチェックした。午後十時十二分。
第十三話をお届けします。




