第十一話
コンスタンサは迷った。
床に置いてある箱は、いかにも怪しい。市民としての正しい行動は、すぐにでも警察官を呼んできて、調べてもらうことであろう。
しかし、コンスタンサは躊躇していた。これが、まったく無害なもの……例えば、ヨーロッパから輸入した新型の自走式掃除機とか、日本製の環境測定機器とか、台湾製の高級香料の容器とかだったら、どうしよう……。
コンスタンサは新聞記者であり、警察官の多くは顔を知っている。だからこそ、封鎖区域であるこの地下に潜りこむことができたのだ。ここで爆弾を発見したと警察に通報し、そしてそれが誤報だと判明したら……。
まず間違いなくライバル紙にばれて、嘲笑される。
『ハリアン・メイアルーアの女性記者、国立劇場の地下でとんだ勘違い』
『掃除機と爆弾の区別がつかない新聞記者!』
『トロエ記者の誤報で候補者討論会流れる』
『全土生中継でとんだハプニング。一躍注目を浴びたトロエ記者とは?』
……だめだ。『怪しいものを見つけた』程度の通報でも、間違っていれば記者生命が終わりかねない。
近くに国立劇場の職員でもいないかと、コンスタンサは通路に頭を突き出してみたが、誰もいないし気配もしない。先ほどの男性を追っかけて箱について尋ねる、という選択肢が頭をよぎったが、彼がコンスタンサの『勘違い』について黙っていてくれる保証はない。他の職員を探して確認してもらっても、同じことだろう。それと、もしこの箱が本物の爆弾であり、先ほどの男性がそれを仕掛けたのだとしたら、口封じに殺される可能性も考えられる。
蒼ざめた顔で、コンスタンサは頭を抱えた。一瞬、このまま無視して立ち去ろうかという考えが芽生えたが、彼女はそれをすぐに打ち消した。もし本物の爆弾だったら、それこそ一大事である。見逃すわけにはいかない。
スマホ!
コンスタンサはわずかな光明を見い出し、EVERCOSSのスマートフォンを引っ張り出した。これを撮影し、映像を編集部に送って誰かに真贋を判定してもらえば……。
いや、それよりももっといい考えがある。
コンスタンサは、スカディに教えてもらった番号に掛けた。あの謎めいた日本の護衛ロボットなら、たぶん爆弾にも詳しいだろう。彼女らに真贋判定してもらってから、警察局に連絡しても、遅くはないはずだ。
『了解なのであります! すぐにベルちゃんと共に地下に向かうのです!』
スカディからの無線指示に対し、そう返答したシオはベルと一緒にカフェの裏手にある業務用エレベーターを目指した。下から上がってきた箱には、コンスタンサと一名の警察官の姿があった。
「あ、早く乗ってくださいぃ」
慌てた様子のコンスタンサが、手招きする。シオとベルは箱に走り込んだ。
「お二人とも、状況はご存知ですねぇ。警察の人には、適当に話を作ってお二人が地下に降りられるように許可をもらいましたぁ。わたしが見つけた箱が爆弾かどうか、判断してほしいのですぅ」
コンスタンサが、早口で説明する。日本語なので、警察官に聞かれても問題はない。
「任せて下さいぃ~。わたくし、爆発物には詳しいのですぅ~」
ベルが、笑顔で請け合った。
エレベーターが地下に着くと、コンスタンサとシオ、ベルは箱を降りた。警察官は残り、一階へと戻ってゆく。
「こっちですぅ」
コンスタンサが、小走りで案内を始める。シオとベルも、後を追って走り出した。
スカディは、国立劇場一階の通路を走っていた。
コンスタンサが発見した『箱』が本物の爆弾であるなら、それを仕掛けたのは彼女が目撃した作業服の男の可能性が高い。できることならば、身柄を押さえたい。そう考えたスカディは爆弾の真贋鑑定はベルとシオに任せ、一階裏手にある通用口へ向かっていた。建物内外の詳細な図面は、すでにメモリー内に取り込んである。その男が上がった階段は、一階舞台裏南側の大道具組み立て場に近いところに通じている。男が逃走を図るならば、そこにほど近い一階搬入口から外に出る、と踏んだのである。
搬入口にたどり着いたスカディは、そこを警備していた警察官に作業服姿の男性の行方を尋ねた。だが、ここ数分は誰も出入りしていないとの答えが返ってくる。図面を参照したスカディは、すぐ近くにある非常口に向かった。立哨している警察官に、同じ質問を行う。
「作業服? 清掃員なら、さっき外に出たよ。ここはゴミ搬出用にも使われているから……」
「オブリガーダ!」
最後まで聞かず、スカディは非常口の扉を押し開けて外に出た。あたりを素早く見渡し、コンスタンサから電話で聞いた人相風体の人物を探す。
間の悪いことに、薄茶色の作業服を着た人物はスカディの視界の中に四人もいた。右手の方でゴミバケツ相手になにやら作業している男。駐車場の方へ歩いて遠ざかっている男。そして、近くの木陰でタバコを吸っている二人の男。
一番怪しいのは、駐車場へ向かっている男だろう。だが、今の時点でスカディにできることはあまりなかった。この四人すべてが爆弾とは無関係の人物かもしれないし、実は犯人はいまだ建物の中にいることもあり得る。それどころか、コンスタンサが見つけた箱が無害な清掃用具だったという可能性もある。もちろん、スカディはここメイアルーアではたとえ現行犯だとしても、犯罪者を取り押さえる法的な権限は持っていない。犯罪現場に遭遇しても、警察に通報したり犯人を制止したり被害者を守ったりするのが、関の山である。
仕方なくスカディは四人の作業服姿の男性の映像を撮影することで妥協した。もしこの中にテロリストの仲間がいれば、重要な証拠になるはずだ。
と、駐車場へ向かっていた男がポケットから携帯電話を取り出した。スカディは、指向性マイクをそちらへと向けた。距離があり、しかも周囲が騒がしかったために明瞭な音声を取得することは不可能だったが、とりあえずスカディは男が電話に向けて喋った内容をすべて録音することにした。
「ここですぅ」
コンスタンサが、スチールの扉を引き開ける。
「おおっ! いかにも怪しい箱なのです!」
シオは部屋に踏み込みつつ言った。
「見た目は爆弾っぽいですねぇ~。詳しく調べてみますぅ~」
しゃがみ込んだベルが、箱には触れずに顔を近づけて調べ始める。
「材質はステンレスぅ~。これは手作りですねぇ~。ステンレス板をTIG溶接で箱状に組んでありますぅ~。いい仕事してるのですぅ~。このきれいな光沢と鱗状はプロの手際なのですぅ~」
ベルが、しきりと感心する。
「TIG溶接って、なんですかぁ?」
コンスタンサが、訊く。
「電気溶接の一種ですぅ~。非鉄金属の溶接には、よく使われますぅ~。外見からして、通常の工業製品ではありませんねぇ~。継ぎ目もアクセスパネルもネジ穴もスイッチの類もセンサー部位も見当たらないのですぅ~。ほぼ間違いなく、爆弾ではないでしょうかぁ~」
「なんと! ベルちゃんが断言してしまったのです!」
シオは驚いた。
「決定的証拠はこれですねぇ~」
ベルが、指で箱の下部を指さした。
「接着剤がはみ出ていますぅ~。床に、速乾性の接着剤で箱を張り付けて、動かせないようになっているのですぅ~」
「け、警察局に連絡しないと!」
コンスタンサが、慌ててスマートフォンを取り出した。
「待つのです! まずはリーダーに報告なのです!」
シオはコンスタンサの腕に手を掛けて制止した。
『スカディより各員へ』
と、シオとベルのFM無線機にスカディからの通信が入った。
『レンコン警視が、討論会の中断と、国立劇場からの全面避難指示を出したわ。先ほど、警察局、国家憲兵隊本部、マスコミ各社に対し、大統領選挙中止を要求するテロ組織から国立劇場に爆弾を仕掛けたとの通告が電話で入ったそうよ。爆発の時刻は、午前十時三十分。あと、二十七分後ね』
『スカディちゃん、コンスタンサちゃんが地下で見つけた金属の箱が、その爆弾みたいなのですぅ~』
ベルが、割り込んだ。
『どうやらそのようね。亞唯、雛菊。あなたたちは民間人四人に張り付いて、避難を行って。爆弾が陽動で、他の方法でテロを仕掛けてくる可能性に留意しておいてね』
『了解だ、リーダー』
即座に応諾した亞唯の声が、無線に入る。
『ベル。あなたの見積もりでは、どの程度の威力の爆弾かしら?』
スカディが、訊いてくる。
『まったくの推定ですが、容器の大きさからすると爆発物本体は最大で五十キログラム程度ではないでしょうかぁ~。RDXだとすると、爆発すれば地下部分は完全に破壊されますねぇ~。直上の一階の床も抜けて、かなりの被害が予想されますぅ~。スカディちゃん、ひとつ提案があるのですがぁ~』
『なにかしら?』
『わたくし、この爆弾の解体にチャレンジしてみたいのですがぁ~』
ベルが、嬉しそうにそう提案する。
『無理しない方がいいわ、ベル。爆発しても国立劇場が倒壊するようなことはないのでしょう?』
『はいぃ~。ですが、メイアルーアは地震国なので、今後安全に運用するには建て替えが必要になるでしょうぅ~。これだけの建物ですと、予算規模は数千万ドルになりますぅ~。発展途上国には厳しい金額なのですぅ~。陸軍の爆発物処理班はオエステ州のコメルシオにおびき寄せられてしまったのですぅ~。これを処理できるのは、今のところわたくしだけなのですぅ~』
『ベルちゃん、自信はあるのですか?』
シオは無線に割り込んだ。
『推定ですが、テロ組織が死傷者を出したくないと考えているのであれば、仕掛けられているトラップは最小限だと思われますぅ~。下手にいじって設定時刻前に爆発すれば、避難途中の人が巻き込まれてしまいますからぁ~。ですから、運が良ければわたくしでも解体可能だと思いますぅ~』
『いいでしょう。許可します。ただし、作業開始は完全避難が終わってからにしてちょうだい。それと、そこから安全圏までの避難にどのくらい掛かるかしら?』
固い声で、スカディが訊く。
『階段を駆け上がって、楽屋などの小部屋が多い一階の西側に逃げ込めば、建物内でも安全ですぅ~。三分以内で避難できるのですぅ~』
『では、余裕を見て作業時間は十時二十五分までにしましょう。それまでに解体できなければ、原則避難すること。いいですわね』
『了解しましたぁ~』
心底嬉しそうに、ベルが応える。
「ど、どうするのですかぁ?」
コンスタンサが、シオとベルの顔、そして爆弾の三つにせわしなく視線を走らせながら訊く。……訛った日本語が、緊張した表情と緊迫した空気に微妙にマッチしていない。
ベルがコンスタンサに、爆破予告と避難指示、それに自分が爆弾の解体を試みることを説明する。
「はい、ベルちゃん! 爆弾解体はあたいもお手伝いするのであります!」
シオは勢いよく挙手して志願した。
「ありがとうございますぅ~。ぜひ手伝っていただきたいのですぅ~」
「ついにあたいの超硬チップソーの出番なのですね!」
シオは改造した右腕を振り回しながら、ひとり盛り上がった。
「ということなので、コンスタンサちゃんは避難してくださいぃ~」
凝視していた爆弾から視線を引き剥がし、ベルがコンスタンサに逃げるように促す。
「せっかくですが、お断りしますぅ。わたしも付き合わせて下さいぃ。時限爆弾の解体現場に居合わせるなんて、一生に一度あるかないかですぅ。新聞記者としては、見逃せないのですぅ」
まなじりを決して、コンスタンサが主張した。
「危険なのであります!」
シオはそう指摘した。
「危険は皆さんも同じですぅ」
「取材しても、発表はできませんよぉ~」
ベルが、確かめるように言う。
「承知の上ですぅ。でも、この経験は記者修行に大いに役立つと思うのですぅ」
「いい度胸なのであります! ベルちゃん、見学を許可してあげましょう!」
半ば感激して、シオはそう提案した。
「シオちゃんがそうおっしゃるのなら、仕方ありませんねぇ~。いいですよぉ~」
ベルが、笑顔であっさりと折れる。
国立劇場内からの避難は、順調に行われた。多数の警察官と国家憲兵隊員が誘導にあたったこともあるが、主たる要因はメイアルーア国民が『災害慣れ』していることにあった。この国は、数年に一度の頻度で、地震、津波、巨大暴風雨などに見舞われている。日本もそうであるが、このような国家の一般市民は危急の際にパニックに陥らずに、冷静に行動できるという特性を持っているのだ。
亞唯と雛菊も、民間人四人を護衛しつつ正面出入り口から無事に屋外へと逃れた。その様子を、テレビ局のカメラがニュース映像として撮影し、メイアルーア全土に向け生中継を行っている。国家憲兵隊でも、ビデオカメラを回して避難の模様を撮影していた。こちらは、避難者の中にテロリストが紛れ込んでいた場合に備えての撮影である。
『こちら亞唯。護衛対象四名と雛菊と共に安全圏まで逃れたよ。今のところ、異常無しだ。避難の状況も順調みたいだね』
とりあえず安全を確保した亞唯は、スカディに向け無線報告を行った。
『スカディ了解。ベル、シオ。警察局の見積もりでは、避難完了まであと五分程度らしいわ。十六分になったら、解体開始を許可します。わたくしも、そろそろエントランスホールから移動しますわ。幸運を』
『ベル了解なのですぅ。頑張りますぅ』
スカディとベルの声が、無線に入る。
「ベルたそ、ノリノリやな」
視線で周囲を警戒しつつ、雛菊が苦笑気味に言う。
警察官数名が、避難の呼びかけを行いながら地下の通路を駆け抜けてゆく。
シオはドアノブを押さえて待機した。施錠状態を装ったのである。事情を知らない警察官に発見されれば、無理やり避難させられるに違いない。下手をすれば、爆弾を仕掛けた容疑者として逮捕されるかもしれない。
幸い、警察官たちの捜索活動はおざなりだった。ポルトガル語とインドネシア語と英語で即時避難を呼びかける声が、徐々に遠ざかってゆく。
「十六分になりましたぁ。それではこれから解体作業を開始いたしますぅ~」
ベルが、宣言した。
「ではシオちゃん、ここにドリルで穴を開けて下さいぃ~。たぶん、向こう側は空間になっていると思いますぅ~」
ベルが、金属箱の一点を指さした。
「合点承知なのです!」
シオは右腕手首から硬質金属用ドリルを装着したシャフトを飛び出させた。ベルが指さした位置に、回転するドリルの先端を押し当てる。
「本来であれば、内部が密閉された爆弾容器にいきなり穴を開けてはいけないのですぅ~」
シオの内蔵工具に驚いているコンスタンサに向け、ベルが解説を始める。……ドリルが金属を削ってゆく音に配慮して、いつもより大きな声だ。
「内部に信管と連動した気圧センサーを設置し、不活性ガスの注入などにより内部の気圧を高めておけば、穴が開いた時点で気圧が低下し、信管が作動してしまいますぅ~。あるいは逆に、空気を吸い出して陰圧にしておく手もありますですぅ~。ですが、この爆弾は少々いじったくらいでは爆発しないはずですぅ。設定時刻前に爆発するのは、テロ組織側も望んでいないと思われるからですぅ~」
「貫通したのです、ベルちゃん!」
『手応え』でドリルの先端が外板を突き抜けたことを知ったシオは、ドリルを引き抜いた。すかさず、ベルが左手から伸ばしたビデオスコープの先端を穴に突き入れる。
「やはり爆弾ですねぇ~。電子基板が見えますぅ~。あ、これはティルトスイッチですねぇ~。傾けると、信管に通電してしまいますぅ~。接着剤で床にくっ付いていますから、いずれにせよ動かせませんがぁ~。温度センサーらしき物もありますねぇ~。液体窒素対策でしょうぅ~」
一通り内部を調べ終わったベルが、ビデオスコープを穴から引き抜いた。
「ではシオちゃん、天板のこの部分を切り取って下さいぃ~。トラップは仕掛けられていませんから、どうぞご遠慮なくぅ~」
ベルの指が、天板の真ん中で二十センチ角くらいの四角形を描く。
「お任せ下さいなのです!」
すでにシャフトのドリルを外し、アタッチメントを金属用超硬チップソーに取り換えておいたシオは、さっそく作業に掛かった。刃先の過熱に留意しながら、手際よくステンレス板を切り取ってゆく。
「液体窒素って、リキッド・ナイトロジェンのことですかぁ?」
シオの作業ぶりに目を丸くしながら、コンスタンサが訊く。日本語は達者だが、まだ語彙は不十分なのだろう。
「そうですぅ。最近流行りの爆発物無力化方法が、液体窒素の利用なのですぅ~。これを起爆装置に一気に流し込み、低温で電池や電子部品、機械部品の機能を停止させてしまうのですぅ~。ですが、この手は温度センサーの設置で無効化されてしまうのですぅ~」
「なるほどぉ」
コンスタンサが、納得顔でうなずく。
『こちらスカディ。ベル、シオ。作業を続けながら聞いて。国立劇場から公安関係者を含むすべての人員が退避し、安全地帯に逃れたわ。そろそろ二十分になるけど、間に合いそう?』
スカディから、通信が入った。
『現在シオちゃんが天板を切り取っていますぅ~。基板の配線とトラップの具合によりますねぇ~。手に負えないようでしたら、すぐに退避しますぅ~。三十分までに止められるようでしたら、作業を続行いたしますですぅ~』
『判ったわ。無理しないでちょうだい』
「切れたのであります!」
スカディとの交信が終わったのと同時に、シオが作業を終えた。缶切りで缶を開ける時と同様、一か所だけわざと切り残しておいた天板に手を掛けて、シオがぐいと引き起こす。
金属箱上部に水平に設置されていた大きな電子基板が、露わとなった。
第十一話をお届けします。




