第八話
翌日から、日本側選挙監視団は積極的に選挙監視活動を開始した。
選挙前に行われる選挙監視活動の基本は、情報収集と視察、それに本番の投開票監視の下準備である。
まず日本側選挙監視団が行ったのは、選挙管理委員会表敬訪問だった。今回の大統領選挙における選挙管理委員会は、五名の委員から構成されている。公正を保つため、メイアルーア共和国議会に議席を持つ五政党の元議員が、一名ずつ任命されており、委員長は与党青鳩の元外相が務めている。無事に表敬訪問を終えた選挙監視団は、今度は各候補の選挙事務所巡りを行った。前日にアポイントメントを取ってあったので、五か所すべての選挙事務所で、選対本部長と共に各候補にも面会することができた。同行したAI‐10たちも、各候補を興味深く観察した。ひょっとすると、この中の誰かが、選挙妨害を行っている連中の黒幕かも知れないのだ。
最初に訪れた青鳩……与党メイアルーア国民同盟選挙事務所で会ったバジーリオ・スウ経済産業大臣は、いかにも経済テクノクラート出身らしく、仕立ての良いダークスーツを完璧に着こなした二枚目であった。黒髪は丁寧に整えられて、きっちりと左右に分けられている。微笑むと、白く完璧な歯並びがまぶしいほどだ。
『女性票が多そうやな』
雛菊が、赤外線通信で言う。
『悪人には見えませんわね。選挙情勢は彼に優勢で、このままいけば大統領の椅子が待っているのですから、選挙妨害を行うメリットがない立場ですし』
主に民間人四人とアメリカ留学仕込みの達者な英語で歓談するスウ候補を見ながら、スカディが言う。
『映画だとこんな真面目そうな二枚目が黒幕、というのは良くあるのですが!』
シオはそう指摘しておいた。
次に訪れた黄鹿……最大野党メイアルーア民主社会党選挙事務所に居たエルネスト・セパグ党首は、ひょろりと背の高い四十代前半の男だった。やや猫背で、目つきが悪い。
『悪役っぽいなー』
亞唯が、苦笑しつつ通信を送ってくる。
『左翼の指導者なんてこんなものですわ。ですが、一国の指導者としては押し出し不足ですわね』
スカディが、辛辣に言う。
『でも、演説は上手そうですねぇ~』
ベルが言う。インドネシア語……在インドネシア大使館員が何人もいるので、日本側はポルトガル語を使われるよりもありがたい……で熱弁を揮う姿は、それなりに迫力がある。
『選挙妨害で社会を混乱させ、暴力革命を達成、メイアルーアを乗っ取ろうという作戦かも知れないのです!』
シオはそう決めつけた。
三番目に訪れた桃猿……メイアルーア自由民主党選挙事務所で会ったアントニオ・ワルア党首は、実業家出身らしく極めて人当たりの良い中年男性だった。香港で活動していただけあって、英語も達者だ。しかし、政治経験が不足しているらしく、民間人四人と歓談中に何度も中国系らしい側近に意見を訊いている。
『このお人も悪人には見えんなー』
雛菊が、言う。
『主要四候補の中では最弱。となれば、選挙戦が荒れれば一番得をする人物ではあるのだけれど』
スカディが、考え込む。
『成功した実業家なら、自由に使えるお金を豊富に持っているはずなのです! 選挙妨害を仕掛ける資金には事欠かないはずなのです!』
シオはそう指摘してスカディを煽った。
四番目に訪れた緑馬……メイアルーア人民民主党選挙事務所には、スカディとシオの知った顔があった。ハリアン・メイアルーアの女性記者、コンスタンサ・トロエである。
「ど、どうも」
スカディとシオに気付いたコンスタンサが、引きつった笑顔で挨拶してくれる。
「この娘がコンスたんかいな」
雛菊が近付いて、挨拶する。昨日のコンスタンサとの一件は、他のAI‐10たちには説明済みである。
「お約束どおり、誰にも喋ってませんよ。メモすら残してません」
スカディとシオに顔を近づけて、コンスタンサが誓うように告げる。
「結構。きちんと約束を守って下されば、それなりにお礼はするつもりですわ。日本の選挙監視団への取材の便宜とか」
「本当ですか!」
コンスタンサが、目を輝かせる。
「ところで、何で緑馬……もとい、メイアルーア人民民主党の選挙事務所にいるのでありますか?」
シオはそう訊いた。
「もちろん、取材ですよ。わが『ハリアン・メイアルーア』は政治的に中立で、今回の大統領選挙に関しても各候補に平等に紙面を割いていますが、やはりインドネシア語新聞なので読者の大半はマレー系です。当然、PPDMの支持者の割合が高いので、その記事は受けがいいのです。やはり、ここに取材に来ることが多くなります」
人並みにはある胸を張りつつ、コンスタンサが説明する。
「ちょうどいいわ。選挙監視団の民間人に紹介して差し上げましょう。日本語能力をアピールすれば、いいお話が聞けるかもしれませんわ」
スカディが、そう申し出た。
「本当ですか! ありがたいですぅ」
日本語に切り替えたコンスタンサが、大げさと言えるほど嬉しがる。
「うちが引き合わせたるわ」
雛菊が、コンスタンサの手を引っ張る。
『コンスたんは雛菊ちゃんに任せて、あたいたちは大統領候補の観察を行うのです! ムスリムがほとんどを占めるマレー系市民に支持されている政党! 裏でイスラム原理主義勢力とつるんでいてもおかしくないのです!』
シオはそう赤外線通信で力説した。
『資料によれば、大統領候補の方もムスリムらしいですからねぇ~。あり得ない話ではないのですぅ~』
ベルが、同意する。
メイアルーア人民民主党党首であり、同党の大統領候補でもあるナジブ・アルシャッド党首は、立派な髭を蓄えた初老の男性であった。いかにもベテラン議員らしく、声量は小さめだがはっきりと通る声で、理路整然と喋る様は、老練な演技派の俳優のようでもある。
『こちらも悪人には見えないわね』
スカディが、そう感想を述べる。
ほどなく、雛菊がコンスタンサを連れて戻ってきた。
「いい取材ができたようですね!」
コンスタンサの晴れやかな表情からそのように推測したシオは、そう声を掛けた。
「皆さん、ありがとうございましたぁ。これで記事が一本書けそうですぅ。天国のジャマルも、喜んでくれるはずですぅ」
微笑みながら、コンスタンサがそう返してくれる。
「天国のジャマル? 誰だい?」
亞唯が、訊いた。
「上司だった記者ですぅ。つい先ごろ、殺害されてしまったのですぅ」
笑みを消したコンスタンサが、言った。
「殺された有名な新聞記者って、あなたの上司だったのね」
スカディが、少し驚いたような声音で言う。
「正義感の強い、いい人でしたぁ。記者としてわたしの目標だった人だったんですけどぉ」
コンスタンサの声が、わずかに湿る。
「まだ犯人は捕まっていないのですかぁ~」
ベルが、訊いた。コンスタンサが、首を振る。
「警察局によれば、物盗りの犯行に見せかけた殺人、とのことですが、捜査は難航しているそうですぅ。ジャマルに悪事を暴かれて記事にされ、恨んでいた人は大勢いますから、動機の面からの捜査も難航しているそうですぅ」
悔し気に、コンスタンサが言う。
「部外者のあたしたちが言うセリフじゃないと思うけど、あんたが立派な記者になったら、そのジャマルって人も喜ぶんだろうな」
亞唯が、珍しくはにかんだ様な調子で言う。
「ですよねぇ! わたし、頑張ります!」
コンスタンサの顔に輝きが戻った。
「あ、ところでぇ」
不意に、コンスタンサがポケットに手を突っ込んだ。
「先ほど、女性大学教授の方にこれを頂いたのですがぁ。これは日本においてはどのような意味合いの贈り物なのですかぁ」
コンスタンサが突き出した手の上には、鮮やかな紅の包装に包まれたキャンディが三つ、載っていた。
「ハスみんに気に入られた、ってことやな。喜んでいいんやで」
にやにやしながら、雛菊が言った。
「わたしの試算では、ネーヴェが独立すればその国民所得は現状の三倍となる。つまり、現状ではそれだけの富を本島に吸い上げられているという……」
ネーヴェ独立党党首であり、今回の大統領選挙では泡沫候補扱いされているジョアン・レンサマの熱弁はすでに二十分を超えていた。
最後の訪問先である。選挙監視団としては公平公正中立を旨としているので、泡沫候補だからと言ってパスするわけにもいかず、こうしてネーヴェ独立党……白アホウドリの党……の選挙本部を訪れたわけだが、泡沫候補ゆえにマスコミの注目を浴びることが少ない大統領候補が、これをアピールの良い機会と捉えて、党是から始まって公約の数々、将来の見通しなどを切々と語っているのである。
ジョアン・レンサマ党首は、堂々たる押し出しの人物であった。オーストラロイドの血が濃いらしく、普通のアザリ族より肌がダークで、背も高い。顔だちも繊細さには欠けるがなかなかハンサムで、弁も立つようだ。独立、というロマンあふれる響きに釣られたのか、それともレンサマ候補のプチ・カリスマ的な魅力に惹かれたのか、まだ十代に見える若い運動員の姿が多い。
『ネーヴェ島の独立運動などに携わらなければ、閣僚くらい務める程度の力量はありそうね』
スカディが、そう分析する。
『こいつも悪人じゃないな。ちょっと革命家かぶれかもしれないけど、純粋に故郷の発展を願っている感じだ』
亞唯が、言う。
熱弁が長引いているのは、選挙監視団の民間人の一人、東方新聞論説委員の榎本氏が、レンサマ候補の語る『独立論』に、日本のとある島の情勢を重ね合わせて、『喰いついて』いるせいもあった。むろん、ネーヴェ島と日本の『某島』の様相はまったくと言っていいほど異なる。だが、『本島(本土)による搾取』『歴史的経緯』『(防衛軍の)基地返還』『独立への切望』などのキーワードの一致に、勝手に興奮しているだけである。
『さすが左寄りで知られる東方新聞の論説委員なのですぅ~。このようなネタは大好きなのですねぇ~』
ベルが、呆れたように言う。
だが、レンサマ候補が『諸外国の承認が得られれば武力を背景にしての独立も辞さない』と明言したあたりから、雲行きが怪しくなった。『武力行使』を絶対に認めない榎本氏と、必要とあらば島内で義勇軍を組織すると述べるレンサマ候補が、お互い声を荒げて議論し始める。慌てた進藤教授が介入し、姉崎副団長が時間切れを指摘して、なんとかその場は収まった。
結局、その論戦がその日起こったもっとも異常な事柄となった。無事ホテルに戻った選挙監視団の面々が自室に入るのを見届けてから、AI‐10たちは交代で充電を行った。このあとホテルのレストランで食事を採るメンバーもいるし、昨日池谷氏と榎本氏は寝る前に連れだってバーでしばらく飲んでいたので、今日もおそらく繰り出すであろう。これらの警護もしなければならない。
時限爆弾。
何らかの時限装置と、爆発物を組み合わせた『システム』の総称である。広い意味合いでは、時限式の地雷や機雷、遅延装置を搭載した航空爆弾なども、時限爆弾に含まれる。
軍事目的に使われる時限爆弾の時限装置には、電子式の専用タイマーまたは化学薬品……多くの場合は酸……が使用される。非軍事的の場合は、電子式あるいは機械式のタイマーや時計が多用される。
時間の経過とともに『変化』する物質や事象であれば、その多くが時限装置として時限爆弾に利用できる。水を加えるとゆっくりと体積が増える乾燥野菜や乾燥豆。同じく発芽を始める種。光電池と影を利用すれば、太陽の位置により分単位で起爆時間を設定することも可能だ。導火線、タバコ、ロウソク、線香などの利用も古典的手段である。細かい時間設定は難しいが、水の蒸発、氷の融解、腐敗によるガスの発生なども利用できる。
午前一時過ぎ、サン・ジュアン市ポルテラ地区の裏通りを歩んでいる男が背中のデイバッグに隠し持っているのは、日本製のデジタルウォッチを時限装置として使う爆弾であった。爆発物は、約一キログラムの低感度RDX。
もはや人通りは絶えているが、男は顔を伏せるようにして歩んでいた。浅黒い肌なので、遠目ならば充分に現地住民で通るが、近くで顔をまじまじと見られればアザリ族でもジャワ人でもスンダ人でもないとこがばれてしまう。ゆえに警戒中の警察官や国家憲兵隊員に見つかれば、尋問されることは確実である。
……ここか。
無事に何事もなく、目的地にたどり着いた男はほっと安堵の息をついた。人目がないことを確認してから、目標の建物の敷地にそっと入り込む。夜間は無人であり、電子的な警報装置なども設置していないことは、確認済みだ。
窓にとりつく。ポケットから取り出したガラス切りで穴を開け、薄手の手袋をはめた手を突っ込んで、内鍵を外す。そろそろと窓を開けて中に忍び込んだ男は、全体をざっと見回って完全に無人であることを確認した。デイバッグを床に下し、偽装用に突っ込んであった果物を取り出してから、奥にしまい込んであった時限爆弾をそっと持ち上げる。
デジタルウォッチは、すでに三十分後に信管に通電するようにセットしてあった。不用意に作動スイッチが入らないように保護用に張り付けてあったテープを剥がし、信管とRDXの接続状態も確認してから、デジタルウォッチを作動させる。小さなLEDライトを数秒だけ点灯し、時計の液晶が無事時を刻みだしたのを確認した男は、満足げにうなずくと床に散らばる果物をデイバッグに押し込んだ。それを背負うと、落ち着いた足取りで窓に向かう。外部に人気がないことを確かめた男は、そっと外に降り立った。そこにしゃがみ込み、屋外に感覚を慣れさせながら再び人気が無いかどうかを確かめる。
……問題なし。
外した手袋をポケットに突っ込んだ男は、ゆったりとした足取りで裏通りに出ると、爆破予定地点から遠ざかり始めた。歩いている途中でふと思いつき、背中のデイバッグを前に回し、中からマンゴスチンをひとつ取り出す。両手で挟んで厚い皮を割った男は、中の白い果肉を口に放り込んだ。ついでに、腕時計を確認する。
……あと二十二分。
第八話をお届けします。




