第七話
コーヒーや冷たい飲み物を味わった日本側選挙監視団が、ぞろぞろとグラン・サンジュアンのカフェを出てゆく。
シオはスカディに命じられて、アリシアとメガンの動きを注視していたが、二人とも席を立たなかったし、視線を選挙監視団に向けることもなく、また何らかの『合図』を周囲に送ったような動きもなかった。……どうやら、日本の選挙監視団の動向は、彼女らの任務には直接関係しないらしい。
バスに乗り込んだ選挙監視団は、メイアルーア首都警察のパトカーとAI‐10たちに守られて、無事に宿泊先のホテル・クリスタルに到着した。AI‐10たちは、即座に分散して警護の態勢に入った。スカディとシオは日本側監視団の部屋がある四階に先行し、異常がないか確認する。亞唯と雛菊は、もっとも重要な護衛対象である民間人四人に張り付いた。ベルが、殿を務めるとともに、周囲に気を配る。
『四階は特に異常ないですわ』
廊下に人影がなく、怪しい物が床に放置されたりしていないことを確認したスカディが、亞唯と雛菊に無線を送る。
『亞唯了解。一行は二手に分かれてエレベーターで上がる模様。最初は二号機。民間人四人はこれで上がるからあたしと雛菊はそれに乗る。ベル、残りの人たちと一緒に上がってくれ』
『こちらベル。了解なのですぅ~。今のところ、異常ありませんですぅ~』
まだ一階にいる亞唯とベルから、通信が入る。
スカディとシオはエレベーターホール前で待機した。上がってきた二号機が、十名ほどの人々と亞唯と雛菊を吐き出す。スカディとシオは、民間人四名の警護を亞唯と雛菊に任せると、二基目のエレベーターを待った。上がってきた箱から、残りの日本側監視団のメンバーとベルが出てくる。シオは監視団の人数を確認した。一人も欠けていない。
「スカディ」
最後にエレベーターを降りた姉崎氏が、小声でそっと言った。顔を向けたスカディに対し、付いてくるように身振りで示しつつ、姉崎氏が歩みだす。スカディが、後に続いた。シオは自己判断でスカディに付いていった。他の監視団メンバーは、亞唯たちに任せておいても問題ないだろう。こっちの方が、面白そうである。
姉崎氏が、四階にあるラウンジに入った。数脚のソファーと、コーヒーテーブル、それに観葉植物が置いてあるだけの狭いスペースだ。読みかけの新聞がコーヒーテーブルに載っているだけで、誰もいない。
「爆破予告については知っているね?」
あたりを見回して、誰にも聞かれる心配が無いことを確認してから、姉崎氏が切り出した。
「はい。メモを読みましたわ」
スカディが、うなずく。
「厄介なことになったな。本物だとすれば、巻き込まれる可能性が出てくる」
姉崎氏が、立ったまま顔をゆがめる。
「仲間に爆発物に詳しい者がおりますけど、一番の回避策は狙われそうな場所には近付かないことですわね」
「選挙監視という任務上、それは難しいな。街頭演説、支持者集会、討論会、投票所、開票所……。目標になりそうな場所を訪れないわけにはいかない」
スカディの控えめな進言を、姉崎氏が首を振って退ける。
「敵の狙いが判らない以上、対処しにくいですわね」
スカディが、顔をゆがめた。選挙妨害は手段に過ぎない。必ず、真の目的が存在するはずだ。選挙の延期、選挙の中止、現政権への揺さぶり、特定候補への集票、単なる示威行為……あるいは、これはもっと遠大な計画の一部分、という可能性もある。例えば、近隣国家による軍事侵攻の動きをカムフラージュするためとか。
「とにかく、注意を怠らないでくれ。こちらも、警察局に働きかけて事前情報の収集に努める。何か不審な点があったら、すぐに知らせてほしい。いいね」
「承知いたしましたわ」
姉崎氏の言葉に、スカディが深くうなずく。
『リーダー! アリシアとメガンさんのことは、話さなくていいのでありますか?』
シオは赤外線通信でそう訊いた。
『正直に話せば今までのわたくしたちの秘密工作活動を暴露することになりますし、適当なカバーストーリーも思いつきませんわ。いずれにしても、アリシアもメガンもわたくしたちの任務の障害にはならないでしょう。ここは、黙っておく方が得策ですわ』
「では、よろしく頼む」
スカディとシオのやり取りに気付かないまま、姉崎氏が軽くうなずいてからラウンジから出てゆく。スカディとシオはそれを見送った。
『シオ、動かないでちょうだい』
姉崎氏が去ったとたん、スカディが鋭い調子で赤外線通信を送ってきた。
『どうかしたのでありますか?』
シオは指示通り動きを止めつつそう訊いた。
『先ほどは姉崎氏がそばにいたから気づきませんでしたけれども、人の気配がしますわ』
『はっと! あたいには判らないのであります!』
そう返信しつつ、シオは周囲に注意を向けた。だが、彼女の各種センサーに顕著な反応はなかった。ラウンジも廊下も、相変わらずひっそりとしている。
『右手のロングソファーの裏側。おそらく一人。シオ、あなたは右側に回りなさい。わたくしは、左側を押さえます。姉崎氏との会話を聞かれた可能性が高いですわ。捕らえましょう』
スカディが命じて、さりげない様子で移動を開始する。
『捕まえるのでありますか? なんだか過激な気がしますが!』
同調するように移動を始めながら、シオはそう訊いた。
『こそこそ隠れているのが怪しいですわ。ろくな人物ではないでしょう。選挙妨害を企んでいる連中の仲間かもしれませんわ』
『では、抵抗されたら電撃でお仕置きしてもいいのでありますね?』
『許可します。シオ、タイミングを合わせて退路を塞ぎますわよ。3、2、1、GO!』
スカディの合図で、二体はロングソファーの裏側を挟み込む位置に飛び出した。そこにしゃがんで隠れていた人物が、驚いた表情で立ち上がる。
スカディとシオにとっては始めて見る人物だった。まだ若い女性で、背が高い。肌の色はカフェオレの色で、生粋のアザリ族よりは薄めだ。大きな目を驚きに見開いて、スカディとシオを交互に見やっている。
「あ、あの、怪しいものではありません」
慌てた様子で、女性がポルトガル語で言い訳した。
「怪しい人は必ずそう称するのですけれども。何者かしら? ホテルの従業員には見えませんけれど?」
やや辛辣な口調で、スカディが訊ねた。もちろん、ポルトガル語である。
「わたし、『ハリアン・メイアルーア』の記者で、コンスタンサ・トロエといいます。正規に許可を得て、取材中です」
女性が、二の腕に巻かれた『PRESS』の腕章を、スカディとシオに見せ付ける。
「新聞記者さんですか!」
シオはそう言った。『ハリアン・メイアルーア』の名は、資料ROMの中にある。メイアルーア唯一のインドネシア語新聞で、発行部数は第二位。メイアルーアの新聞は政治的主張が強く、他の三紙……ディアリオ・メイアルーア、リベルダージ、ジョルナル・デ・メイアルーアはいずれも特定政党と仲が良いが、『ハリアン・メイアルーア』は使用言語ゆえにその読者層がメイアルーア人民民主党……緑馬の党……と被っているにもかかわらず、政治的には中立の立場を貫いている。ちなみに、『ハリアン』はインドネシア語で『毎日』の意味である。
「身分を証明するものはお持ちかしら?」
少しばかり声を和らげて……音声ストレス検出装置により、この女性が嘘をついていないと判断したからだが……スカディが訊く。
若い女性……コンスタンサが、胸ポケットにそろそろと指先を突き入れ、IDカードを取り出して、スカディに差し出した。スカディが素早く内容を精査し、顔写真を光学的に取り込む。……コンスタンサの顔映像は、すでにスカディのメモリーの中に収められているから、写真と顔を交互に見比べて確認する必要はない。
「どうやら、本物の記者さんのようね」
表情を和らげたスカディが、IDカードをコンスタンサに返した。
「で、ここで何をしていたのかしら?」
「もちろん、取材ですよ」
ちょっと傷ついたような表情を浮かべて、コンスタンサが答える。
「こそこそと盗み聞きするのが、取材かしら?」
言葉としてはきついが、柔らかな表情でスカディが訊いた。
「ちがいますよ。隠れていたわけじゃありません。取材メモをまとめていたらペンを落としてしまって、それを探していたらあなた方が入ってきて話を始めてしまい、出るに出られなくなって……」
コンスタンサが、うだうだと言い訳を始める。
『どうやら嘘は言っていないようね。わたくしたちと姉崎氏は日本語で会話していたから、聞かれていたとしても問題はなさそうだけど……どういたしましょうか』
スカディが、シオの考えを訊く。
『日本語が判らなくても、録音していた可能性はあるのです! インターネットに繋げれば、外国語音声の翻訳くらいは小学生でもできるのです!』
シオはそう指摘した。
『それもそうね』
うなずいたスカディが、コンスタンサを見据えた。
「なにか録音機器をお持ちかしら?」
「ICレコーダーなら持ってます。でも、皆さんの会話は録音してませんよ」
「念のため、調べていいかしら?」
「いいですよ」
コンスタンサがあっさりと承諾し、ポケットから細身のICレコーダーを取り出した。受け取ったスカディが、自分の汎用ポートに接続し、中のファイルを精査する。
「ないわね。ご協力、感謝しますわ。他に、録音機器はお持ちかしら?」
ICレコーダーを返しながら、スカディが訊く。
「もっていません」
コンスタンサが、断言した。
「これで一件落着でありますね!」
シオは日本語でそう言った。
「そのようね。このお嬢さんが、日本語を解しなければ」
スカディが、うなずきつつ言う。
「あ、わたし少しなら日本語しゃべれますぅ」
いきなり、コンスタンサがそう言い出した。独特の訛りはあるが、文法的には正しい日本語だ。
「……え」
スカディが、絶句する。
『この子、馬鹿正直なのかしら?』
『天然というやつかも知れません!』
シオはそう言った。
「メイアルーアの新聞記者が日本語?」
スカディが、訝しげに訊く。
「自慢ではありませんが、わたし語学の才能はあるみたいなんですぅ。将来はメイアルーアを出て、もっと大きな新聞社で働きたいんで、東アジアの主要言語はマスターしようとがんばっているのですぅ。北京語と日本語はしゃべれるようになりましたぁ。今は、タイ語を勉強していますぅ」
目をきらきらと輝かせながら、コンスタンサが語る。
「ほう! 向上心、向学心のある若い人は立派なのであります!」
「ありがとうございますぅ。夢は『コンパス』で記事を書くことなのですぅ。ですから、アザリ族ですがあえて『ハリアン・メイアルーア』で働いているのですぅ」
シオの言葉に、コンスタンサが胸を張って答える。『コンパス』はインドネシアの有力紙であり、東南アジアを代表するクオリティ・ペーパーとして知られている。当然のことながら記事はインドネシア語で書かれているので、ハリアン・メイアルーアでの記者修行は大いに役立つはずだ。
「日本語が判るから、日本の選挙監視団を取材してこいと副編集長に言われて、『クリスタル』に来たのですぅ。そうしたら、こんなことになったのですぅ」
コンスタンサが言い訳を続ける。
「では、あなたはわたくしたちと姉崎氏との会話を聞き、内容を理解したのですね?」
ため息混じりに、スカディが訊く。
「はいぃ。いくつか知らない単語もありましたが、大意は理解したつもりですぅ」
「では、わたくしたちの任務も……」
「はいぃ。選挙監視団の護衛ロボットなのですねぇ。さすが日本なのですぅ」
邪気のない笑みをスカディとシオに交互に向けながら、コンスタンサが言う。
『どういたしましょう? こんなことを記事にされては、任務が台無しですわ』
スカディが、シオに振る。
『脅してはどうでしょうか? 昔から、新聞記者に記事を書かせないためには脅すのが一番と聞いているのです! 映画やドラマでもよく見るのです!』
シオはそう答えた。スカディが、うなずく。
『そうね。そうしましょうか』
「セニョリータ・トロエ。わたくしたちは、今回の大統領選挙に関し派遣された国際選挙監視団を護衛するという極秘任務に就いています。これは、ASEAN政治・安全保障共同体評議会の要請を受けて、日本国政府が正式に派遣したものです」
スカディが、誤解の余地が生じないようにポルトガル語に切り替えてから、嘘八百を並べ始める。
「このことは、記事にするのはもちろん他者に漏らしてもらっては困ります。もし公になれば、ことは国際問題となります。メイアルーアとASEAN、日本との関係はこじれるでしょう。もちろん、メイアルーアのASEAN入りは白紙。『ハリアン・メイアルーア』は廃刊。あなた自身も、記者生命が終わることはもちろん、警察局による逮捕収監は免れません。よろしいですか?」
「えええぇ~。だ、大丈夫です! わたし、口は固いです! 絶対に、喋りませんよ!」
カフェオレ色の顔をわずかに青ざめさせながら、コンスタンサが確約した。
『どうやら、大丈夫そうね』
その様子を見ながら、スカディがようやく安心する。
『ちょっとかわいそうな気もしますが!』
あまりの慌てぶりに、シオはすこし気の毒に感じてそう言った。
『まあ、まずいところに居合わせたのが運の尽き、と思ってもらいましょう。無事に任務が済んだら、何か埋め合わせしてあげましょう。進藤氏あたりと、インタビューのセッティングとか』
『それはいい考えなのです! あたいたちの活躍も、ぜひ記事にしてもらうのです!』
『シオ。記事にされたら困るのはわたくしたちなのよ?』
スカディが、困り顔で送信してくる。
『大丈夫なのです! リーダーのSとか、その優秀な部下Sとか書いてもらえばいいのです!』
『あのねぇ……』
『写真も目線を入れてもらえば大丈夫なのです! 絶対ばれないのです!』
『いい加減にしなさい』
ようやくシオが冗談を言っているのだと気付いたスカディが、正しい突っ込みを入れた。同じ顔をしているAI‐10の顔写真に目線を入れても、何の効果も無いのだ。
第七話をお届けします。




