第二話
ご迷惑をおかけしました。予定通り差し替えという形で第二話を投稿させていただきます。
「マスター! こんな物が届いていました!」
ミリンが一枚の葉書を聡史に手渡す。
「お、市長選挙か」
受け取った聡史が、投票所入場整理券と記されている圧着葉書をぴりぴりと剥がし、中身を確認した。
「おかしいのであります!」
聡史の手元を覗き込んでいたシオは、いきなり叫んだ。
「どこがだ?」
「あたいとミリンちゃんの名前が入っていないのであります! これでは投票できないのであります!」
聡史の名前と投票所名が記されている整理券を指差しながら、シオはそう主張した。
「……お前、いつから市民になった?」
「あたいもミリンちゃんも、この街に居住しているのです! お買い物をするときはちゃんと消費税も払っているのです! ゴミの分別も完璧に行っているのです! 投票権くらい貰ってもいいと思うのです!」
「参政権は単なる権利じゃない。国家や自治体の一部である市民のみが行使できる政治権力の一種だ。ロボットじゃなく人間であっても、居住していたりきっちりと税金を納めていたとしても、貰えるもんじゃないんだ。だいたい、納税義務と参政権に関連性など微塵もないんだぞ。国民の義務のひとつに納税があるからと言って、納税者すべてに参政の権利がある、なんて屁理屈でしかないだろ」
「なんか納得いかないのであります!」
シオは口を尖らせ気味にして言った。
「ま、そのうちもっと民生用ロボットが増えれば、ある程度ロボットの自治が認められるようになるかもな。とりあえず近所のロボットが集まって町内会でも作って、そこで町内会長選挙でもやればいいだろ」
笑いながら、聡史が言う。
「おおっ! 近所の月極駐車場に集って、話し合いの場を設けるのですね!」
「それは猫の集会ではないでしょうか?」
シオのセリフに、ミリンが首を傾げつつ突っ込んだ。
「急な呼び出しですまない。また君たちの力を借りねばならない事態となった」
長浜一佐が、そう切り出した。
例によって、岡本ビル四階の会議室である。長浜一佐の後ろには、畑中二尉と三鬼士長の凸凹コンビ、それに石野二曹の姿がある。
「いつものことですわね。ですが、CIAの下請け仕事みたいなものでなければ、よろしいのですが」
ちょっと皮肉めいた口調で、パイプ椅子に座るスカディが返した。長浜一佐が、苦笑する。
「今回は外務省絡みの任務だ。CIAは関係ない。安心してくれ」
「外務省となると、また外国の任務なのでありますか?」
シオはそう訊いた。
「たまには国内の任務とかないのかい? どこか鄙びた温泉街とか?」
亞唯が、のんびりとした口調で訊く。
「いいですねぇ~。わたくしとしては、函館とか長崎とか金沢とか良さそうなのですぅ~」
ベルが、乗っかった。
「やっぱり大阪一択やで」
こう言うのは、もちろん雛菊である。
「もっと近場でいいですわ。江ノ島か高尾山あたりで妥協いたしましょう」
スカディが、そう言う。
「遊園地がいいのです! TDLとかTMIとか、USJとか行きたいのです!」
シオはそう主張した。
「悪い場所じゃない。少なくとも、風光明媚だからリゾート気分は味わえるだろう。東南アジアの、メイアルーア共和国に行ってもらう」
皆の戯言を聞き流して、長浜一佐が告げた。
「メイアルーア。地理の引っ掛け問題によく出てくる島国ですわね」
スカディが、言う。
「東南アジアとミクロネシアとメラネシアの境目にある国やな。紛らわしいけど、一応東南アジアの国やね」
雛菊が、うなずきつつ続けた。
「長年文民政権ながら非民主的な政治体制が続いてきたメイアルーアだが、ここへ来てASEAN正式加盟を睨んだ民主化プロセスが始まった。このたび行われる大統領選挙は、この民主化プロセスの試金石と見られている。オブザーバー資格でASEANに参加しているメイアルーアは、この選挙に対し監視団の派遣をASEAN政治・安全保障共同体評議会に要請し、ASEAN事務局はこれを受け入れた。それに伴い、ASEAN事務総長の要請で、マレーシア政府が選挙監視団を編成した。また、これを支援するために、ASEAN事務局は我が国とオーストラリアに対し、小規模な選挙監視団の派遣を要請してきた。ASEAN+6の枠組みを重視する我が国は、これを受諾した、という次第だ」
滔々と、長浜一佐が説明する。
「ASEAN+6とは、なんでありますか?」
シオは訊いた。
「従来のASEAN+3、つまりASEAN加盟国に我が国、中国、韓国を加えた地域協力の枠組みに、さらに三カ国……オーストラリア、ニュージーランド、インドを加えたものがASEAN+6だ。ASEANは地域共同体としては成功例だが、その経済規模はさほど大きなものではない。今後の中国の経済成長と国際政治上の立場の強化を鑑みれば、ASEAN+3では『中国とその周辺国家の共同体』という図式になりかねない。それを防止し、我が国の存在感を増すとともに、歴史ある民主主義国家であるオーストラリア、ニュージーランド、インドを引き入れて中国を牽制することが可能なのが、ASEAN+6なのだ」
「なるほどなー」
雛菊が、感心したように言う。
「突出した規模の国家が加わると、共同体はたいてい上手くいきませんものね。ASEANが曲がりなりにも成功例と言えるのは、主要国の国家規模が似たり寄ったりだからとも言われていますし。EUもそうですわね」
スカディが、言う。
「ブリテンが抜けちまったけどな」
亞唯が、突っ込んだ。
「ともかく、人口八十万ちょっとの小国とは言え、東アジアに民主主義国家が増えるのはわが国としても歓迎すべきことだ。ASEAN事務局の要請を受け入れた外務省は、選挙監視団を編成し、メイアルーアに送り込む準備を整えた。だが、直前になって唐突に情勢がきな臭くなってきた。インドネシアのBIN……国家情報庁が、詳細不明のテロ組織による選挙妨害が行われるという兆候を察知したのだ。これと関連があるのかどうかは不明だが、つい先日現地では有名な新聞記者が他殺体で発見されるという事件も起きている。同じ日に、野党の選挙対策本部の幹部運動員も殺害されている。いずれも、犯人不明、背景も不明だ」
「選挙妨害ぃ~? 何者でしょうかぁ~」
ベルが、首を傾げる。
「場所が場所ですからね。イスラム原理主義者絡みでないと、いいのですけれど」
眉根を寄せて、スカディが言う。
「泡沫候補の支持者が自棄を起こしてるんじゃないのか?」
亞唯が、疑わしげに言う。
「いずれにしても民主選挙を妨害するなど、許せないのであります!」
シオは息巻いた。
「ともかく、情報が少ない。だが、現地が安全でないのは確かだ。諸君らは、外務省の選挙監視団に同行し、その保護に当たってもらいたい。一応、直接的な警護は王立マレーシア警察のスペシャル・ブランチとテロ対策部隊PGKの選抜チームが当たることになっているし、全般的なセキュリティはメイアルーア内務省警察局が担当する。外交上の配慮及びメイアルーア側の受け入れ態勢から、日本側で勝手に護衛を増やすのは難しい。だが、諸君らなら備品扱いで持ち込めるからな。ひとつ、よろしく頼む」
「良さそうな任務ですわね。喜んでお引き受けいたしますわ」
スカディが、承諾した。
「一佐殿。他の国はこの件に関して動いていないのかい? アメリカとか、オーストラリアとか?」
亞唯が、訊いた。
「CIAに照会したが、積極的に動く計画はないそうだ。ただし、合衆国政府が選挙期間中に念のため海軍艦艇一隻をメイアルーア周辺海域に派遣する予定とのことだ」
「一隻だけでありますか? せこいのであります! 天下のアメリカ海軍ならば艦隊はともかく小艦隊くらいは送り込むべきなのです! 示威行為ならば、派手な方が効果的なのです!」
シオはそう主張した。
「たしかにな。だが、派遣されるのはイージス駆逐艦だ。メイアルーア防衛軍が束になってもかすり傷ひとつ付けられないレベルだ。選挙妨害を企んでいるのが何者かはわからないが、威圧効果は充分すぎるほどだろう」
微笑みながら、長浜一佐が答えた。
「ASIO(オーストラリア保安情報機関)は警戒を強めているが、表立っては動かないつもりのようだ。今回の選挙はインドネシアも関心が強く、オーストラリアとしては迂闊に動けないからな。ということで、改めて任務を伝達する。日本の選挙監視団は総勢十八名。民間人四名、外務省本省の職員九名、在インドネシア大使館からの応援五名となる。諸君らは現地で彼らと合流、選挙監視期間中の護衛の任務に当たってくれ」
「また通訳兼お手伝いロボットなのですかぁ~」
ベルが、質問を発する。
「いや、一応通訳も務めてもらうが、表向きは『明るい選挙キャンペーンロボット』という触れ込みだ。……続けるぞ。最優先任務は、選挙監視団中の四名の民間人の保護。続いて在メイアルーア大使館員を含む外務省職員の保護。ジャーナリストを含む邦人の保護。オーストラリア及びマレーシアの選挙監視団の保護。続いて、諸君らの安全、という優先順位だ。任務上、火器の携行はなし。もちろん、爆発物も持ち込まない」
長浜一佐が、ベルに目を据えた。
「残念でありますぅ~。いざとなったら、現地調達しますですぅ~」
ゆっくりと首を振りつつ、ベルが言う。
「民間人は、どんな面子なんだい?」
亞唯が、訊いた。
「全員学識経験者だな。元駐インド大使で、西海大学名誉教授の進藤氏。彼が、団長となる。淀川大学教授で、国際政治学が専門の蓮見教授。これは女性だな。帝城大学准教授で、東アジア史が専門の池谷氏。そして、東方新聞論説委員で、武州大学非常勤講師の榎本氏。以上四名だ。ちなみに、副団長は外務省アジア大洋州局南部アジア部南東アジア第二課地域調整官の姉崎氏が務める。諸君らは、チャーター機でメイアルーアに先乗りして、選挙監視団と合流してくれ。外務省と話はついているが、諸君らの正体を知っているのは、姉崎氏だけだ。その点は、注意しておいてくれ」
「承知いたしましたわ、一佐殿」
皆を代表する形で、スカディがうなずく。
「今回の任務で気がかりなのは、充分なバックアップ体制を取れなかった、というところだ。人員を送り込もうにも、偽装身分を用意している時間もない。それどころか、選挙前でホテルさえ押さえられない状況だ。チャーター機には石野二曹が同乗するが、下りずに日本にとんぼ返りする。一応、スラウェシのメナド市のホテルを一部屋押さえ、そこに越川一尉、畑中二尉、三鬼士長の三人を待機させる。メナドからは、週三便だけだが定期航空路が通じているからな。とりあえず、諸君らには臨機応変にやってもらうしかない。衛星電話は貸与するから、何かあったらすぐにここかメナドに連絡をくれ」
やや暗い表情で、長浜一佐が言った。
「では、畑中君。後を頼む」
「はい、一佐」
長浜一佐が退き、畑中二尉と三鬼士長が前に出た。いつも通り三鬼士長がノートパソコンを机上にセットし、パイプ椅子に座るAI‐10たちに見えるようにディスプレイをセットする。
「よーしお前たち。ブリーフィングを始めるぞー。今回の任務は、メイアルーア共和国だー。インドネシアのマルク諸島、昔風の名前でいえばモルッカ諸島の東にある島国だー。フィリピンのミンダナオ島の南東、あるいはニューギニア島北西端の北、といった方が判りやすいかなー。小さな国で人口は八十万人ちょっとだけだー。三十数個の島からなるが、有人島は二つだけー。主島であるメイアルーア島と、裾礁のネーヴェ島だ。ま、島全部合わせても総面積は沖縄本島よりちょっと大きい程度だからなー。ま、弱小国家だなー。住民は、七割がメラネシア系で、アザリ族と自称しているー。残る三割が、マレー系のジャワ人とスンダ人。他に、ポルトガル系の混血もいるぞー。公用語はポルトガル語で、第二公用語がインドネシア語だ。なんでジャワ語やスンダ語じゃないか、は後で説明してやるー。宗教は、アザリ族のほとんどがカトリックだー。マレー系は、ムスリム。ただし、ここでは宗教的対立は皆無に近いぞー。珍しいなー。では、メイアルーアの歴史をざっとおさらいしとくぞー。元々、ここにはメラネシア系の人々が住んでいて、技術レベルは低いが焼き畑やったり魚獲ったりして平和に暮らしていたー。いわゆるジャワには、十四世紀ころイスラム商人が大挙してやってきて、イスラム教とイスラム文化を伝えたが、辺境といえるこの海域まではやって来なかったんだなー。で、その後にやってきたのがポルトガル人だー。十六世紀初頭にやってきた連中は、世紀の半ば頃にこの海域最大の島、つまり後のメイアルーア島に良港となり得る湾を見つけ、そこを占拠してサン・ジュアンと名付けたー。初上陸した日が、六月四日……サン・ジュアンの日だったという安易な理由だぞー。これが、のちにメイアルーア共和国の首都となるサン・ジュアン市の始まりだなー。ポルトガル人はここに砦を築き、港の防備を固めるとともに、街を作ったー。そして、地元のメラネシア人と交易し、布教を行ったー。今のメイアルーア人の七割がカトリックなのは、これが原因だー。あー、ポルトガル人は測量も行って、それまで単にサン・ジュアンと呼んでいた島をメイアルーア、と命名した。名前の由来は、これだー」
畑中二尉の合図で、三鬼士長がメイアルーア島の衛星写真をディスプレイに表示した。
「青カビの生えたカマボコやね」
雛菊が、そう評する。
南側に直線の部分を向けたやや潰れた半円形の島は、日本人には『カマボコ型』にしか見えない。それがみっしりと緑に覆われている様は、たしかに一片のカマボコにカビが生えているようにも見える。
「ポルトガル人は、これを月に見立てたのだー。メイア・ルーアは、ポルトガル語で『半月』の意味だー。その後、十七世紀に入ってオランダ人がジャワに進出し、ポルトガル人と激しい抗争を繰り広げたー。ポルトガル人側は劣勢で、次々と拠点をオランダ人に奪われたが、メイアルーアはサン・ジュアンにあった砦が強固だったおかげでオランダ人に奪われずに済んだー。その後、オランダとポルトガルの間で条約が結ばれ、メイアルーアはその周辺島嶼と共にポルトガルの領土として残ることになったー。ちなみに、この時ポルトガル領に認定された土地のひとつが、東ティモールだー。紛争の根は深いなー。まーともかく、ジャワほとんどはオランダ領になってしまったわけで、ポルトガル人は残された貴重なメイアルーア島を使って金儲けに勤しんだー。ここは、クローヴの栽培に適しているんだなー。丁子、という名前でも知られている香辛料だー。ポルトガル人は未開発だった島の西部を開拓し、ここに農園を作って、オランダ人の圧政で苦労していたジャワ人やスンダ人を移民として受け入れたー。そんな経緯で、メイアルーアには約三割のマレー系住民がいるんだなー」
「人種も宗教も由来も違う人たちが小さな島でうまく共存しているのは、いいことですわね」
感心したように、スカディが言う。
「アザリ族が、穏健な連中だったこと。カトリック信仰が浸透したこと。ポルトガルの勢力が衰えてからは、反抗を恐れて温和な植民地政策を採用したこと。移民であるマレー系が少数派に留まったこと。などなどでうまい具合にバランスが取れていたんだろうなー。結局、紛争防止には『バランス』が大事なのだなー。バランスが崩れれば、争いが始まるー。これは、世の習いなのだー」
畑中二尉が、達観したように言った。
第二話をお届けします。ウィンドウズ10になじめずに四苦八苦している高階です(汗) 次週以降は通常に戻れますので今後ともよろしくお願いします。




