第十四話
マックスは、冷たい毛布を巻きつけたまま全力疾走した。視程は事実上ゼロだが、事前に状況を十二分に頭に焼き付けておいたので、ためらうことなく走ることができる。
十まで数えたところで、マックスは腕を引いた。足を止め、ペットボトルを掴んだ右腕を大きく振り、投擲する。投げ終えたマックスは、すぐに床に伏せた。HR‐2000が投擲を攻撃だと判断した場合、撃ってくる可能性がある。
マックスの投擲は正確だった。狙い通り、ペットボトルは二体横に並んだ前衛のHR‐2000の頭上を通り抜け、その向こう側に到達する。床に当たった衝撃で、ベルが挟み込んでおいたプラスチック片が外れ、電子ライターの回路が繋がった。火花が、飛ぶ。
ぼん。
爆発音は鈍かったが、破壊力は大きかった。生じた黒煙が、消火剤と交じり合って奇妙な色合いの球を作り上げる。多数の釘が、高速で撒き散らされた。
ちっぽけな釘はHR‐2000とアダムには傷らしい傷は与えなかった。だが、人体の皮膚と脂肪と筋肉は軍用ロボットの装甲鈑よりも脆弱である。
ほんの三メートルほど離れた位置に居たブランドンには、主に左半身に十数本の釘が喰い込んだ。死近距離から散弾銃のバードショットの一部を喰らったのと同程度の衝撃を受け、ほぼ即死状態となる。
五メートルほど離れ、うまい具合にアダムの脚の一本が盾となってくれたヒルダは、重傷を負わずに済んだ。それでも、数本の釘が胴体にめり込み、悲鳴をあげて床に倒れ込む。
シオとベルは黄色い壁の中を突っ走った。超音波センサーで床に伏せているマックスを見つけ、大声で『確保』を連呼しながらその前に出て、手でマックスの身体を押さえつけ、捕まえたふりをする。
ぷしゅー。
気の抜けた音を残して、消火剤撒布が終了した。規定量を撒き終わったのだ。サイレンも止んでおり、今度は注意喚起のためか耳障りなブザー音が鳴り響き始める。
「たいへんですわー。ひるだとぶらんどんが負傷したようですわー。すぐに手当てしなければいけませんわー」
棒読み口調で言いながら、スカディが走り出した。徐々に薄れてゆく黄色い煙の中、どう対処していいか判らず動けないでいるHR‐2000の脇をすり抜けて、倒れているブランドンの脇に膝を付く。すぐ後に続いていた亞唯と雛菊が、同じようにヒルダに駆け寄った。
「脈なし、呼吸なし。死亡を確認しましたわ」
ブランドンの首筋に指を当て、スカディはブランドンの死を確かめた。
「リーダー。こっちは生きてるよ」
ヒルダの生死を確かめた亞唯が、そう報告した。振り向いたスカディが、いかにも忌々しげに舌打ちする。
「負傷者を治療するために運びます。よろしくて?」
立ち上がったスカディが、アダムに確かめるように訊く。亞唯と雛菊は、もうすでに二体でぐったりとしたヒルダの身体を抱えあげていた。スカディは抜け目無く、ヒルダの腰のホルスターからP225を抜くと、こっそりと自分のポーチに落とし込んだ。
立ち上がったマックスが、ガスマスクと急造ゴーグルを顔からむしる取る。ゆっくりと歩んできたヴァージルが、その背中を労うようにぽんと叩いた。
「二人とも、大人しくするのであります! 一緒に来るのです!」
HR‐2000たちにわざと聞かせるように言いつつ、シオはセモリナ粉を思わせる薄黄色の粉末が降り積もった通路を歩き出した。ベルがヴァージルとマックスの背後に廻り、『護送』らしさを演出する。騒動のあいだ半ば呆れ顔で見守っていたジョーが、イヴリンをエスコートしながらこれに続いた。
一同は自動で閉まった防火扉を押し開けると、消火剤の撒かれていない区画に入った。適当に選んだ一室……研究員の寝室兼個室らしい……の扉を開け、中のベッドにヒルダを寝かせる。
「結構出血はしてるけど命に関わるような傷じゃないね。とりあえず止血だけはしておこう。救急箱が欲しいな」
ヒルダの傷を検めながら、亞唯が言う。
「取ってまいります」
イヴリンがすかさず言い、部屋を出て行った。
「この女性には色々聞きたいことがありますからね」
そう言いながら、スカディがヒルダの身体を調べ始めた。ポケットの中の物をすべて取り出し、床に投げ捨てる。次いで、ベルトとそれに付いていたポーチの類もすべて取り上げた。ブーツも脱がせてしまう。
「怪しい物は持っていないようね」
靴下まで脱がし、中を検めながら、スカディが言う。
「さすがリーダー、慎重派なのです」
シオは感心したように言った。
イヴリンが、救急箱を提げて戻ってくる。亞唯と雛菊が、さっそくヒルダの治療を開始した。すでに気絶から回復しているヒルダの服を切り裂き、釘が喰い込んだ部分を露出させ、消毒と止血を行う。
「さて、ミズ・ノウルズ。それとも、ジーナ・ニコラエヴナとお呼びしましょうか? 訊きたいことがありますの」
P225をこれ見よがしにヒルダの眼前で振りながら、スカディが尋問を開始する。
「脅しても無駄よ。喋る気はないわ」
消毒薬が沁みるのか、あるいは単なる嫌悪感からか、顔をしかめつつヒルダが答える。
「答えてもらいますわ。まず、回収したウイルスと資料はどこに?」
「居住棟の食堂よ」
喋る気はない、と言ったにも関わらず、ヒルダがあっさりと答える。
「事情を説明してもらいましょうか。なぜウイルスを盗もうとしたの? ニコラス・シュネリング博士にペルー出血熱の改造をさせたのもあなたなの?」
スカディが、鋭い声で問う。ヒルダが、拒絶するかのように顔を背けた。
「こんなとき、熱々の『おでん』があれば、一発で口を割らせられるんやけどな」
雛菊が、にやにやしながら言った。
「こんなこともあろうかと!」
シオはポーチから『ラビットマート』で買っておいたバナナを取り出した。
「これとスプ○イトさえあれば、すぐに吐かせられるのであります!」
「それは吐くの意味が違うのですぅ~」
ベルが、即座に突っ込みを入れる。
「しかも凍ってるし」
ジョーも、重ねて突っ込む。
「……そうね。痛み止め代わりに一杯飲ませてくれたら、少しは喋ってもいいわよ」
逡巡した時のくせなのか、結婚指輪らしい左手薬指の銀色のリングをいじりながら、ヒルダがそう提案した。
「大丈夫かな」
治療を一通り終えた亞唯が、立ち上がりつつ日本語で言った。……むろん、服毒自殺を懸念しての発言である。
「とりあえずポケットの中は検めましたし、服毒するのならば水を要求するはずでしょう。それに、自害用ならば水なしで嚥下できる毒薬を持ち歩くでしょうし」
同じく日本語で、スカディが言う。
「イヴリン。お酒はあるかしら?」
「長期滞在を前提とした施設なので、アルコールの準備はあります。食堂と、隣接する倉庫に置いてありますわ」
うなずきながら、イヴリンが答える。
「少し持ってきてくださらない? 亞唯、ついでにヒルダらが集めたウイルスと資料も回収してきてちょうだい」
イヴリンと亞唯に向け、スカディが依頼する。
「承知いたしました」
「わかった」
「お酒のことなら任せてくださいぃ~。わたくしもお供しますですぅ~」
ベルも名乗り出る。
「そうそう。イヴリン、グラスや硬いプラスチックのカップは持ってこないでね。柔らかいプラスチックのカップか紙コップで充分よ」
スカディが、そう注文をつける。……自殺防止のための用心である。
「では、あたいはお燗の準備でもしておきましょう!」
三体がドアの外に消えると、シオは隅のテーブルにあった電気ポットの蓋を開けた。中に水が入っていることを確認してから、電源を入れて湯沸しを始める。室温はマイナス十数度である。ビールですらこの温度で飲んだら身体に悪い。
ほどなく、三体が戻ってきた。
「回収して来たよ」
亞唯が、テーブルの上に恒温容器とプラスチックバッグを置いた。ジョーが、バッグを開けて中の書類を覗き込んで確かめる。
イヴリンが、手にしていたトレイを置いた。軟質プラスチックのカップが三つと、ビールの小壜が二本載っている。
「ビール? ロシア人を舐めてるんじゃないの?」
ヒルダが、鼻で笑う。
「そう言われると思って、色々持って来ましたぁ~」
ベルが、三本のボトルをテーブルに並べた。バーボンの『ヘブン・ヒル』、スコッチの『ヘイグ』、ウオッカの『スミノフ』だ。
「気が利くわね、あなた。レッドラベルをちょうだいな」
にやりと笑ったヒルダが、身を慎重に起こしつつ言った。
「わたくしとしては、『ヘイグ』がお勧めなのですがぁ~」
残念そうに言いながら、ベルがスミノフ・レッドラベルをイヴリンに渡す。
「暖める必要はないわ」
ヒルダが、注文をつけた。
イヴリンがスミノフを開け、中身をカップに注いだ。カップを手渡されたヒルダが、半分ほどを一気に喉に流し込む。
「……効くわねえ。さあ、これで話す気になったわよ。まずは、親父が書き残してくれたメモの内容を教えてあげるわ……」
副所長アップショー少佐を抱きこんで、ペルー出血熱の形質転換研究を行っていたニコラス・シュネリング博士ことニコライ・スネシュコフ。彼は娘ジーナ・ニコラエヴナから、完成したらウイルスを高値で買う、と持ちかけられていた。
ジュード・モーズリーを助手に研究を重ねたシュネリングは、ついに毒性と感染力を大幅に高めたペルー出血熱ウイルスをほぼ完成させた。だが、最終調整が終わる前に、急遽ユーサムリッド本部の査察が入ることになってしまう。研究発覚を恐れたシュネリングは、サンプルと研究資料の持ち出しを画策、その準備としてアップショー少佐はアダムに対しいくつかの命令変更を秘かに施した。……通常の警備状態では、アダムの目をごまかしてサンプルの入った恒温容器を持ち出すのは不可能だからだ。
シュネリングの企みはうまく行くかに思えたが……ここで思わぬ妨害が入る。査察に怯えたモーズリーが精神に失調を来たし、ペルー出血熱ウイルスに自ら感染、所内の全員を巻き込む形での自殺を図ったのだ。
感染発病し、死を覚悟したシュネリング……このウイルスの恐ろしさは、誰よりも深く承知している……は、事態をジーナ・ニコラエヴナに伝えて後事を託すと、基地の完全閉鎖をアップショー少佐に行わせようとした。陸軍の調査をしばらく遅延させ、そのあいだにジーナにサンプルの回収を行わせようという意図である。しかし、避けられぬ死を前にして気弱になったアップショー少佐は、シュネリングへの協力を拒否する。やむなく、シュネリングはアップショー少佐を自殺に見せかけて殺害。事前に聞き出しておいたPコードとSコードを使い、アダムにクロフォード基地の全面閉鎖を命じた……。
「なるほど。アップショー少佐はやはり自殺ではなく殺害されたのですわね」
スカディが、うなずく。
「あたいが睨んだとおりなのであります!」
シオは無意味に威張った。
「お代わりちょうだい」
ヒルダが、カップをイヴリンに向け差し出す。イヴリンが壜を傾け、氷点下でやや粘性を帯びた液体がカップに流れ込む。
「それで、あなたの正体は?」
スカディが、ずばりと訊く。
「それは、答えにくい質問ね」
ヒルダが言いつつ、心の揺れを表すかのように右手のカップを揺らした。と、その指のあいだから、カップがするりと抜けた。透明なウオッカが、ヒルダの左手と左膝にぶち撒かれる。
「ああん、勿体ない」
ヒルダが慌てたように言って、ウオッカに濡れた左手を口元に寄せた。中指と薬指の根元の方を口に咥え、ちゅうちゅうと吸い始める。
いち早くヒルダの思惑に気付いたのは、ヴァージルだった。
「やめさせろ!」
叫びつつ、前に出ようとする。
ヒルダが、指を吸いつつにやりと笑った。
ヴァージルの声によって異常事態を察した亞唯とベルが、ヒルダの腕を押さえて口から引き離す。左手薬指で銀色に輝いていたはずの指輪は、黒く変色していた。
「吐かせろ!」
駆け寄ったヴァージルが、ヒルダの顎を掴んで強引に口を開かせようとする。
「おおっ! 今こそわがバナナとスプ○イトの出番なのです!」
シオは叫んだ。
亞唯が、右手を強引にヒルダの口の中に突っ込み、さらに指で喉の奥を探った。だが、間に合わなかった。見る見るうちに、ヒルダの顔から血の気が消えた。眼が白目となり、手足の力も失われる。
「あかん。心停止や」
胸に手を当てた雛菊が、言う。
「油断しましたわね。結婚指輪なんてありふれたものだから、見落としていましたわ」
悔しげに、スカディが言う。
「ある程度の濃度のアルコールに溶ける物質でコーティングしてあったんだな。口中粘膜から吸収しても死ねるほどの毒物を」
ヴァージルが、シーツの端で手を拭きながら言った。
「……何者だったんだ、ヒルダとブランドンは」
愕然とした表情で、ジョーがつぶやくように言う。
「どこかの国家に属する工作員でしょうか。まあ、あとは合衆国陸軍に任せましょう。彼女らの陰謀は阻止したし、とりあえずわたくしたちの任務はこれで完了でしょう。イヴリン、無線室に案内してちょうだい。ここまで来ればアダムも、フォート・ウェインライトとの通信を拒むこともないでしょう。事態を陸軍に報告し、迎えに来てもらいましょう」
スカディが言って、他のAI‐10を見やる。
「俺たちはどうなるんだ?」
マックスが、訊いた。
「陸軍にお任せすることになりますわね。軍施設に武装して侵入した以上、ただでは済まないでしょう。まあ、ヒルダらの陰謀阻止に協力してくれたことは感謝しますし、そのあたりはきちんと陸軍に報告しますが」
スカディが、軽く肩をすくめながら言う。
「まいったな、こりゃ。報酬無しのうえ連邦刑務所行きかよ」
マックスが、不満げに唸った。
第十四話をお届けします。




