第十二話
「レバニラ炒め」
「めんたいこ」
「高野豆腐」
「鮒寿司」
「シーザーサラダ」
「大根おろし」
「しめ鯖」
……退屈のあまり、AI‐10たちは尻取りに興じていた。
人間にとって、尻取りの面白さは記憶の中にある単語を引っ張り出し、それを繋げてゆくというところに妙味を覚えることにある。だが、検索すればメモリー内にある単語がすべて容易に出てくるロボットでは、その妙味を味わうことは不可能だ。AI‐10たちは、出てきた膨大な量の単語の中から、どれを選択するか、という部分をある種の『遊び』と捉え、擬似的に楽しみを得ていた。特に『縛り』などは無かったが、今回選ばれる単語がすべて食べ物に関連しているのは、その現れである。
と、娯楽室の扉に控えめにノックがあった。AI‐10たちは尻取りを中断すると、扉を注視した。一番近くにいたベルがとことこと扉に近付き、問いかける。
「どなたですかぁ~?」
「イヴリンです。入ってもよろしいでしょうか」
扉の外から聞こえてきた声を受けて、ベルがスカディを見る。
「いいでしょう。入れてさし上げなさい」
スカディが許可を出した。ベルが、うなずいて扉を開ける。
「失礼します」
ぺこりと一礼して、イヴリンが入室した。居並ぶAI‐10たちの前に進み出て、もう一度一礼する。
「お願いがあって参りました」
「お願い……。とりあえず、内容を伺いましょうか」
スカディが、訊く。
「ミズ・アンソンの容態が悪化しています。バイタル・サインも低下中です。お医者様に診せるために力を貸してはいただけないでしょうか」
いかにもリアルロボットらしい、真摯な表情と声音で、イヴリンが頼み込んでくる。
「……悪いけれど、もう医者に診せてどうにかなる段階は過ぎているでしょう。それに、わたくしたちはHR‐2000に見張られ、ここに軟禁されている身。あなたには同情を禁じえないけれど、お手伝いできることは何も無いわ」
スカディが、やんわりとイヴリンの申し出を完全拒絶する。
「そうですか。残念です」
顔を背けつつ、イヴリンが言う。
ぱりぱりぱり。
イヴリン以外のロボット全員……つまりAI‐10すべてが、一斉に身構えた。かすかに聞こえてきた音を、銃声と判断したのだ。
「7.62×51クラスの軍用機関銃。連射速度は遅め。……M240じゃないかしら」
一番音響センサーの性能がいいスカディが、そう識別する。
「何があったんだ?」
亞唯が、うろたえ気味に訊く。スカディが、首を振った。
「判らないわ。でも、撃っているのがHR‐2000ならば、謎の武装集団と交戦状態に入ったのかも知れませんわね」
「アダむんが『正気』にもどったんなら、ええんやけど」
雛菊が、疑わしそうに言う。
ヴァージルの手が、腰に下げたアルミの水筒に伸びた。指先が、底部をまさぐる。
次の瞬間、ヴァージルの手に円形の穴がいくつも開いた奇妙な金属製の円筒がすとんと落ちてきた。……ハリウッド製アクション映画やドラマでおなじみの、M84スタン・グレネードだ。
「伏せろ!」
叫びつつ、ヴァージルがM84を床に転がす。……投げなかったのは、投擲すれば敵対行為であるとHR‐2000に判定される可能性が高いからである。
マックスは、ヴァージルが叫ぶ前に身を床に投げ出し始めていた。前腕で眼を覆い隠す。耳も塞ぎたいところだが、残念ながら手は二本しかない。戦場においては、聴覚よりも視覚の方がはるかに重要な守るべき感覚である。
M84が、閃光と轟音を撒き散らした。
HR‐2000のAIが、光学センサーと音響センサーへの入力急増を感知し、電子機器を守るためのフィルターを作動させる。これにより、二体のHR‐2000は目標と認定していた二人の傭兵の現在位置が捕捉できなくなった。AIはスタン・グレネードの発火を『攻撃』と認定し、射撃開始をFCS(射撃統制装置)に命じたが、目標を一時的に喪失したFCSは目標喪失を理由に、射撃を行わなかった。
閃光が収まったことを感じ取ったマックスは、眼を閉じたまま起き上がり、反対側……だと思える方向へ身体を向けた。薄目を開け、走り出す。HR‐2000のセンサーが回復する前に、射線の通っていない処まで逃げなければならない。
ヴァージルは、すでに通路を走り出していた。マックスは、その背中を追った。脚が長い分、マックスの方が走るのは速い。角を曲がったところで、マックスはヴァージルに肩を並べた。
「どこへ行く?」
耳がやられて聞こえないことを承知で、マックスは訊いた。人差し指であちこちを指差し、意図を伝えようとする。
ヴァージルが、手を軽く振った。『俺についてこい』という意味だと、マックスは解釈した。
「サバーカ!」
逃げたであろうヴァージルとマックスを罵りつつ、ヒルダは一時的に見えなくなった眼をしばたたいた。ちなみに、サバーカは犬を意味するロシア語である。意訳すれば、犬野郎、くらいにはなるであろうか。
「あなたは、逃げた二人を追いなさい。射殺を命じます」
ヒルダは、手探りで一体のHR‐2000のボディに触れると、そう命じた。短く応諾の合成音声を残して、HR‐2000が走り出す。
ほどなく、二人の傭兵はHR‐2000が待ち受けている通路に出た。マックスには、見覚えのある場所だった。……陸軍が派遣したと主張していた奇妙な小さいロボットが閉じ込められている部屋が、突き当たった処にある通路だ。
ヴァージルとマックスに気付いた見張りのHR‐2000が、センサー部位を二人に向けた。だが、銃口は直接こちらを狙っていない。……このHR‐2000には、幸いなことにまだヒルダから二人を攻撃するような命令が届いていないのであろう。
走るのをやめたヴァージルが、すたすたとHR‐2000に近付く。
「ヒルダ・ノウルズおよびブランドン・メラーズから緊急命令を受けた。陸軍のロボットに極秘の伝言がある。現在、われわれは非武装である。通してくれ」
ヴァージルが無表情のままそう言って、両手を広げて非武装をアピールした。マックスも、それに倣った。まだ耳がおかしく、頭から金魚鉢をすっぽりと被っているかのように聞こえが悪いが、ヴァージルが何を言っているかくらいはわかる。
「待機願いたい」
HR‐2000が、そう応じて二人の入室を拒む。
「緊急命令だ。許可はあとで確認してくれ」
ヴァージルが、強引にHR‐2000の脇を通ろうとする。HR‐2000は、それを物理的に押し止めようとはしなかった。AIが、与えられた命令やその優先順位、彼の認識内におけるヴァージルとマックスの位置付けなどを総合的に判断し、積極的にその行動を認可しないまでも阻止すべきではない、と結論付けたのだ。
マックスは安堵しつつヴァージルのあとに続いた。
「またお客さんやで」
雛菊が、嬉しそうに言う。
ノックもせずにずかずかと入ってきたのは、先ほどアダムと共にやってきた高飛車な女についてきた、SG540を携えていた二人の男であった。もっとも、今は非武装だったが。
「何の御用かしら?」
スカディが、暖かみの感じられない口調で訊く。
「悪いが、匿ってくれ。ヒルダに、追われている」
背の低い方の男が、急いた口調で言う。
「ヒルダ? あの性格の悪そうな女のことですの?」
スカディが、眉をひそめる。
「手短に話そう」
ヴァージルが、自分とマックスの名前、ヒルダの正体などを早口で要領よく説明してゆく。
「……彼女が何の組織に属しているか知らないが、強化したペルー出血熱ウイルスを持ち出して悪用しようと考えていることは明白だ。俺たちは、これを阻止したい。合衆国陸軍も同様だろう。共闘できると思うが?」
「趣旨はよく判りました。嘘も言っていないようですわね」
スカディが、うなずきつつ言う。
「じきに、ヒルダがHR‐2000を連れて乗り込んでくるだろう。だが、今の俺たちは武器がない。あんた方なら、HR‐2000は攻撃できないだろう。だから、匿ってくれ」
マックスはそう言い添えた。……耳はかなり聞こえるようになり、金魚鉢から厚手のビニール袋くらいにまで回復している。
「かなり予定が狂ったけど、ヒルダの作戦阻止はあたしたちが受けた命令に合致するね」
亞唯が、言う。
「そうですわね。よろしいでしょう。ヒルダの作戦を阻止するために、力を合わせるとしましょう」
スカディが、ヴァージルに手を差し出した。
「ありがたい」
ヴァージルが、握り返す。
「では、どうやって匿いましょうか?」
「それなら、いい考えがあるのですぅ~」
ベルが、にこやかに言った。
「ヴァージル・ハイアットおよびマックス・イェーリングの二名は、この部屋の中に居ると推定されます。信頼度は高」
HR‐2000が、ヒルダとブランドンに堅苦しく報告する。
娯楽室に繋がる通路には、四体のHR‐2000が集結していた。さらに、アダムも駆けつけてきている。
すでにヒルダは、ブランドンから八名の傭兵を『始末』したとの報告を受けていた。残る邪魔者は二人。ヴァージルとマックスだけである。
「ヒルダ。無理にあの二人を始末しなくてもいいんじゃないか?」
閉まっている娯楽室の扉を見ながら、ブランドンが言う。ちなみに、ブランドンはSG540突撃銃を手にしていた。始末した傭兵から失敬したものであろう。
もともと、ふたりはこの作戦で自分たちの『素性』がある程度知られてしまうことは覚悟のうえであった。アダムを始めとする軍用ロボットには、作戦終了時に自分たちに関する画像および音声データの消去を命ずる予定であったが、陸軍の然るべき部門が解析を試みればある程度データ復元されてしまうだろうし、雇った傭兵たちから情報が漏れる場合も覚悟せねばならない。
しかし今回の作戦は錯誤だらけであった。予期せぬ生存者……メルの存在。そしてさらに予想だにしていなかった陸軍派遣の奇妙なロボットたちの存在。そして、傭兵たちの反抗。
すでに、形質転換したペルー出血熱ウイルスのサンプルは手に入れた。資料もすべて回収した。作戦目的は、ほぼ達成されたと言っていい。ここでヴァージルとマックス……HR‐2000に命じて閉じ込めておけば、手も足も出せまい……を無視し、撤収しても問題は無い。陸軍派遣のロボットとイヴリンを破壊し、ヴァージルとマックスを抹殺し、ミズ・アンソンの死亡を確認できれば完璧だが、そこまで求めるのは高望みというものであろう。
「いいえ。あのサバーカ二匹は、ここで始末するわ」
ヒルダは憤っていた。せっかく、部下にするという形で命を助けるという救いの手を差し伸べてやったのに、やつらはスタン・グレネードでそれを拒絶したのだ。
ヒルダは世間によく居る『知能は高いが経験不足で視野の狭い』人物であった。このような人物は、自分よりも知能が低い相手に出し抜かれることを極端に嫌う。高知能ゆえのプライドの高さと、視野の狭さから来る他人に対する蔑視、それに経験不足による無理解ゆえに、自分の力不足や失敗を素直に認めることができないのである。もはや私怨に近い感情を、ヒルダは二人の傭兵に対し覚えていた。
「開けなさい」
ヒルダは扉脇のHR‐2000に命じた。応諾したHR‐2000が、マニピュレーターで扉を開け放つ。
すでに傭兵二人を射殺するように命じられているHR‐2000たちが、M240の銃口を娯楽室の中に突き入れた。だが、発砲はしなかった。
「報告する。目標二名は陸軍派遣のロボットの背後にいる。発砲すれば陸軍派遣のロボットを破壊するおそれが強い。したがって、発砲を控える」
通信リンクでHR‐2000からの映像を受け取り、解析しているアダムがそのように報告を行った。
「部屋の中に踏み込んで、目標を射撃させなさい」
ヒルダはすぐさま命じた。だが、HR‐2000が動く前に陸軍派遣のロボットの一体が声をあげる。
「お待ちなさい。ヴァージル・ハイアットおよびマックス・イェーリングの両名は、わたくしたちが連邦法に基いて正当に逮捕いたしましたわ。現在、非武装で拘束中です。したがって、彼らの身柄は合衆国陸軍が預かっており、保護の対象となります。この行為は、わたくしたちが陸軍より与えられた基地内の調査命令に含まれる、『基地内において発見した不審者の拘束』に該当します。よろしいですね」
金髪のロボットが、凛とした声で通告してくる。
「なんだと……」
ブランドンが、呆れて顎を落とした。
「アダム!」
ヒルダは、慌ててアダムを見やった。
「陸軍によって拘束中であるならば、攻撃はできない。我々には、その権限がない」
アダムが、まるで首を振っているかのようにセンサー部位を左右に旋回させながら言う。
「ここはクロフォード基地。わたしたちはアップショー少佐に権限を移譲され、活動中なのよ? 基地警備の当事者としての権限があるはずよ」
「もちろんだ。しかし、すでに対象が拘束されている以上、何も行う必要がない」
「そうだ。引渡しを要求しなさい。任務の優先権はこちらにあるはずよ」
ヒルダは思い付きを口にした。
「任務の優先権ついてはそのとおりだが、あなた方の任務に基地内での警備関連事項は含まれていない。不審者の拘束は、事前に伝達された彼女らの任務内容に合致することを確認した。したがって、引渡し要請は権限外である」
にべも無く、アダムが応じる。
「ブランドン……」
窮したヒルダは、ブランドンを見やった。
「アダム。僕が直接ヴァージルとマックスを攻撃したら、君はどうする?」
ブランドンが、手にしたSG540を見せ付けるようにして、アダムに尋ねる。
「攻撃する理由を認められない以上、攻撃を阻止せざるを得ない」
「実は、ヴァージルとマックスは当基地の機密情報を知ってしまったのだ。これは、ユーサムリッドの機密事項で、陸軍の他の部隊にも知らせるわけにもいかない情報だ。我々の資材回収の任務には、情報の回収も含まれており、当然その情報の保全も任務に含まれる。選択肢は二つしかない。あの二人を我々が拘束するか、この場で殺害するかだ」
ブランドンが、生真面目な表情で嘘八百を並べ始める。
「情報は保全されなければならない。しかし残念ながら、わたしには現状でヴァージル・ハイアットおよびマックス・イェーリングの拘束も殺害も行うことはできない。指揮下の軍用ロボットに同様の命令を与えることもできない。明白に権限外である」
アダムが、言う。
「では、この条件下で僕かヒルダがヴァージルとマックスを殺そうとした場合、君は阻止するか?」
「阻止は非論理的だ。任務の手助けは不可能だが、阻止する理由はない」
アダムが、断言する。
「その際に、陸軍のロボットに被害が及んだ場合は?」
「味方に損害が生じることは遺憾であるが、正当な任務遂行に伴う損害であれば許容しなければならない」
アダムの答えに、ブランドンがヒルダに歯を見せて微笑む。
「傭兵たちから回収した対戦車グレネードを、撃ち込んでやりましょう。一発だけなら、アダムも許してくれそうです」
「いいアイデアね。さっそく、HR‐2000に取りに行かせましょう」
ヒルダも笑みを見せた。……アダムもしょせんはロボット。騙そうと思えば、騙せるのだ。
第十二話をお届けします。




