第九話
先頭を歩んでいたミルカが、右手をすっと挙げて停止の合図をした。
ヒルダを除く全員……ブランドンを含めた男性全員が、ぴたりと脚を止め、身を低くして警戒態勢に入った。すぐに気付いたヒルダも動きを止め、前方を注視する。
ミルカが、右手指先を小さく動かし、ヴァージルとマックスに対し近寄るように合図する。突撃銃を構え、いつでも射撃体勢に入れるようにしながら、ヴァージルとマックスは小走りに素早く前進して、前方を中止しているミルカとペーテルに並んだ。
「あそこだ」
ペーテルが、前方の雪原を指差す。
マックスは眼をすがめた。雪原の中に、巨大なホワイト・マッシュルームのような丸みを帯びた不自然な盛り上がりがある。
がぼっ。
いきなり、不自然な盛り上がりが一メートルほど上昇した。……伏せていたロボットが、立ち上がったのだ。
「アダムだ」
ヴァージルが、素早く識別した。
「クロフォード基地に接近中の武装集団に警告する。速やかに身分および所属を明らかにせよ。指示に従わない場合は武装解除を命ずる。指示に抵抗した場合は、攻撃を辞さないことをあらかじめ承知してもらいたい」
アダムが、暖かみの薄い合成音声で通告してくる。
「任せてください」
後方から歩んできたブランドンが、手振りで傭兵たちを制しつつ、前に出た。
「アダム。よく聞いてくれ。我々はクロフォード基地副所長ジェローム・アップショー少佐の承認を受けて、当基地の資材回収に来た者だ。正規のコードおよび付随情報を送信するので、受領してもらいたい。よろしいか?」
「送信を許可する」
アダムが、素っ気なく答える。
ベルトポーチから小型の送信機を取り出したブランドンが、手早くキーを操作した。
「……コードを正規のものと認める。アップショー少佐の指示に基き、ブランドン・メラーズおよびヒルダ・ノウルズの両名は、基地への進入を認める。ミスター・メラーズおよびミズ・ノウルズに質問する。同行している武装集団の身分および所属を明らかにされたい」
「武装している十名は我々の護衛だ。同行を認めてもらいたい」
「武装護衛同行の必要を認めない。クロフォード基地はわたしの完全な統制下にある。引き返すように勧告する」
アダムのすげない返答を聞き、ブランドンがヴァージルと視線を合わせた。
「……ここで引き返しても構わないぞ。もちろん、報酬は満額支払いを要求するが」
ヴァージルが、真顔で言う。
「それは、虫が良すぎるわね」
後ろから、ヒルダが声を掛ける。
「同行を認めてもらいたい。単なる護衛ではないのだ。我々の任務遂行に不可欠な人材も含まれている」
視線をアダムに戻したブランドンが、告げた。
「……ならば認めよう。だたし、過剰な武装は不必要であると同時に、危険でもある。護身用として小火器の携行のみ、許可しよう。具体的には、今現在携行しているライフル・グレネードおよび手榴弾はこちらで預かる。その他に爆薬などを所持している場合も、同様だ。よろしいか?」
「いいだろう」
ブランドンが、請合った。
右手前方から、マレットMk8が一体、雪煙を蹴立てつつ走り寄って来た。FS……ファイアサポートタイプで、40ミリグレネードランチャーとM134ミニガンで武装している。
「Mk8のカーゴスペースに、武器類を載せてくれ」
アダムが、指示する。
近寄ってきたMk8が、こちらに尾部を向け、姿勢を低くした。角ばった胴体後部の平らな上面……背部の側面と後面に垂れ下がるように収納してあった板状のネット部分が立ち上がり、小さな臨時カーゴスペースを作り上げる。本来は負傷者の後送や予備弾薬の輸送用に使われるものである。
ブランドンに促され、傭兵たちは各自のライフル・グレネードと手榴弾をそこに置いた。PE4プラスチック爆薬を持参したレスリーも、渋々ながら信管や導爆薬線が入った袋ごと置く。
「よろしい。全員のクロフォード基地進入を許可する。言うまでもなく、武器の使用を禁ずる。現在、当基地は通信封鎖が行われている。外部との通信は許可できない。当方の指示に従わなかった場合は、安全を保障できない」
アダムが、告げた。
「指示は了解した」
ブランドンが、視線を巡らせて傭兵たちにアダムの指示を徹底させつつ、返答する。
「アダム。質問があるわ。バイオハザードの経緯について教えてちょうだい」
ヒルダが、声を掛けた。
「よかろう」
アダムが、AI‐10たちに語ったものとそっくり同じ説明を行う。
「……状況はわかりました。では、今現在の基地内の汚染状況について教えてちょうだい」
経緯を把握したヒルダが、真剣な表情で聞いた。マックスは緊張してアダムの返答を待ち受けた。汚染状況如何で、この任務の危険性が大幅に異なることとなる。
「ミズ・メラニー・アンソンの指示で、全面的に消毒用エタノールを撒布、一部にはフラタール(オルトフタルアルデヒド)を使用した。現在使用中の医療施設以外は安全と推定される」
「メラニー・アンソン? どなたですか?」
ヒルダが、眉をひそめる。
「当基地の研究員だ。現在における、唯一の生存者でもある」
「生存者!」
ブランドンが叫ぶように言って、ヒルダと顔を見合わせる。
マックスも驚いた。まさか、生存者がいるとは思っても見なかったのだ。
「アダム。生存者の現状はどうなのです?」
ヒルダが、急いた口調で訊く。
「わたしは残念ながら専門的な医学知識に欠ける。意識はいまだ明瞭だが、衰弱しつつあるようだ。本人によれば、あと数日の命らしい。わたしの考えでは、早急に医者に診せる必要があるものと思われる。……あなた方の中に、医療に通じているものはいないか?」
アダムが、言う。……マックスには声調がなんとなく哀願口調に聞こえたのは、気のせいであろうか。
「わたしは多少医学の心得があります」
ヒルダが、言う。
「では頼む。ミズ・アンソンを診てやって欲しい」
「わかりました。しかし、あまり期待しないでちょうだい」
自信無さげな口調で言ったヒルダが、傭兵たちを見る。
「聞いてのとおりよ。念のため、防護服着用で基地内に入りましょう。サージカルマスクは常時着用。不用意にあちこち触らないこと。特に液体に注意してね。残留体液の中では、長期生存の可能性があるから。いいわね」
「了解した」
ヴァージルが、傭兵一同を代表して答える。
娯楽室に押し込められたAI‐10六体は、暇を持て余していた。
「出入り口はひとつ。そこにはHR‐2000が見張っている。窓はない。脱出は困難だね」
腕を組んだ亞唯が、言う。全員、防寒フードは外して頭部をむき出しにしているが、防寒着は着込んだままだ。
シオは天井を見上げた。蛍光灯と火災感知器、消火設備らしいノズルが見えるだけだ。期待していた脱出に使えそうな通風ダクトは見当たらない。
雛菊が、隅の冷蔵庫を開けた。
「おもろいなー。外気より冷蔵庫の中のほうが温いでー」
コークの二リットルペットボトルを引っ張り出しながら、雛菊が笑う。
「外に出して置いたら凍ってしまいますからねぇ~」
ベルが、嬉しそうに言った。
「しかし、これでいいのかしら」
ソファーに腰掛けたスカディが、嘆息気味に言う。
「どうしたんだい?」
ジョーが、訊いた。
「普通、バイオハザード物といえば、主人公たちがいつ感染するか、発症するかというおそれを強調して、緊迫感を高めるのが筋でしょう。わたくしたちはロボット。絶対に、感染も発症もしませんわ。これでは、盛り上がりに欠けるのでは?」
「でた。スカぴょんのメタ発言や」
雛菊が、笑う。
「まあ、いいではないですか! 謎の武装集団も現れたことですし、これから盛り上がるはずです!」
シオはそう言ってひとり気勢を挙げた。
「いったい何者だろうな?」
腕を組んだまま、亞唯が首を傾げる。
「見当もつきませんわね。合衆国内でなおかつ僻遠の地。おまけに秘密基地のはず」
スカディも、首を捻る。
「案外、事情を知らない陸軍の他の部隊が、偶然演習か何かで近寄っただけじゃないのかな。この作戦自体は極秘だから、あり得るよ」
ジョーが、推測する。
「外国の軍隊がふらりと現れた、よりは説得力のある説ですねぇ~」
ベルが、感想を述べた。
クロフォード基地のある丘に登る手前で、マックスらは防護服を着込んだ。薄手だが防水性があり、ウイルスなどが含まれる液体に触れても感染しないようにできている。手袋も着け、マスクも装着する。
「肌が露出している部分に傷がある人は?」
サージカルテープを取り出しながら、ヒルダが訊く。レスリーとユゼフが手を挙げ、髭剃り失敗の跡と潰れたおできの上にテープを張ってもらう。
アダムと、傭兵たちの火器を載せたMk8を先導役にして、一同はぞろぞろと丘を登った。いつの間にか、他の二体のMk8が現れ、傭兵たちの左右後方百五十メートルほどの処を歩んでいた。……十字砲火を浴びせるには、絶好の位置である。
「ぞっとしないな」
後方をちらちらと窺いながら、ヴィリーが言う。
「建物の中に入ってしまえばこっちのものだ。奴ら大き過ぎて、入ってこれない」
マックスはそう言った。
丘を登りきった一同は、アダムに促されて居住棟に入った。ヴァージルが念のために、ミルカとペーテルを見張りのために外に残す。Mk8たちは、少し離れた処にある平屋の建物の中に入っていった。待機所兼整備施設があるのだろう。
通路には、HR‐2000が待ち構えていた。歩む一同の後ろに回り、歩調を合わせてついて来る。……マックスは捕虜か囚人になったような気分になった。
「あら。お客様の多い日ですこと」
いきなり女性に声を掛けられて、マックスは慌てて突撃銃を肩から外した。
「ロボットか」
いち早く突撃銃を構え、金髪の女性に銃口を向けたヴァージルが、問う。
「はい。当基地で雑務を担当させていただいております、イヴリンです」
銃口にも動じず、イヴリンと名乗ったロボットが、礼儀正しく一礼する。
「もう。驚かせないでよ。アダム、この子の他にも、ロボットがいるの?」
かなり驚いたのだろう、怒気が混じった口調で、ヒルダが訊く。
「いる。陸軍が派遣したロボット六体だ」
「なんだって? どこに?」
ブランドンが、アダムに詰め寄った。傭兵たちにも、一斉に緊張が走る。
「居住棟の一室、娯楽室に軟禁中だ」
「武装は?」
ヴァージルが、訊いた。
「火器はない。エレクトロショック・ウェポンを内蔵している」
強張った表情のブランドンが、ヴァージルを見た。ヴァージルが、うなずく。
「アダム。案内して」
ヒルダが、硬い声で言った。
「この部屋だ」
アダムが、戸口の前に立っていたHR‐2000に合図した。HR‐2000がマニピュレーターでドアを開け、中に入る。続いて、アダムが入室した。マックスは、ヴァージルと共にSIG540突撃銃を構えて入った、すぐ後に、ヒルダとブランドンが続く。
「これが……陸軍派遣のロボット?」
ヒルダが、唖然とする。
突撃銃を構えていたマックスも、呆れて思わず銃口を下げた。
小さなロボットたちだった。身長は、一メートル程だろう。顔の造作はかなりデフォルメされており、全員同じ顔に見える。揃いの白い防寒着を着ているので、個体を識別するのは髪の毛に頼るしかないようだ。
「わたしは、当基地副所長の要請を受けて、資材回収に来た者よ。あなたたちは何者?」
気を取り直したヒルダが、高圧的な口調で訊く。
「合衆国陸軍によって正規に派遣された調査団です。あなた方のことは、聞いていませんね。どうやら、正規の陸軍部隊では無いようですわね。むしろ、こちらがあなた方の身分所属を伺いたいですわ」
豊かな金色の髪を縦ロールにしたロボットが、冷静な声音で訊いてくる。
「アダム。このロボットたちも、通信封鎖状態にあるのかしら?」
ヒルダが、訊いた。
「当然だ。何者であろうとも、外部との通信は禁止されている」
「そう。では、アダム。命令します。このロボットたちを排除しなさい」
ヒルダが、きっぱりとした口調で指示を出した。
「排除という言葉は曖昧である。明確な指示が欲しい」
アダムが、聞き返す。
「では、銃撃して破壊しなさい」
『まずい展開になったのです!』
シオは赤外線通信でわめいた。防寒フードは外してあるから、通信は可能だ。
『全員慌てないで。あの連中が何者かは判りませんが、アダムの権限から言って陸軍所属のわたくしたちを破壊できるとは思えませんわ。下手に対抗手段を取って抵抗したと判断されるよりも、ここは大人しくしていましょう』
スカディが、冷静にそう判断する。
「それは不可能だ」
アダムが、ヒルダの命令を拒否した。
「彼女らは陸軍が正規に派遣した部隊である。わたしの指示に従っている以上、破壊する理由がない。アップショー少佐にも、無条件で彼女らを破壊する権能は与えられていない。したがって、アップショー少佐により権限の一部を移譲されたあなた方にもその権限は無い。したがって、その命令は無効である」
いかにもロボットらしく、アダムが論理的に拒否理由を説明する。
「……ヴァージル?」
ヒルダが、ヴァージルを見た。
「警告する。基地内での火器使用は禁止である。彼女らは陸軍に所属するロボットである。彼女らに対する攻撃は合衆国陸軍に対する攻撃と看做す。わたしを含む当基地の警備ロボットは、彼女らを守ることに全力を尽くさねばならない」
ヒルダの考えを先読みしたアダムが、通告する。通信リンクで指示を送ったのだろう、まだ部屋の外にいたHR‐2000が、M240汎用機関銃の銃口をくいっと傭兵たちに向ける。
「報酬外の任務だな、それは」
薄く微笑んだヴァージルが、構えていた突撃銃を肩に掛けた。
「仕方ありませんね」
ブランドンが、ため息をつく。ヒルダが、小さくうなずいた。
「アダム。わたしたちが任務を行うあいだ、この妙なロボットたちを閉じ込めておいて。邪魔をさせないように。通信も、もちろん禁止よ。それくらいなら、できるでしょう?」
「任務の優先順位は、あなた方の方が上だと認識している。要請を承諾した」
アダムが、請合った。
「行きましょう」
ヒルダが、部屋を出た。ブランドンが、続く。
マックスも、ヴァージルに続き部屋を出た。アダムに続き最後に退出したHR‐2000が扉を閉め、その前に見張りに立つ。
「妙な任務だぜ。何なんだ、あの妙なロボットは?」
小声で、マックスはぼやいた。
「俺にもわからん。だが、任務の邪魔にはならないようだな。ひょっとすると、何かに利用できるかも知れん。この部屋の位置だけは、把握しておこう」
ヴァージルが、きょろきょろと周囲を見回した。脳内の作戦地図に、この部屋の位置を描き加えているのだろう。……傭兵のくせに地図を読むのが苦手なマックスには、到底できないうらやましい芸当である。
第九話をお届けします。




