第七話
ヴァージル・ハイアットとマックス・イェーリングの二人が指揮する総勢十名の傭兵たちと、その雇い主であるブランドン・メラーズとヒルダ・ノウルズの二人。合計十二名が、GMCのSUVユーコン二台に分乗して乗りつけた雪原に待ち受けていたのは、スキーを履いた双発ターボプロップ機DHC‐6『ツインオッター』だった。
フェアバンクス市街地から一時間ほど車を走らせただけだが、雪原の周辺には人家らしきものは皆無であった。両側には雪をまとった木々が立ち並んでいるが、まるで誂えたかのように、長さ約千メートル、幅百五十メートルほどのまっ平らな雪原が細長く延びている。……STOL性能に優れているDHC‐6ならば易々と離着陸できるだろう。
「古そうな機体だな」
ユーコンを降りながら、マックスは言った。DHC‐6は名機であり、今も最新型が製造権を譲り受けた別会社で生産されているが、これはオリジナルのデ・ハビランド・カナダ社が以前に生産したもののようだ。DHC‐6が雪面離着陸用にスキーを装着する際には、車輪を完全に取り外して板状のスキーを付ける場合と、車輪を囲むように箱状のスキーを取り付ける場合があるが、この機は後者であった。
「パイロットの方がもっと古そうだぜ」
ヴァージルのあとから降り立ったノーラン……衛生兵あがりで、生物兵器にも詳しいのでヴァージルが呼んだ赤毛の男……が、近寄ってくるパイロットらしい小柄な男を見て言った。
たしかに、歳を喰ったパイロットだった。防寒用の毛糸の帽子からはみ出ている髪は、周囲の雪に溶け込んでしまいそうなほど真っ白だ。皺だらけの顔の中で、落ち窪んだ小さな眼だけは、なぜかきらきらと輝いている。いまだ気力は衰えていないようだが、七十はとっくに越えているのではないか、とマックスは踏んだ。
「俺の曾じいさまと戦ったんじゃないだろうな?」
マックスとは長い付き合いのヴィリーが、冗談口調で言う。マックスは鼻で笑った。ヴィリーの曽祖父は、ルフトヴァッフェの新米少尉としてレシプロ戦闘機に乗り、連合軍と戦ったことがあるのだ。
「いや、あの爺様はリヒトフォーヘンのライバルだったそうだ」
イギリス人のレスリーが、笑いながら言う。フォン・リヒトフォーヘンは、第一次世界大戦における高名な戦闘機パイロットである。
「歳は喰っとるが、腕は確かじゃよ」
破顔して、パイロットが言った。
「あんたが隊長さんかい? フォークナーっちゅう者じゃ」
パイロットが、マックスに向け手を差し出す。
「いや、隊長はあっちだ」
気まずい思いで手を握り返しながら、マックスはヴァージルを視線で指し示した。
「おお、すまんな。よろしく頼むで」
マックスの耳でも、かなり訛っていると思える英語でフォークナーが言いつつ、ヴァージルと握手を交わす。ヴァージルは、相変わらずの無表情だ。
「ミスター・フォークナー。荷物はすべて積み込んでいただけましたか?」
ブランドンが、訊いた。
「もちろんじゃ。全部積み込んで、固定済みじゃよ。エンジンが温まれば、すぐにでも出発できる」
フォークナーが、請合う。
「いかがですか?」
ブランドンが、ヴァージルを見た。ヴァージルが、うなずく。
「出発しよう」
ヴァージルのDHC‐6は、後部の座席が取り外され、そこが広々としたカーゴスペースに改造されていた。中身が判らないように軽量のコンテナに収納され、人員よりも先に秘かに送り込まれた装備類は、そこにネットでがっちりと固定されている。機内がわずかに生臭いのは、夏場にフィッシング客にチャーターされることが多いためだろう。
機内では傭兵たちも大人しくしていたし、ブランドンもヒルダもほとんど喋らなかった。フォークナーは金で雇われて人と装備を運ぶだけで、作戦に参加するわけではないのだ。だが、別送されたコンテナから漏れてきたであろうガン・オイルの臭い、全員が履いているごついコンバット・ブーツなどを見れば、このツアーの目的がクロスカントリーや野生動物観察ではないことなど、子供でも判るはずだ。もちろん、他言されないためにブランドンとヒルダは尋常ではない額のチャーター料金を払っているはずだが。
一時間半ほど飛行したところで、フォークナーが高度を落とし始めた。着陸適地を探すためだ。最低でも、長さ五百メートル、幅三十メートルほどの平らな雪原を見つけねばならない。
「よし、あそこが良さそうじゃな」
フォークナーの眼が、すぐに林間に適地を見出した。機体が低空で旋回し、さらに高度が落ちる。フォークナーが、林間地の真横を、機体を傾けて飛ぶ。マックスも、窓から林間地をじっくりと観察した。足跡ひとつない雪原だ。着陸に問題はないだろう。
フォークナーが、機体を旋回に入れた。『滑走路』に正対し、スロットルを絞る。雪をまとわりつかせたクロトウヒの林が、胴体の下を舐めるように飛び去ってゆく。
着陸は、覚悟していたよりも滑らかだった。一回がくんと機体が揺れただけで、DHC‐6は雪面を文字通り滑走し、停止した。
一同はさっそく機を降りた。コンテナをすべて外に出し、そのうちのひとつから防寒兼カムフラージュ用の白色パーカーを出して着込む。
ヴァージルが、GPSを取り出して位置を記録した。作戦終了まで、フォークナーはここで待っているという契約になっているのだ。
陽気に手を振るフォークナーに見送られて、一同はコンテナを手に歩き出した。充分に着陸地点から離れたところでコンテナを開け、本格的な作戦の準備に入る。
まず配られたのは武器であった。傭兵全員が、SIG SG540突撃銃を持つ。スペアの弾倉は、各自四個。サブウェポンの拳銃は、SIG P225。こちらのスペア弾倉は、一個のみ。さらに、HG85破片手榴弾が二個。
ロボット攻撃用としては、ライフル・グレネードが各自一発ずつ配られた。フランス製の、AC58だ。HR‐2000相手ならば、充分に威力のある武器である。マレットMk8に対しては分が悪いが、ヴァージルたちはMk8を相手に戦うつもりはさらさらなかった。もしそのような事態になったら、さっさと逃げ帰る方が利口というものだ。
ブランドンとヒルダも武装したが、こちらはP225自動拳銃だけという軽武装であった。
次々と荷物が解かれ、装備が渡されてゆく。折り畳んでプラスチックバッグに入っている化学防護服。フィルター式のガスマスク。食料と水。生物兵器用の検査キットは、ブランドンとヒルダが分けて持った。
最後に、傭兵たちの持参品が詰まったコンテナが開けられる。愛用の拳銃を持ち込んだ者。爆薬を持参した者。マックスは、使い慣れたコンバット・ナイフを持ってきた。作戦中はこれを下げていないと、落ち着かないのだ。
「ヴァージル。なんだ、それ」
ユゼフ……ポーランド人のバラノフスキー兄弟の、兄の方……が、ヴァージルが腰に下げた大きなアルミ製の水筒を指差す。
「お守りさ」
ヴァージルが、あちこちが凹んだ年季の入った水筒を、手袋のはまった手でいとおしげに撫でる。
「よし、出発するぞ。ペーテルとミルカ、先導を頼む」
ヴァージルが、寒冷地に慣れているノルウェー人とフィンランド人を指名した。
ブランドンとヒルダを囲むようにして、一同は歩み出した。ヴァージルは指揮を執り易い中央やや後方を行き、マックスはブランドンとヒルダのすぐ前を歩いた。殿には、ユゼフとダヴィドのポーランド人兄弟がつく。
ペーテルとミルカが、林の中に分け入る。マックスは、枝に頭をぶつけないように頭を下げて歩いた。
「オチッ!」
ヒルダが、小さく叫び声をあげた。マックスは慌てて振り向いたが、脚を止めたヒルダが顔をしかめているだけで、異常はないようだ。
「どうした?」
「あなたが枝を引っ掛けたのよ」
おでこのあたりをさすりながら、ヒルダが口を尖らす。……どうやら、前を行くマックスが身体に引っ掛けた小枝がしなって、後続するヒルダを鞭のように打ったらしい。
「すまんすまん。気をつけるよ。もう少し間隔を開けて歩くといい」
マックスは苦笑しつつ助言した。
……おや。
マックスは、ヴァージルの視線に気付いた。『ちょっと用がある』という時の眼だ。
「先に行っててくれ」
マックスは、ヒルダとブランドンに言った。歩んできたヴァージルが、後続するポルトガル人のヘニーに先に行くように身振りで伝えてから、マックスの側で脚を止める。
「ヒルダの悲鳴、聞いたか?」
ヴァージルが、小声で問う。
「聞いたよ。結構可愛いな」
「オチ、と言っていたな」
「……確かに、アウチッには聞こえなかったな。オーストラリア訛りじゃないのか?」
「いや。オチだった。発音も本物だった。こんな痛がり方をするのは、ロシア人やウクライナ人、ベラルーシ人くらいだ」
ヴァージルが、暗い目で言う。
「ああ。あんたはロシア語も喋れるんだっけな。じゃあ彼女、オーストラリア人じゃないのか。移民なのか?」
「いや。俺は彼女の自己紹介を聞いている。生まれも育ちもオーストラリアだと言っていた。ポーランドには、縁があると言っていたが……」
「じゃ、ポーランド語が出ちまったとか?」
「ポーランド人なら、オゥフと言うはずだ。オチとは言わん」
ヴァージルが、首を振る。
「嘘をついている、というのか?」
「可能性はあるな。まあ、雇い主が素性を隠すのは、傭兵稼業では珍しくない。だが、油断するな。あの二人からは、眼を離さないほうがいい」
ヴァージルが、低いトーンで言う。彼がこういう声を出す時は、本気で危ぶんでいる場合だと、マックスは知っていた。
「わかった」
「アダむんの話だけではバイオハザード発生の経緯がようわからんで」
管理棟を出て、再び雪の上を歩みながら、雛菊が言った。本来ならばアダムに聞かれないために赤外線通信を使いたいところだが、厳重に着込んでいるので赤外線ポートがすべて衣服に覆われており、不可能である。
「生存者に聞けば判るんじゃないか? 研究者らしいし」
亞唯が、言う。
「ともかく、調査を続けましょう。アダムも協力的ですし」
アダムの雪原迷彩に覆われた背中を見つめながら、スカディが言う。
居住棟に戻ったアダムが、さらに奥へと進む。
「あら。お客様ですか」
不意に通路の角から現れた若い女性が、にこやかに微笑んだ。
身長は百六十センチほど。赤味がかった金色の髪と、卵形の顔。タートルネックのセーターと、ブルージーンズというラフな姿だ。
人間そっくりではあったが、シオたちは彼女をロボットであると即座に識別した。『オレンジ・リボン』を髪に付けていたからだ。
見た目が人間と寸分違わぬ精巧な『リアルロボット』の出現は、世界に少なからぬ混乱をもたらした。感情的、倫理的、あるいは宗教的理由から、人間そっくりなロボットを禁忌する人々が、どの国や地域でも一定数存在したからだ。
その中でも比較的『穏健派』の人々は、リアルロボットは人間ではないことを外見で識別できる何らかの『標識』を着用すべし、と主張した。そのような中で、自然発生的に北米で生まれたのが、リアルロボットに派手な色合いの『腕章』を付けさせる、という習慣であった。これはリアルロボット禁忌派から歓迎されるとともに、消防、救急などの現場からも好評を持って迎えられた。今までに何件も、事故や火災現場で機能停止しているリアルロボットを『救助』しようとして、命を落とした消防隊員やレスキュー隊員が出ていたからだ。人間そっくりであっても、ロボットはしょせんロボットであり、機械に過ぎない。……旋盤や射出成型機や削岩機を救い出すために命を賭ける者など、どこにもいないだろう。
この標識付与の習慣はすぐに世界中に広まり、拡散の過程で複数あった色もよく目立つ蛍光オレンジに統一された。さらに、腕章以外にもリボン、チョーカー、マフラー、ネクタイ、サッシュベルトなども、蛍光オレンジであれば標識として認められるようになってゆく。すでにヨーロッパを中心に数カ国が、これらの標識の着用を外出時に限り法令で義務化していた。日本では、まだ法制化はされていないが、経済産業省が出した『民生用ヒューマノイドロボットに関するガイドライン』においては、リアルロボットに対しこれらの標識着用が望ましい、という表現で推奨が行われており、その普及度はほぼ百パーセントに近い、と推測されている。
「紹介しよう。イヴリンだ」
脚を止めたアダムが、振り返って言った。
「イヴリンです。当基地の雑務を引き受けていたロボットです」
イヴリンが、AI‐10たちに向けぺこりと頭を下げた。
AI‐10たちはそれぞれ名乗って挨拶した。
「イヴリンさん以外にも、ロボットはいるのですかぁ~?」
ベルが、訊く。イヴリンが、首を振った。
「民生用ロボットは、わたしだけですわ。あとはみな、アダムのような軍用ロボットです」
「イヴリン、彼女たちはメルに会いたいそうだ。起きているか?」
アダムが、訊いた。
「はい。お目覚めですわ。お客様がいらしたのを知れば、喜ばれるでしょう」
イヴリンが、微笑んで言う。
「こちらへどうぞ」
暖房が入った医務室らしい一室に、生存者は横たわっていた。
まだ若い……二十代後半らしき白人女性だ。長い黒髪が目立つ上半身は、すっぽりと酸素テントに覆われている。腕には点滴の針が刺さり、ベッド脇には生体情報モニタが心拍数を始めとする各種数値を機械特有のひたむきさで表示し続けている。
「ミズ・アンソン。お客様をお連れしました」
イヴリンが、そっと声を掛ける。
患者が、半ば閉じていた目を開けた。首を横に寝かせ、ぞろぞろとベッドを取り巻くように入ってきたAI‐10たちを見て、微笑む。
「あらあら。可愛らしいお客様ね。どうしたの?」
明瞭だが、弱々しいゆっくりとした口調で、訊く。
アダムが、シオたちの素性について手短に説明した。
「そう。陸軍が寄越したのね。わたしはメラニー・アンソン。研究員の一人よ。階級は、少尉」
「ミズ・アンソン。いくつか質問させていただいてよろしいですか?」
スカディが、訊いた。
「いいわよ。でも、お願いだからメルと呼んで」
「では、メル。バイオハザードの詳細について、教えてくださいませんか」
酸素テントに顔を寄せるように近付いたスカディが、メルの顔を見据えて言った。
第七話をお届けします。
ユウキ様に本作のツボを押さえた素晴らしいレビューを書いていただきました。ありがとうございます。今後も本作とシオたちをよろしくお願いいたします。




