第六話
やや下向きに枝が伸びているうえに、雪をまとわりつかせているために、伸びすぎたクリスマスツリーが密集しているようにも見えるクロトウヒの林の中から、アダムがのっそりと姿を見せる。
やや細身の八本脚と、楕円形のボディ。腕は二本で、右側が通常のマニピュレーター、左側は固有武装のM240汎用機関銃専用となっている。纏っているのは、雪原に溶け込みやすい白と薄いグレイの迷彩だ。
スカディは、黙ったままアダムが接近するのを待ち受けた。すでに、IFFは発信済みだ。こちらが、合衆国陸軍に所属しており、敵ではないことは承知しているはず。ならば、まずアダムの出方をうかがった方がいい。そのような判断である。
「諸君らに警告する。現在、クロフォード基地は閉鎖されている。これ以上の接近は許可できない。引き返すことを勧告する」
脚を止めたアダムが、そう音声で通告してきた。明らかに男性の声だが、それほど感情豊かではない合成音声だ。……開発陣が、常に沈着冷静さが必要とされる指揮統制役に相応しい、あえて感情を廃した非人間的な音声を選択したのだろうか。
「わたくしたちは、フォート・リチャードソンから派遣されてきました。任務は、クロフォード基地の現状調査です。合衆国陸軍による、正式な電子承認命令もありますわ」
スカディが言って、あらかじめ与えられていたコードを発信する。
「受領した。諸君らを正式な陸軍派遣の調査チームと認める。基地内への立ち入りを許可する。ただし、クロフォード基地の全権は所定の手続きに従い、わたしが掌握している。貴殿以下すべてのロボットは、無条件でわたしの指示には従ってもらいたい。よろしいか?」
「結構です。指示には従いますわ」
スカディが、素直に応じた。
「まず最初に、通信制限を行う。外部との電磁波による通信手段は、持ち込みを禁ずる。ここに置いていってもらいたい」
アダムが、さっそく指示を出す。
「では、衛星電話を置いていきますわ」
スカディが、収納してあったポーチごとイリジウム携帯を腰から外した。中身を取り出し、衛星携帯電話であることをアダムに見せてからポーチに戻し、雪原の上に置く。
「各自がFM無線機を内蔵していますが、出力が低くここでは外部との通信には使えません。これは、音声での通信が不可能な場合に必要です。持ち込んでも、よろしいですか?」
「持ち込みを承認する。ただし、無闇な発信は禁ずる」
アダムが、言う。
「承知しましたわ」
「火器、爆発物などの武器類は所持ないし内蔵しているのか?」
アダムが、訊く。
「火器や爆発物は持っていません。わたくしを含む五体はエレクトロショック・ウェポンを内蔵しています」
「よろしい。敷地内での使用は厳禁する。六体は常に分散せず、まとまって行動すること。その際、わたし乃至わたしが権限を委譲したロボットの監視下にいること。以上を厳守してもらいたい」
「委細承知いたしましたわ」
スカディが、厳かにうなずく。
アダムとシオらはパーソナルネームと非常時の通信用無線周波数を交換し合った。その上でようやく、クロフォード基地への行進が開始される。
「囲まれてるね。用心深い奴だ」
AI‐10たちを引率するかのように、先頭を歩むアダムの背中を見やりながら、亞唯が言う。赤外放射から、周辺に軍用ロボット数体が隠れていることを見抜いたのだ。
「まあ、当然でしょうね」
ここまでうまく行ったことにほっとしたのか、スカディが安堵の表情で応じる。
一行は、樹林の中を進んだ。針葉樹林ゆえ落葉が少なく、土壌も発達していないうえに、寒い時期なのでまともな下生えはコケ類くらいしかない。しかもそれらが雪に覆われているので、林の中はたいへんに歩き易かった。とは言え、やはり雪面を歩むのは硬い地面の上よりも厄介である。アダムも、雪は苦手らしく、それほどスピードは出していない。一行は時速三キロメートルほどのゆっくりとした速度で進み続けた。
樹林の中を抜けると、視界が開けた。大きな丘のような盛り上がった地形の上に、レーダーサイトが見える。岩山のせいか、丘の上には樹木は一本もなかった。
通常、この手の軍事施設には、部外者の立ち入りを拒むための外周フェンスや柵が付き物だが、クロフォード基地にはそんなものはなかった。原生林に囲まれたこんなところまでやってくる民間人などいるはずがないので、囲っても意味がないのだろう。おそらく立ち入り禁止と表示されているであろう金属製の立て看板……びっしりと白い霜で覆い尽くされているので、何が書いてあるのかわからない……だけが、丘の麓に寂しげに突っ立っているだけだ。
丘を登ってゆくと、クロフォード基地の細部が見えてきた。ホールケーキの上にバレーボールを載せたような、メインのレーダー施設。一回り小さいレドーム二基は、トラス構造の鉄骨塔の上に鎮座している。現在は放棄されている管制棟は、屋根に雪を載せた鉄筋コンクリート製の建物だ。少し離れたところにある急傾斜の切妻屋根をもつ二階建ての大きな建物は、居住棟。そこに隣接するように建つ、鉄筋コンクリート三階建ての、大きく角ばった建物が、新設された『寒冷地装備試験棟』である。もちろん、本当はバイオセーフティレベル4の施設を含む、生物兵器対策試験棟である。近くにヘリポートもあるはずだが、今は雪に覆われて見ることはできない。
居住棟の前には、門番のようにHR‐2000が一体控えていた。すでにアダムが命令しておいたらしく、AI‐10たちが近付くのを知ってもセンサー部位が詰まった頭部を向けてくるだけで、一歩も動こうとしない。AHOの子たちは、アダムに指示されるままに防寒用の二重扉から居住棟に入った。
「あかん。寒いで」
雛菊が言って、顔をしかめた。居住棟であるにもかかわらず、内部の温度は外とほとんど変わらなかったのだ。暖房が入っていないということは、生きている人間がいないということの証左でもある。
「とりあえず、この部屋を提供する」
アダムが、一室にAI‐10たちを招じ入れた。本棚やテレビ、ソファーにテーブルなどが置かれている。娯楽室か休憩室に使われていた部屋のようだ。隅の方にはセントラルヒーティング方式のオイルヒーターがあったが、もちろん熱は放っていない。
「充電は自由に行ってもらって結構。他に何か入用なものがあれば、準備する」
アダムが、親切にもそう申し出てくれる。
「ありがとうございます」
スカディが、ぺこりと頭を下げた。
シオたちAI‐10は、そこで背中の予備バッテリーを降ろした。軽くなって消費電力を節約する意味合いもあるが、家庭用でかつ人間臭い行動パターンを組み込まれているAI‐10としては、屋内で荷物を背負ったまま、というのは『落ち着かない』のである。防寒パーカーも脱ぎたいところだが、室温が低いのでそれは『我慢』する。
「ではさっそくですが」
身軽になったスカディが、アダムに向き直った。
「クロフォード基地閉鎖の経緯についてお伺いしたいのですが」
アダムにバイオハザードの発生を告げたのは、クロフォード基地の最高責任者であるミルバーン所長であった。
「アダム。基地内で最高レベルのバイオハザードが発生した。標準措置として当基地の完全閉鎖を行ってくれ。人員の出入はもちろん、通信も全て閉鎖だ」
アダムには高度な音声解析機能が備わっている。指揮統制ロボットとしては、命令権者による不適切な命令……虚偽、強いストレス下の指示、指揮権剥奪レベルの精神の失調などを見抜く必要があるからだ。このミルバーン所長の下した命令は、音声に強度のストレスが検知されたものの、アダムは『正常の範囲内』にあると判定し、素直にその内容に従った。ちなみに、この基地でアダムのパーソナル・コードとスペリオル・コードの二つを管理しているのはミルバーン所長だけである。次席の副所長と、警備隊長はパーソナル・コードしか知らないので、アダムに与えられている基礎的な命令を変更するには、所長から指揮権とともにスペリオル・コードを譲渡してもらう必要がある。
アダムは指揮下の各ロボットに、所定の命令を下して基地の閉鎖を行わせるとともに、警備隊長のオルドリッジ大尉の元に駆けつけた。
「えらいことになったぞ、アダム」
軍人としては背が低めで、やや太目のオルドリッジ大尉が、言う。音声には、強度のストレスが検知され、周波数もかなり高めであった。
「何が起こったのですか?」
アダムは訊いた。
「ウイルス性の出血熱らしい。所長によれば、シュネリングが研究していたものだそうだ。すでに、所内の全員が感染している可能性が高い」
「フォート・リチャードソンへの連絡は行わないのですか?」
所内LANを通じ、通信記録を調べたアダムはそう尋ねた。
規定の閉鎖措置の場合、指揮権保持者は速やかに最寄の基幹基地であるフォート・リチャードソンに閉鎖の報告をし、救援を求めなければならないという規則になっているにも関わらず、それを行った形跡がいまだ無いのだ。
「よく判らんよ。こっちは、素人だ」
なおも強いストレスが検知される音声で、オルドリッジ大尉が答える。
その二時間後、アダムに新たな命令が下された。アダムのスペリオル・コードを手に入れたオルドリッジ大尉が、これを直接入力し、アダムに対し基礎命令の一部を変更するように指示を出したのだ。
「ミルバーン中佐はどうされたのですか?」
基礎命令変更を受け入れる前に、アダムはそう訊いた。スペリオル・コードは正しかったし、命令の変更部分も閉鎖措置の拡大強化という、過剰ではあるもののバイオハザード発生下ではやむなしとも言える命令だったので、従来のロボットであればそのまま素直に受け入れたであろう。しかし、アダムはHALT1である。指揮権の移譲があったのならば、その経緯を知り、納得しない限り命令変更を受け入れることはできない。
「中佐は病状が進み、すでに指揮を取れない状態だそうだ。今、シュネリング大尉が隔離措置を取っている」
早口で、オルドリッジ大尉が答える。……嘘ではない、とアダムは判断した。
「アップショー少佐は?」
アダムは次席である副所長の名を出した。
「対策会議で忙しい。スペリオル・コードはシュネリング大尉を通じ、わたしに伝えられたものだ。中佐はわたしに指揮権を譲渡された。変則的だが、事態が事態だからな」
……やはり、嘘は言っていない。
アダムは基礎命令の変更を受け入れた。
「なるほど。その変更命令に従って、無人偵察機を撃墜したのですね」
スカディが、訊く。
「そうだ。IFFは受信し、陸軍の偵察機だと識別したが、警告を無視して接近し続けたので、やむを得ず撃墜した」
淡々と、アダムが答える。
「HR‐2000が四体送り込まれたはずですが」
「敷地内への立ち入りを求められたので、指揮下に入れば可能だと応じた。今現在も、彼らはわたしの指揮下にある」
「やっぱりね。フィールド・コードに規定された範囲内であれば、HR‐2000はアダムに逆らえない」
ジョーが、小声で感想を漏らす。
「では、アネモネフィッシュはどうなりましたの? リーアム・ターナー大尉が指揮する第501パラシュート歩兵連隊第1大隊臨時編成チームの十名です」
スカディが、訊く。
「わたしの指示に従うという条件で受け入れた。汚染されていないレーダー施設に収納したが、わたしの指示を無視して行動したのでやむを得ず排除した」
「排除、と言いますと……」
「HR‐2000二体が機銃掃射した」
アダムが、答える。
「見せていただけますか?」
スカディが、嫌悪感からか顔をしかめつつ訊く。
「許可する」
一同は、再び寒風の中に出た。管理棟まで歩み、倉庫らしい一室に案内される。
十体の死体は、一体ずつ丁寧に毛布の上に並べられていた。低温のおかげで、保存状態は良好だ。
「アネモネフィッシュ、全員死亡を確認、っと」
ことさらにおどけた様な口調で、亞唯が言う。
「……ターナー。これだ」
ソフトシェルをめくって、遺体のネームプレートを確認していたジョーが、リーアム・ターナー大尉を見つけた。ウィンストン少佐から託されていた二百ドルあまりを取り出し、凍り付いているポケットの中に無理やりに押し込む。
「スカディちゃん、どうしますかぁ~」
ベルが、訊いた。
「そうね。生存者がいないとなると、わたくしたちの任務も少しばかり変更が必要ですわね」
「いや。生存者なら、いるぞ」
会話を聞いていたアダムが、口を挟む。
「はっと! てっきりバイオハザードで全員死亡と思っていましたが、生存者がいるのでありますか?」
シオは驚いて聞き返した。
「クロフォード基地所属の女性研究者が一名、生存している。この中に、医療に関して特別な能力を有していたり、ウイルス学に詳しい者はいないか?」
アダムが、唐突にそう訊いてきた。
「残念ですが、みな普通のロボットですわ。医療関連の技量は、ごく普通のものしか持ち合わせていませんわ」
スカディが、首を振る。
「そうか。仕方がないな。とにかく、メルには会ってもらおう。こっちだ」
アダムが、きびすを返した。AI‐10たちは、生存者がいたことに複雑な『思い』を抱きながら、そのあとに続いた。
第六話をお届けします。




