第五話
アメリカ空軍横田基地からC‐17Aでアラスカへ向け飛行する。
目的地であるエルメンドルフ空軍基地は、アラスカ南部クック湾の最奥部に位置する港湾都市、アンカレッジの市街地北側に位置している。無事着陸したC‐17を降りた石野二曹を含むAHOの子ロボ分隊一行は、出迎えの陸軍大尉の案内で待ち受けていた小型バスまで歩んだ。気温は氷点下で、遠くに見える山々は白い雪に覆われている。AI‐10たちは持参のランドセル型予備電池を背負った姿で、付き添いの石野二曹は陸上自衛隊官給の旧式なパーカー式防寒外衣……オリーブドラブとホワイトのリバーシブルとなっているもの……を着込んでいる。
全員が乗り込んだところで、小型バスが走り出し、滑走路外周道路に乗り入れた。デイビス・ハイウェイと標識が出ている立派な直線道路に入った小型バスが速度を上げ、西に隣接するフォート・リチャードソンを目指す。
フォート・リチャードソンはいかにもアメリカらしい……いや、アラスカらしいと言うべきか……広大な基地であった。案内の陸軍大尉によれば、付近の演習区域なども含め総面積は約六万二千エーカーに達するという。シオは素早く計算した。メートル法に直すと、約二百五十平方キロメートルになる。……板橋区七個分よりもなお大きく、日本の島で言えば徳之島よりも若干広い面積となる。
小型バスはその広大な基地の中核部分に乗り入れた。やや古めかしい赤屋根の建物が建ち並ぶ一郭を過ぎ、灰色の二階建てビルの裏の駐車場に止まる。陸軍大尉に連れられて降りた一行は、腰にホルスターを吊っただけの軽装の警備兵が守っている扉から建物内に入った。地階へ降りる階段を下り、突き当たった部屋の中に招じ入れられる。
「よく来てくれた。RDECOMのモーガン・エフィンジャー准将だ。こちらは、ジュリー・ライトフット中佐。HALT1の専門家だ」
さほど広くもない殺風景な部屋で待ち受けていた、がっしりとした体躯の銀髪の将官が、そう自己紹介した。RDECOMは合衆国陸軍の資材調達や研究開発を担うマテリアル・コマンドの下部組織で、リサーチ、デベロップメント・アンド・エンジニアリング・コマンドの略称である。
エフィンジャー准将に紹介されたライトフット中佐が、軽くうなずいてシオたちに微笑みかけた。面長の浅黒い顔はアジア系だが、いわゆる東洋人の顔付きではない。おそらく、ネイティブ・アメリカンの血筋なのだろう。
「そしてこちらがユーサムリッドのジョン・マクレナン少佐。生物兵器関連のアドバイザーとしての参加だ」
エフィンジャー准将が、いかにも学者風の細面の眼鏡中年男性を紹介する。軍服よりも白衣が似合いそうなマクレナン少佐が、ぎこちない笑みを浮かべた。
「装備はこちらに用意した。各自点検して不備があれば申し出てくれ。その他、欲しいものがあれば今のうちに頼む。フォート・ウェインライトでは入手できないものもあるからな」
エフィンジャー准将が言って、腕の一振りで隅のテーブルの上を指し示した。人数分の白いアウターが、軍隊流にきちんと折り畳まれて載せられている。
「通信担当の方は?」
ライトフット中佐が、訊く。
「わたくしですわ」
スカディが、挙手した。ライトフット中佐が、携帯電話を手渡してくれる。
「モトローラ製のイリジウム携帯だ。アラスカ全域で使用できる」
一昔前のPHSをごつくしたような垢抜けない携帯電話に見えるが、イリジウム携帯は衛星回線専用の優れた通信システムである。地上局を介さない……通話先が地上局に依存した固定電話や携帯電話の場合はもちろん別である……ので、南極や北極、洋上など通常の電話が使用できない場所でも、問題なく通話や限定的なデータ通信を行うことが可能だ。
「遣い方は通常の携帯電話と大差ない。ただし、衛星回線を使っているから、屋内や開けていない場所での使用はできないから注意してくれ」
予備バッテリーと充電アダプターなどの付属品が入ったビニール袋を差し出しながら、ライトフット中佐が説明した。
「ありがとうございます。マニュアルは、メモリー内に取り込んでありますから大丈夫ですわ」
腰のポーチにイリジウム携帯と付属品を収めながら、スカディが答えた。
シオらは白いアウターを試着した。薄手だが防水仕様で、フードも付いている。サイズは、ぴったりだった。その上から、全員が予備電池を背負う。
「やはり雪国の小学生の通学風景にしか見えませんわね」
スカディが言って、肩をすくめた。
フォート・リチャードソンの軍用滑走路に待っていたのは、C‐12ヒューロン連絡機だった。小型双発ターボプロップビジネス機のベストセラー、キングエア・シリーズのアメリカ軍用機バージョンである。
一時期ターボプロップビジネス機は大流行し、アメリカ製を中心に各社が競って販売したが、その中でもキングエア・シリーズは最大の機体であった。それゆえ、価格と速度……やはり小型で細身の機体のほうが速い……の面でライバルに遅れを取ったが、ビジネス機の世界にもジェット化の波が押し寄せたおかげで、キングエアは大きな恩恵を受けた。いくら高性能のエンジンを搭載しても、ターボプロップ機がジェット機に速度で敵うわけがないのだ。そのようなわけで、キングエアの競合機はビジネスジェット機ブームの中で次々と生産中止と相成ったが、独りキングエアだけは生産、販売が継続となった。ビジネスジェットより低い運行費用、広いキャビン、STOL性能などが、それほど長距離の移動を必要としない地方空港利用の顧客のニーズにぴったりと適合したのだ。また、この広いキャビンは軍や準軍隊が軽輸送や洋上を含む哨戒任務に使用するにも向いており、追加の電子機器や監視機器の搭載にも適切であったので、各国の軍や政府組織による採用も相次いだ。
石野二曹とシオたち、エフィンジャー准将とその副官、それにライトフット中佐を乗せたC‐12が、滑走を開始した。千二百メートルほどしかない短い滑走路だったが、その半分を過ぎたあたりで機体はふっと浮き上がり、無事離陸した。
「おお。いい眺めやな」
窓に顔を押し付けるようにしながら、雛菊が言う。
一面、暗緑色と白のまだら模様であった。真っ直ぐに伸びている白い筋は、道路なのだろう。豊かな森林に覆われているのに、荒涼としか形容できない風景である。
C‐12は高度三千フィートほどを巡航速度に近い時速五百三十キロメートル程度で順調に飛行を続け、約一時間後にフェアバンクス市南西にあるフォート・ウェインライトの軍用滑走路に着陸した。
C‐12は、そのままヘリコプター発着スペースに待機しているCH‐47『シヌーク』の側までタキシングしていった。ローターは回っていないが、エンジンはすでに掛かっている。エフィンジャー准将に指示されて機を降りたシオらの前に現れたのは、ミルクを入れすぎたカフェオレのような色の肌をした長身のアフリカ系の少佐だった。肩にM203グレネードランチャーを付けたM‐16A2突撃銃を掛けた物々しい姿だ。
「紹介しよう。第501パラシュート歩兵連隊のザック・ウィンストン少佐だ。彼とその部下が、諸君らのバックアップを行う。少佐、あとは頼んだぞ」
エフィンジャー准将が言って、うなずく。
「お任せ下さい、サー」
ウィンストン少佐が敬礼した。
「やっぱ、寒いわね」
石野二曹が、オリーブドラブのパーカーに覆われた肩をすくめた。アンカレッジよりもずっと北に来たので、気温もマイナス十度を下回っている。滑走路脇には、除雪された雪が積みあがって、白い壁を作っていた。
少佐に促され、シオたちAI‐10はCH‐47の後部ランプから機内に乗り込んだ。石野二曹は、エフィンジャー准将、ライトフット中佐らとフォート・リチャードソンに戻り、臨時指揮所で作戦を見守ることになる。
「スカディ。頼んだわよ。優先任務は、無事帰還だからね」
石野二曹が日本語で念を押す。
「承知しておりますわ、分隊長」
スカディが言って、小さく手を振る。
見送りの面々が離れると、CH‐47の機長がクラッチを繋いで直径六十フィート(約18.3メートル)のローターを回し始めた。シオたちAI‐10は、ビル・ハットンと名乗ったロードマスターの軍曹に指示され、それぞれキャビン左右の壁面にある簡易なロングシートに座り、シートベルトを締めた。ウィンストン少佐も武器を置き、シートベルトを締める。
後部ランプを半開きにしたまま、CH‐47が離陸した。機首下げの姿勢で高度を上げてゆく。ハットン軍曹が、ボタンを操作して後部ランプを閉め、次いでキャビン右前方の非常口も閉鎖する。……各所を開けたまま離陸するのは、離陸失敗による事故の際に速やかに機外に脱出できるようにするためである。
「でかいヘリコプターなのです!」
シオは言った。ざっと見た限りでは、キャビンの大きさは長さ九メートル、幅二メートル以上。高さは、身長百九十センチを越えるウィンストン少佐が立ったまま歩けるほどもある。先ほど乗ってきたC‐12のキャビン……これでも、ビジネス機としては広いキャビンが自慢のはずなのだが……が、狭苦しく感じるほどだ。
「チョッパーに乗るのは初めてかね?」
ウィンストン少佐が、気さくな口調で訊いてくる。
「以前にもありますわ。ですが、詳しくはお話できません、サー」
丁寧な口調で、スカディが返答する。ウィンストン少佐が、笑った。
「そうだな。こんな任務にはるばる日本から派遣されてきたロボットだ。俺よりも実戦経験が豊富に違いない」
CH‐47は時速二百六十キロほどの巡航速度で飛行を続けた。ほどなく、眼下に東から西へと流れている大河が見えてくる。
「あれが、有名なユーコン川だ」
ウィンストン少佐が、指差して教えてくれる。
「おおっ! あれがユーコン川ですか! ぜひ百六十キロほど下ってみたいのです」
シオははしゃいで言った。
「お止めなさい。地獄を見ることになりますわよ」
厳かな声音で、スカディが忠告する。
ユーコン川を越えるまではちらほらと見えていた集落や道路も、これを境にいっさい見当たらなくなった。無数の湖と、雪に覆われた樹林、それに雪原が広がっているだけだ。地表まで降りればそれなりに豊かな生態系が展開しているのだろうが、二千フィート(六百五十メートルほど)から眺めていると生命を拒む無機質な大地にしか見えない。
一時間四十分ほどの飛行を終えたCH‐47が、高度を下げ始めた。クロフォード基地が、近づいて来たのだ。撃墜されないように、かなり手前で降着しなければならない。
「よし、降着準備に掛かってくれ」
M‐16A2を肩に掛けながら、ウィンストン少佐がシートベルトを外し、立ち上がる。
「何かトラブルが生じたら、すぐに連絡をくれ。部下を連れてすっ飛んでくる。それと……リーアムのことを頼む」
「リーアム? クロフォード基地に偵察に出て、行方不明になっているリーアム・ターナー大尉のことかい?」
ジョーが、訊く。ウィンストン少佐がうなずいた。
「ああ。ポーカー仲間だった。二百ドルばかり借りがある。見つけたら、渡しといてくれ」
友人がすでに死んでいることを覚悟しているのか、暗い目をしながらウィンストン少佐が輪ゴムで束ねた二十ドル紙幣を取り出し、ジョーに渡した。
「預かっとくよ」
ジョーが、札束を受け取ってポーチに突っ込んだ。
「律儀なお人ですねぇ~」
ベルが、嬉しそうに言う。
ハットン軍曹が、後部ランプを開いた。寒風が吹き込み、キャビンの温度が急激に低くなる。
CH‐47がわずかな機首上げ姿勢でさらに高度を下げた。ローターのダウンウォッシュで雪煙が巻き起こるが、わずかなものだ。新雪が積もっても、すぐに寒気で表層が凍り付いてしまうので、舞い上がらないのである。
「GO!」
熟練の目で地表を見つめいていたハットン軍曹が、飛び降りようと身構えていたスカディの肩をぽんと叩いた。すかさず、スカディがランプを駆け下って飛び降りる。亞唯、雛菊が続いた。
シオも雛菊に続いて飛んだ。高さは一メートル半ほど。下が雪面であることを考慮すれば、AI‐10にとっては問題にならない高さである。
ずぼ。
五十キログラム+装備の重量……予備バッテリーは七キログラムほどある……により、足裏が固まった雪面を突き破り、その中の層状となった過去の雪面……雪が降っては固まり、また積もっては固まって形成されたバームクーヘン状態の部分……に突き刺さる。
続いて飛び降りたベル、ジョーも、着地には成功していた。サムズアップで幸運を祈ってくれるハットン軍曹の笑顔を載せたまま、CH‐47が高度を上げてゆく。シオは大きく手を振ってそれを見送った。
「全員、異常はないわね? では、通信テストを兼ねた報告を行います」
分隊の無事を確かめたスカディが、イリジウム携帯を取り出した。
「こちらグロッグ。ダイキリ、どうぞ」
電話ではあるが、ワン・ウェイの無線機の要領で、フォート・リチャードソンの作戦基地を呼び出す。
「こちらダイキリ。グロッグ、どうぞ」
すぐに、返答が返ってきた。スカディは、声の主がエフィンジャー准将であると識別した。
「グロッグはLZに無事降着。異常、障害ともになし。これより目標に向け前進します」
「ダイキリ了解。幸運を祈る」
「グロッグ了解、以上」
スカディが、通話を終える。
「ではみなさん、参りましょうか。亞唯、先導を頼みます。ベル、あなたは殿ね。急ぐ必要はないわ。慎重に行きましょう」
スカディが、指示を出した。
一行はゆっくりとしたペースでクロフォード基地を目指した。視程は良好で、十数キロ先まで見通せる。周囲は雪をまとわりつかせたブラック・スプルース(クロトウヒ)の林と、鏡のようにまっ平らな雪原があるだけだ。わずかな風が吹き渡る音以外、しんと静まり返っている。
天候は晴れだが、空の色は妙にくすんだ水色でしかない。地平線近くに雲がへばりつくように出ているが、こちらも冴えない薄いグレイで、陰気なことこの上ない。
「ロシア人がシベリアを流刑地にした理由がよくわかるわー」
雛菊が、言った。
「確かにな。こんな地の果てに送り込まれたら、どんなに意志強固な政治犯でもめげちまうよ」
亞唯が、同意する。
一歩踏み出すたびに足が雪面を突き破って雪の中にめり込むので厄介だが、前進する分には支障がない。一行は時速三キロメートルほどの速度で前進を続けた。
「そろそろ、アダムに与えられたFコードの範囲内だよ」
先頭をゆく亞唯が、そう報せた。
アダムに事前に付与されたフィールド・コード。この中ならば、アダムはジョーカー・プログラムを搭載した全てのNATO所属軍用ロボットを自在に統制できるのだ。逆に言えば、アダムはこの外では何の権限も持たない無力なロボットになるということでもある。
「おっと、さっそくお出ましのようだ。前方の樹林の中に、ロボットを視認した。ゆっくりと、接近中だ。Mk8でもHR‐2000でもない。うわ、赤外放射がやたらと少ないな。光学、パッシブIRでも機種識別ができないよ。でも、こんなところに他のやつはいないよな」
亞唯が、少しばかり慌てたような口調で報告する。
「アダムね。みんな、相手を刺激しないように注意して。交渉は、わたくしが行います。よろしくて?」
スカディが、言う。シオたちは緊張して……つまり警戒レベルを上げてアダムの接近を待ち受けた。
第五話をお届けします。




