第二十三話
ご迷惑をおかけしました。予定通り第二十三話を投稿させていただきます。
「端的に申し上げれば、中国側に嵌められました。テッド・マーは無関係です」
殊更に事務的な口調で、FBI国家公安部部長が報告する。
「グランド・ケイマンの銀行にあった口座も、解約されています。マーの関与のあとは、ありません。モス社内における不正アクセスに関しても、裏付けが取れました。別の者が、FBIがマーに注目するように仕向けたものです」
「トビー・ソーンを逃がすための工作か?」
タッカー大統領が、机上の薄いファイルを持ち上げながら訊いた。表紙には、極めて稚拙なブロック字体で『ソーン トビー・N』とだけ書かれている。
「はい。推定ですが、ソーンが自分に掛けられた嫌疑を薄め、逃げるための時間を稼ごうとして、マーに関する各種工作を行った可能性が高いと思われます」
国家公安部長が、認めた。
「ソーンは捕まえられないのですか?」
首席補佐官が、国家情報長官に尋ねた。
「各機関に手配させていますが、まず確実にすでに国外に脱出しているでしょう。ショッピング・モールの防犯カメラの画像解析から、ここでソーンが偽物とすり替わったのは確実です。ミッドランドで偽物が姿をくらました時点で、ソーンはこちらに七時間は先行していました。テキサス州外へ逃れるには、充分すぎる時間です。その後、ソーンの容疑が固まるまでに数時間が経過しています。FBIが手配を全米に広げたのは、そのあとになりましたから」
淡々と、国家情報長官が説明した。
「中国は彼をどうするつもりでしょうか?」
国務長官が、訊いた。
「軍用ロボット技術者として秘かに雇用する可能性が高いでしょう。能力はある人物ですから」
国家情報長官が、答える。
「逃がしてしまったのは仕方がない。これ以上の損害を喰い止めることが、重要だ」
タッカー大統領が言って、安全保障問題担当大統領補佐官を見た。
「スカラブの基礎設計を含むハードウェア面では、ほとんどの情報が漏洩したものと思われます。ジェイソンも、これら情報を元にした試作機を確認していますし、日本からの報告にあったようにすでに戦闘行動を行えるほどの完成度があることも事実です。しかしながら、スカラブはまだ開発途上の兵器です。ソフトウェアの流出もなかったことを考慮すれば、中国製スカラブは外見をコピーし、技術を流用した偽物レベルに留まるでしょう。これからトビー・ソーンが開発に手を貸したとしても、その貢献は高が知れています。長期間に渡ってスパイ活動を許してしまったのは遺憾ですが、中国側の関与を突き止めたうえで阻止できたことは、評価できるでしょう」
「中国側は、ナンチャンにおけるわが方の活動を表立って非難してはいないのだな?」
タッカー大統領が、国務長官と首席補佐官に向かって訊く。
「はい、大統領。一連の爆発などに関しては、国内の反政府主義者の犯行と断定したと発表しています。我が国の関与は、表向きには仄めかすことすらしておりません」
首席補佐官が、答えた。
「メリッサ。北京は来月の君の訪問を台無しにするつもりはないようだな」
「ありがたい話ですね。……この件をネタに、言外で譲歩を迫られそうですけど」
国務長官が、力なく微笑む。
「北京がそのつもりなら、こちらも合わせてやるとしよう。ソーンのスパイ事件は矮小化して発表しろ。国際スパイ事件ではなく、単なる産業スパイ事件として処理するのだ。その方が、君らもやり易いだろう」
大統領が、FBI国家公安部部長を見る。
「もちろん、同様の事案は二度とあって欲しくない。テオ、FBI、CIA、NSA、DIA、NRO……は関係ないか、ともかく、指揮下の全機関に通達してくれ。すべての軍関係施設、国防産業施設、および関係者に対する防諜の強化を図るように。特に軍用ロボットなどのハイテク関連に注意すること。いいな」
大統領が、国家情報長官を見据えて命じた。
「まいったわねー。まさか、ミスター・ソーンが中国のスパイだったなんて」
自動販売機で買ったカップ入りコーヒーを飲みながら、ロージィが言う。
「確かに、意外だったわね」
ノートパソコンのキーを叩いていた手を休め、ロージィが買ってきてくれたコーヒーを手に取りながら、オリヴィアは応じた。淡いオリーブ色の滑らかな肌と、大抵の男に美しいと褒められる大きな黒い眼は中国移民の息子である父親譲り。わずかにウェーブした濃褐色の髪と五フィート十インチの身長は、ポーランド系移民の娘である母親譲りのものだ。
ふたりはモス・ロボット・インダストリーズ事業開発部第四課に所属する、上級事務職員であった。現在、社内名称スカラブを開発中のセクションである。トビー・ソーンが所属していたのも、ここである。
FBIの指示により、社内には一連のスパイ事件に対する緘口令が敷かれ、広報部もマスコミに対し『ソーンは外国企業に情報を売っていた産業スパイ』という発表を行っていたが、内部に居たロージィやオリヴィアたちは、様々な噂と状況から、真相を知る立場にあった。トビー・ソーンが情報を流していたのが、中国政府か軍だったのは、間違いない。
「最初FBIが乗り込んできたときは、てっきり中国系の誰かの仕業だと思ったわよ。ダニーとか、ミスター・バイとか……」
「わたしも含めて?」
微笑みつつ、オリヴィアは訊いた。
「もちろんよ」
真顔で、ロージィが言う。オリヴィアは、屈託なく笑った。
「まあ、FBIもわたしを怪しいと思っていたみたいだったしね。実際に、尾行されていたもの」
「ほんと?」
「ええ。通勤時も、買い物の時も。まあ、こんなファミリー・ネームじゃあ、しょうがないけどね」
オリヴィアの長い指が、机上の電話に粘着テープで貼り付けてある写真入り名刺を弾いた。オリヴィア・ロン。
「おっと、休憩終わり」
コーヒーを飲み干したロージィが、空のカップを机脇にあるスチールのゴミ缶にすとんと落とし込んだ。
「じゃあね、リヴァ。よかったら、お昼一緒しない?」
「ごめん。今日も忙しいのよ。今日もまたここでサンドイッチになりそうだわ」
オリヴィアは、微笑みながら首を振った。
「もう。このところ連日それじゃない。たまには、社員食堂に顔を出しなよ。『今日のピザ』くらいなら、奢るわよ」
「ありがと」
オリヴィアは小さく手を振ると、キーボードを叩き始めた。
「どうやら君には、人民解放軍に親しい友人がいるようだな」
江西省人民武装警察総隊長が、笑いながら言った。
「今朝方、総参謀部副総参謀長の一人の副官から電話があってね。南昌市での一連のテロ対策作戦に関し、フェン上校と武警諸氏の多大なる貢献を解放軍は高く評価し、謝意を示すものである、とか言ってきた。わたしとしては、この電話を軽視するわけにはいかない」
なおも微笑みつつ、武警総隊長が言う。
……どうやら、作戦失敗をあからさまに追及されずに済みそうだな。
フェン上校は胸を撫で下ろした。元々、武警総隊長との仲は良好である。これに、人民解放軍からも好意的な評価が下されたとあれば、まず安泰だろう。
……アリシア・ウーが手を回してくれたのだろうか。
フェン上校はぼんやりとそう考えた。他に今回の一件がらみで力を貸してくれるような知り合いは、解放軍にはいないはずだ。
「ところで、今回の作戦に関連して、君にひとつ任務を与えたい」
武警総隊長が、机上の紙に眼を落とした。
「噂で聞いていると思うが、アメリカから秘かに技術者が一人亡命してきた。トビー・ソーンという男だ」
フェン上校はうなずいた。新聞にも載ったアメリカのスパイ事件である。亡命の件は表ざたにはなっていないが、その他の事柄については、フェン上校もすでに知っていた。そしておそらく、ソーンの一件がどこかで南昌市でフェンが関わった一連の作戦に関連していることにも、気付いていた。
「ソーンは中国机器人技術有限公司のワン・センリン工程師に預けられ、そこで活動することが決まっている。彼の警護と存在秘匿を、君の責任としたい。やってくれるかね?」
……なるほど。そういう仕組みだったのか。
トビー・ソーンがモス・ロボット・インダストリーズの社内極秘情報を中国側に……まず間違いなく総参謀部第二部経由で流す。この情報を元に、ワン工程師が『リエバオ』を製作する。情報漏洩を嗅ぎつけたアメリカ側がスパイロボットを南昌に送り込む。中国側がこれを破壊、収集した情報がアメリカに渡ることを防ぐ。アメリカが情報の回収を試み、中国側の妨害にも関わらず成功させる。情報の解析により、モス社内での漏洩元を突き止めるが、間一髪のところでソーンは脱出、中国に亡命する……。
もちろんソーンの存在は、対外的に秘匿されなければならない。もうすでに秘密工作の内側にいるフェンならば、そのお守りは適任というわけなのだろう。
「結構です。お引き受けしましょう」
先の作戦、お咎めはなかったとはいえ失敗に終わったことは事実である。失地回復のためにも、この任務は有用だろう。ソーンがどんな男かは知らないが、ワン工程師は扱い易い男だし、これからさらに出世が見込まれる。親しくしておいて損はない。
天安門広場から北に約六キロメートル。北京市東城区黄寺大街に、中国人民解放軍参謀部第二部は本部を置いている。
その奥まった一室で、部長であるカオ少将が、愛用のダンヒルのライターで『中華』に火を点けた。
「よくやってくれた。予想通りの、見事な働きだ」
にこやかに言って、美味そうに一服吹かす。
アリシアは内心驚いたが、もちろん顔には出さなかった。現場での工作員活動を含め、経験は豊富である。表情のコントロールは、もはや無意識のうちにできるほどに熟達している。
「作戦自体は、成功したとは言えぬと思いますが」
アリシアは正直に言った。下手に失敗を糊塗しようとしても、見透かされて突っ込まれるのがオチである。上官の鋭さは、よく承知している。
「もともと、勝ち目のある勝負ではなかった。アメリカ側は、隠されたデータを回収するだけ。それに対し、こちらは敵の出方もわからぬまま対処せねばならなかった。まあ、君を起用したのは、君ならばひょっとして大手柄を立ててくれるかもしれない、という期待もあったわけだが」
カオ少将が、再び美味そうに『中華』を吹かす。
「君は充分に、時間を稼いでくれた。上出来だよ」
「ですが、ソーンの正体をアメリカ側に暴かれてしまいましたが」
「奴は情報提供者としては二流だった。いい情報は持っていたがね。金遣いも荒く、信念にも欠ける。典型的な、堕落した拝金主義の西洋人だ。いずれ、当局に摘発されていただろうな」
さして興味もない小物を語る口調で、カオ少将がソーンをそう評する。
「本来ならば現場で働く君に教えるべき事柄ではないが、今回の作戦に対する貢献の褒美として、教えておいてやろう。実は、モスに潜り込ませてあるスパイは、ソーンだけではないのだ。もう一人、いる」
アリシアは一瞬だけ驚きが顔に出たことを自覚した。まさか、スパイが二人だったとは……。
「まあ、まだソーンに比べれば小物だが、優秀な人物なので出世することは間違いない。元々、長期的プランに基いて採用され、教育し、モスに送り込んだ人物だ。実を言えば、これはわたしが部長になる前に手がけた作戦のひとつでね。自ら訓練を行ったこともある情報工作員なのだ。作戦開始は今から十年以上も前。いずれモスの幹部社員となり、極めて価値のある情報をもたらしてくれる存在となる予定だった」
……なるほど。
アリシアは頭の中に巣食っていた靄が晴れたように感じた。わざわざアリシアを指名して行わせた今回の作戦。それは、カオ部長が手塩に掛けて育て上げた子飼いの工作員を守るための作戦だったのだ。
「ソーンが金欲しさにこちらに接触してきたのは、三年前。こちらも苦慮したよ。本命のスパイの存在は秘匿しておきたいが、ソーンの地位を考えるとこちらから得られる情報も無視しがたい。とりあえず目先の利益を考えてソーンと交渉し、情報を買い入れてきたわけだが……結局アメリカ側に発覚してしまったのは、周知の通りだ」
言葉を切ったカオ少将が、瑪瑙の灰皿で煙草を揉み消した。
「本命のスパイは慎重に運用してきたが、モス社内にFBIの捜査が入るとなると、巻き添えを喰って摘発される可能性が高い。そこで、多少無茶をしてでも時間を稼ぎ、本命のスパイが活動した痕跡を消す必要があったのだ。さらに、カモフラージュのために無関係な中国系社員に疑惑の目を向けさせることもね。彼が無実だと判れば、他の中国系社員に対する疑いも薄まるからな。おっと、喋りすぎたな」
カオ少将が、わざとらしく手で口に蓋をしつつ、微笑む。
「君の活躍のおかげで、充分に時間を稼ぐことができた。本命のスパイは、安泰。ソーンも、逃がすことができた。FBIに対し、スパイはソーン一人だけ、という証拠をたっぷりと残したうえでね。『リエバオ』の開発は、失敗に終わるかもしれないが、それだけの価値はあったよ。十年後、そして二十年後には、モスの社内情報がすべて手に入るようになるのだ。君は、それを守ってくれたのだよ」
カオ部長が言って、満足げにうなずいた。
第二十三話をお届けします。次話も通常通り一月十六日にお届けする予定です。




