第二十一話
フェン上校はあくびをかみ殺した。
今朝方車の中で二時間ほど仮眠を取っただけなので、恐ろしいばかりの睡魔に襲われている。フェン上校は眠気を覚まそうと、止めてある車の周囲を三回ばかり早足で歩いてみた。……効果はなかった。
人民解放軍南昌駐屯地に押し入ったスパイどもを逮捕するために、人民解放軍と人民武装警察、人民警察の三者は協力して一大包囲網を作り上げていた。東側は南昌市西部、南北と西側は宜春市の東側半分を含む、東西幅が百二十キロメートル、南北では実に百六十キロメートルにもおよぶ、巨大な包囲網だ。すべての道路、鉄道が一時的に封鎖され、境界線では厳しい検問が行われている。包囲網内部では、戒厳令に準ずる態勢が取られており、人民警察を主力とする捜索活動が行われていた。
……このように大規模な捜索態勢が取れるようになったのは、南城県でテロ事件が起こったおかげであった。一連のスパイ事件に関しては、政府も人民解放軍も市民に対し事実を隠蔽したまま、対諜報活動を行ってきた。内陸部でアメリカのスパイロボットが活動しているなどと公表すれば、市民が過剰反応を起こして捜索活動の妨げになるだけだし、共産党と解放軍の面子も潰れることになる。
市民生活や地域の経済活動を大幅に阻害するような捜索態勢を取ることも、また不可能であった。毛沢東が生きていた時代ならともかく、改革開放路線が徹底され、国民が権利意識に目覚めてしまった現在では、社会主義国中国といえども、共産党も解放軍も市民を敵に回しては生きていけないのだ。
だが、テロ事件発生を受けてすべてが変わることとなった。『テロ対策』『テロ事犯の捜索』を名目とすれば、市民生活を侵害するような手段を講じても、反発を受けずにすむ。実際、高速道路は検問のせいで大渋滞を起こしていたが、ドライバーは誰も文句を言わずに人民警察の指示に従っている。
フェン上校が居るのは、南昌市南西部にある高速道路60号線と59号線が交わるジャンクションであった。人民警察が道路を完全に封鎖し、通行する車両一台一台を詳細に調べている。武警の一部隊が、これを援護していた。南昌市付近を通る道路としてはもっとも交通量が多い箇所のひとつである。
実際のところ、フェン上校はこの包囲網の中にアメリカのスパイロボットが閉じ込められている可能性は五割以下だと見積もっていた。包囲網が完成したのは夜明け近かったから、その時点ですでにスパイロボットどもが包囲網の外に出ていたことも充分考えられる。だがそれでも、捕縛に向けた努力は続けなければならない。……失敗を報告する書類の末尾に、『最後まで最大限の活動を継続した』と書き加えるためにも。
……あれは。
一台のトレーラーが、フェン上校の目を引いた。荷台に、見覚えのある大型建機ロボットが積んである。南昌国際展覧センターで見かけた、日本のロボットだ。たしか、名称はAS26。流暢に北京語を喋るアサカ電子の女性に熱心に勧められて、アリシア・ウーと一緒に屋外デモンストレーションを見学した覚えがあった。左右の腕で異なる作業を同時にこなす姿を見て、感心したものだ……。
トレーラーは、高速道路60号線から59号線に入ろうとしていた。このまま進めば、南昌市街地へと至るルートだ。
なぜ郊外にいたのか?
疑問を覚えたフェン上校は、そちらの検問所へと歩いていった。路肩を塞ぐように止まっているフォルクスワーゲン・ジェッタのそばに立っていた三級警司が、フェンを見て敬礼する。
フェン上校はAS26を載せたトレーラーが検問所に至るまで辛抱強く待った。レンタカーのアウディに一人で乗った東洋系女性……ロシアのパスポートと、国籍欄がロシアになっている北京市公安局発行の運転免許証を提示したから、ロシア市民なのだろう……が、トランク内の捜索までも含めた検問を何事もなく終え、走り出す。次が、トレーラーの番であった。
臨時に引かれた停止線の手前で、運転手がトレーラーを止める。さっそく、人民警察官がトレーラーに群がって、不審物がないかどうか調べ始める。
キャビンに乗っていたのは三人だけだった。日本のパスポートを所持した、発音はひどいがなんとか通じる北京語を喋る男性。同じく日本のパスポート所持者で、中国語は喋れないらしい若い女性。運転手は南昌市民で、レンタルのトレーラーと共に雇われただけのようだ。
「豊城市の新八建筑工业でこのロボットのデモンストレーションを行った帰りですよ。江西省当局の許可も貰ってます」
日本人の男が、アサカ電子の社員証とともに、江西省人民政府住建庁と工商局が発行した角印入りの書類を人民警察官に見せる。フェン上校は書類を調べる警察官の肩越しに覗き込んだ。……どうやら正規の物のようだ。
人民警察官の一人が、携帯電話で新八建筑工业に掛け、男の話が本当であることを確認した。豊城市は行政上では宜春市に属し、南昌市街地の南、贛江沿いにある都市である。そこから南昌市街地へもっとも早く戻るには、高速道路60号線と59号線を使うのが常道である。……辻褄もあっている。
トレーラーのキャビン内を調べていた人民警察官が、戻ってきて三級警司に異常なしを報告する。
だが、フェン上校は頭の片隅で小さいながらも警報ベルが鳴り響いていることに気付いていた。いわゆる、司法警察官としての勘である。なにかが、引っ掛かっている。
不意に、フェン上校は思い至った。アリシア・ウーが人民解放軍南昌駐屯地前で目撃したというスパイロボット。シルエットしか見えなかったというが、その姿は南昌国際展覧センターで見たアサカ電子のコンパニオン・ロボットと似てはいないだろうか?
間の抜けた姿をした小さなものだったが、あれはあれでかなりの高性能ロボットであった。アサカ電子は、日本軍向けに制式ロボットも納入しているし、その技術の高さには定評がある。スパイ活動を行えるほどのロボットを製作することなど、造作もないだろう。
日本はアメリカの飼い犬のようなものである。アメリカ軍かCIAの命令で、日本がスパイロボットを派遣したと推測するのは、飛躍しすぎであろうか。
もしそうであれば、ここにアサカ電子が借りたトレーラーが現れたのは偶然とは思えない。……きっと、スパイロボットを回収した帰りに違いない。フェンの推理が正しければ、このトレーラーのどこかにスパイロボットが隠してあるはずだ。
だが、荷台を調べていた人民警察官たちは何ひとつ異常を見つけ出さなかった。車体の下も調べられたが、何も出てこない。
……考え過ぎか。
納得しかけたフェン上校だったが、頭の中の警報ベルは依然鳴り続けていた。まだ、何かが引っ掛かっている。
……AS26。
アサカ電子は、二機を持ち込んでいたはずだ。屋内展示用の、モックアップと、デモンストレーション用の実機。
トレーラーに積まれているのが、実はモックアップだったら?
小さなスパイロボットの数体くらい、いくらでも内部に隠せるだろう。
三級警司が、検問の終了を運転手と日本人たちに告げる。北京語のできる日本人が、うなずいてトレーラーに乗り込もうとした。
「待った」
フェン上校は、腰に下げた官給品の92式拳銃を意識しつつ、男の腕を掴んだ。
「なんですか?」
「あのロボット、モックアップではないのか?」
「違います。本物ですよ」
フェンの問いに、慌てたように男が答える。
「動かしてみろ」
人民警察官たちの呆れ顔を無視し、フェン上校はそう男に要求した。
北京語のできる男が諦めたように首を振り、女性の方に日本語で指示を出した。うなずいた女性が、荷台へ廻ってAS26の脚部を固定していたチェーンロックを外し始める。
「見てて下さいよ」
フェンに向けて北京語でそう言った男が、ポケットから出した小さなリモコンマイクに向けて日本語で音声コマンドを入力した。
ぎゅん、という作動音とともにAS26の脚が伸び、歩行姿勢となった。男がさらに音声コマンドを入力し、AS26の腰部が旋回する。センサー類が詰まっているらしい頭部も、くるくると旋回して周囲をうかがっている。
いきなり、肩部から伸びている二本の腕がフェン上校の方に差し伸べられた。おもわずたじろいだフェン上校の眼前で、鉤爪状の指ががしゃがしゃと動かされる。
「どうですか?」
自慢げに笑みを浮かべながら、男がフェン上校を見る。
……やはり思い過ごしか。あのような間の抜けた外見のロボットが、スパイロボットの訳はない。
「結構だ。行っていいぞ」
「危なかったわね」
左腕上部に入っているスカディが、言った。
「あれ、アリシアと一緒に見学に来た武装警察のおっちゃんやな。勘のいいやっちゃで」
右腕下部に入っている雛菊が、そう言う。
「狭い上に疲れるのです! 早く外へ出たいのです!」
シオはそう主張した。
「チャーター機へ乗るまでの辛抱だ。我慢しろ」
右腕上部に入っている亞唯が、たしなめるように言う。
「悪いね。楽させてもらって」
頭部に入っているジョーが、嬉しそうに言う。
スカディ、雛菊、シオ、亞唯の四体のAI‐10は、AS26の腕の中にさながら莢の中に入った豆のようにすっぽりと入っていた。ベルは、損傷中の身なので腹部のバッテリー区画に設けられたスペースに入れられている。特に改造を受けていないAI‐10であるジョーは、頭部に入っていた。
これが、西脇二佐発案の『緊急脱出用AS26』の秘密であった。腕部の駆動用モーターやアクチュエーター類のほとんどが簡単に取り出せるようになっているのだ。空いたスペースにはちょうどAI‐10が四体、入れるだけの大きさがある。AI‐10が手足を使ってそれら作動用機器の代わりを務めるから、AS26は腕を動かすことが可能だ。もちろん、その動きの滑らかさやパワーはオリジナルには及ばないが、まだ試作中の製品ゆえに専門家が見てもばれることはない。ちなみに、腕部の外板などは極力軽量化が図られており、オリジナルは厚みのあるスチール製だがこちらは薄いアルミニウム合金が多用され、約三分の一の重さしかない。
西脇二佐がアニメの『合体ロボ』をヒントに思いついたという『偽物AS26』は、南昌市街地を南へと迂回する形で南昌昌北国際空港へと向かっていた。展示会終了は三日後だが、一足早くデモ用機は『機械的トラブル』を口実に日本へ戻す、というシナリオである。すでに、アプリコット航空のボーイング767‐300Fが空港で待機しており、AS26はAI‐10を隠したままそれに乗り込む手筈となっている。越川一尉と石野二曹も、本社の指示で同乗し帰国、という段取りだ。
無事に南昌昌北国際空港に乗り入れたトレーラーは、貨物区域でAS26を降ろした。通関を済ませたAS26は、そのまま自走歩行して貨物機に乗り込んだ。
現地時間の正午過ぎ、ボーイング767‐300Fは離陸クリアランスを得て、誘導路に乗り入れた。上海から飛んできた中国東方航空のエアバスA320の着陸をやり過ごしてから、滑走路に進入、滑走を開始する。
機体が高度を上げ、水平飛行に移るとすぐに、越川一尉はノートパソコンを抱えた石野二曹を伴って貨物区域に移動した。電動ドライバーを使い、AS26の外板を剥がして、中に入っているAI‐10たちを順次出してやる。
「ありがとうございますわ、一尉。危うく閉所恐怖症になるところでしたわ」
真顔で、スカディが礼を言う。
「あたいは猫派なので、狭い所は好きなのです!」
シオはそう言った。
ジョーが、石野二曹が差し出したノートパソコンに、ジェイソンが集めたデータをコピーし始めた。あとで、パソコンごとCIAに渡すのである。
「みんな、ご苦労だった。乗員に見つかると厄介だから、着陸までここで隠れていてくれ。いいな」
コピーを続けるジョーを含めた五体のAI‐10を前に、越川一尉が言う。
「なんや。機内食も無しかい」
雛菊が、拗ねたふりをする。
「今日はチキンの気分だったのに、残念であります!」
シオは乗っかってボケた。
「ワインのサービスも無いんですの?」
スカディが、口を尖らす。
「わたくしー、ペリエを一杯いただきたいのですがぁ~」
ベルが、低姿勢で頼み込む。
「USAトゥデイとコーヒーを。無ければWSJかポストでいいよ」
指を立てた亞唯が、そう注文した。
「君たちねぇ……」
ジョーが、呆れる。
成田空港に待っていたのは、アルであった。シラリアおよびエネンガルでの作戦で、メガンの相棒を務めたCIA局員である。
「顔を知らぬ相手では渡してもらえないと思ったのでね」
越川一尉と石野二曹と握手を交わしたアルが、破顔する。西アフリカでは、一緒に戦ったいわば戦友である。
「諸君らも、久しぶりだな。またまた大手柄というわけだ。おめでとう」
アルが、スカディと亞唯にも身をかがめて握手をした。次いで、シオと雛菊に半ば抱きかかえられているベルの手を取る。
「どうやら、パープル・ハートものらしいね」
「残念ながらと言いますか幸いにしてと言いますか、防衛記念賞には名誉負傷に関するものがありませんですぅ~」
ベルが、にこやかに答える。
アルが、シオと雛菊の手も取った。充分に再会の交歓を終えたところで、ジョーに向き直る。
「よくやってくれた、ジョー。では、データを渡してもらおう。認証コードは……」
アルが声をひそめ、ジョーに『耳打ち』する。うなずいたジョーが、石野二曹に合図した。石野二曹が進み出て、アルにノートパソコンを手渡す。
「ありがとう。急いでアメリカ大使館に持ち帰って、安全な回線でステーツに送る。ジョー、君も一緒に来てくれ」
「ということだよ、みんな」
アルの話を聞いたジョーが、他のAI‐10たちを見た。
「みんなのおかげで、作戦は成功した。お礼を言うよ。ありがとう。大尉、軍曹。お世話になりました」
越川一尉と石野二曹に向かい、ジョーが日本式に深々と頭を下げる。
アルに促されて、ジョーが倉庫前で待っていた黒塗りのフォード・エクスプローラーに乗り込んだ。アルも乗り込み、黒いスーツにサングラスといういかにもCIAマンらしい運転手がSUVをスタートさせる。
「変なやつだったが、腕は良かったな」
走り去るエクスプローラーを見ながら、亞唯が言った。
「おかしいですわね。てっきり、六番目のメンバーになるという展開なのだと思っていましたが」
スカディが、そう言いつつ首を傾げる。
「ここへきてメタ発言かいな」
雛菊が、笑った。
「あたいの勘では、またすぐに会えるような気がするのですが!」
シオはそう言った。
「俺たちも帰ろう。とりあえず、板橋に戻って長浜一佐に報告だ。ベル、君だけは開成工場で修理をする手配が済んでいる。石野二曹が、送ってくれるから安心しろ。とりあえず、みんなご苦労だった」
越川一尉が、労いの笑みを見せた。
「ところで、畑中さんはどうしているのですかぁ~」
ベルが、訊いた。
「俺たちの前に、空路で上海へ向かっている。そこから空路でソウル、鉄道でプサン、フェリーで下関、というルートで帰るそうだ。当然一日じゃ帰ってこれない。たぶん牡蠣か河豚でも喰ってから、戻ってくるつもりなんだろうな」
越川一尉が言って、笑った。
第二十一話をお届けします。




