第九話
「第2小隊! 真っ直ぐ突っ込んでくるぞ! 距離五百!」
携帯無線機から、大隊長の声が響いた。
「あと五百だ」
コン少尉は、隣で81式自動歩槍を構えている副小隊長……西側諸国の軍隊で言えば、小隊軍曹に当たるポジション……の上士に告げた。うなずいた上士が、大きな身振りで『五』という数字を左右に展開する第1分隊と第3分隊に伝達する。
封鎖部隊の一郭を担うコン少尉率いる第2小隊は、広く散開していた。
光学迷彩対策のためである。
分析の結果、アメリカ製……と推定される……スパイロボットが使用した光学迷彩は、ボディの表面に背景を投影する、というテクニックを用いたものだと判明した。そしてこれには、ある弱点が存在することが指摘された。
正面の視覚しか騙せないのである。
ディスプレイに表示されるのは、つまるところ平面的な『絵』でしかない。立体ではないのだ。立体であれば、見る角度を変えればそれにしたがって見え方も変化する。だが、絵はどの角度から見ようが、映し出されているものは同じである。単色かつ同一明度の壁に張り付いている、という状況ならばともかく、通常であれば異なる角度から複数の眼に晒されれば、そのすべてに対し『透明』になることは不可能なのだ。
敵がどこにいるのかわからない、という状態であれば、光学迷彩は脅威である。探しようがないのだから。だが、おおよその位置が判明すれば、そこに全員が注目することによって、背景がずれて見える箇所……すなわち、光学迷彩が使われている箇所を必ず見つけることができる。そこを狙って射撃すれば、ステルス・ロボットも恐れるに足りない。……少なくとも、コン少尉は上官からそう聞かされていた。
「犬が進路を代えた。第3小隊、今度はそっちへと向かってるぞ」
大隊長が、無線機を通して言う。
コン少尉は、第3小隊が担当している方を見やった。幅五メートルほどの川が、両小隊の担当区域の境界である。コン少尉はスパイロボットが川を使って移動する場合に備えて、上等兵に列兵二名をつけて木橋に配置し、川の監視に専念させていたが、その可能性は少ないと踏んでいた。無色透明の水とはいえ、液体の中を移動すれば、光学迷彩の効果は格段に落ちてしまうはずだからだ。
「第3小隊の正面だ。残り三百」
大隊長が、告げる。軍用犬がスパイロボットを追尾する。作戦本部が、その位置を捉え、無線で大隊長に連絡。大隊長が、情報を封鎖部隊に伝達する。当然タイムラグが生ずるから、スパイロボットはすでに目前に迫っているに違いない。
ぽんぽんという音が、聞こえた。後方に待機する迫撃砲班が、照明弾を打ち上げたのだ。
すぐに、あたり一帯が明るく照らし出された。封鎖ラインの前面は樹林が切れており、ほぼ東西に伸びる石畳の遊歩道を含む幅五十メートルほどの開豁地が帯状に続いている。ここに飛び出してくれば、光学迷彩ロボットでも見つけ出すことはた易いだろう。
コン少尉らは銃撃によるスパイロボットの無力化を命じられていた。捕獲できればそれに越したことはないが、自爆機能が内蔵されている可能性が高いのでそれは無理な相談である。自爆を決定するまえに銃撃だけで無力化することができれば、貴重なデータが収集できるし、アメリカ人に赤っ恥をかかせることができるはずだ。
「犬が進路を変えた。第2小隊、第3小隊。どちらも警戒しろ。距離二百!」
興奮しているのか、大隊長が甲高い声で告げる。
「発見次第発砲!」
コン少尉は大声で命ずると、自分の81式自動歩槍を肩付けした。
部下たちが、一斉に自分の得物を構え、射撃姿勢を取る。小隊が有する火力は、81式自動歩槍二十九丁と、81式班用机槍(SAW)三丁。スパイロボット相手ならば、充分すぎる火力である。
「百五十」
ディスプレイを注視する中尉が、距離を目分量で測って告げた。
旧式なソフトウェアを使用しているのである。もちろん、ムービングマップ・ディスプレイなどではない。白く細いラインで固定表示されるグリッドの中で、各々の犬を表す三桁の数字がゆっくりと動いているだけだ。今は縮尺が最大の千分の一に切り替えられているので、ひとつのグリッドが百メートル四方を表している。南側の封鎖部隊が位置表示用に作動させているビーコンを表す赤い点に向けて、ほぼ一塊となった007、022、103、124が、秒速六メートルほどの速さで迫っている。
ぐっと身を乗り出し、アリシアが中尉の肩越しにディスプレイを注視する。
フェン上校も、釣られるように身を乗り出した。
「距離百!」
無線機から、大隊長の声が響く。
コン少尉は視線をあちこちに走らせた。違和感のある空間を、探す。木立の中。芝草の上。石畳の上。吹き溜まった落ち葉の上。
「五十!」
ぽんぽんと音がして、追加の照明弾が打ち上げられる。
……どこだ、スパイロボット。
あたりは充分に明るい。これだけの人数で探せば、必ず見つかるはずだ。直前に右か左へ逃げたとしても、第1小隊か第3小隊の守備範囲に入り込むはず……。
「五十」
切迫した声で、中尉が告げた。
フェン上校は、交戦開始の無線報告がすぐに入ることを予期してディスプレイを眺め続けた。だが、作戦室は静寂に包まれたままであった。
ディスプレイの上では、犬を表す数字の群れが封鎖ラインを示す赤い点にぐんぐんと近付いてゆく。見守るうちに、それが重なった。しかし、依然交戦開始の報告は入らない。
「第2、第3。どうした。なぜ撃たない」
無線機から、苛立った声が聞こえる。
「犬は封鎖ラインを超えたぞ。どうした?」
コン少尉は唖然として81式自動歩槍の銃口を下げた。スパイロボットはもちろん、犬さえも見えなかった。……どういうことだ?
「犬は封鎖ラインの南西、二百メートルに達した。どうなっているんだ?」
大隊長の声も、困惑気味だ。
コン少尉は説明を求めるかのように上士を見た。上士が、ゆっくりと首を振る。
……想定外の高度な光学迷彩を使われたのか。あるいは、もっと他の方法か。いや、それでも犬が通らなかったことが解せない。
コン少尉はスパイロボットも犬も通過しなかった……立場上、見逃したと言うわけにはいかない……と無線で大隊長に報告した。
「警戒態勢を維持しろ。なにか、異常に気付かなかったか?」
コン少尉は部下の間を歩き回ってそう尋ねた。
「……異常、と言うほどではありませんが」
橋の上で川を見張っていた上等兵が、おずおずと申し出る。
「なんだ?」
「先ほど、何本も木の枝が流れて行くのが見えました。よく眼を凝らして見ましたが、光学迷彩の様子はなかったので、そのまま見送りましたが」
「ふむ。ならば関係なかろう」
「消えた。ロボットも犬も消えてしまった」
フェン上校は、困惑した頭を振った。
「現在、封鎖線の南五百メートル。なお南下中」
こちらも困惑した声で、中尉が報告する。
「中尉。犬の現在の速度は?」
鋭い声で、アリシアが質問を放った。
「……時速二十キロメートル程度です」
「追跡を開始してから、ほぼ同速度ね」
「そうです。人間が走る程度の速さですし……。ロボットの速度はよく知りませんが……」
いきなり、アリシアが身を翻した。壁に歩み寄り、貼られていた梅嶺国家森林公園の地形図を引き剥がす。
からからと、アリシアが笑い出した。突然のことに、フェン上校を含め作戦室内にいた全員が、呆気に取られる。
「古典的な手にしてやられましたわね。あのロボット、結構な知恵者ですわ」
真顔に戻ったアリシアが、フェンと中尉に向け、地形図を突き出す。
「妙に曲がりくねりながら追跡していると不思議に思っていましたが、納得ですわ。先ほどからの犬の動き、この川の流れと一致します。つまり、ロボットは倒した犬から発信機を回収し、川に流したのです。たぶん、流木か何かに取り付けてね。今頃、正反対の方向へ逃げ延びていることでしょう」
言葉を切ったアリシアが、作戦室内の全員に聞こえるように声を張り上げた。
「まだ間に合うかもしれない。第十四区の東、北、西に人員を投入。捜索を開始します。上尉、襲撃部隊はそのまま徒歩で捜索に投入。残りのヘリは着陸させて給油を。もう一度、仕切り直します」
犬の首輪をはめた木の枝、などという珍妙なものが川の岸辺に流れ着いているのを四歳の幼女が発見し、母親に大声で報せたのはその日の午前十時ごろのことであった。
「えらいめにあったのです!」
オイントメントが運転するミニバンの中で、シオはおおげさに息を吐いてみせた。
「犬対策を考えねばなりませんね」
スカディが、深刻そうな顔で言う。
倒した犬から回収した発信機付きの首輪を、樹林の中で拾った枯れ枝にひとつずつはめて川に流したAHOの子たちは、徒歩で北にある回収ポイントのひとつを目指した。梅嶺国家森林公園内の夜間外出制限が解かれるのは午前五時。道路検問などは行われていないが、早朝から公園内に入って来る車はホテルやレストラン向けの納品業者程度であり、多くはない。目立つわけにはいかないオイントメントとしては、朝早く公園内を走るのはなるべく避けたいところである。と言って、観光客が増える時間帯まで待っていては、AHOの子たちが戻るのが遅くなってしまう。というわけで、帰りはAHOの子たちが歩いて公園外のピックアップポイントまで移動し、早朝にオイントメントが回収する、という手筈になっていたのだ。
シオたちは、犬を避けつつ公園内を移動した。しつこく付いてきた一匹は、スカディが電撃で倒し、外した発信機を偽装のためにしばらく持ち歩く。適当なところで発信機を壊し……故障だと中国側が思い込んでくれることを期待しつつ……さらに北へと歩む。
梅嶺国家森林公園北に隣接する毛家村でのピックアップは、つつがなく成功した。例によって積み込まれていた段ボール箱を被ったAHOの子たちは、『世紀』が国道に乗り入れるとほっと息をついた。ここまで来れば、一安心である。
「犬対策として、ひとつ提案があるんやけど」
雛菊が、そう切り出す。
「胡椒とかは無しなのであります! あの手が上手く行くのは、映画の中だけなのです!」
シオは釘を刺した。よく映画やドラマでは、主役が胡椒を追跡してくる犬にお見舞いし、難を逃れるシーンが描かれるが、これはフィクションである。たしかに、胡椒は一時的に犬の嗅覚を麻痺させる効果はあるが、これを行えば主役には確実に胡椒という持続性のある臭気がまとわり付くことになる。要するに、犬にとってはより臭跡を追いやすいた易い目標となるだけなのである。
「そんなアホな手じゃないで。中国側もさすがに、昼間は犬を放ったりせえへんやろ? 観光客に咬みついたりしたら、問題やからな。うちらも、昼間に堂々と探しに行ったらええんちゃうか?」
「おいおい。昼間に穴掘ったりしたら、警察に通報されちゃうよ」
ジョーが、突っ込む。
「探すだけなら、ばれへんで。見つけても回収するのを夜まで待てばええんや」
「その夜の犬対策は?」
「それはその時考えればええんちゃうか? とにかく、データカセットが埋められている場所を特定しないと、話にならんから」
ジョーの懸念を、雛菊が笑って一蹴する。
「雛菊の言うことももっともね。いい案だわ」
スカディが、賛意を示した。
「越川一尉と石野二曹に協力してもらうのです! 観光客のお供なら、きっと目立たないのです!」
シオはそう提案した。
朝の路地裏で越川一尉と合流。タクシーを拾い、南昌国際展覧会場へと戻る。
留守番の亞唯、ベルと合流したシオら四体は、充電を行いながら『白昼堂々捜索作戦』を披瀝し、細部の詰めに掛かった。
「越川一尉と石野二曹がアサカの関係者を何人か誘ってくれるそうよ。おそらく、総勢で七名前後になるでしょうね。となると、同行するロボットは三体程度が適当でしょう。それ以上だと、目立ってしまうわ」
スカディが、言う。
「ジョーは当然行く。護衛に二体か。スカディと……雛菊かシオだな」
雛菊とシオを見比べるようにしながら、亞唯が言う。
「亞唯ちゃんとベルちゃんではだめなのですか?」
シオは首を傾げた。
「少しでも現場を知っている方がいいのですぅ~。わたくしと亞唯ちゃんは留守番していたから、地理不案内なのですぅ~」
ベルが、そう説明した。
「展示会開催中は忙しくて観光どころじゃないでしょうし、前日も余裕はないはず。となれば、チャンスは今日しかありません。できるものならば、今日埋められた位置を特定し、今夜掘り出したいものですわね」
スカディが、期待を込めて言いつつ、ジョーを見た。
「んー。自信はないけど、努力するよ」
お昼少し前に、アサカ電子ご一行様は三台のタクシーを連ねて、梅嶺鎮へと入った。越川一尉、石野二曹、有本はるかを含むアサカ電子の社員五名、それにAI‐10三体……スカディ、雛菊、ジョーである。
タクシーに料金を払うと、一行は電話予約したレストランに入った。
江西料理は、中国八大料理……山東、四川、湖南、江蘇、浙江、安徽、福建、広東の八つ……のどれにも属さない独自色の強い料理と言われている。全体としては安徽料理に似ているが、暑い土地柄からか唐辛子を多用する傾向にあり、田舎ゆえにあまり洗練されていないという評価が一般的である。
個室に案内された一行の前に、さっそく前菜が運ばれてきた。刻んだ数種の野菜と川海老を和えたものに、唐辛子の辛味を利かせた醤油ベースのドレッシングが掛かっている。続いてレンコンと鶏のスープ、乾燥ナマコと肉団子の煮物、小魚の揚げ煮、甘酢餡を掛けた川魚の揚げ物、細切り野菜の辛味炒め、キノコと香菜のサラダ、具沢山の焼きビーフンなどが、次々と出てくる。
もちろん、AI‐10の分はない。
「美味そうやなぁ」
部屋の隅に置かれた椅子に大人しく腰掛けながら、雛菊が言った。飲食機能はないが、食事を『用意』する機能はあるので、見た目だけである程度料理の出来栄えを判定することは可能だ。
「で、今回はどこを捜索しますの?」
よだれを垂らしそうな雛菊……むろんそんな機能はないが……を無視して、スカディがジョーに訊く。
「もう少し遡って、自爆の十時間前からジェイソンの跡を辿ってみようと思う。それで見つからなかったら、昨日探したルートの周辺を探す。方向性は、間違っていないと思うんだ」
少しばかり自信ありげに、ジョーが言い切った。
『梅嶺国家森林公園内を熟知』しているという触れ込みのスカディと雛菊の案内で、一行は腹ごなしの散策を開始した。ジョーはなるべく広く動き回り、捜索範囲を広げつつ一行のあとを付いてゆく。
AHOの子たちの読みどおり、園内に犬の影はなかった。天候が良いせいか人出も多く、アサカ電子一行もそれほど目立たずに行動できる。
観光よりも息抜きが主目的なので、一行の歩みは遅かった。そこかしこでベンチに座り、砂糖入りのペットボトル入り緑茶を飲み、景色を鑑賞し、写真を撮る。
結局、ジェイソン自爆の十時間前から八時間までのルート沿いでは、データカセットの反応は見つけられなかった。
「仕方ないね。元々の読みが正しかったということじゃないかな。この先に期待しようよ」
ジョーが、勤めて明るい口調で言う。
それから二時間ほどのんびりとした散策を続けた一行は、例のシオが『滝の裏にお宝うんぬん』発言をした滝に出た。全員が柵に身を乗り出すようにして滝を眺め、数名が写真や動画撮影を開始する。
「ひょっとしたら、シオの推理が当たってるかもしれんで」
雛菊が言って、ジョーを煽る。
「言われなくても、探すよ」
そう言い置いて、ジョーが樹林の中に消えた。
しばらくして戻ってきたジョーの顔は、驚きと喜びが入り混じったかのように複雑な表情を浮かべていた。……顔の造作が単純なAI‐10としては、極めて珍しい表情と言える。……異なるAIを搭載しているせいであろうか。
「どうしたのかしら?」
スカディが、心配そうに訊く。
「反応が、あった」
ぼそりと、ジョーが答えた。
「マジでっか?」
雛菊が、驚く。ジョーが、うなずいた。
「滝の方からあった。場所を変えて確かめ、方向を特定したけど、確かに滝周辺に反応があるよ」
「……シオの勘が当たったわけね。まあ、滝の裏には無いと思うけど」
スカディが、薄く笑う。
「もう少し位置を局限したいんだ」
ジョーが、言う。
「もちろんよ。雛菊、適当な理由をつけて皆さんをここで足止めしてちょうだい。越川一尉と石野二曹の協力を仰いでもいいわ。わたくしはジョーのサポートをします」
「任せてや」
スカディの依頼を、雛菊が快諾した。
岩場の中に踏み込み、レスポンダーの反応を探る。
一番反応が強かったのは、滝壺の向かって左側の岩場であった。大小の石が積み重なった間に、砂利や川砂が溜まっているところだ。あの砂利や砂の中か、石のあいだに隠してあるのだろう。
スカディたちはもう少し一行を歩かせた。越川一尉にだけは、歩きながら首尾を報告する。
「よくやった。さっそく、今夜回収してくれ。犬対策は……何か考えておこう」
越川一尉が小声で言って、小さく親指を立ててスカディらを労った。
遅れて申し訳ありません。予約投稿の設定ミスのようです。第九話をお届けします。




