第八話
「ちょっと、休憩しましょうか」
スカディが言って、立ち止まった。
「休憩って……君たち、ロボットじゃなかったのかい?」
ジョーが皮肉な口調で言う。
「まあ、ええやんか。リセットや、リセット」
雛菊が鷹揚に言って、遊歩道脇のベンチに座る。
スカディに赤外線通信で呼ばれたシオも、他のAI‐10たちの処へと引き返した。雛菊の隣に、腰を下ろす。
時刻は、すでに午前二時を回っている。しかしながら、依然データカセットの発見には至っていない。
「ジョーも、お座りなさいな」
シオと雛菊が座る隣のベンチに腰掛けたスカディが、座面をぽんぽんと手で叩いた。諦め顔になったジョーが、小さく肩をすくめてから、そこに腰掛ける。
遊歩道の右手には、川が流れていた。先ほど出合った滝の、上流部なのだろう。川幅は、五メートルほど。結構水量が多く、流れも速い。
「なかなか見つからないわね。ジョー、疑うようで悪いけれど、ちゃんとジェイソンの立場に立って、行動の推測を随時行ってくれているのよね?」
慎重な言い方で、スカディが訊く。
「もちろんだよ。……ちょっと、自信ないけどね」
珍しく気弱そうに、ジョーが答えた。
「なんや。自信ないんか」
拍子抜けしたように、雛菊が言った。
「実は、CIAが入手した情報……ジェイソンの捜索に当たった人民解放軍部隊が上層部に送った詳報の概要……を信ずる限りでは、自爆の数時間前からのジェイソンの行動に、不審な点が見受けられるんだよ」
打ち明け話のトーンで、ジョーが語り出す。
「不審な点……。ワイシャツに口紅がついていた、とか、パンツを裏返しに穿いていた、とかでありますか?」
「……ベタな不倫ドラマじゃないんだから」
スカディが、シオの軽口をたしなめる。
「ボクたちは極秘潜入偵察ロボットだ。武装もない。したがって、戦闘は極力避けるようにプログラムされている。にもかかわらず、ジェイソンは自ら戦闘を求めていたように見受けられるんだ」
「強行突破で脱出しようとしていたんとちゃうか?」
「あり得ないよ」
雛菊の推定を、ジョーが一蹴する。
「ボクたちは状況認識、分析能力に秀でている。あの状況、どう足掻いても強行突破が不可能なのは明らかだ。まあ、多少の時間稼ぎのためにあえて戦闘を選択した、と言うのであれば理解できるけどね。それと、いくつかの情報を繋ぎ合わせると、ジェイソンがまるで中国側を煽っているかのような印象もある。通常では、考えられない振る舞いだよ」
「……追い詰められて、キレ掛かっていたのではありませんか?」
シオは冗談のつもりでそう言った。
「まるでそんな感じなんだ。とにかく、尋常じゃない。とすると、ボクがいくら彼の行動を推測しても、無駄かもしれない」
俯き加減で、ジョーが言う。
「ひょっとすると、何か理由があって、わざと戦闘を行ったのかもしれませんわね」
スカディが、推測を口にする。
「かも知れない。でも、その理由はボクには見当もつかないよ」
顔を上げたジョーが、諦めたように言った。
「しかしまあ難儀やなー。ジェイソンも、隠し場所のヒントくらい、教えといてくれてもよかったのになー」
少しばかり暗くなってしまった場を明るくしようとしたのか、雛菊が脚をぶらぶらとさせながら、暢気そうな声音で言った。
「ヒントって。無理だよ。まともな通信機能も無かったのに、どうやってヒントを伝えるんだい?」
訝しげに、ジョーが雛菊を見つめる。
「信号のやり取りはできたんやろ?」
「あらかじめ決められた信号を送って、意図を伝える程度だよ。合図に近いね。『A』パターンなら、安全。『B』パターンなら、危険とか。そんなものだよ。とても情報伝達には、使えないよ」
「位置通報発信を利用すればよかったのですわ」
スカディが、口を挟んだ。
「どうやって? あれは単に定期的に指向性の高い信号を送って、自分の位置を衛星経由で記録させる機能しかないよ」
「地面に文字を描けるではありませんか。星座の要領で、発信位置を線で結んでいけば、簡単ですわ」
スカディが、涼しい口調で言う。ジョーが、唖然とした表情になった。
「複雑な移動が困難なら、モールス信号でもいけたで。直線で百メートル移動したら長音。信号が二回同じ位置から出たら単音とか」
雛菊が、言う。
「矢印でも良かったのであります! お宝を隠した位置を指すように、大きな矢印を描いてくれれば一発で判ったのです!」
シオもそう言った。
「……な、何でそんな発想が出てくるんだい、君たちは?」
ジョーが、なおも驚きの表情のまま三体を順繰りに見る。
「確かに、論理の飛躍が必要なアイデアですわね」
スカディが、微笑んだ。
「いろいろ変な任務をこなしてきたからなぁ、うちらは」
雛菊も、笑った。
「無駄に経験値だけは高いのであります!」
シオも自慢げに言い放った。
捜索を再開して二十分後、スカディからの赤外線通信が前方警戒を続けるシオに届いた。
『動物の足音が聞こえるわ。一応警戒してね』
『動物! パンダでありますか?』
シオはとりあえず定番のボケを返した。
『中型の四足獣ね。接近中よ』
シオは音声入力レベルを最大に上げてみた。だが、周囲の音響から足音らしきものは捉えられなかった。
『さすがスカディちゃん、改造のおかげで耳いいのです!』
ほどなく、シオの『耳』にも足音が聞こえてきた。犬がアスファルトの上を走る時に生じるような、独特の柔らかくもあり鋭くもあるリズミカルな音だ。それが、ぴたりと止まる。
シオは視覚を赤外線映像に切り替えた。遊歩道の前方に、低温の熱源が観測できる。地面からの位置が低いので、歩いてきた人間とは思えない。まず確実に、動物だろう。
ふたたび、足音が始まった。シオは視覚を光量増幅モードに戻した。遊歩道の上を、軽快な足取りで近付いてくる獣の姿が見えた。犬だ。
『ワンコなのです!』
ぴんと立った耳。短毛。ふさふさの、長い尻尾。体高は、六十センチ程度か。毛色は、夜なのでよく判らないが、腹の方は明るく、背中が暗い。
『ジャーマン・シェパードのようね』
スカディが、そう識別した。
ジャーマン・シェパードが、シオの前十五メートルほどのところでぴたりと止まった。四肢を踏ん張り、頭を下げた低い姿勢で唸り声を上げる。
『あんまり友好的なのではなさそうです! 野犬でしょうか?』
シオは犬を宥めようと手で押さえるしぐさをしながら言った。
「中国人の犬の趣味は知らないけど、ジャーマン・シェパードなら警察犬か軍用犬じゃないのかい?」
ジョーが、音声で言う。
「……なるほど。考えましたわね、中国人も。元々視力に頼らない犬であれば、光学迷彩も役に立ちませんわ。ステルス・ロボット対策に、投入したのでしょう」
スカディが、そう推測した。
『よく見ると、首輪をつけているのです! ノラさんではないようです! しかも、特別製の首輪のようです!』
詳しくジャーマン・シェパードを観察したシオは、そう報告した。暗い色合いの革製らしい首輪に、単一乾電池くらいの黒っぽい円筒が取り付けてある。
「ここは、逃げた方が良さそうね」
スカディが、撤退指示を出す。
AHOの子たちは遊歩道を引き返し始めた。だが、ジャーマン・シェパードはぴったりと四体のあとを付いてきた。遊歩道を外れ、茂みの中を通ったりしてみたが、そんなことで撒けるはずもない。
「完全に臭いを覚えられてしまったのです!」
シオはわめいた。
「止まって!」
ジョーが、鋭く言う。
一同はぴたりと脚を止めた。
行く手に、またもや犬が現れていた。しかも、二匹だ。
「やばいで、これ」
雛菊が、怯えたような声で言う。
公安局の大会議室が、作戦本部となっていた。
フェン上校とアリシアは、並んで一枚の大きなディスプレイを見つめていた。画面には、いくつもの黄色い点が映し出されている。
ステルス・ロボット捜索作戦に投入された軍用犬の総数は、百二十を越える。そのすべてに、単純だが強い信号を発する発信機が取り付けられていた。この信号は上空を飛ぶ人民解放軍のターボプロップ双発輸送機、Y‐12によって中継され、この作戦本部に送られてくるのだ。
「やはり、016は何か追跡中ですね」
別のディスプレイを見つめていた男が言った。軍用犬のベテランとして、アリシアが呼び寄せた人民解放陸軍の中尉である。
「狐でも見つけたんじゃないかね?」
「軍用犬が任務中に野生動物を見つけても、無視しますよ。特に、二桁の番号を付与してある犬は我が部隊の犬です。きわめて優秀だ。まず間違いなく、不審者を見つけたのでしょう。お二人がお探しの目標かどうかは、判断できませんが」
ディスプレイを指差しながら、中尉が言った。こちらは捜索範囲の一部を任意に拡大したもので、光点の代わりに小さな三桁の番号が光っている。狭い区域を捉えた物なので、数字はゆっくりと動いていた。
「おっと。108と112が合流しました。……止まった」
中尉がキーボードを操作し、三匹の犬の発信位置を拡大した。016のすぐ側に、108と112という数字が重なり合わんばかりにくっついて表示されている」
「確実に、何かいますね。犬の誘導を進言します」
中尉が、アリシアを見た。
「承認します。上尉、十四区にヘリコプターを。犬を集めさせて。襲撃隊も離陸して待機」
アリシアが、ヘリ部隊の連絡役を務める上尉に向けて指示を出す。
「あたいは猫派なのです! ワンコは不得手なのです!」
シオはそう主張した。
三匹の犬は、AHOの子たちを遠巻きにして身構えているだけで、動こうとはしなかった。いずれもジャーマン・シェパードで、同じような謎の首輪をつけている。
「うちも猫派……というより、猫科派や」
雛菊が、言う。
「……まずいわ。ヘリのローター音が近付いてくる」
スカディが、空を見上げた。
「ワンコが呼んだのでしょうか?」
シオは首を傾げた。
「あの特別製の首輪に、通信機能があるのかも。仕方ないわね。ヘリが到着する前に、犬を始末しましょう。弱めに設定した電撃を浴びせれば、気絶してくれるでしょう」
スカディが、戦闘準備を指示する。
「頼むよ、みんな。ボクは、武器を持っていないからね」
ジョーが、心細げな声で頼み込む。
犬の最大の武器である咬み付きに対しては、ロボットであるAI‐10は無敵と言える。だが、副次的な武器である体重と筋力……これにより、犬は体当り、咬み付いたうえでの引き摺り倒し、踏み付けなどの攻撃を行う……は用心しなければならない。ジャーマン・シェパードの体重は四十キログラム程度に達する。この重さと強靭な筋肉を駆使し、訓練された警察犬や軍用犬は大人の男性すらバランスを失わせて転ばせることが可能なのだ。体重五十キログラムのAI‐10は、重心が低いとはいえ油断すれば地面に倒されかねない。
「ノルマは一人一匹。行きますわよ!」
スカディが、最初に追ってきた犬に向けて走った。
「シオ吉、右のやつを頼むで!」
雛菊も、走り出す。
「任せるのであります!」
シオもダッシュした。攻撃されることを悟った犬が、唸り声を上げつつ走り寄ってくる。
犬が攻撃を行う場合、本能的に敵の弱点に咬み付こうとする。そこはたいていの場合、相手の首筋である。だが、犬にはとりあえず目の前にある物に咬み付こうとする習性もある。よく映画などで見る、『上着を巻き付けた腕に咬みつかせる』という状態は、この習性を利用したものだ。
シオは素直に左腕を突き出した。ジャーマン・シェパードが、これに咬み付こうと飛び掛ってくる。
シオは電撃を見舞った。
きゃいん、という見た目に不釣合いな可愛い鳴き声をあげ、ジャーマン・シェパードがシオにぶつかってきた。上手く身体を逸らせたから転ばずに済んだが、まともにぶつかっていたら確実に倒されていただろう。どさっと湿った音を立てて、気絶したジャーマン・シェパードが石畳に叩きつけられる。
「皆さん、無事かしら?」
自分の割り当て分を倒したスカディが、すかさず部下の状態を確認する。
「倒したで。問題なしや」
雛菊が、笑う。
「しょせん犬など雑魚モンスターなのです! 経験値稼ぎにもならないのです!」
シオはつま先で横向きに倒れているジャーマン・シェパードの白いお腹をつんつんと突いて反応を確かめた。完全に、気絶しているようだ。長い舌が、鋭い歯をむき出しにした半開きの口からだらんと突き出ている。
「みんな、チョッパーが近付いてきたよ!」
ジョーが、注意を促した。
シオは顔を上げた。機体下部に取り付けたサーチライトを点灯したヘリコプターが、低空を低速で接近してくるのが見えた。
「逃げますわよ!」
スカディが、走り出した。残る三体も、続く。だが、行く手にはまたもや犬が現れていた。今度は、四匹。
「なんでうじゃうじゃワンコが沸いて出てくるのですか!」
シオは憤った。シオは当然知らなかったが、この作戦に投入された犬のほとんどが、夜間捜索の際は、サーチライトの照射地点……犬の視力はたいしたことはないが、明暗なら遠くのものでも捉えることができる……に集合するように訓練されているのだ。
「強行突破あるのみですわ!」
スカディが、言い放つ。
シオは再び犬と戦った。先ほどと同様、電撃を喰らわして難なく倒す。
「みんな、隠れて!」
ジョーが、木陰から呼ぶ。犬をすべて倒したシオたちは、急いで木の下に隠れた。強力なサーチライトの光が上空から降り注ぎ、石畳に木々の影を描き出す。
「あのシルエットは、Z‐9やな」
頭上の枝葉のあいだからちらりと見えたシルエットから、雛菊がヘリの機種を判別した。
「まずいわね。あと二機ほど、ヘリが近付いているわ」
ローター音とエンジン音がすぐ上空で響いているのにも関わらず、スカディがさらに接近するヘリのローター音を聞き分ける。
「きっと、この首輪が曲者だよ」
しゃがんだジョーが、倒れているジャーマン・シェパードの首輪を外した。付いている黒い円筒状のプラスチックケースを検める。
「どうやら、発信機のようだね。犬の位置情報を電波発信しているらしい」
「なるほど! ワンコの動きを捉えて、それを元にヘリコプターが来たわけですね!」
シオは納得してうなずいた。
「では、犬に追われている限り、わたくしたちの位置も敵に筒抜け、ということですわね」
スカディが、言う。
「せやな。まずいで、これは。ヘリが来たってことは、包囲されるかも知れん。早めに犬を撒かないと、逃げ場が無くなるで」
雛菊が、言った。武装がスタンガンしかない現状では、戦って切り抜けることも困難である。
「またワンコなのです! キリがないのです!」
シオは指差した。一匹だけだが、遊歩道に新手の犬が現れて、こちらを見て唸り始めた。
「こんなもの、壊してしまえ!」
ジョーが言って、首輪から発信機をもぎ取った。そして腕を振り上げ、地面に叩きつけて壊そうとする。
「待って」
スカディの手が伸び、振り上げられたジョーの腕を掴んだ。
「いい手があるわ。犬をすべて倒すのはたぶん無理。犬の鼻を騙すのも難しい。ならば、人間の方を騙せばいいのよ。みんな、犬の首輪を外して」
「上尉、ヘリからの連絡は?」
アリシアが、連絡役に確認する。
「樹林が多く、地表の確認は困難。襲撃隊は、上空待機中です」
「地上部隊は?」
「展開中。十四区の南側を封鎖する予定です」
「結構」
アリシアが、満足げな表情でうなずいた。
「中尉。犬はどうかしら?」
「007、022、103、124が群れで移動中。おそらく、目標を追っていると思われますが、動きがおかしいですね」
軍用犬担当の中尉が、ディスプレイを見ながら首を傾げた。
「111がさらに少し遅れて追跡中です」
中尉が、付け加える。
「先ほどの三匹はどうなったのかね?」
フェン上校は、訊いた。
「動きがまったくありません。殺された可能性が高いです」
「追っているのは、アメリカのスパイロボットの可能性が高まりましたね」
アリシアが、言う。フェン上校は曖昧な唸り声で同意した。外出禁止令を破った民間人が、三匹もの軍用犬を倒せるはずがないし、武装したスパイでも困難だろう。だが、先日フェンの部下を始め多数の兵士や警官を殺害したスパイロボットならば、犬の三匹くらい敵ではないはずだ。
「群れが停止した。なんだろう、この動きは……」
中尉が、訝りながらディスプレイを注視する。
「おっと、また動き出しました。007、022、103、124が群れになって移動中。……111だけ、違う方向へ向かってる」
「目標が分散したのかな?」
フェンはそう言ってみた。
「かも知れません。あるいは、111が臭跡をロストしたのか……」
「上尉。捜索ヘリをこの群れに近づけて」
「了解」
アリシアの命令を、連絡役士官がヘリに伝える。
四匹の犬は、時折先頭を入れ替えるなどの動きを見せながらも、一塊になって移動し続けていた。速度は、時速二十キロメートルほどか。111の番号を付与された犬は、正反対の方向へと低速で動いていたが、もはや全員がこの間抜けな犬に対する関心を失っていた。
「目標らしきものは発見できず。犬も視認できない、とのことです」
ヘリからの連絡を受けた上尉が、報告する。
「地上部隊は?」
「展開終了しました」
アリシアの問いに対し、誇らしげに答えが返って来る。
「よろしい。では、捕獲に移りましょう。上尉、襲撃部隊を降着させて。地上部隊、遊撃班を前進。目標を囲みます。光学迷彩には、充分に注意すること」
アリシアが、決断を下した。
第八話をお届けします。気が付いたら三年目に突入していました。今後もよろしくお願いします。




