第二話
……完全に包囲された。
ジェイソンはついに脱出を断念した。周囲は千人を越える人民警察、人民武装警察、そして人民解放軍によって埋め尽くされている。これだけ濃密な包囲網を敷かれては、光学迷彩で欺き通すことは無理であろう。空でも飛ばぬ限り、この包囲を突破する術はない。そしてもちろん、HR‐2000には飛行能力などなかった。極秘潜入偵察ロボットには無用な機能だし、だいたい飛行機能を欲している時点で、任務には完璧に失敗していると言えるのだから。
ジェイソンは抵抗も放棄し、主腕に保持していた67式汎用機関銃をそっと地面に置いた。ここで銃弾を撃ち尽くすまで粘っても、得られるものは何もない。任務遂行のためならば、その障害たる人命を奪うことは厭わないが、無益な殺戮はするべきではない。中国と、交戦状態にあるわけではないのだ。
ジェイソンは自爆シークエンスに入った。もう一度、ここ数時間の行動を再確認し、遺漏がないかをチェックする。
最重要事項である、収集した中国軍用ロボットに関する機密情報の隠匿は、『圧縮版』の約五百ギガバイト分だけであるが、何とか成功させた。隠し場所のヒントは、一箇所にしか隠せなかったが、これは仕方あるまい。収集データが中国の手に渡れば、HR‐2000型の偵察能力を含む機能の大半が暴露されることになる。おそらく陸軍とCIAは、このあともジェイソンの同型をこの地に派遣し、情報収集活動を行わせるだろう。その際に、中国側にHR‐2000型の詳細が知られていたのでは、有効な対策を取られてしまい、任務に失敗する可能性が増大することになる。ジェイソンとしては、兄弟たちに迷惑を掛けるわけにはいかなかった。中国側がデータを手に入れる可能性を最小限に止めるためには、アメリカ当局にデータが渡らない確率が高くなっても、やむを得まい。
次いでジェイソンは、機密情報が収められているファイルの処分に掛かった。万が一中国側に捕らえられ、データ領域にアクセスされたとしても簡単にデータが引き出せないように、『隠して』あったファイルを複雑な手続きを踏んでアクセス可能にし、さらに厳重に掛けてあったプロテクトをコマンドワードを入力して外す。現れたファイルにジェイソンはノイズデータを順次上書きしていった。終わったところで、念のために自爆カウントダウンを開始してから、制御プログラムのうち当面必要のない領域を手始めにノイズデータの上書きを開始する。
ジェイソンは衛星軌道に向けて最後の位置情報を発信した。これ以降の信号が受信できないことで、アメリカ当局はジェイソンが自爆したことを知るであろう。
双眼鏡の視野の中には、青竹しかなかった。
「間違いなく、ここにいるのか?」
双眼鏡を下ろしたフェン上校は、傍らのレン上尉に訊ねた。
「間違いありません。わずかですが、赤外放射があります」
興奮しているのか、早口でレン上尉が答える。
フェン上校は肉眼で小さな竹林を見詰めた。わずかな風に、竹の葉が揺らいでいるだけで、竹林の中に動きは見えない。
フェン上校らが乗ってきたBJ2020四輪駆動車は、曲がりくねった小道の脇に駐車していた。国立公園内なので、あたりの植生にはある程度人の手が入っており、風景は美しい。前方に見える竹林も後ろにある岩山のせいか、一幅の水墨画を思わせる佇まいで、青竹のあいだから唐代の詩人あたりがひょっこりと顔を出してもおかしくないような雰囲気を漂わせている。
「よし、上尉。決死隊を組織しろ。四、五名でいい」
「え」
レン上尉が、驚いた表情で上官を見詰めた。
「聞こえなかったのか。決死隊を、組織するんだ」
あえて事務的な口調を保って、フェン上校は言った。
スパイロボットが、捕獲を拒むのは確実である。おそらく、自爆するだろう。だが、あっさりと自爆を許したのではフェン上校の失態だと上から看做されてしまう。ここは、最大限捕獲の努力したのだが、残念ながら自爆を阻止することができなかった、という形を作らねばならない。当然、捕獲を試みた者の中から自爆に巻き込まれた死傷者が出るだろうが、いたし方あるまい。もうすでに、二桁の戦死者が出ているのだ。ここで列兵(二等兵)が何人か死んでも、大差は無い。……中華人民共和国において、人命は重くはないのだ。フェン上校は、決して非情な人間ではないつもりだが、人民武装警察内で生き延びるためには、これしか方法がなかった。
「た、ただちに志願者を募ります」
レン上尉が、慌てたように敬礼して去る。
「上手く行くといいですね」
あまり期待していない口調で、ワン主任が言った。
「車の陰から出ないで下さい。あなたに死なれたら、降格間違いなしだ」
フェン上校は、冗談口調で言った。
「はいはい」
ワン主任が、苦笑しながら身を低くする。
ほどなく、左手の方から五人の青年が歩んできた。全員が、列兵だ。63式自動歩槍を握り締め、へっぴり腰で竹林に向かう。フェン上校は、それを醒めた眼で見つめた。部下の中にいる党のスパイやワン主任が、フェン上校の振る舞いについて報告書を書き、それを『上』に上げることは確実である。ここは泰然と作戦指揮を執っているというところを見せつけておかねばならない。
五人の兵が、竹林の前で立ち止まった。お互い何か相談してから、一人目が63式自動歩槍を手槍のように構え、竹林の中に分け入る。
どん。
いきなり、竹林の中で爆発音が巻き起こった。青竹が、がさがさと揺れ、枯れた竹の葉が竹林の外まで飛び散る。爆風に煽られたのか、それとも単に驚いたのか、二人の兵士が尻餅をつく。
「勿体無い」
ワン主任が、ぼそりと言う。
竹林から、薄灰色の煙が立ち昇った。フェン上校は、おどおどした様子で指示を求めるかのようにこちらを見ている兵士たちに向かい、大きな手振りで竹林の中を調べるように命じた。兵士たちが、なおもへっぴり腰で、竹林の中に入ってゆく。
完全に安全を確保した、という報告をレン上尉から受けてから、フェン上校は副官とワン主任を伴って竹林に分け入った。
爆発は、かなりの威力だったようだ。地面には直径一メートルほどの浅い穴が開き、黒土と竹の地下茎がむき出しになっている。周辺の竹十数本が倒れ、その周りの数十本も一部を割かれて、外向きに折れ曲がっていた。
ロボットの破片が、あたり一面に散らばっていた。銀色の金属片、黒いプラスチック片。ガラス質だろうか、黒曜石か何かのように光沢のある破片も多く目につく。
「上校。部下の方を貸してください。破片を集めます」
ワン主任が、そう言った。
「結構です。復元されるのですな?」
「もちろんです。ロボットなど、結局は部品の寄せ集めです。復元できれば、おおよその機能は解明できる。面白い挑戦になりそうです」
微笑みながら、ワン主任が続けた。
……ま、やるだけのことはやった。とりあえず、降格されることはあるまい。
安堵したフェン上校は、レン上尉を呼ぶとワン主任のために人手を集めるように指示を出した。
人民武装警察は、中国の準軍隊である。総兵力は公式発表されていないが、百万を確実に上回っていることは確実な巨大組織である。
その任務は多岐にわたるが、主たるものは治安維持と国境警備、そして要人や重要施設の警護である。行政上では、人民警察を監督する共和国公安部の傘下にあるが、人民解放軍を指揮する共産党中央軍事委員会の管轄下にも属している。要するに、中国共産党の『私兵』と看做してもいい組織である。『国内治安維持のための組織』として日本の警視庁機動隊などと同一視する向きもあるが、これは明白に間違いである。
フェン・チャンファ武警上校は、ナンチャン市西郊にある中国机器人技術有限公司ナンチャン工場内のとある部屋で、副官のチャン武警中尉とともにワン主任を待っていた。ちなみに、人民武装警察の階級は人民解放軍とほぼ同じで、頭に『武警』の字がつくだけである。
アメリカの物と思われるスパイロボットが自爆してから、すでに三日が経っている。ちなみに、この件に関してアメリカ側の反応は皆無である。もちろん、中国政府もアメリカ側を問い質すような行為はいっさい行っていない。
「お待たせしました。どうぞ」
扉が開き、ワン主任が無造作な手招きでフェンとチャンに部屋を出るように促す。フェン上校は素直に従った。不躾とも思える彼の振る舞いに悪気がないことは、すでに承知している。
ワン主任の後ろには、小柄な女性の姿があった。地味なビジネススーツに身を包んだ、まだ若い女性だ。なかなかの色白美人である。……ワン主任の部下だろうか。
「ご紹介します。ウー中校です」
素っ気なく、ワン主任が女性の名を教えてくれる。
「ウーです。総参謀部第二部から参りました」
女性……ウー中校が、礼儀正しく一礼した。
アリシア・ウーか!
フェン・チャンファ武警上校は、驚きに眼を見開いた。第二部のアリシア・ウー中校といったら、フェン上校でも……名前だけは……知っている有名人である。第二部長カオ少将直属の部下で、かなり以前から諜報分野では活躍しているという噂がある。アリシアという名前も、敵対するCIAから識別用に付与された『暗号名』で、本人がそれを気に入って通称に使っている、という話を聞いた覚えがあった。
「フェン武警上校です。こちらは副官のチャン武警中尉」
フェン上校は丁寧に挨拶した。階級は二階級もこちらが上だが、相手は人民解放軍総参謀部第二部……いわゆる軍情報部に属するエリートである。組織が違うとは言え、下級者扱いするのは危険だ。
……しかし参ったな。第二部まで出張って来るとは。
ワン主任に案内され、アリシアの後について地下への階段を下りながら、フェン上校は内心で愚痴った。ただでさえ今回の任務には、人民武装警察の他に人民警察、人民解放軍、科学技術部、公安部、そしてもちろん党と様々な組織が関わっているのだ。さらに参謀部第二部まで出張ってきたとなると、調整役のフェン上校の仕事は余計にややこしくなる。
「少しお待ちを」
スチールの扉の前で、ワン主任が一同を止まらせた。壁のキーパッドを操作し、扉のロックを外す。
「どうぞ」
ワン主任が、三人を部屋の中へ招じ入れた。床はビニールタイル張りで、壁はくすんだ緑色のペンキが塗られただけの、広いが殺風景な部屋であった。中央に置かれた巨大な金属製のテーブルの上に、白いシートが広げられており、そこには自爆したスパイロボットの破片が整然と並べられていた。四人の入室を見て、待機していた白衣姿の研究員三人が、有能なホテル従業員のような態度で目礼しつつ静かに壁際に退く。
「推定ですが、全質量の99パーセント程度は回収できました。復元も、できる限り済ませました」
テーブルに歩み寄りながら、ワン主任が説明する。
「やはりアメリカのものでしたか?」
アリシアが、訊く。可愛らしい見た目とは違う、低い声だ。
「いいえ」
薄く笑いながら、ワン主任が答える。
「生産国を特定できた部品はいくつかありましたが、アメリカ製は皆無でした。ほとんどは、ヨーロッパと日本の製品。我が国の部品さえ、ありましたよ。詳細は、これをどうぞ」
テーブルの隅に置いてあったステープラー留めの薄い紙束を、ワン主任がフェン上校とアリシアに渡す。
「推定性能も記載してあります。一番の特徴は、光学迷彩機能でしょう。上校の部下が、急に姿を見失ったと報告していることからも、裏付けられます」
「光学迷彩。具体的に、どのような仕組みですか?」
アリシアが訊く。
「こういうことです」
ワン主任が合図すると、研究員の一人がノートパソコンを持って歩んできた。受け取ったワン主任が、画面をフェンらが見えるように向けて、テーブルの上に置く。
画面には、部屋の一部が映っていた。ディスプレイ部分が、素通しのガラスか何かのようになって、向こう側が透けて見えているような感じだ。ワン主任が、ディスプレイの裏側に手を入れる。ディスプレイには、その手が映し出された。
「カメラとディスプレイを使った、簡単なトリックですね」
「これは……奇妙ですな」
フェン上校は素直に感想を述べた。
「我が国で、同じ物が造れますか?」
スパイロボットの残骸を指し示しながら、アリシアが訊いた。
「似たような物は造れます。有機ELは韓国から輸入すればいいし、カメラは日本人から買えばいい。ハードウェア的には、それほど高度なものではありません。むしろ肝は、ソフトウェアでしょうね。人間の眼は……電子の眼もそうですが、『動き』の有るものには敏感に反応します。静止状態ならば、このような光学迷彩は簡単な処理で済ませられますが、動いている物体が姿を消すには、ディスプレイの表示と背景が完全に同期一致していなければなりません。少しでもずれていれば、『眼』はそれを動きと捉えてしまいますからね。却って目立つことにもなりかねない。電子処理する以上、わずかでもタイムラグが発生します。これを克服するには、物体の運動を先読みする形で随時ディスプレイの映像を更新してゆく必要があります。この処理は、かなり困難です。……では、本題に入りましょうか。復元の結果、このロボットは大容量データカセットのスロットを一ヶ所取り付けていたことが判明しました。しかしながら、破片の中にデータカセットの一部と推定されるものは、皆無でした」
「最初から取り付けていなかったのでは?」
アリシアが、言う。
「そうでしょうか? 敵地に乗り込む以上、フル装備で来るのが常識でしょう。もともとあったスロットに装着するのですから、無駄な容積は取りませんし、重量的にもたいしたことはない。付けていた、と考える方が自然です」
「何か別なものを入れていたのではないかな?」
フェン上校はそう言ってみた、電子技術関連には疎いが、そのような可能性もあり得るだろう。
「それならば、別なものの破片が見つかるはずですが、そんなものはありませんでした」
ワン主任が、首を振る。
「どのようなデータカセットが装着してあったとお考えですか?」
アリシアが、訊く。
「大きさからして容量五百ギガバイト程度、と思われます」
ワン主任の答えに、アリシアがわずかに唸る。
「ちょっと待ってくれ。五百ギガバイトというと……どの程度のデータが入るのかね?」
「そうですね。中程度の画質の映像データならば、ざっと二百時間以上ですか」
フェン上校の質問に、ワン主任がさらっと答える。
「つまり、ワン工程師はこのロボットが、自らの意思でデータカセットを外し、どこかに隠したとお考えなのですね?」
「そうです。理論的帰結は、そうなります」
アリシアの問いに、ワン主任が満足げにうなずく。
「なんと……」
フェン上校は絶句した。二百時間も動画を保存できるデータ容量なら、スパイロボットが収集した主な機密情報をすべて入れることも可能だろう。もしそれが、アメリカ側の手に渡ったならば……。
「幸い、奴が歩き回った地域は特定されていますし、現在も封鎖されています。徹底的に捜索すれば、見つけられるでしょう」
ワン主任が、言う。
「しかし、簡単には見つからないでしょう」
フェン上校はそう言った。二千名を越える捜索陣を翻弄した手際からして、このロボットの知能が高かったことは疑いようのない事実である。データカセットの隠匿にも、その知能が活かされたはずだ。草むらに押し込んだりするような、幼稚な隠しかたはしていないだろう。
「上校。我々は中国人ですよ」
フェン上校の顔を見上げて、アリシアが笑った。可愛い笑顔だったが、目尻には皺が寄っており、フェンは思ったよりもアリシアが歳を喰っていることに気付いた。
「中国人……ですか」
「中国人の得意技。人海戦術でいきましょう。すぐに、上に報告を上げます。上校の指揮下に、第2か第181武警師団からの応援を入れるように、進言しておきましょう。わたしの考えでは、アメリカはこのデータを回収するために何らかの手を打ってくるはずです。その前に、なんとしても我々が回収しなければなりません」
きっぱりと、アリシアが言った。
第二話をお届けします。




