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眠りに就く時間

作者: 竹仲法順

     *

 あたしも毎晩、結構遅い時間帯まで起きている。日付が一つ変わり、午前零時や一時過ぎまで起きていることが多い。普段会社に勤めているのだが、寝不足で眠気を催すことがある。午前八時四十五分頃に出勤してくると、自分のデスクに置いてあるノートパソコンの電源を入れ、立ち上がる合間にオフィスの隅にセットしてあるコーヒーメーカーでコーヒーを一杯淹れて飲む。眠気はそれで取れるのだった。そしてメールボックスに来ている新着メールをチェックし、新しい一日が始まるのだ。

「谷岡君」

「はい」

「午後の会議で使う書類、準備してくれる?」

「分かりました。すぐにまとめます」

 会社というのは案外簡単に動くのだ。あたしも違和感はなかった。一日中オフィスに詰めているから、多少息苦しいことはある。だけどフロアにいて感じるのはその程度のことだ。慣れれば何ともない。常にマシーンのキーを叩き、上役が使うものを作り続けるのである。あたしに声を掛けてきた上役の木崎はワンフロアの主任で、あたしたち部下を見張り続けるのが仕事である。木崎は会議等に欠かさず出席するのだが、縁の下の力持ちであるあたしたちの力の方が大きくて、本音で言えばやっていることはそう大したことじゃない。

     *

 その日もお昼前まで業務に勤しんだ。いくら地方都市のビルのワンフロアを借り受けて営業する一企業でも利益はある程度出ている。それに別会社から転職先に選んだ人間も大勢いた。東京や大阪など大都市圏に大きな自社ビルを持つ企業とは違って小所帯だ。だけど、年々着実に力を付けつつある。現に近いうちに上場する話も出ていた。

 お昼になり、ランチを食べに会社近くのランチ店に行った。<ポルガーネ>は昼時混む。正午に行っても席がない場合があって、待たされる。でも行き慣れた店がいいのだ。あたしもオフィスに詰めているときはずっとパソコンのキーを叩く。最近、社全体が一斉に新しいOSのパソコンに切り替わった。使い慣れるまでが大変だ。だけど古いマシーンよりも作業しやすくなったのは事実である。スピードも速いのだし。

 席が空き、テーブルの椅子に座って、やってきたウエイターに日替わりを頼む。今日のメインは鳥の唐揚げだった。好物である。唐揚げにライスと生野菜のサラダ、それとホットコーヒーが一杯付いて千円とちょっとだった。安い値段で好きなものを食べられるので、それに越したことはない。

 ちょうど二十分ほど待たされ、料理がテーブルに届いた。あたしも食欲は旺盛だ。秋の終わりで冬に突入する前だが、食事はかなり行ける。箸を付けながら、持ってきていたスマホを見ていた。<ながら>が多いのだが、別にいいと思う。会社では勤務時間中にケータイやスマホは使えないので、食事時が一番だった。

 一通り食事を取り終わり、スマホを見ているとメールが入ってくる。恋人の裕也(ゆうや)からだった。開いて読み始める。<お仕事お疲れ様。今夜、俺の部屋に来ない?午後九時ぐらいだったら帰り着いてるから。待ってるよ。じゃあまたね>と打ってあった。返信用フォームを作り<分かった。午後九時に来るわ。待ってて。じゃあまた>と端的に打って返す。返信されたことを確認して、飲み残していたコーヒーを飲み、席を立って歩き出す。さすがに外の風は冷える。秋が終わるのを実感していた。社へと戻りながら、今夜裕也と会えるのを楽しみにしていたのである。午後もずっとパソコンのキーを叩き続けながら、彼のことを想っていた。愛しい人と会えればきついことも半減するのだ。それが恋愛の効果だろう。

     *

 あっという間に一日の仕事が終わり、残業をこなして午後六時半過ぎにオフィスを出、いったん自宅へと戻った。そして外出着に着替え、香水を降り直し、髪の毛に軽くスタイリング剤を付けて必携品が入ったバッグを持つ。部屋のキーを持ち、自室を出る。特に気に掛かることはなかった。単に冷えるなというだけで。

 裕也の自宅マンションはあたしの部屋から歩いて二十分ぐらいの場所にある。いつも週末は通っていた。いわゆる休日同棲というやつである。籍こそ入れてないにしても、結婚しているようなものだった。歩きながら考え続ける。裕也は今夜、どんなことを言い出すだろうなと思って。

 マンションに着き、外から三階を見上げる。すでに三〇五号室には灯りが灯っていた。すぐにマンション出入り口で五桁の暗証番号を入力して、正面のエントランスを開き、入っていく。三階までエレベーターに乗り込んでから行った。階段を使ってもよかったのだが、エレベーターの方が楽だったからあえてそっちを選ぶ。

 三階フロアから三〇五号室まで歩く。ゆっくりと歩を進めた。仕事ばかりだと倦怠を覚える。それが三十代の女性社員の現実だ。ずっと職場で単純作業のようなものばかりしているので、なかなか思う通りには行かない。だけどこんな冷える夜は寄り添って温めてもらいたい。同年代同士で知り合ったきっかけは些細なことだったが、別に構わなかった。今、ちゃんと愛し合えているので。

     *

 玄関先で呼び鈴を押す。中から「はい」と言う声が聞こえてきて、彼が出てきたようだ。あたしも軽く一呼吸し、裕也の顔が見えるのを待ち続けた。扉が開き、

「ああ、絵美。いらっしゃい」

 と言って、笑顔の彼が出てくる。こんな夜もちょっとドキドキするのだが、愛する人と一緒にいられれば、その興奮も極自然だろう。ゆっくりと室内へ入っていった。

「ビール飲む?アルコールフリーだけど、冷えてるから喉越しいいよ」

「ええ、いただくわ」

 部屋は綺麗に片付いていた。あたしも奥へと歩き出す。裕也は結構綺麗好きだ。リビングのテーブルにノートパソコンが一台置いてあって立ち上げてあり、どうやら作業中のようだった。いろんなデータなどを打ち込んでいる最中だったらしい。それを見て、

「裕也、仕事中なの?」

 と訊いてみた。彼がキッチンから出てきて、冷えた缶ビールを二本手に取り、一本を差し出して、

「まあ、まず飲めよ。俺の作業はもう済んでるからな」

 と言ってデータを差し込んでいたフラッシュメモリに落とし、マシーンをシャットダウンして、ビール缶のプルトップを捻り開け、口を付けて呷った。アルコールフリーだから酔わない。ベッドサイドのテーブルに缶を置き、どちらからともなくベッドに入り込んで交わり始める。互いに感じる部分に愛撫を繰り出し、性交し合った。愛し合えることは男女どっちにとっても尊い。やはり人間の愛に勝るものはないだろう。何度も口付け合い、愛し合った。

 やがて達する。ゆっくりと微妙にズレる時を経て、昇り詰めた。そしてしばらくの間、互いに半裸のままで寝物語する。ベッドの上にいて語り出した。いろんなことを。硬い話から、柔らかなそれまで取り混ぜて。

「絵美」

「何?」

「会社でもいろいろあるんだろ?」

「ええ。……でも慣れればそうでもないわよ。逆に楽しめるぐらい」

 思わず笑ってしまった。裕也も笑みをこぼしながら、

「会社なんてその程度だろ?俺も気が楽だよ。別に与えられた仕事こなすだけだし、嫌なヤツとは話さなければ済むしな」

 と言って、サイドテーブルに置いていたビール缶を手に取り、残りを飲み干した。そしてバスタブにお湯を張るため、バスルームへと向かう。これから混浴するのだ。別に抵抗はない。いや、返って一緒に温かいお風呂に入れることで気が紛れるのだった。あたしも女性だが、顔や体に脂が浮いたりしている。ゆっくりと入浴するつもりでいた。

     *

 一緒に入浴し、髪や体を洗い合った。シャンプーやコンディショナー、それにボディーソープの香りが残り香となって辺りに漂う。熱も幾分こもっていた。別に気にはならない。好きな人の発したものだからだ。バスタオルを貸してもらい、体に付いていた水分を拭き取る。そしてリビングへと歩き始めた。

「絵美、今夜は泊っていけよ。ゆっくりさ」

「うん、そうするつもり。あたしも準備してきたから」

 化粧水や乳液なども持ってきていた。三十代ともなると、肌には結構気を遣う。着実に保水力などが失われるからだ。特にこの季節は乾燥肌になりやすい。あたしも気に掛けているのだった。年齢に勝てない。年々こういったものが必要となりつつある。まあ、些細なことだったが……。

 その夜も肌に化粧水などを塗った後、ベッドに潜り込む。さすがに一度ベッドに入ると幾分眠気が差す。だけど決まって眠れない。やはり起きておくのだった。結構遅い時間まで起きていて、日付が一つ変わり、午前零時や一時過ぎまで眠りに就けない。その夜は裕也と語り合った。明け方までじゃなかったのだが、幾分遅めの時間帯まで。

 ちょうど彼が黙り込んでしまった後、いつもセットして枕元に置いているアラーム時計を見ると、午前三時過ぎだった。真夜中である。さすがにこの時間はまずいと思い、枕に顔を埋めた。明日は寝不足で辛いだろうなと思いながら……。だけど別に構わなかった。ゆっくりと朝まで就寝する。夢を何度か見ながら。そして結局熟睡できないまま……。

 朝になると、裕也が起き出していた。気が付けば、いつの間にか午前七時を回っていることを知り、跳ね起きる。彼が、

「絵美、コーヒー淹れたよ。飲むだろ?」

 と言ってきた。頷き、淹れてくれていたコーヒーのカップに口を付ける。苦かった。だけど、これがコーヒーの味だ。ゆっくりと啜り取る。ブラックのままで。

「今日も仕事頑張ろうな」

「ええ。……また泊りに来るから」

「ああ。いつでも来いよ。俺も部屋貸すし」

「ありがとう」

 それからまた新たな一日が始まった。互いに慌ただしく出勤していく。体のだるさを引き摺ったような形で。お互い部屋を出る。あたしも自宅マンションにカバンを取りに行った。業務に必要な書類や、データの詰まったフラッシュメモリなどを置きっ放しにしていたからだ。そしてそれらを持ち、出勤する。通常の出勤時間には間に合いそうだった。ギリギリセーフで。

                                 (了)


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