世界の声
芙蓉華仙の朱槍が唸りをあげて空気を裂く。
上から下へ鋭く振り降ろし、地面についた刃先を支点にからだを回転させて強烈な回し蹴りを放つ。
さらに魚蓮によって集められた水の塊が、限界まで圧縮されて弾丸のごとく対象に向っていった。
しかし、そのすべての攻撃が当たらなかった。
「そろそろ疲れねえ?」
赤い髪の男がぼやいた。
額には黒い2本の角。今まで具現化していたゆがみたちと違って、極端にいびつな形をしていない。
人型の妖怪だった。
芙蓉は男の言葉を鼻で笑うと、さらに魚蓮に力を込めて水気を集めた。
「お前を倒し、ゆがみを正し、予定調和を図ることこそ我が使命。疲労など感じません」
「いや、それ絶対おかしいから。仙人ったって元は人間だからな。腹も減るし、疲れもするし、眠くなる」
「そのような欲求は些末なこと!」
「いやいや、かなり大事だと思うぜ」
言葉の応酬のあいまに、凄まじい速さで攻防が行われる。
芙蓉が一方的に攻めていたが、男はそのすべてを避けきって一度も反撃しなかった。
芙蓉華仙が洛陽の西にたどり着いたとき、そこには妖怪の巣はなかった。
かわりに巣に匹敵するほどの、ゆがみを内包した魂を持つ妖怪が立っていたのだ。
それが目の前の青年である。
青年は己を「虚」と名乗り、芙蓉に対して撤退するように言った。
いわく「俺の方が強いし。勝ったら敗者は死ぬだろ」と。
その言葉に使命第一の真面目な芙蓉が応えるはずもなく、攻撃で持って返答に代えた。
そして両者はかれこれ半日は戦い続けている。
虚の発言に反発した芙蓉だが、実際は体力が尽きかけている。
空腹と眠気は戦闘の興奮で感じないが、体力ばかりはどうしようもなかった。
やがて地平線の向こうに太陽が沈むころ、芙蓉華仙は大地に膝をついた。
結局、彼女は青年に一太刀も浴びせることは出来なかった。
疲労のあまり槍を支えにかろうじて倒れ込むのを耐えている芙蓉は、余裕しゃくしゃくとした目の前の妖怪を見た。
ここで初めて芙蓉は妖怪というゆがみではなく、虚という個の存在を認識した。
「お、やっと終わったか。いやぁ、長かった」
「・・・・・・」
何か言い返したいが、口を開くのもおっくうだ。
芙蓉はぶぜんとした表情で言葉の代わりにした。
この妖怪はおかしいことだらけだ。
妖怪はゆがみの権化。ゆがみは世界の陰気。陰気は調和を乱すもの。
平穏や平和といった穏やかなものの対極に位置する暴力の塊のはずなのに、男は最後まで反撃しなかった。
「なぜ?」
「は?なにが?」
「お前は妖怪だというのに変です」
「・・・変って・・・ひどくね?」
傷ついた!と言わんばかりにおおげさな身振りで、虚は天を仰いだ。
芝居がかった口調としぐさに、芙蓉は呆れた視線をやった。
虚は少し考えるように沈黙したあと、言葉を選ぶようにゆっくりと話し出した。
「俺のほかに俺みたいな・・・まあ、変なやつがいるのかは知らない。だけど俺は生まれたときから自分が妖怪だって理解していたし、世界にとってどんな存在かもわかっていた。予定調和のためにお前ら仙界が動いてるのも知ってたし、大陸のあちこちでゆがみが広がってるのも知っている」
「そ、れは・・・」
芙蓉は男の告白に呆然とした。
考える頭を持つ妖怪というだけなら、高密度なゆがみがもたらした副産物かもしれないと思えたが、それだけでは説明がつかない。
「詳しく話してください」
「長くなる。まあ、いつまでも槍に寄りかかってないで座れよ」
虚はどかりと芙蓉の前にあぐらをかいて座りこんだ。
芙蓉も警戒はとかないままに、男の前に腰を下ろす。
「そうだなあ。そもそもお前ら、ゆがみってどこから生まれてるかわかってるか?」
「世界でしょう」
「そうだ。世界だ。世界のなにから生まれてる?」
―――世界の予定調和を乱されることへの不快的な感情。
仙界で学んだことを思い返しながら、芙蓉はそう答えた。
「ああ、そうだ。世界には感情があるんだよ。一個の生き物と考えていい。そいつはこの地上全部のことを見て聞いて、そして感じて、感情や知識を蓄積している。ゆがみはその感情の一部が地上に露出して具現化したもんだ」
虚はすっかり太陽が沈んで、藍色に染まっていく空を見上げた。
芙蓉も同じように見上げてみる。
光の強い星が1つ、2つまたたいていた。
これから夜が訪れて、その星は無数に増え、満天の星空となるだろう。
「この空も見ているというのですか」
「そうそう。で、俺たちは感情から生まれたから形なんてあってないようなもんだ。でもその感情のなかに知識がまじってないと何故言える?知識があるために憂うこともあると何故わからない。ま、つまり俺はそういう世界の知識をほんの少しだけ持ったゆがみってわけだ。ちなみに人間の姿をしてるのは俺の趣味」
「・・・趣味ですか」
「おうよ。世界で一番、不安定で矛盾に満ちてるおもしろい生き物を真似てみた」
胸を張って答える虚に芙蓉は脱力感を感じた。
虚の話が本当なら、この男は巨大なゆがみの塊であるだけでなく、知性と理性を持ち合わせたやっかいな存在ということになる。
それも世界という想像を絶する知識を源泉としたものだ。
「倒せないわけですね」
所詮、仙人といえども世界の枠組みのなかで生きる塵芥のひとつにすぎない。
その世界相手に戦うのは無謀すぎた。
「わかってくれたか!よっし。んで、これからお前はどうすんだ?」
「どうとは?」
「俺のこと倒すのは無理だってわかったろ?でもお前ら仙界にとっちゃ、俺の存在は目障りだしな。どう対応すんだ?」
芙蓉は眉根を寄せた。
芙蓉個人としては、虚と話してみて調和に害があるとは思えないから放置してもいいのではないかと考え始めている。
しかし妖怪はすべからく討伐すべし、と命令を受けている。
例外は認められるのだろうか。
「師匠や上の判断を仰ぎます。私の手にはあまりますので」
「ふぅん。じゃ、決まったらお前が知らせに来てくれよ」
「私が?」
「おう。ほかの仙人がお前みたいに全員話し合いできるような奴らとは思っちゃいねぇからな」
否定できなかった。
芙蓉自身も最初、問答無用で虚に攻撃したのだから。
「わかりました。では数日中には連絡に訪れます。この付近からあまり動かないでください」
「了解りょうかいっと。あ、あとお前の名前知らねぇや。会ったとき呼べないじゃねえか」
芙蓉は軽くうなずいて自己紹介した。
「芙蓉。劉華仙女の弟子、芙蓉華仙です」
「覚えたぜ、芙蓉!またな」
少年のように邪気のない笑顔で虚は手を振った。
芙蓉は苦笑しながら、魚蓮を起動させて天空へ舞い上がる。
そのまま高速で仙界に向った。
3日後、虚という人型の妖怪に手を出すべからず、という命が下った。
望貴人は思案気に首をかしげたが諾と答え、風天子は興味深そうに聞いたあと虚の姿を見に洛陽の西へ飛んだ。
睡蓮は命を聞き流し、ただ武将たちに話しかける毎日を送っていた。