虚(うつほ)の誕生
睡蓮華仙によって扇動された呉軍が、皇甫 嵩率いる連合軍に合流したため、ずいぶん軍の被害は減った。
しかしそれは下界の人間たちが見た場合だけのこと。
世界はゆがみを嫌う。
歴史の正しい道筋から外れると、予定調和の波に戻そうと世界全体の空間をきしませながら不快の感情を表す。
そうした負の感情は、空間のきしみと融合して“妖怪”と呼ばれる異形を作りだすのだ。
仙界は次々と生まれてくる異形のものたちに戦々恐々とした。
討伐するのはたやすい。
己が持つ仙具と道術で倒せばいいのだ。
しかし、それは生半可な力ではなく完全に打ち滅ぼすほどの暴力が必要となる。
そうすると殷と周の戦乱に介入したときのように、地上に仙人たちの人知を超えた力を見せつけることになってしまう。
苦肉の策として、現在地上に降りている3人の仙女と1人の仙人だけに討伐を任せることにした。
これ以上の戦力を下界に下ろすことはできなかったのだ。
命令を受けた芙蓉華仙と望貴人、風天子はすぐさま妖怪討伐を始めた。
出来る限り仙人の力は使わず、己の武力で地道に倒していく。
しかしそれを見ていてなお、睡蓮華仙は動かなかった。
仙界の総意として伝えられた命令にも関わらず、一切を無視したのだ。
さらに呉だけでなく、魏や蜀の名だたる武将たちに接触を始めていた。
芙蓉華仙は妹弟子の所業を諌めるべく、単身で呉に忍び込んだ。
「あれ、芙蓉さん?どうしたんですか?」
勇んで向かった先で、当の睡蓮にのんびりと応対された芙蓉は怒りでめまいを起こしそうだった。
「睡蓮・・・こんなところで何をしているのです。劉華様たちから命を受けたでしょう」
「妖怪退治のこと?芙蓉さんたちがやってるじゃん。私まで出なくてよくないですか~?」
へらりと睡蓮は幼い顔に似合う無邪気な笑みを浮かべた。
「貴方の行動が原因なのです。貴方が動かずにどうしますか!」
芙蓉華仙が激昂するが、睡蓮華仙は逆に気分を害したような表情をした。
「えぇ・・・なんなの。私悪いことひとつもしてないじゃないですか」
「なにを・・・」
罪悪感のかけらもない発言に芙蓉は絶句した。
そのあいだに睡蓮が言い募る。
「だって、歴史だの予定調和だの。それじゃ誰も幸せにならないと思うんです!皆が幸せになるために、私がんばってるんです!」
絶対の自信を持った発言は、睡蓮の頬を染めて内心の感情をよく表していた。
ああ、力に酔ってしまったのか―――芙蓉はぐっと唇をかみしめた。
己の妹弟子の考えを見抜けなかったのが悔しい。
「睡蓮・・・皆が幸せになることは難しい。戦場で多くの命を奪ったお前ならわかるでしょう?彼らにも家族がいた。待っている人がいたんです。その幸せを奪ったのは・・・睡蓮、貴方ですよ」
芙蓉の言葉に、睡蓮はきょとんと目をまたたいた。
「芙蓉さん、なに言ってるんですか?あの兵士たちに家族なんていませんよ」
「・・・え?」
理解できないことを言った睡蓮に芙蓉が問いただそうとしたとき、上空から風天子の声が降ってきた。
見上げても本人の姿はない。
声だけを道術で風に乗せて運んだようだ。
「洛陽から西の方角にゆがみを見つけたよ。妖怪の巣でもあるんじゃないかな・・・けっこう大きい。すぐに向かって!」
芙蓉は手に持った朱槍を握りなおした。
「睡蓮、行きましょう」
「いやです。私にはまだやることがあるんです」
「世界のゆがみを放ってまでやることがあるというのですか!?」
「うん、あります。まだ蜀と魏の人たちと仲良くなってません。皆幸せになるために、皆と仲良くならなくっちゃ」
「睡蓮!いい加減にわけのわからないことを言っていないで・・・」
「いやです!」
睡蓮が叫んだ瞬間、彼女の仙具・天天羽衣が発動した。
芙蓉は飛び下がって羽衣の一撃をかわし、地中から現れた土人形を槍で一閃する。
一刀両断された土人形は、もとの泥へと戻っていった。
しかし土人形はまだ2体残っている。
これ以上時間をかけていては、妖怪の巣と目されているものの拡大を許してしまう。
芙蓉華仙は苦い表情で睡蓮を見た。
「睡蓮。一刻も早く貴方の目が覚めることを願っています」
そして踵を返して走り出した。
芙蓉は懐から己の仙具・魚蓮を取り出す。
丸い透明な球体の中に、砂時計が収まった手のひらほどの道具だ。
芙蓉が力をこめると、中におさまった砂時計が回転し出す。
砂時計の回転にあわせて空気中の水分が凝固し、渦を巻いて芙蓉の周りに集まりだした。
その水流に足をかけて、水圧に任せて天空へ駆け上がる。
そのまま芙蓉の姿は洛陽の方角へ一直線に消えていった。
残された睡蓮は土人形を泥に戻すと、不機嫌そうに唇をとがらせた。
「なんでお助けキャラが説教してくんのよ。意味わかんない・・・」
洛陽の西の平原でひとりの青年がたたずんでいる。
妖怪の巣と思われるゆがみの塊は見当たらず、彼だけが存在してた。
「ふぁあ・・・暇だな」
青年はばりばりと乱暴に自分の赤い髪をかきむしる。
その髪のあいだ・・・ちょうど額の上あたりに2本の角のようなものが見えた。