第2話 願いが交差する場所
◆夢
多分、夢だ。
いつもの夢だってことくらい、
俺にも分かってる。
だけど——今日は違う。
いつものあの「ざわり」とした気配、
背後から刺さる
魔王の視線みたいなものが、
ない。
おそらく魔王との戦いのかなり前の
出来事じゃないか?
そう直感した。
静かだ。
重くて、冷たい空気だけがある。
薄暗い石造りの回廊。
ぽたり、ぽたりと落ちる水の音。
手には錆びかけた剣。
握るたび、皮の柄巻きが
ぎゅっと沈む感触までリアル。
牢—
その前に、小さな影。
長い青い髪。
膝を抱え、静かに座る少女。
魔王の城で見たあの少女だ。
夢なのに、
息をする音まで聞こえそうなくらい、
近い。
少女がゆっくり顔を上げた。
揺れる瞳。
怯えと、なぜか期待のようなもの。
「…あなた…だれ…?」
声は細くて、ぎこちない。
言葉というより、
ひとつひとつ拾って紡いでいる感じ。
—俺は、まだ傍観者。
そして傍観者が見つめる。
アリオンはこたえる—
「僕は、アリオン。」
少女は胸元をそっと押さえ、
小さく繰り返す。
「…アリオン…。」
今度は、自分の胸に手を当てる。
「わたし、ふぃあ。
…だと、おもう。
それ…だけ、おぼえてる。」
やっぱり話すことに慣れてない。
言葉がところどころ千切れる。
アリオンは格子越しに問いかけた。
「ここに、ずっと?」
フィアは少し目を伏せる。
そして、ぽつり。
「ながい…。
だから、
数えるのやめた。」
沈黙。
牢屋の外と中の距離は近いのに、
心の距離だけは
永く凍ってたみたいだった。
フィアが小さく、
勇気を振り絞るみたいに聞く。
「あなた…なに、するひと…?」
アリオンは苦笑しながら剣を持ち上げた。
「“勇者”って呼ばれてる。」
「ゆうしゃ…。」
その響きを大切に噛むように言う。
アリオンは、息を吐くように続けた。
「でも、自信はない…
みんな魔王を倒せとか、
世界を救えとか、
誰も勝手なこと言うけど…」
握る剣が少し震える。
「僕がやってることは、
薬草運んで、
落とし物探して、
井戸直して…
そんなのばっかりだ。」
アイツ情けない話もするんだ。
俺は思う。
夢のせいか場面は止まらない。
「“勇者だ”なんて堂々と言えない。
そんな実力、まだない…」
短い沈黙。
フィアが、小さく息を吸う音。
「でも…ここ…きた。」
「え?」
フィアは鉄格子をそっと触れた。
指先が少し震えている。
「こわい…くらい…
ひとり…いやだった。
でも…あなた、きた。
だから…」
そっと言う。
「わたしの中では…
あなた…ゆうしゃ…」
胸の奥が、ぐっとなる。
言葉遣いは拙いのに—
傍観者俺に刺さる。
アリオンは気づけば
フィアに聞いていた。
「外に出たいか?」
フィアは、
空気を噛むような沈黙のあと—
「…でたい…あおい…
そら…みたい…」
小さく。
でも、迷いはない。
アリオンは錆びたレバーを握り、
力を込めた。
ぎぃ…と
扉が開く。
「僕は強くない!
勇者って言い切れる器でもない!
でも—」
差し伸べた手。
「“空が見たい”って言う
キミひとりくらい、
連れ出せる勇者には、
僕は、なりたい!!」
フィアは、一度俯き、
ほんの少しだけ震える手を伸ばした。
触れた瞬間、冷たい。
でも、その奥に—
暖かさを感じた。
「でも…こわい…」
「僕もだ!」
ふっと、ふたりで小さく笑う。
世界が、柔らかい光に包まれた。
フィアが、かすかに声を落とす。
「…アリオン。」
そして、呼ぶ。
うまくしゃべれないのに今度は、
はっきりと
「…勇者。」
光が弾けるように世界を飲みこんだ。
---
◆現代2025年
「…今日は魔王出てこなかったな。」
目が覚めたばかりの俺は、
いつものように天井を見つめたまま、
ため息を落とす。
夢の残滓が胸の奥にまとわりつく。
特に—あの手の温度。
雨音がする。
そういえば、
東京が梅雨入りしたって
ニュースを昨日見た。
ゴールデンウイーク
から一ヶ月。
連休明けのバタバタも
一段落してきた頃だ。
たぶん雨のせいだ…
起き上がり、カーテンを開ける。
濡れた世界。灰色の空。
梅雨の湿気が、
部屋の空気にべったり張り付いている。
服を着替え、家を出た。
立川駅。
中央線のオレンジのライン。
上にはモノレールの軌道。
雨粒がそこに跳ねて、音が弾む。
ふと、気づいた。
さっきの夢の牢の女の子—
白木先輩に似てたなって。
「おーい!クウマァァァ!
梅雨で溶けて灰になってないかー!」
振り返る前に声でわかる。
有村 茜。アカネ。同期。
恋愛対象にはならないくせに、
何故か必要な存在。
「ムシムシする!
髪終わった!
湿度に負けた!
今日の私は“半分くらい海藻”!」
「黙れ、朝のテンションじゃねえ。」
「じゃあ黙るかわりに
表情で伝えるね(ニコニコニコニコ)」
「悪化してるわ。」
アカネと歩くと、憂鬱が少し薄まる。
会社に着くと、ふわっとした声。
「おはよう…空真くん。」
白木 凪先輩。
青い髪。
薄い色のブラウス。
落ち着いた空気。
言葉の端々が柔らかくて静かで—
癖になる。
そして今日も、
メガネ、ずれてる。
彼女は、PC とホコリ対策で、
資料管理室ではいつもその整った
小さな顔に合わない
ブルーライトメガネをしてる。
「先輩…。」
「あ、え?ずれてた…?
あ、やだもう…」
慌てて直したけど逆にズレた。
俺が指で軽く位置を合わせると、
目を丸くした。
「…ありがと。」
淡い声。
爆発力はないのに
刺さるタイプの破壊力。
座って作業を始めようとした瞬間—
机の引き出しから、古い箱が出てきた。
黒い、フロッピーディスク。
紙のラベルに手書き。
《失われた王国(仮)》
I'M企画書
「…失われた王国?
なんだよこれ。
また化石かよ。」
紙に目を通す。
赤毛の冒険者。
囚われた少女。
魔王の城。
そして魔王。
心臓がひとつ跳ねた。
白木先輩がそっと言う。
「……“まだ完成していない世界”。
そう私が呼んでる企画書よ。
ここには同じような
未完成がいっぱいある。」
胸の奥がざわつく。
そこに—
最悪のタイミングで声。
「おーい資料室。
遊んでる余裕あんの?」
桐谷が来た。
花形の企画部所属。
薄いプライドの塊。
声も態度もとにかく刺さる。
「裏方は裏方らしく、
黙って書類整理でもしてろよ。
—うちは
“世界を作る会社”
なんだからさ。」
その一言だけで、空気が刺さる。
アカネならキレる。
白木先輩なら笑って流す。
俺は—ムカつくけど、言い返せない。
白木先輩が静かに、
しかし真っ直ぐ言った。
「桐谷くん。
裏方がいなければ、
世界の形も残りません。」
桐谷は鼻で笑い、去っていった。
白木先輩は俺の方を見ず、
ただ机に置かれたフロッピーを見つめていた。
沈んだ空気のまま、
しばらく紙を眺めていた。
けれど、視界の端で白木先輩が
そっと立ち上がる。
「…空真くん。」
呼ばれた声は小さいのに、
胸に落ちる音はやけに大きい。
「さっきのこと…気にしないでいいよ。」
「いや…気にしますよ普通。」
返しながら、自分でも気づく。
声が少し荒い。
苛立ちというより—
悔しさだ。
白木先輩は、
一瞬だけ驚いた顔をして、
すぐに柔らかく笑った。
「うん。
気にしていい。
悔しいのも、
腹が立つのも、
ちゃんとした感情だから。」
その笑顔は慰めでも否定でもない。
ただ—寄り添う形。
「でもね。」
先輩は窓の外、
雨で滲んだモノレールの軌道を見た。
「立川駅のあの交差、見える?」
「…はい。」
「軌道と線路、交わらないのに、
ちゃんと
“同じ街を支えてる”
って感じがしない?」
意味がわかるようで、
まだ捉えられない。
白木先輩は続けた。
「役割が違うってだけで。
上とか下とか、
正しいとか間違ってるじゃない。
“支えてる場所が違うだけ”。
そう思ってる。」
ゆっくりとした口調。
だけど、一本の芯が通っている。
それが—白木 凪という人だ。
「空真くんは、裏方に
“落とされた”
って思ってるかもしれないけど…」
そこで先輩は、少しだけ照れたように笑った。
「私は、
“ここに来た人”
だと思ってるよ。」
胸がきゅっと掴まれる。
その瞬間。
「おい。」
背中に落ちる落ち着いた声。
黒瀬さんだった。
無言で机の上のフロッピーと
企画書を指で叩く。
「…それ、もう開いたか。」
「はい…少し。」
黒瀬さんは短く息を吐き、
俺ではなく白木先輩を見る。
「白木、空真。
今日は残業じゃない。
—3人で飯行く。」
え?
「え?なんで俺まで—」
「行くの。」
白木先輩が被せる。
「はい。」
即答してた。
思考より先に返事した。
黒瀬は口角だけで笑い、言う。
「なら決まりだ。
今日みたいな日は—
湿気の多い場所より、
煙のある場所がちょうどいい。」
意味わからないのに、
妙に説得力ある。
いつの間に来ていたのか、
時々冷やかしにやってくる
アカネが横からひょこっと顔を出す。
コイツは、時々資料室でなんかしてる。
まあ、
同じ大学出身、
同じ会社に就職した
同期がいるからだろう。
(でもコイツ忍びの者かよ?)
「え、飲み?飲み?飲み!?
私も参加?私参加?」
黒瀬さんは答える
「お前は帰れ。」
「解散!!!!!!!」
相変わらず雑に明るい。
そのテンポに救われたのか、
胸の重さが少し溶けていく。
白木先輩が準備を始める。
黒瀬が傘を肩に担ぐ。
「空真。」
呼ばれた。
「質問はあとで聞け。
まず——聞け。」
なんだその言い方。
でも言い返せない。
まるで“受け取れ”と言われたみたいだ。
……いや、言われてるのかも。
外へ出る。
雨は相変わらず降っている。
ネオンに濡れた路面が反射して、
街全体がぼんやり光って見える。
立川の駅前。
モノレールがゆっくり走る。
白木先輩が、
雨の音に負けないくらい小さな声で言った。
「空真くん。」
「はい。」
「今夜、ひとつ世界が動くよ。」
意味は、わからない。
でも、胸が—熱くなる。
◆居酒屋「こなから屋」
—1985年の話—
暖簾をくぐると、
雨と炭の匂いが鼻に入った。
昭和の照明は静かで、
外より少し暖かい。
ジョッキが運ばれ、
しばらく雑談したあと—
黒瀬さんが唐突に語り始めた。
---
「…前、赤木との話、したろ。」
俺と白木先輩は自然と黙る。
「1985年だ。
世間は“ファミコン一強”だった。
テレビの中に冒険が生まれた、
あの熱狂期だ。」
黒瀬はグラスを回しながら続けた。
「でも俺たちは違った。
ファミコンじゃなく—
PCを選んだ。」
白木先輩が瞬きする。
黒瀬さんは微笑むというより、
苦味を思い出す表情だった。
---
「理由は単純だ。
ファミコンには“許可”が必要だった。
ブランド力も実績もない会社には、
土俵すらなかった。」
俺は飲みかけのビールを止める。
---
「対してPCは…自由だった。
BASICを叩けば、世界が生成された。
仕様書も、審査も、表現規制もない。
―自由な荒野だった。」
黒瀬さんの声には誇りも寂しさもあった。
---
「だが自由は“責任”だ。
作るものすべて、
言い訳できない現実になる。」
白木先輩が静かに息を吸う。
黒瀬さんは続けた。
---
「売れなきゃ終わる。
だから俺たちが
最初に作ったゲームは—」
一拍置いて、淡々と。
「—脱衣ゲームだった。」
空気が止まった。
白木先輩が目を丸くし 、
俺は言葉を失う。
黒瀬さんは苦笑した。
---
「皮肉だろ?
世界を作りたいって
語ってた俺たちの最初のヒット作が、
アダルトゲームだ。」
ジョッキが机に置かれる音が小さく響く。
---
「売れたよ。
笑えるくらいに。」
だが、そこで初めて黒瀬さんの声が、
少し沈んだ。
---
「…だがその時、赤木は笑ってなかった。」
白木先輩の表情が曇る。
黒瀬さんの語りは続く。
---
「開発は地獄だった。
徹夜、バグ、締切。
“面白いか”じゃな
く“売れるか”が基準。」
俺の胸にチクリと刺さるものがあった。
---
「発売日の夜。
打ち上げでみんな浮かれてた。
『これでうちは生き残れる』
『次はもっと脱がせるぞ』ってな。」
だが黒瀬さんの指先が、
ジョッキの側面をトントンと叩いた。
---
「その輪の外で、赤木は言った。」
黒瀬は静かに口にする。
“売れた。
でも俺は……
世界を作りたいんだよ。
誰かが迷ったときに戻れる場所を。”
白木先輩の息が震えた。
---
「その夜から、赤木は書き始めた。
設定、地図、言語、宗教、魔法体系…
全部だ。」
黒瀬さんはどこも見ずに語る。
「そのときにつけていた
仮のタイトルは
—失われた王国—
舞台は、I’M。
“ここにいる”。
“存在していい”。
…そういう意味だ。」
俺の胸が、痛いほど熱くなった。
---
黒瀬さんがグラスを空にしながら言う。
「だからだ、空真。
あのフロッピーが
“お前の机に落ちた”のは、
偶然じゃない。」
俺は息を止めた。
「世界ってのはな—」
黒瀬は立ち上がり、傘を開いた。
「拾う覚悟のある人間のところに
落ちてくる。」
◆2025年/帰り道
店を出ると、
雨は細く長く降り続けていた。
傘に落ちる水音が、
さっきまでの会話の余韻を
薄く撫でてくる。
空気は少しひんやりしていて、
街の灯りは雨の膜越しに滲んでいた。
黒瀬さんは先に歩き、
足早ではないのに迷いのない歩幅で進む。
俺と白木先輩は自然とその後ろを
並んで歩いた。
モノレールの高架の下に差し掛かる。
雨が鉄骨を打つ音が、
遠い太鼓のように響く。
ふと白木先輩が口を開いた。
「ねぇ、空真くん。」
俺は横を見る。
白木先輩は前を向いたまま、
話し始めた。
「私、前はどこかで
思ってたんだ。」
声は小さいのに、はっきり届く声。
「私たちがいる場所って…
“セカイの端”なんじゃないかって。」
俺は、返事をせず、
耳だけを向ける。
白木先輩は続ける。
「中心には…注目される人がいて。
売上を作る部署があって。
表に立つ仕事って、
すごく華やかで。」
雨粒が傘の端を滑り落ちる音が、
二人の間に落ちた。
「昼間どの部署も
上や下もないって私いったでしょ?
私、今の仕事は好き。
でもそれを、言語化できないのに、
君にアドバイスしてたかも…
でも、今夜…確信できた。」
ゆっくり息を吸うように言葉が続く。
「私たちがいる場所は、
端じゃない。
かといって
中心でもない。
たぶん—」
少し言葉に迷い、照れたように笑う。
「“交差点”なんじゃないかなって。」
空真は聞き返す。
「交差点……?」
白木先輩は頷いた。
「うん。
過去と未来が交わる場所。
誰かの想いが残って、
誰かが受け取る場所。
止まってるみたいでも、
本当は動いている場所。」
言ってから、
彼女は急に照れたように肩をすくめる。
「うわ…言っちゃった。
なんか今日すごい語ってますね、
私。やだ…。」
なぜか敬語が混ざり頬を少し赤くして、
前髪を耳にかける仕草が子供のようだ。
職場で顔に合わない
ブルーライトメガネかけてたら
絶対ずれるやつだけど…
でも、俺はそんなのどうでもよかった。
俺は笑うでもなく、
うまく返すでもなく、
ただ言葉だけ置いた。
「…いや。」
雨音が少しだけ遠くなる。
俺は答える
「刺さりました。」
白木先輩は驚いたように瞬きをし、
それから柔らかく微笑んだ。
その微笑みは嬉しさと安堵が
混ざったような、
静かで温度のある笑顔だった。
少し先を歩いていた黒瀬さんが
時計をちらりと見て、
ぽつりと言う。
「終電だぞ。」
その言葉で現実に戻されたように、
空気が動いた。
白木先輩は空真に向き直る。
「じゃあ、今日はここまで。」
少しの間。
そして優しく、けれど確かに届く声で。
「空真くん。
…あなた、
多分もう止まってないよ。」
俺は息をのみ、答える。
「…そうだったらいいですね。」
白木先輩はにこっと笑い、
「うん。
じゃあ—また明日。交差点で。」
そう言って改札へ向かって歩き出した。
その後ろ姿を見送りながら、
俺は心の中で呟く。
なにも変わっていないようで、
でも確かに何かが動きはじめた。
小さく、小さく。
でも確実に。
—今夜の雨の音が、なぜか心地よかった。
---
——第2話 終——
(※ここから作者より)
第2話まで読んでくださり、ありがとうございます。
物語は、3話以降
夢の中の「勇者アリオンの物語」
2025年のゲーム会社パート
過去のゲーム制作パート
という三つの時間軸を、少しずつ絡めていく構成にする予定です。
当初は今回までのように、黒瀬の語りだけで過去を見せる案も考えていたのですが、
読みやすさを優先して、3話以降は三つの世界を分けて描いていく形にしました。
まだ不慣れな点も多いですが、「ここが気になる」「このキャラが好き/苦手」など、
どんな感想でも今後の参考になります。
少しでも続きが気になったら、ブックマークしてもらえると更新に気づきやすくなります!
よろしければ、次回もお付き合いいただけると嬉しいです。




