8話 新しい世界へ (後編)
◆開発編
■1989年・秋
レジェンズソフト開発フロア
試写室の照明が落ちる。
巨大とまでは言えないが、
それでも普段の14インチブラウン管に比べればずっと大きなモニタが、静かに暗闇の中へ浮かび上がる。
再生ボタンが押される、小さなカチリという音。
そこから先の数分間を、この部屋にいる誰もが、息を呑んだまま見つめることになる。
世界樹。
かつて緑を失いかけていたその巨木が、
今はCD-ROMの中で、風を孕んだ枝葉を思い切り揺らしていた。
アニメーション。
神崎たちビジュアル班が描き起こした線が、光となり風となり、アリオンのマントをはためかせる。
画面の端から端へと流れる、光の粒。
そのひとつひとつに、
これまで出会った人たちの顔がさりげなく
重ねられていることに 気づいた者は、
何人いただろうか。
生バンドで録ったメインテーマが、CDの上で、まるでライブハウスのような厚みで鳴る。
ゆっくりと、
カメラが世界樹の根元から空へと舐め上げていく。
光の柱の中心で、アリオンが剣を構えて走り出す。
足場はもう、大地ではない。
祈りの光と風だけが、
彼を支えていた。
(…行け。)
誰かが心の中で呟いた。
光は、雲を貫き、空を割る。
次の瞬間、画面は切り替わる。
見慣れた地上の色ではない。空に浮かぶ島。
異なる文化、異なる空気。
イーム1のエンディングからイーム2のオープニングへ、そのままシームレスにつながっていく。
アリオンの足が、別の大地を踏みしめる。
“別々の旅”だった1と2が、音楽と光の中で、ひとつの流れとして繋がっていく。
─数分後。
画面が暗転し、小さく「END」の文字が浮かぶ。
誰もすぐには口を開けなかった。
赤木ですら。
沈黙を破ったのは、片桐の乾いた笑い声だった。
「…おいおい。これ、何回見るつもりです?」
赤木が、さっきまでリモコンを握っていた手を見下ろす。
「最低、あと二十回。」
「CDは擦り切れませんけど、リモコンのボタンが先に擦り切れますね。」
誰かが「はは」と笑い、たもとを切ったように拍手が起きる。
神崎は、自分の描いたカットが流れるたびに小さく肩を震わせていた。
「…動いてる。」
ぽつりと漏らす。
「私が紙の上でしか見たことなかった世界樹が、本当に“息してる”みたいに動いる…。」
それは神崎自身の線でもあり、同時にこの何年かのレジェンズソフトの積み重ねそのものでもあった。
試写室の後方で腕を組んでいた黒瀬も、自分の胸の奥が妙に熱いことを自覚していた。
(…やっとだ。)
バラバラだったパーツ。赤木のわがままみたいなこだわりと、サウンド班の野心と、ビジュアル班の夢と、ハマソンの新しい器と。
全部が、この数分の映像に押し込まれている。
(やっと“世界がひとつのかたちになる瞬間”を自分の目で見れた。)
拍手が一巡したところで、赤木が振り返った。
「…もう一回。」
誰も止めなかった。
むしろ
「まだ見足りない」
という顔をしていた。
二度目。
三度目。
光の筋道も、アリオンの足の運びも、
世界樹の葉の揺れも、見るたびに違う表情を
見せる気がする。
CD-ROMは、擦り切れない。
でも、それを再生する手だけは、きっと何度だって疲れるまで動かせる。
そんな未来の光景が、ぼんやりと浮かんだ。
■1989年12月
イームI・II発売前パーティー
全社ミーティング用の小さなホールに、開発も営業も総務も、可能な限りの人員が集められた。
前方には、さっきの試写で使った映像がループ再生されている。
光の柱。空へ飛ぶアリオン。
その下、マイクスタンドの前に赤木が立つ。
「えー…」
珍しく、最初の一言に詰まった。
ざわつきが笑いに変わる。
「こ、こうやってみなさんの前で話すの、そんなに得意じゃないんで。先に謝っておきます。」
かしこまった空気を自分で壊してから、赤木はゆっくりと息を吸った。
「…イーム1を作ったとき、正直、ここまで続くとは思ってませんでした。」
画面の中で、世界樹の葉が揺れる。
「あの頃は、“PCゲームでどこまでやれるか”の実験みたいな気持ちが半分以上で。
このメンツで世界をひとつ作って、それを遊んでもらえたらそれだけで十分だって思ってました。」
ホールのあちこちで、古参メンバーが懐かしそうに笑う。
「でも―イーム1を遊んでくれた人たちから、たくさん手紙をもらって。
『この城の上に何があるのか、何度も想像しました』とか、
『世界樹の下で寝落ちした』とか、
『アリオンと一緒に旅している気分になった』とか。」
赤木は、そのときの手紙の束を思い出していた。
「それで欲が出ました。
もっと見せたい。
もっと旅をさせたい。
だからイーム2を作った。
“インフレじゃない続編”なんて訳の分からないことを言いながら、別の大地、別の空を描きました。」
笑いが漏れる。
「イーム2が出たとき、業界の人から『尖ってるね』とか言われて、調子にも乗りました。
…多分、相当乗ってました。」
ホールの後方で、黒瀬が無言で頷く。
片桐も、腕を組んだまま苦笑していた。
「それでイームを作った。
横にも走る。音もガンガン前に出す。
“新しいイーム”をやろうって、みんなで走りました。」
モニターには、今は映っていない3のステージが赤木の脳裏にだけ、鮮烈によみがえる。
「結果として、世間的にはちゃんと評価してもらえた。
でも一方で、『これはイームじゃない』って声も受け取りました。」
そこまで言って、少しだけ言葉を探すように沈黙する。
「…そのとき俺は、たぶん、一番自分にがっかりしました。
“イームはこうあるべきだ”って、自分で決めた型にみんなを押し込めてたんだなって。
それは自尊心の呪いでした。」
ホールの空気が、少しだけ重くなる。
赤木は首を振った。
「サウンドチームは、もっと曲を前に出したがってた。
ビジュアル班は、もっと世界を動かしたがってた。
でも俺は、『それはイームっぽくない』ってどこかで線を引いてた。」
片桐が、浮かない表情で目を伏せる。
神崎は、膝の上で手を握りしめている。
「そんなとき、ハマソンさんから“CD-ROMでイーム1と2を一緒にやりませんか”って話をもらって。」
ホールの端に座るスーツ姿の女性―浜園に、視線が集まる。
浜園は軽く会釈した。
「正直に言います。
あのとき俺は、“大手が儲けのためにうちのキャラを使いたがってる”って勝手に決めつけてました。
イーム1と2は別々の旅だ、一本にしたらウソになる―って。」
赤木は頭をかいた。
「でも、それこそが一番のウソでした。俺はイームを守ってたんじゃない。“俺のイーム像”
を守ってただけだった。」
ホールに静かなざわめきが走る。
赤木は、モニタに映る光の柱を振り返る。
「イーム1で世界樹の下から始まった祈りは、プレイヤーに届いて、イーム2という別の大地を生んだ。
そして今、CDの上でそのふたつが一本の光でつながっている。」
再生されている映像の中で、アリオンが光の中を駆け抜け、空の島へと消えていく。
「それはもう、俺ひとりの祈りじゃない。
ここにいるみんなの祈りでできた、ひとつの世界だ。」
赤木は、深々と頭を下げた。
「イームは、みんなで作った作品なのに、自分ひとりのものみたいに抱え込んでて、本当に悪かった。
でも見捨てないで、“それでも一緒にやろう”ってついてきてくれてありがとう。」
顔を上げる。
「イームは、これからも続きます。
地上でも、空でも、まだ見ぬ土地でも、アリオンは何度でも立ち上がる。
でも―俺ひとりじゃ絶対に戦えない。
これからも、みんなの祈りと欲張りを、全部ひっくるめて一緒にやらせてください。」
静かな拍手が、ゆっくりと広がっていった。
最初は遠慮がちだったそれが、やがて会場全体を満たす大きな音に変わる。
片桐が立ち上がり、両手を叩きながら笑う。
「今さらですよ。こっちはとっくに覚悟決めてましたから。
赤木さんが倒れたら、こっちが音で引きずり起こして、また前に出してやろうって。」
神崎も立ち上がる。
「イームの世界、まだまだ動き足りないです。
これから先、何本でもアニメ描きますから!」
会場のあちこちで「おう!」「任せろ!」と声が飛ぶ。
その熱の中で、浜園が静かに立ち上がった。
「ひとつ、いいですか。」
スーツの襟を直しながら、マイクに歩み寄る。
「ハマソンの浜園です。今日も、北海道から飛行機で来ました。」
軽い笑いが起きる。
「まず、この作品に関わらせていただいたこと、本当に光栄に思っています。」
浜園は、モニターに映る光る世界樹を見上げた。
「さっき赤木さん、『最初は金の話だと思ってた』っておっしゃいましたよね。」
会場に苦笑が広がる。
「もちろん、私たちはビジネスをしてます。
CD-ROMという新しい媒体でヒットを飛ばしたい。
そこに嘘はありません。」
あえて、隠さず言い切る。
「でも、それだけならイームじゃなくてもよかったんです。
わざわざ、立川まで何度も足を運んで、何度も断られて、それでもしつこく口説く理由にはならない。」
浜園は、少しだけ目を細めた。
「本当のことを言うと―
私は、イーム1の頃から赤木さんたちのファンでした。」
ざわめきが、今度は驚きに変わる。
「限られたリソースの中で、こんな深みのある世界を作ってしまう人たちを、いつか“もっと広い器”に連れて行きたいと思っていた。
今回のCD-ROMの企画は、会社としては“ビジネス的な打算”もあります。
でも個人としては、ただ純粋にアリオンとフィアたちをもう一度動かしたかった。」
浜園は、モニタに映るアリオンの横顔を見る。
「今日のこの映像を見て、確信しました。
1+1は2じゃなかった。
桁が違いました。
イーム1と2。そこに御社のサウンドとビジュアル、私たちのハードとメディアが乗った結果―
今、ここにいるアリオンは、私が初めて画面で見たときよりもずっと“生きて”います。」
その言葉は、決してお世辞ではなかった。
会場の空気が、じわりと温度を上げる。
「これから、イームI&IIは伝説の一本になるでしょう。
…と、
ビジネス的な読みとしてもそう思っています。」
そこで、浜園は少しだけ表情を崩した。
「でも、私が本当に嬉しいのは、
“自分がファンだった作品が、そのまま死なずに次のステージへ行った”その瞬間に立ち会えたことです。」
赤木が、小さく頭を下げる。
「こちらこそ。ちっちゃい王様みたいに意地張ってて、本当にすみませんでした。」
「王様がいなきゃ、国は始まりませんから。」
浜園は、少しだけ悪戯っぽく笑う。
「でもこれからは、“王様ひとりの国”じゃないってちゃんと分かってくださったようなので。
安心して、CD-ROMの上で暴れてもらえます。」
拍手。
笑い。
誰かが
「よしやるぞー!」
と叫び、
それに「おー!」
と応える声が重なる。
その中心で、赤木はふと黒瀬の方を見た。
「…なあ、黒瀬。」
「はい。」
「俺たち、世界をひとつにしちまったな。」
黒瀬は、静かに笑った。
「まだ“ひとつ目”ですよ。
これから先も、何回だってやりましょう。
アリオンがどこに行っても、“ちゃんと帰って来られる場所”を作り続ければいいんです。」
赤木は、大きく頷いた。
「そうだな。世界樹の下でも、
空の島でも、どこの街角でも。あいつが剣構えたら、ちゃんと“イームだ”って分かる世界をこれからもみんなで作ろう。」
その言葉に、再び拍手が起きた。
■1989年12月21日
─のちに。
PCエンジン版『イームI&II』は、「CD-ROM黎明期の伝説」と呼ばれる一本になる。
世界樹の下から空の島へと続くあの数分間のアニメーションは、
多くのプレイヤーにとって“ゲーム史の中で忘れられない光景”として語り継がれることになる。
けれどこの日、立川の小さなホールで拍手と笑い声に包まれていた赤木たちは、
まだその未来を知らない。
ただひとつ、確かに知っていたのは―
世界はひとりでは作れない。でも、祈り合う仲間がいれば、いくらでも何度でも作り直せる。
その当たり前で、けれど尊い事実だけだった。
「―そして祈りは、別の時代へと受け継がれていく。」
まだ立川にはモノレールは走っていない。
中央線のまっすぐなレールが何処までも、どこまでも伸びていた。
夢編・現在編・未来編も一旦区切りを迎えました。
ただ、それは新しい冒険の始まりの予感。。。
次回は新しい冒険への誘いが語られます。
12/23(火)夜:ひとつ目の旅のエピローグ/新しい旅のプロローグ(予定)
12/24(水)夜:新章に向けての幕間回(予定)
年末年始にかけて、読んでくださった皆さまに少しでも「ほっこり」をお届けできるよう、
ヒロインたちのエピソードも構想中です。もちろん本編の回収も進めます。
お楽しみ下さい。




