8話 新しい世界へ (中編)
◆現代編2025年
■資料管理室─夜
終業チャイムが鳴ってから、
もうだいぶ時間が経っていた。
廊下の蛍光灯は
終了した部署から落とされ、
資料管理室の前だけがぽつんと、
島のように明るい。
俺は、
モニタの前で肩を回した。
「…いたた。」
マウスを握っていた
右手を離し、
指を組んで伸ばす。
ポキポキと鳴る。
関節の音が、
静まり返った部屋に
やけに響いた。
「ほらほら、もうちょっと。
このセリフ回し、今のままだと
“ただのいい人”
で終わっちゃう。」
隣の席から、
有村茜が身を乗り出してきた。
デザインチームのパスケースを
首からぶら下げたまま、
髪をひとつにまとめた
“夜戦モード”だ。
「え、いい人で
終わっちゃダメなの?」
「ダメ。
だってこのキャラ、
クウマが昔
“救われたかった大人”なんでしょ?」
有村は、
自分のタブレットペンで
画面の端をトントン叩く。
そこには、少しくたびれた
コートを着た中年の騎士が
描かれていた。
線画だけなのに、
不思議と“お人好し”感が
にじんでいる。
「“いい人”だけじゃ、
遊んだプレイヤーはきっと
『こんな人世の中にいないよ』
って思う。
でも“弱み”が見えたら、
『いるかもしれない』
くらいまでは近づくんだよ。」
「…デザインだけじゃなくて、
人間観察もやってるんだな、
デザイナーさんは。」
「うん。
コンタクトの度より、
そっちの方がたぶん強い。」
ふふん、
と鼻を鳴らしてから、
有村は椅子の背にもたれ
クルクルと回る。
机の上には、
コピーされた古い企画書が
山のように積まれている。
あの、手書きタイトルが
表紙に踊るファイル―
『失われた王国 開発企画・草案』。
それを俺たちは、
何度も何度も読み返した。
そのたびに、
ページの余白に
小さくメモを書き込み、
「ここ、今ならこう
描けるんじゃない?」
と有村がラフを起こし、
「じゃあ、
このキャラにこういう過去が
あるってどう?」
と俺がストーリーを差し込む。
気づけば、
古い紙の束の横には、
今の彼らが書いたシナリオと
絵コンテの束が
同じくらいの厚さで
積み上がっていた。
「…なあ、有村」
「なに?」
「もしさ。
これ、
誰にも見せる機会
なかったら―」
言いながら、
自分でも卑怯な質問だと思う。
「それでもやる?」
有村は、一瞬だけ黙った。
視線が、
机の上のラフへと落ちる。
描きかけの世界樹。
魔王城。
赤い髪の少年の背中。
「…うん。」
短く、でも迷いなく頷いた。
「やるよ。だってさ―」
有村は、タブレットの
画面に映ったキャラクターを
指でなぞる。
「この子たち、
もう動き出しちゃってるから。」
その言葉が、
何度目かの決定打になった気がする。
俺は、
少しだけ照れくさく笑う。
「じゃあ、やるか。
“誰かに見せるため”
じゃなくて、
“ここから始めるため”に。」
「そうそう。
始まりの場所、って
誰かさんいってたんだって?」
有村が、勘ぐるように
ちらりと部屋の入口を見る。
そこには、
いつものように
白木先輩の席がある。
今は、誰も座っていない。
白木先輩は
ついさっきまで一緒
に仕事をしていたが、
「今日はちゃんと家に帰る」
と言って先に
上がったところだった。
『ここはね、終わりの場所じゃないの。
“始まりの場所”なの。』
あの時、静かな声で
そう語ってくれた
白木先輩の横顔が、
まだ俺の脳裏に
焼き付いている。
(だったら俺も…
ここから何かを
始めていいはずだよな。)
そう思えたからこそ、
今こうして“居残り組”
として机に向かっている。
時計を見ると、
23時を回っていた。
「やば、終電ライン見えてきた。
クウマどうしよ?」
「お前は歩いて
帰れる距離だろ。」
「女の子を
“歩いて帰れる”
で片付けるな、バカ。
治安ナメてんの?」
有村がむくれて見せる。
「じゃあ送るよ。
家までとは言わんけど、
近くまでは。」
「クウマが?
頼りない護衛だなぁ。
家まで送れ!」
「うるさい。
護衛っていうより、
逃げるとき一緒に
走る担当だから。」
「それ、頼れるじゃん。」
二人で笑い合ったところで、
ガラリと資料管理室の
ドアが開いた。
「…あれ、まだいたの。」
白木先輩だった。
青い髪を後ろでゆるく結び、
肩からトートバッグを
さげている。
さっき帰ったと思ったのに、
どうやら一度フロアを出てから
心配になって戻ってきたらしい。
「もうそろそろ閉める時間よ。
最終退出者の名前、
書かないといけないから。」
「すみません、
もうすぐ片づけます。」
俺が慌てて立ち上がる。
白木先輩は、
机の上を一瞥した。
積み上がったコピー用紙。
ペン。
有村のラフ。
俺のシナリオ。
「…がんばってるね。」
短く、
しかしどこか嬉しそうに
目を細める。
「えへへ、
“始まりの場所”って
聞いたから
始めてみようかなって。」
有村が照れ隠しのように笑う。
「そっか。」
白木先輩は頷き、
壁の退出記録表に
自分の名前を書き込んだ。
「じゃあ―
今日の最終退出者は、
私ってことで。」
「え?」
「空真くんと有村さんは、
“残っててもいい組”。」
振り返りながら、
わざといたずらっぽく言う。
「その代わり。
何かあったらすぐ電話して。
私、近所だから。」
「いやいや、
白木先輩こそちゃんと
帰ってくださいよ。」
「帰るわよ。でも、
“ここが始まりの場所”なら、
見届け役も必要でしょ。」
そう言って微笑む白木先輩は、
本当にどこか
女神めいて見えた。
「…あ、そうだ。」
ふと思い出したように、
白木先輩が口を開く。
「黒瀬さんも、
今日は遅くまで
別フロアにいるって言ってた。
“夜の資料室は、若いのが
育つ場所だからな”って。」
「…なんか言い方がホラーなんですけど。」
俺も有村も苦笑する。
「大丈夫大丈夫。
あの人、見た目は
黒仮面だけど、
中身はほぼ賢者だから。」
有村がボソッと付け足す。
「こら。」
白木先輩が小さく笑い、
ドアへ向き直る。
「じゃ、私ほんとに帰るね。
―始まりの夜を、楽しんで。」
そう言い残して、
白木先輩は本当に去って行った。
ドアが閉まる音がして、
部屋に再び静寂が戻る。
窓の外には、立川の夜景。
まだモノレールは走っている。
「…よし。」
俺は、椅子に座り直した。
「始まりの夜らしいからな。
ちゃんと何か形にしよう。」
「オーケー、相棒。」
有村が拳を差し出す。
二人の拳が、
こつんとぶつかった。
俺と有村、そこを中心に
セカイは何回転も
まわっていた。
その夜から、
資料管理室は本当に
“秘密基地”になった。
■濃密な月日
それからの数ヶ月は、
今までの社会人生活で
一番“時間の密度”が高かった。
日中はふつうに
資料管理室の仕事をこなし、
定時が過ぎて人の気配が
減ってくると、
そっと机の間隔を詰める。
白木先輩は、
たいてい一度は
「今日はちゃんと帰る」
と宣言するのだが、
結局は誰よりも遅くまで残って、
二人の背中を
横目で見守っていた。
有村は、
古い企画書に残された
一枚絵をもとに、
今の解像度・今の色感で
新しいラフを次々起こしていく。
「この村、
“世界樹の根元”って
言うにはちょっと
静かすぎるんだよね。」
「じゃあ、
祭りの準備してる最中とかどう?」
「いいね。
世界樹が枯れてるのに
祭り?って
最初は違和感あるけど―」
「“祈りの祭り”なら、
枯れてるからこそ
やる意味がある。」
「そうそう。そういう
“ちょっとズラした”の大事。
普段は、当たり前のことが
崩壊で大切さに気がつく。」
俺は、
有村のラフに合わせて
シナリオを組み立てていく。
会話を書いていると、
自分でも驚くほど
スラスラと言葉が出てきた。
(たぶんこれ、
俺ひとりじゃ絶対
書けなかったな。)
画面の向こう側で、
キャラクターが
勝手に動き出す感覚。
それはかつて、
誰かの作ったゲームを
徹夜で遊んでいたときに感じた“物語の熱”と
よく似ていた。
ある夜。
「…クウマ。」
有村が、
不意に低い声で呼んだ。
いつもの軽口とは
違うトーンだ。
「ん?」
「さっきのこのシーンさ―」
モニタの中央。
魔王城に向かう前夜、
主人公とヒロインが
焚き火を囲むシーン。
「“守る守られる”だけだと、
ちょっと弱いかも。」
「え?」
「この子たちさ、
一緒に前に進みたいんだと
思う。」
有村は、
自分で描いたヒロインの
顔を見つめる。
「だから、
“守ってあげる”じゃなくて、
私も行く”って。」
その言葉が、
なぜか俺の胸のど真ん中に
刺さった。
(あ。今の、なんか…
白木先輩さんじゃなく
有村っぽい。)
昼間の白木先輩の横顔が、
脳裏をかすめる。
『ここに居続けることも、
誰かが前に進むのを
見届けるって意味では、
ちゃんと
“一緒に歩いてる”
のかもしれないでしょ。』
祈る人。
進む人。
どちらも、
“立ち止まっている
わけじゃない”。
「…そうだな。」
俺は、キーボードの上に
指を置き直した。
「じゃあこのセリフ、
“守ってあげたい”
じゃなくて―」
「“一緒に歩きたい”?」
「…“一緒に、
最後まで歩きたい”。」
画面の文字が、
少しだけ重くなる。
有村がゆっくりと頷いた。
「うん。それ、いい。」
そうやって、
一つ一つの言葉と絵を、
二人で何度も
行ったり来たりしながら
選んでいった。
■シナリオ完成
そんな夜が何度か
過ぎたある日のこと。
時計は、すでに23時を
回っていた。
白木先輩は、
珍しく定時で帰った。
「明日朝から会議だから、
今日はちゃんと寝る」
と笑いながら。
資料管理室には、
俺と有村だけ。
「…だいぶ形に
なってきたよね。」
有村が、
プリントアウトされた絵コンテを
ぱらぱらめくりながら言う。
世界樹の根元から始まり、
魔王城を目指し、
“祈るヒロイン”と
“迷いながらも
立ち続ける主人公”が、
何度も転びながら
前に進んでいく。
「うん。あとは―」
俺は、自分のモニタの前に
積まれたシナリオに視線を落とす。
「最後の一歩、かな。」
「ラス前のセリフ?」
「ラス前の“覚悟”。」
キーボードの上で、指が止まる。
「俺、ずっとさ。
“逃げたい”って気持ちと
“終わらせたくない”って
気持ちの間で
ゆらゆらしてたじゃん。」
「うん。
知ってる。」
「でも今は―
“終わらせたくない”方が、
ちょっとだけ、勝ってる。」
有村が、
じっと俺を見る。
からかい半分の笑みは
消えていて、
本当に“人の本音”を
見つめる目になっていた。
「それ、セリフにしちゃえば?」
「え?」
「主人公に言わせちゃえばいい。
『逃げたいけど、
終わらせたくない』って。」
「…そんな情けない勇者いる?」
「いるよ。ここに。」
有村は、
ためらいなく俺を指差した。
「そういうの、
全部“かっこいい風”
にして誤魔化すと、
逆にスベるよ。」
「手厳しいな、お前。」
「褒めてるんだけどな。」
軽口を叩きながらも、
その指摘は核心を突いてくる。
(そうか。
カッコつけなくていいのか。)
俺は、
画面に向き直った。
勇者のセリフ欄に、指を滑らせていく。
『逃げたい。怖い。
でも―ここで終わらせたら、
きっと一生後悔する。』
『だから俺は、
逃げ出さないんじゃない。
“逃げ切れないまま、
みんなとの時間を
終わらせたくない”んだ。』
タイプ音が止んだとき、
部屋はしんと静まり返っていた。
「…よし。」
俺は、
最後のページを
プリントアウトした。
カラカラとプリンタが
鳴る音を聞きながら、
妙な実感が胸にこみ上げてくる。
「終わった?」
有村が、椅子から半分立ち上がる。
「うん。一応全部通った。」
「じゃあ―確認会、する?」
紙を両手で抱えて、
二人は隣同士の席に座り直した。
絵と文章を
照らし合わせながら、
シーンのつなぎ目を確認する。
笑うところ。
泣くところ。
立ち止まるところ。
祈るところ。
どこかで見たようで、
どこにもなかった物語。
「…うん。」
読み終えたとき、
有村がぽつりと言った。
「私、これ好き。」
その一言で、
今までの徹夜と不安が、
一気に救われた気がした。
俺も、
深く息を吐き出す。
「俺も、好きだ。」
それは、
“完璧だ”という意味
ではない。
きっと穴もある。
粗もある。
でも―
(これが、今の俺たちの
“全力”だ。)
「明日、
白木先輩に見せよう。」
俺がそう言うと、
有村は少しだけ
緊張した顔で頷いた。
「うん。
怖いけど、
見せたい。」
■翌日。
昼過ぎ。
資料管理室は、
いつも通りの静かな空気に
包まれていた。
ファイル整理。
過去企画のタグ付け。
他部署からの資料貸出し依頼。
仕事はふつうに回っている。
その隅で、
プリントアウトされた
シナリオと絵コンテの束が
静かに出番を待っていた。
白木先輩が、
自分の席に戻ってきた
タイミングを見計らって、
俺は深呼吸をした。
「し、白木先輩。」
「ん?」
青い髪が、ふわりと揺れる。
「これ―
有村と二人で、
夜こそこそ作ってた
やつなんですけど。」
机の上に、
そっとシナリオと
絵コンテを置く。
「もし、
時間あったらでいいので…一度、
読んでもらえませんか。」
その言葉に、有村先輩も
椅子から立ち上がった。
「わ、わたしからも
お願いします!」
有村もお願いする。
白木先輩は、
二人と原稿に目を移した。
何も言わず、
まずシナリオの
一番上のページを手に取る。
ゆっくりと、
ページをめくり始めた。
世界樹。
魔王城。
赤い髪の少年。
祈る少女。
目線が、
行を追っていく。
時折、
眉がかすかに寄る。
次のページで、
その眉がほどける。
有村が、
隣でごくりと喉を鳴らした。
(うわあああ、
なんか見てるだけで吐きそう…)
俺も、
自分の心臓の音がやたら
大きく響いているのを
感じていた。
二人の視線をよそに、
白木先輩は淡々と読み進める。
シナリオを読み終えると、
すぐさま絵コンテへと
手を伸ばした。
コマ割り。
カメラワーク。
キャラクターのポーズ。
有村の線は、少し荒い。
でも、“動きたい”気持ちが
いたるところから溢れている。
最後のページまで
読み終えた瞬間―
白木先輩は、
すっと席を立った。
「…。」
何も言わずに、
原稿を軽く揃えて
机に置き直し、
資料管理室のドアの方へと
歩き出す。
カツ、カツ、と
ヒールの音が遠ざかる。
「えっ、えっ?」
有村が、
目に見えて狼狽え始めた。
「ちょ、クウマ!
これって、怒ってる?
怒ってるよね?
ふざけたと思われた?」
「ま、待て、
まだ何も言ってないから。」
「なにも言わないのが
一番怖いんだって!」
俺も内心同意しつつ、
とりあえずその場で
固まるしかなかった。
数分後。
ドアが開く音がした。
白木先輩が、
マグカップを三つ
両手に抱えて戻ってきた。
「お待たせ。」
三つとも、
湯気が立っている。
白木先輩は、
俺と有村の机の前に、
それぞれ一つずつ置いた。
「な、なんですか、これ。」
カップの中身は、
真っ黒な液体だった。
「コーヒー。」
「それは見れば
分かりますけど。」
「砂糖もミルクも
入れてません。」
白木先輩は、
にこりと笑った。
「今日のこれは―
私からの卒業証書。」
「……?」
俺と有村は、
同時に首を傾げる。
「資料管理室で
“観察する側”
にいるだけじゃなくて、
ちゃんと
“物語を動かす側”
に足を踏み入れた二人への。」
そう言って、
白木先輩は自分の
マグカップにも手を添えた。
「お子ちゃまだったら、
ブラックはちょっ
と苦いかもしれないけど―
卒業できるかな?」
挑むような、
でもどこか寂しそうな
目をしていた。
この部屋から、
いつか二人が旅立つ日が
来るのをすでに
予感している目。
俺と有村は、
一瞬顔を見合わせた。
「…行く?」
「行くでしょ。」
二人は、
ほぼ同時にカップを持ち上げた。
「かんぱーい。」
カチン、
と控えめにマグがぶつかる音。
一口、流し込む。
「――ッッッ!」
喉の奥が、
思いっきりびっくりした。
苦い。
酸っぱい。
でも、どこか甘さ
の予感もある。
「うっ…!」
「にが……!」
二人が同時に眉をしかめ、
変な顔になった。
その様子を見て、
白木先輩が声を立てて笑う。
「ふふ。
でも、ちゃんと飲めたね。」
「ど、どうにか…。」
「二人とも、もう
“ここだけの子”
じゃないって顔してる。」
白木先輩は、
ゆっくりと自分のカップを
口元に運んだ。
「この企画、
私は“いける”と思う。」
その一言で、
資料管理室の空気が
変わった気がした。
「もちろん、
まだ荒削りなところは
いっぱいあるよ。
でも―
登場人物がね、
ぴょんぴょん動いてるの。」
白木先輩は、
シナリオの束を指で軽く叩く。
「作者の手を離れて、
勝手にしゃべり始めてる文って、
読んでて分かるんだ。」
有村が、
堪えきれず目元をこする。
「よかった…。
ほんとに、よかった…。」
「泣くの早い。」
俺が慌てて
ハンカチを差し出す。
そのとき。
「…お、いい匂い。」
タイミングを測ったかのように、
資料管理室のドアが開いた。
黒瀬さんだった。
ボサボサの髪。
無表情。
よれよれ黒いパーカー。
最近いつもの
“黒仮面スタイル”で、
ひょうひょうと顔を出す。
「お、黒仮面。」
有村が、
涙目のまま容赦ない
あだ名で呼ぶ。
「その呼び名、
いつの間に定着したんだっけ。」
「みんなの総意。」
「嘘つけ。」
言い合いながらも、
黒瀬さんの視線は
すぐに机の上の紙束に
吸い寄せられた。
「…それ、例の?」
白木先輩が頷く。
「はい。この二人が、
夜な夜な資料室で
こそこそやってた“新企画”です。」
「告げ口してたんですか?」
「自慢しただけ。」
黒瀬さんは、
ためらいなくシナリオを
手に取った。
ページをめくる速度は、
速くもなく遅くもなく。
時々、口の端だけがわずかに動く。
最後まで読み終えると、
今度は絵コンテに目を通した。
数分後。
「…とうとうここまで来たか。」
ぽつり、と。
感想にしては、
あまりにも“途中経過を知っている人間”の言い方だった。
「どう、ですか。」
俺が恐る恐る尋ねる。
黒瀬さんは、
二人を交互に見てから言った。
「おそらくイームの現代版再定義。
ただ、荒削り。」
「ですよね…。」
俺と有村の肩が、
同時にしゅんと落ちかける。
だが、その次の言葉が
追いかけてきた。
「有村が絵コンテか。
お前はレベル19の戦士だな。
不器用だか、芯がある。
空真が、シナリオ。
お前はレベル19の僧侶。
しっかりだが、あくまで守り。
でも、
その組み合わせは、強い。
でも、お前らはレベル19の転職前。
やり方しだいで
成功も失敗もありえる。
その言葉の意味
自分たちで考えろ」
(なんとなくわかるけど
あんまりピンとこないな…)
「それとひとつ―
登場人物がぴょんぴょん動いてる。
"二人で”ね。」
白木先輩が
さっき言ったフレーズを、
まるで確認するように繰り返す。
「紙の上で、
作者の都合じゃなく
動きたがってる
キャラがいる企画は、
たいてい“本物”になる。」
「…本物。」
有村が、
その言葉だけを
震える声で繰り返した。
「いこうか。」
黒瀬さんが、
すっと立ち上がる。
「この企画、
ちゃんと“外”に
出すところまで。」
「外って―
コンシューマーの
企画会議ですか?」
俺が目を見開く。
「そこに行くには、
まだ階段いくつかあるけどな。
でもその階段、
俺と白木は
何度も登ってきた。」
黒瀬さんは、
少しだけ口元を緩めた。
「ただし。」
人差し指を一本、立てる。
「二人だけじゃ、
絶対どこかで壁にぶつかる。
だから―
仲間を探せ。」
「仲間。」
「この企画を
もっとずっと先まで
連れていってくれるような奴。
プログラマーでも、
背景でも、
UIでも、なんでもいい。
“このイメージを、
もっと広げてくれる誰か”
を。」
その言葉は、
紛れもなく、
かつて赤木と一緒に
“世界を作った男”
の言葉だった。
「…探します。」
俺は、
無意識に背筋を
伸ばしていた。
「俺、この企画でちゃんと
“外”に出たいです。」
「私も。」
有村も、ぐっと拳を握る。
「こいつとなら、
新しいもの作れる
って思ったんで。」
「おま―」
不意打ちの“相棒宣言”に、
俺の言葉が詰まる。
顔が熱い。
有村の耳も、ほんのり赤い。
「…よし。
じゃあ、とりあえず区切りだ。」
そして黒瀬さんが、
「ご褒美だ。
コーヒーでも奢るか。
ブラックでいいか?」
「ブラック以外で!」
二人の返事が、
見事にハモる。
一瞬の静寂のあと、
資料管理室に
笑い声が広がった。
俺は、
笑いながらも
目頭が少し熱くなるのを
誤魔化せない。
(あれ。
これ、たぶん―
本気で嬉しいときのやつだ。)
「…お前さ。」
黒瀬さんが、
不意に俺の方を見る。
「やっぱりどこか、
赤木に似てるな。」
「え。」
「自分で自分を追い込みながら、
それでも
“終わらせたくない”って顔が。」
その言葉を聞いた瞬間、
俺の喉の奥が
ぎゅっと締まった。
尊敬と、
憧れと、
恐れと。
全部いっぺんに
押し寄せてきて、
うまく言葉にならない。
代わりに、
有村がいつもの調子で
空気を和らげた。
「じゃあ黒瀬さんは、
あの『失われた王国』の
“続き”を
私たちと一緒に見るんだね。」
「そういうことになるな。」
黒瀬さんが、
肩をすくめる。
そのとき、
ふと何かを思い出したように
有村の鼻がひくひく動いた。
「…あのさ。」
「ん?」
「クウマ。」
「なに。」
「最近、風呂入ってる?」
「おい。」
「いや、マジで。
徹夜三日目くらいからさ―」
そこに、
黒瀬さんが横から口を挟んだ。
「俺からも言っとく。
これは業務命令だ。
風呂、入ってこい。」
「え?」
「徹夜四日目の朝の業界人は、
だいたい“
ゲーム開発室の匂い”がする。
空真、有村も。。」
「どんな匂いですか!」
「古い紙とカップ麺と、
あとちょっとした
絶望の香り。」
白木先輩まで吹き出して笑う。
有村は、
顔を真っ赤にしながら言った。
「わ、わたしだって
一応女の子なんだからさ!
こいつのそういうところ、
ちゃんと管理させてよ!」
「聞いたか、空真くん。」
黒瀬さんがニヤリと笑う。
「お前には、
もう“管理してくれる相棒”
がついてる。」
「…はい…」
俺も、
耳まで真っ赤になりながら
頭をかいた。
恥ずかしい。
でも、嫌じゃない。
資料管理室。
静かで、
埃っぽくて、
誰も注目しない
“裏方の部屋”。
でも今は―
ここが、本当に
“始まりの場所”になった。
そう、誰に言われなくても
自分で言い切れる
気がしていた。
そんなやりとりのあと。
黒瀬さんは小さく息を吐いて、
ドアの方へ視線を流した。
(……次は、俺の番か。)
その目が、
ゆっくりと“別の時代”の
開発フロアを見にいく。
まるで、ページをめくるみたいに。
これまで、コメディリリーフだったアカネ。とうとう覚醒してきました。
このあと二人の共闘。白木先輩の応援。
現在編のクウマも、仲間に支えられ新しいステージに行けそうです。
私も、負けないように!
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