第8話 新しい世界へ (前編)
第8話はボリュームがあるため、前編・中編・後編に分けています(内容はひと続きです)
◆夢編
■世界樹が目を覚ますとき
黒い炎と、
砕けた石の匂いがしていた。
魔王の城の最上階。
砕けた床の隙間から、
どす黒い瘴気が
噴き上がっている。
遠くには、
枯れ果てた
世界樹の幹が見えた。
かつては空まで
届いていたという巨木は、
今や灰色の柱のように
静まり返っている。
アリオンは、膝をつきかけていた。
後ろにはフィア。
彼女を庇うように前に立ち、剣を支える。
全身が痛い。
鎧の内側で、呼吸のたびに肋骨が軋む。
(まだ…倒せてない。)
目の前の魔王は、薄く笑っている。
黒いマントが、風もないのにゆらりと揺れる。
「よくここまで来たものだ、
人の子よ。」
ささやくような声なのに、
耳の奥に突き刺さる。
さっきの一撃で、確かに奴の胸元を
斬り裂いたはずだ。
だが、黒い霧がその傷を飲み込み、
何事もなかったようにかき消している。
「その刃は、肉を裂いても“呪い”には届かぬ。
この世界そのものが、既にわたしの一部だ。」
魔王の背後で、
ひび割れた天井から赤黒い稲妻が走る。
世界樹から吸い上げた力が、
城全体を満たしているのが
分かった。
アリオンは歯を食いしばる。
(じゃあ、どうすれば――)
そのとき、
後ろに立つフィアが、
小さく震えた。
青い髪は、
血と埃でところどころ
色を失っている。
それでも、
その瞳だけはまだ、消えていなかった。
彼女は唇を開く。
けれど、魔王の呪いで声は出ない。
喉が、空気を
掴み損ねたみたいに震えるだけだ。
(…そうだ。
“声を奪う呪い”のことを
手下の魔物があざけ
笑って、こういっていた。)
『この娘の声は、
もう二度と届かない。
叫びたいと願えば願うほど、
その祈りは
喉の中で腐っていく。』
冒険の途中彼女は声を失った。
フィアはそれでも、
震える指先でアリオンの手を掴んだ。
そしていま
言葉ではなく、温度で。
“ここにいる”ことを
伝えようとしていた。
今も、同じだった。
震える指が、
アリオンの胸当てをぎゅっと掴む。
助けを求めているんじゃない―
「立って」と、告げている。
アリオンは、
剣に体重を預けるようにして
立ち上がった。
「…まだ、終わってない!」
膝が笑う。
肩も、腕も、痺れかけている。
それでも、足は前に出た。
魔王が、
興味深そうに首を傾げる。
「愚かしい。
何度立ち上がろうと、
結果は変わらぬ。」
アリオンは、薄く笑った。
「変わらなくていいさ
―僕は“立ち続ける役”だ。」
その瞬間、
魔王の周囲の闇がうねり、
無数の黒い槍となって
襲いかかってきた。
防ぎきれない数。
避けられない速度。
アリオンは、
フィアを抱き寄せるようにして
背中でかばい、剣を正面に構えた。
(ここで折れたら、全部終わる。)
世界樹も。
ここまで出会ってきた
人たちの想いも。
そして、近くでたってる
彼女の祈りも。
「…行くぞッ!」
喉の奥から、
声を無理やり引きずり出す。
全身の力を、
たった一振りに込めようとした、その刹那―
光が、降りてきた。
天井に走る
赤黒い稲妻とは違う。
もっと柔らかくて、
あたたかい、
でも芯に熱を持った光。
世界樹の方角から、
細い筋になって差し込んでくる。
最初は一本だけだったそれが、
瞬く間に何本も
何本も重なり合って、
アリオンとフィアを
包み込んだ。
(…これは…)
アリオンの身体から、
痛みが一瞬だけ遠のく。
代わりに、胸の奥が熱くなる。
アリオンが、
はっとした顔をした。
瞳が大きく見開かれ、
喉に手を当てる。
そして―
「ア、アリオン…!」
声が、出た。
自分で驚いたように、
フィアの肩が震える。
かすれてはいるが、確かに届いた。
呪いが発動する前、
彼女が話していた時のような、
少し低めで、澄んだ声。
魔王の瞳が、
ほんのわずかに揺らぐ。
「馬鹿な…
声を封じる呪いは、
世界樹の枯死と結びついている。
その木は、もう―」
「アリオン!」
フィアは、
アリオンの背中越しに叫んだ。
世界が、フィアの口元から
ズームバックして広がる。
喉が焼けるように痛いはずなのに、
その声には迷いがなかった。
「わたし、ここであなたを―」
一瞬、言葉が詰まる。
“守る”と口にしたら、
本当に守れるのか。
自分にそんな力があるのか。
呪いは、
まだ完全には解けていない。
次の瞬間には、
また声が
出なくなるかもしれない。
それでも。
「―守る!だから、祈る!」
叫んだ。
それは、誓いだった。
魔法でも、スキルでもない。
たった一人の人間としての、
決意の声。
世界樹へ。この世界へ。
そして、ただ一人の戦士へ。
フィアは、両手を前に組んだ。
胸の前で、ぎゅっと。
祈りの言葉は、
もう声にならない。
喉はまた、音を失っていく。
でも―今度は違った。
声が消えても、
祈りは消えなかった。
声なんて必要なかった。
光が、変わる。
暖かいだけだった光が、
アリオンの剣の方へ
吸い込まれていく。
セカイからアリオンへ
柄から、腕へ。
腕から、胸へ。
胸から、全身へ。
(これ――フィアの…)
彼女の指先の震えも。
ここまで一緒に歩いてきた道も。
牢の冷たさも。
世界樹の下で見上げた空も。
そしてあの時の抱擁も…
全部まとめて、
一つの“力”になって
剣に流れ込んでくる。
アリオンは、
剣を強く握りしめた。
「ありがとな。」
振り返らなくても、分かる。
背中に、
彼女の聖なる命が触れている。
震えながらも離れない、その温度。
アリオンは、前だけを見た。
「―行くぞ、魔王。」
黒い槍が、一斉に襲いかかる。
アリオンは、一歩踏み出した。
足元の瓦礫が砕ける。
風がうなりを上げる。
光が、剣に宿る。
一太刀で、
闇の槍を薙ぎ払う。
二太刀で、
魔王の放った黒炎を切り裂く。
魔王が、
初めて露骨な焦りを浮かべた。
「ば、馬鹿な…
その刃は、世界そのものを―」
「違う!」
アリオンは、
踏み込みながら叫ぶ。
「世界じゃない。
“この世界を信じてるやつら”
の分だけ、強くなってるだけだ!」
世界樹の幹に、かすかな色が
戻り始めているのが視界の隅に見えた。
フィアの祈りだけじゃない。
ここまで出会ってきた人々。
小さな村で薬草を
分けてくれた老夫婦。
橋のたもとで、
旅人に歌を聴かせていた吟遊詩人。
世界樹の根元で、
枯れ葉を掃き続けていた少年。
―あの世界樹の下で、
枯れた葉に映った幾千の顔。
そして、フィアの祈り
そのすべてが、
今もう一度、
アリオンの背中を押している気がした。
「ここで終わらせる!」
最後の一歩。
地面が砕けるほどの
踏み込みとともに、
アリオンは剣を振り抜いた。
光が、聖なる軌跡になる。
その刃は、
魔王の身体を貫き―
そして、その背後に渦巻いていた巨大な闇ごと、
まっぷたつに裂いた。確かな手応え。
静寂―
一拍置いて、
魔王の身体にひびが入る。
「…これが、祈りの、力…」
皮肉でも嘲笑でもなく、
ただ純粋な驚きのような声。
次の瞬間、
魔王の身体は砕け散った。
黒い粒子となって
宙に舞い上がり、
やがて霧散していく。
重く覆われていた空気が、
少しずつ軽くなっていくのが
分かった。
アリオンは、
肩で息をしながら剣を下ろした。
「…やった、のか?」
背中から、そっと腕が離れる。
振り返ると、フィアがそこにいた。
膝が震えている。
喉に手を当てたまま、
何か言おうとして――
結局、言葉にはならなかった。
言葉にならないのは
呪いのせいじゃないけれど、
その瞳には
はっきりとした光が
宿っている。
アリオンは、微笑んだ。
「もう十分、聞こえたよ。」
彼女の祈りも、叫びも、約束も。
全部、剣が受け取ってくれた。
そのときだった。
ゴウ、と風が吹いた。
二人が振り返ると、
遠くの世界樹に
変化が起きていた。
灰色に枯れていた枝々に、
ゆっくりと色が戻っていく。
まずは、淡い緑。
それがだんだん濃くなって、
新芽が、
枝先から一斉に
芽吹き始める。
乾ききっていた幹に、
水が通る音が
聞こえるような気がした。
そして―
葉が、生まれた。
最初は一枚。
次に十枚。
やがて、数え切れないほど。
風が吹く。
新緑の葉が、
光を受けてきらめきながら
宙に舞い上がる。
舞い上がった葉には、
一枚一枚に人々の姿が映っていた。
小さな村の子どもたち。
旅の途中で出会った商人。
世界樹の根元で眠っていた
精霊たち。
アリオンは、思わず息を飲む。
その中に、見覚えのない
少女の姿も混ざっていた。
赤みの強い茶色の髪が、
風に揺れている。
どこか楽しそうで、
どこか寂しそうな横顔。
(…誰だ?)
見たことのないはずなのに、
なぜか“どこかで会う気がする”
と思わせる顔だった。
でも、今は追いかけない。
ここに映っているのは、
この世界を一度でも
守ろうとした人たちの祈りだと、
アリオンには分かったからだ。
フィアが、そっとアリオンの手を取る。
彼女も葉を見上げていた。
唇が、かすかに動く。
「きれい――」
それでも、
どんな言葉よりもはっきりと伝わってくる。
―「ありがとう」と。
―「よく、帰ってきたね」と。
アリオンは世界樹を見上げた。
さっきまで枯れていた巨木が、
今は、
空へ向けてまっすぐに
枝を伸ばしている。
セカイが、息を吹き返した。
その真下で、
ひとりの戦士とひとりの娘が、
静かに手を握り合う。
まだ、このあとに
何が待っているのかは
知らない。
光が、彼らを
どこへ連れていくのかも。
けれど今だけは、確かに―
**魔王は消え、
世界樹の葉はよみがえり、
二人の祈りは、
ひとつの勝利になっていた。**
魔王が消え、世界樹の葉がよみがえった。
祈りは確かに届いた――はずだった。
けれど次の瞬間、
視界が蛍光灯でしらけ、
音がふっと遠のく。
まるでページをめくられるみたいに。
「……おい、起きろ。落ちるぞ」
——アカネの声だった。
お読みいただきありがとうございます。
夢の世界では、とうとう魔王を倒せました。
……でも、本当にこれで終わりなのか。
そして現代編は、中編で「第一部のクライマックス」へ入っていきます。
明日も連続投稿予定です。
・12/21(日)夜:第8話(中編)
・12/22(月)夜:第8話(後編)
ここまで読んでくれたあなたへ、届く回にします。
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