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第1話 赤毛の三人

追記※5話について

本編1〜4話は、丁寧に導線を描いています。

「まずどんな話か・どんなキャラかだけ知りたい」という方は、

5話の幕間(約2000字のダイジェスト)を先に読んでいただいても大丈夫です。

第一章のまとめ+Wヒロインの雰囲気が分かるおまけになっています。

◆2025年


■五月病?


そんなの他人事だと思ってた。


でも今の俺は、

わりと本気で会社を

辞めたいと思っている。


ゴールデンウィーク

最終日の夜。


退職代行サービスのサイトを

ぼんやり眺めていた俺は、


スマホを伏せた瞬間、

深く眠りに落ちた。


この夢が、俺の現実と、古いRPGと、

そして“誰かの過去”をつなぐことになる。

……そのときの俺は、まだ知らない。


◆夢

■最終戦


多分、夢だ。

俺にもそれくらいは

分かっている。


でも――息をするのを

忘れるくらいには、

あまりにも鮮やかだった。


空が焼けていた。

真っ赤な雲の隙間から、

黒い城が突き立っている。

地面はひび割れ、

溶岩が覗き、

世界そのものが

終わりかけている。


その崩れかけた大地の

いちばん高い場所に、

ひとりの少年が立っていた。


燃えるような赤毛。

旅の砂で汚れたマント。

右手には、血と炎に染まった赤い剣。


【アリオン】


まだ誰も名前を呼んでいないのに、

俺はそうだと知っていた。


少年の前には、

闇が固まったような巨大な影。

揺らぐ輪郭。

翼とも鎧ともつかない黒い塊。


『…来たか、赤毛の勇者』


耳じゃなく、

脳に直接響くような低音。

この世界のすべてから

絞り出したみたいな声。


(ああ、ここが―最終戦だ)


俺はどこか高い場所から、

その光景を見下ろしている。

ふわふわと視点だけが動くのに、

身体は一ミリも動かせない。

コントローラーの刺さってない二P席。

この夢の中での俺の立場は、

ただの傍観者だ。


魔王は楽しそうに笑った。


『震えているな、小僧』


確かに、アリオンの

剣を握る手はかすかに震えている。


「…怖いさ」


かすれた声で、

アリオンは認める。


「逃げたいし、

誰か代わってくれって本気で思ってる。

でも―ここまで来たのは、僕自身だ。

この剣を握ってるのも、僕だ」


『ならば支配されればいい。

痛みも責任も、すべて手放せる』


城の壁に、いくつもの影が浮かぶ。

泣く者、

笑う者、

目の焦点の合っていない者。

みんな鎖に繋がれたみたいに、

黒い城へと飲み込まれていく。


『人の心は脆い。

恐怖を一滴垂らせば折れ、

絶望を一粒落とせば沈む。

楽になりたい者から順番に、

私の中に沈んでいくのだ』


アリオンの腕が、

ほんの少しだけ下がる。

赤い剣に、魔王の影が濃く映る。


(やめろ……)


叫びたいのに、声が出ない。

喉をこれでもかと

震わせているのに、

空気すら揺れない。


代わりに、別の誰かが震えていた。


アリオンのすぐ隣。

腰まで届く長い青い髪。

白いワンピース。

透きとおる青い瞳。


【フィア】


彼女は口を開く。

けれど、声が出ない。

喉を押さえて、

息だけが空回りしている。


(声を奪われてる―?)


それでも、

唇の動きだけははっきり見えた。


―アリオン。

アリオン。アリオン。


音はないのに、

意味だけが頭に流れ込んでくる。

喉を裂かれたみたいな痛みまで、

俺の胸を刺した。


魔王が冷たく告げる。


『その娘に声は戻らぬ。

希望の言葉は、

世界を面倒くさくする。

だから奪った。

お前たちが“絶望だけ”

を見て選ぶようにな』


アリオンの指に血がにじむほど、

剣の柄を握る手に力がこもる。


「…だったら、なおさらだ」


ゆっくりと顔を上げる。

赤い髪が熱風に煽られ、

瞳だけが真っ直ぐ魔王を射抜いた。


「怖いのは、

ちゃんと守りたいものがあるからだ。

全部、まるごと守りたい。

逃げたくなるくらいには、

ちゃんと大事なんだよ」


フィアの瞳がわずかに見開かれる。


『守りたい、か。

その娘か?

この王国か?

それとも―

自分の物語か?』


アリオンは即答する。


「どれか一つなんかじゃない。

全部だ!」


赤い剣が高く掲げられた瞬間、

黒い城の上空で雷鳴が爆ぜた。


魔王の闇が、

巨大な鞭のように振り下ろされる。

世界がきしむ。

空気が潰れる。


アリオンは足を震わせながらも、

一歩も退かない。

その背中を、

声を奪われた少女が見つめている。


―アリオン。

―勇者。

―行かないで。

―負けないで。


声にはならない叫びが、

何度も何度も渦を巻く。


そのときだった。


世界のどこかで、

ぱきん、

と何かが割れる音がした気がした。


フィアの喉を縛っていた

“なにか”

が砕けるイメージが、

意味もなく俺の頭に

流れ込んでくる。


フィアが、

ゆっくりと息を吸い込んだ。

祈る前の、静かな深呼吸。


そして―


「―アリオン!!」


世界のどこまでも届きそうな、

一声だった。


怒鳴り声じゃない。

優しくて、まっすぐで、

それでも迷いなく彼だけを呼ぶ声。


たった一度名前を呼ばれただけで、

闇にヒビが入っていくのが分かった。


魔王の支配する黒が、

音もなく剥がれ落ちていく。


『―なっ』


初めて、魔王の声が揺れた。


アリオンの赤い剣が大きく光る。

その光はフィアの祈りと重なり―


闇とぶつかった瞬間、

世界は光に呑まれた。


真っ白でも真っ黒でもない。

目を閉じても染み込んでくる、

柔らかな光。


(やっぱり、これは―夢だ)


そう思ったところで、

光も音も、遠ざかっていった。


◆2025年

■連休明け


「やっぱ夢か…」


自分の声で目が覚めた。


4月越したばかりなのに、

もう、みなれた天井の白さ。

さっきまでいた城の

てっぺんとはあまりにも違う

安っぽいワンルームの天井。


布団の中で転がりながら、

天井に向かってぼそりと呟く。


「なんで毎回クライマックスから

始まるんだよ…。

これ、シリーズ物の最終回だけ

見せられてる感じなんだけど。」


心臓はまだ忙しく動いている。


右手には、確かに

「何か」

を握っていた感触が残っていた。


今は、空っぽな手なのに。


スマホのアラームが、

二度目の悲鳴をあげた。

画面に表示された時刻を見て、

思わずうめき声が漏れる。


「やば。」


空真そらま 颯真そうま


新卒一年目。

研修が終わって正式配属されてから、

まだ数週間。


そして―

ゴールデンウィークが終わった、

連休明け初日。


布団を蹴飛ばし、

半分寝たまま洗面所へ向かう。


鏡に映るのは、

寝癖まみれの青年。


生まれつきの赤毛を、

近い色の暗めブラウンに染めている。


本当は、もっと明るい赤だ。


でも就活のとき、

「落ち着いた色に」

と言われてしぶしぶ美容室で

色を落とした結果がこれ。


蛍光灯に照らされると、

わずかに赤がにじむ。


(“個性を大事にします”

って会社説明会で言ってたくせにさ……。)


そんな、

しょーもない文句が

頭の隅でぶつぶつ言っている。


シャツにアイロンをあて直し、

ネクタイを結ぶ。


YouTubeで

覚えた結び方を思い出しながら

何度かやり直す。


玄関の鏡で

全身をざっと確認して、

ため息。


「よし。

―行きたくねぇ。」


本音の一言が、口からこぼれる。


画面の隅には、

ブックマークしてある

退職代行サービスのアイコン。


そこをタップすれば、

少なくとも“社会人・空真”は

いったん終わるんだろう。


(押すか押さないかで

人生変わるボタン、

スマホに置くなよな。)


文句を言いつつも、

親指は画面から離れたままだ。


「…行くか。」


ロック画面を閉じて、

玄関を出た。


◆2025年

■東京都立川市


立川駅に着くころには、

通勤ラッシュは一段落していた。


それでもホームには

そこそこの人がいる。


オレンジ色の

中央線が入ってきては出ていき、

その頭上を、モノレールが

静かに走っていく。


地上を一直線に走る中央線と、

空中を橋のように

横切るモノレール。


二本のレールが

立川駅の空で交差している。


下から見上げると、

まるで別々の物語が、

一瞬だけ同じコマに

写り込んだみたいに見えた。


(地上が“今の人生”。

空が“どっかの世界の物語”。

…って考えると、

中二病くさいな。)


自分で考えて、

自分で苦笑する。


でも、

さっきまで見ていた

夢の残像が、

モノレールの軌道と重なるのを

なんとなく止められなかった。


「クウマー!」


けたたましい声が

背中から飛んできた。


振り向くと、

赤茶色の髪を揺らしながら

人混みをかき分けてくる女の子がいる。


有村ありむら あかね


大学の同期で、

いまは同じ会社の同期。


大学の頃から、

みんなが「空真」を読めなくて、

誰かが「クウマ」って

ふざけて呼んだのが

そのまま定着した。


アカネにとって俺は、

ずっと「クウマ」だ。


アカネは朝からテンション高く、


「おはよ、社会人。

連休明け一発目、

ちゃんと人の顔してんじゃん。」


「お前ほど元気な奴の

顔はしてないけどな。」


「当然でしょ。

デザイン部は連休中も

“ネタ集め”

って名目で街を

うろうろしてたから!

仕事してんのか遊んでんのか、

自分でもよく分かんない

ゴールデンウィークだったわ。」


いつもの調子で喋りながら、

モノレールの軌道を見上げる。


「ほら、やっぱいいよね、

この景色。」


「交差点フェチか?」


アカネは一瞬、考える素振りをして、


「だってさ――

あの上の線路が

“まだ形になってない物語”

で、

下の線路が

“もう形になった物語”

って感じしない?」


「昨日寝てない?」


「ちょっとだけ寝た。

連休明ける前だよ。

会社の新作の資料、

読みふけってた。」


深いブラウンの髪を

指でくるくるしながら笑う。

光に透けると、

ほとんど赤茶けて見える。


その様子は、

見ていて純粋に

「いいな」

と思った。


明るくてノリが合って、

一緒にゲームしても楽しくて、


大学の友達に

「付き合えば?」

と何度か聞かれたことがある。


でも、

自分の中ではハッキリしている。


(アカネは

“親友枠”

なんだよな。)


好きか嫌いかで言えば、

間違いなく好き。


ただ、


「隣でゲームしてたい相手」


であって、


「手をつなぎたい」


とはまた別のベクトルだ。


そのおかげで、

変に意識せずにいられる。


「それにしてもさ。」


アカネが、にやっと笑う。


「配属ガチャ、

えぐかったよねー。」


「お前!いまさら、

言うなよ。」


入社式の日の光景が頭に浮かぶ。


ホテルの大きなホール。

ステージ上で

スーツ姿の人事が

会社紹介をしていた。


スクリーンにはロゴ。


-Legends Soft-


「世界を、

ひとつで終わらせない。」


過去のPCゲーム時代の

パッケージが映し出され、

そのあと、

誰でも知ってる

大作ファンタジーRPGの

タイトルロゴが次々と並ぶ。


『我々は、

いくつもの

ファンタジー世界を作り、

プレイヤーに“旅”を

提供してきました。』


その言葉に、

胸がざわついた。


(こういうとこで

働きたかったんだよな、俺。

世界を作る側で。)


―そう思ったのも、

もう一ヶ月前の話だ。


配属発表の日、

ホワイトボードに貼られた紙。


コンシューマー開発本部

第一スタジオ アートチーム


 有村 茜


拍手。

羨望。


開発支援室/資料管理室


 空真 颯真


あっさり読み上げられた、

自分の名前。


一瞬、

視界が少しだけ

狭くなった気がした。


(ああ、

“世界を作る”

んじゃなくて、

“世界の残骸を並べる”

方なんだな、俺は。)


あの日、

喉の奥に刺さったトゲは、

ゴールデンウィークを

挟んだ今も抜けていない。


「クウマ、でさ。」


現実に戻る。


「アカネは花形部署でしょ。

コンシューマー開発本部

第一スタジオ、

アートチーム様。」


「まぁね?

“世界を目で見える形にする部署”

って、

かっこよくない?」


自分で言って自分で照れる。


「配属発表のとき、

人事も妙に声の

トーン上げてたしね。

“こちらが我が社の

世界づくりの中核です”

って。」


「あーあったな。」


その横で読まれた地味な一行。


開発支援室/資料管理室


過去タイトルのアーカイブ管理、

社史資料整理 等


地味なフォント。

淡々とした説明。

拍手もまばら。


「まぁ、

資料管理室は地味かもだけどさ。」


オレンジの中央線と

モノレールを見上げながら続ける。


「地上の電車が

“今動いてるタイトル”

だとして、

空のモノレールが

“これから作るタイトル”

だとして――」


(またポエム始まった。)


「資料管理室はさ、

その間にある

“全部のレール”

見える場所じゃん。」


少し息が止まる。


「過去の企画書、

世界設定ノート、

原画ラフ。

そういうの全部、

触れるんでしょ?

将来世界つくりたいなら、

普通にチートだよ、

クウマ。」


「…お前に言われると、

なんか本当にそうかもって

思えるから悔しいんだよな。

営業の方が向いてるんねーか?」


ウィンクしながら、

手をひらひらさせる。


「はいはい、

私はあなたと違いまして

ちゃんと手に職が

ございまして!

クウマは悔しいままでいいから、

ちゃんと通勤しなさい。」


エレベーターホールを指差す。


「じゃ、

ここで分岐ね。

上は

“世界の表舞台”

下が

“世界の裏側”。」


「アカネの言い方。」


「クウマは裏方勇者でしょ。

私は表でモンスター描いてるから!

たまに情報交換しよ。」


ひらひらと手を振る。


別れぎわ、振り返って言った。


「行ってらっしゃい、

クウマ。

まだぜーったい、

辞めちゃダメだからねー。

私が今日みたいに

マウンドとれなくなっちゃうからっ!」


軽い冗談に聞こえるのに、

なぜか胸に残る言葉だった。


モノレールの軌道と

中央線のレールが頭上で

交差する。


その真下で、


空真そらま 颯真そうまは、


自分がどっちの線路を歩いているのか、

まだはっきり分からないまま、

“資料管理室行き”

のエレベーターに乗り込んだ。



---


◆2025年

■資料管理室と青い髪


資料管理室は、

フロアの端のほうにあった。

防火扉みたいに重そうな扉。

横には小さなプレート。


『資料管理室』


ノックして中に入ると、

空気が変わる。


紙とインクと、

ほこりっぽいけど

嫌じゃない匂い。


壁一面の棚には、

昔のPCゲームや

初期コンシューマーの

パッケージ。


見たこともない

ファンタジーRPGの

タイトルが

山ほど並んでいる。


その中には、

「イーム」と

書かれた、

年季の入った箱もあった。


(これが…うちの“看板”なのか?)


タイトルは聞いたこともない。

けれど、

パッケージの絵からは、

作り手の本気だけは伝わってくる。


「おはようございます。」


控えめに声をかけると、

奥の机から

顔を上げた人がいた。


落ち着いた青い髪。

透き通るほど白い肌。

胸のあたりまで伸びた髪を

ゆるく後ろにまとめている。


服装は地味な

オフィスカジュアルなのに、

不思議と目を引いた。


白木しらき なぎ


この資料管理室の先輩で、

まだ、20才後半なのに

妙に落ち着いてる。

清楚な見た目のおねえさん。

そして教育担当でもある。


「おはよう、空真くん。」


柔らかい声。


昨日の夢の中で見た

青い髪の少女

―フィア――

がふと頭をよぎる。


もちろん、

現実の白木先輩は

魔王に声を奪われてもいない。


それでも、

髪の色と、

どこか芯の強そうな目に、

重なるものがあった。


(アカネが太陽の下の公園なら、

白木先輩は夜の展望台だよな……。)


一瞬そんな比喩が浮かんで

自分で恥ずかしくなったので、

そっと心の隅にしまっておく。


「連休、ちゃんと休めた?」


「ゲームして、

寝て、変な夢見て、

寝て…って感じでした。」


「正しい連休の使い方だね。」


くすっと笑う。


「でも、ちゃんと来た。

それだけで今日は合格。」


「評価ゆるくないですか。」


「連休明けはね、

そのくらいでちょうどいいの。」


そのやりとりが

不思議と胸のざわつきを

落ち着かせてくれる。


部屋の隅にはもう一人、

黙々と何かを読んでいる

男性がいた。


五十代くらい。


肩までの髪をひとつに結び、

くたびれたカーディガンを

羽織っている。


黒瀬くろせ 誠司せいじ


人事からはこう説明された。


『会社の歴史を

一番知ってる人です。

でも…

あまり深入りしないほうが

いいですよ。

いい意味でも悪い意味でも、

特別な人なので。』


その言い方が逆に怖くて、

なんとなく距離を置いていた。


***


午前中の仕事は、

ひたすら資料との戦いだった。


段ボール。

古いファイル。

PC-88とかPC-98とか

書いてあるマニュアル。

雑誌の切り抜き。

謎のフロッピーディスク。


その中に、


「PC-RPG イーム 企画一式」


と書かれた

分厚いバインダーもある。


「うわ…。」


思わず声が漏れた。

表紙には手描きのロゴ。


中には、

手書きの世界地図、

キャラクターのメモ、

敵モンスターのラフ。


赤毛の剣士。

青髪の巫女らしき少女。

城のシルエット。


(…なんかちょっと、

夢と似てるな。)


ページをめくりながら、

胸の奥がざわつく。


いま見ているのは

紙の上の設定なのに、

朝見た夢は、あきらかに

「動いている世界」

だった。


(まぁ、

どうせ脳内が勝手に

混ざっただけだろ。)


そう言い聞かせていると―


「空真くん。」


声がかかる。


「ここの資料、

棚を入れ替えるから、

一度全部出してもらえる?」


「あ、はい。」


高い位置にあるファイル

を引き抜こうとした瞬間、

腕の角度が少し悪かったのか、

バインダーの中身が

するりと抜け落ちた。


「うわっ。」


慌ててかき集めようとして、

床にばさっと紙が散らばる。


その中に、

何か硬いものが

混ざって転がった。


黒い四角。

真ん中に、小さな銀色の円。

ラベルには手書きの文字。


「…フロッピー?」


指先でつまみ上げる。


「化石かよ。」


つい本音が漏れた。


「懐かしいね。

でもここではふつう。」


しゃがみ込んで一枚を

拾い上げる。


細いフレームの眼鏡―

サイズが合ってないのか、

すぐにずり落ちる。


ここでは、PCとホコリ対策で

度のないブルーライトカットの

メガネをしてる。


「…っと。」


あわてて指で持ち上げ直す、

その仕草が妙に可愛い。

そして、いかにも

えっへん

って感じで言う。


「今の子からしたら

化石かもしれないけど、

うちの“世界”の、

だいたいの出発点

はこのへんだからね。」


見ているフロッピーには、

こう書かれていた。


『失われた王国 試作版』


「これ、

イームっぽいですね。」


「うん。

イームが

“イーム”

になる前に使ってた

仮タイトル。

“失われた王国”。」


ラベルをなぞるように

指でなでた。


「最初の企画書は、

ぜんぶこの名前だったんだって。

途中でタイトルを変えて、

設定も変えて、

最終的に今の“

赤毛の剣士の物語”

になった。」


「じゃあ、この世界は―」


「イームがイームになる前に、

一度ちゃんと考えられて、

でも表には出なかった世界。

そういうやつ。

ポイ捨てではなく、

一度本気で作られたけど、

別の形になっていった世界。」


シャンプーの香が、

鼻の奥にはいる。


夢の中の城

赤い剣。

青い髪の少女。

そして、

魔王。


さっきまでいた夢の世界と、

今手にしている

フロッピーのラベルが、

妙に重なった。


(まさか、とは思うけど…。)


頭の隅で、

ありえない想像が広がる。


ゲーム会社の資料室で、

古いフロッピーと企画書。


新卒一年目の裏方。

連休明け。

退職代行サイト。


いや、

現実のほうが、

よっぽどファンタジーっぽい。



---


◆2025年

■昼休みと退職代行サイト


昼休み。


社食は混んでいたので、

一階のカフェスペースで

サンドイッチをかじることにした。


テーブルの上には、

紙コップのコーヒーと、

そして、スマホ。


画面には

―退職代行サービスのサイト。


『上司に一言も言わず、

今日で会社とサヨナラできます』


あの日、入社式の夜、

ベッドに倒れ込んだまま

SNSを眺めていたとき、

偶然流れてきた広告だ。


なんとなく気になって、

ブックマークした。


あのときは


(まさか自分が

使うことになるかも、

なんてないだろ)


と笑っていた。


なのに、


今、

名前入力欄に

「空真」と打ちかけている。


(ここにフルネーム入れて送信したら、

たぶん明日から会社に

行かなくてもよくなるんだよな。)


上司に言いづらいとか、

職場の空気がどうとか、


そういう面倒なことを

全部代わりにやってくれるらしい。


便利と言えば便利だ。

むなしいと言えばむなしい。


(世界を作る会社に来たはずが、

世界に触る前に

“やめますボタン”

の前で悩んでるって、

何なの。)


笑い話にもならない。


親指が

「送信」

のボタンの上をさまよう。


押せば終わる。

押さなければ、続く。


ただ、それだけの選択なのに、

全然押せない。


「それ、押したらもったいないよ。」


不意に、頭の上から声が降ってきた。

白木先輩だ。


「ひゃっ…!」


自分でもびっくりするほど変な声が出て、

飲みかけの

ミネラルウォーターを

危うくこぼしかける。


顔を上げると、

やはり

長く青い髪が揺れていた。


「し、白木先輩…」


笑いながら、


「ごめんね、驚かせちゃって。」


トレーを片手に、

向かいの席に腰を下ろす。


トレーの上には、

自分のコーヒーと、

小さな焼き菓子。

…そして、もうひとつ紙コップ。


「…見てました?」


優しく笑いながら、


「“連休明けに

退職代行サービスの画面を

ガン見している新人”

って、案外よく見る光景だからね。」


少しだけ肩をすくめて続ける。


「でも、

新人に押されると、

私の教育係としての

評価が落ちるから困るかな。」


「そこですか。」


少しだけシリアスな目になって言う。


「半分冗談。

半分本気。」


紙コップを一つ、

目の前にそっと置く。


「ブラック飲めそうな

顔してなかったから、

ミルク多めのやつ。」


全部見透かされてる事に

少し驚いて、


「…ありがとうございます。」


「お礼は、

また空真君の

愚痴で払ってもらおうかな。」


冗談めかした言い方なのに、

不思議と

「いつでも聞くよ」

というメッセージに聞こえた。


「辞めたいって思うの、

悪いことじゃないよ。」


スマホの画面を

ちらっと見てから続ける。


「私だって、一度は真剣に考えたし。」


「え、白木先輩も?」


優しい顔のままうつむきながら、


「うん。

いろいろあったから、

“ここにいていいのかな”

って、思ってた時期がある。」


軽くも重くもない。

ただ、過去の話を

「事実」

として置いているような声音。


紙コップをくるりと回しながら続ける。


「でもさ。

空真くんの顔、

“全部終わらせたい人”

の顔には見えないよ。」


「…じゃあ、

どんな顔してます?」


「“悔しいまま終わるのが怖い人”

の顔。」


真正面からそう言われて、

思わず目をそらした。


「配属、

納得いってないでしょ。」


「…まあ。」


「世界を作る会社に入って、

花形の開発じゃなくて、

資料管理かよって?」


「はい。」


言葉に出した瞬間、

胸のもやもやが少しだけ

浮上した気がした。


「いいじゃない、それで。」


少し笑う。


「“ここで終わりたくない”

って思ってるってことだから。」


「…ポジティブですね。」


「昔、逆のこと考えたから。」


少しだけ視線を落として、

コーヒーを一口。


「“ここで終わりでいいんだろ?”って。

“裏方で十分だろ?”って。」


それが誰の台詞なのか、

自分自身に向けた台詞だったのか、

そこは言わない。


でも、

その言葉に反発した誰かの顔が、

すぐ近くにいる気がした。


「悔しいまま終わるのってね。」


ゆっくりとスマホの

送信ボタンを指さす。


「どんなブラック企業より

しんどいよ。」


静かな言葉だった。


「押すにしても、

“ちゃんと自分で選んだ”

って思えるところまで

悩んでから押しな。

そうしないと、ずっと

“あのときどうしたかったんだろ”

って自分に問い続けることになるから。」


慰めでも説教でもない。

ただの

「経験者からの忠告」

みたいに聞こえた。


「…白木先輩は、

なんで辞めなかったんですか。」


「辞めてたら、

ここでこうやって新人君と

コーヒー飲めなかったからかな。」


少し照れたように笑う。


そして、眼鏡をかけようとして、

また微妙にずらしてしまう。


「…サイズ合ってないですよね、それ。」


照れながら、


「ホコリよけと

ブルーライトカットを兼ねると

なかなか合うフレームがなくてね。」


小さく整った顔に、

大きすぎる眼鏡を

人差し指で押し上げる仕草が、


さっきまで夢の中で見ていた

“声を取り戻した青髪の少女”

と重なる。


(あの子も、

こんなふうに笑ったりするのかな。)


意味のない想像をして、

自分で苦笑する。


スマホの画面は、そのまま。

送信ボタンは、そこにある。


でも、指は動かなかった。



---


◆2025年

■午後・失われた王国と赤毛の写真


午後、資料整理の続き。


「失われた王国」

と書かれたフロッピーと、

その企画書のコピーを、

慎重にバインダーに戻していく。


ページの端には、手書きのメモ。

城のスケッチ。

赤毛の剣士と青髪の少女のラフ。

王国の歴史年表。

魔王の正体に関する走り書き。


(…夢、じゃないのかもな。)


もちろん、

実際にあの世界に行ったわけじゃない。


ただ、

誰かが本気で作ろうとした

世界の残り香が、

脳内に勝手に

映像を流しているだけかもしれない。


…でも、それでいい。


大事なのは、

「誰かが本気で世界を

作ろうとしていた」

という事実だ。


そのとき、

不意にスマホが震えた。


アカネからメッセージだ。


> 茜:

デザイン部、連休明けから

全開なんですけど。。


でも楽しい!


そっちは?お宝資料あった?




> 空真:

“失われた王国”

ってタイトルの

企画ノートとフロッピー。

イームになる前の世界っぽい




> 茜:

タイトルがもう優勝なんだが??


今度見せて!




(やっぱり、

アカネはちゃんと

“表舞台”

の空気吸ってるんだよな。)


羨ましくないと言えば嘘になる。


でも、だからといって今すぐ

何かが変わるわけでもない。


そう思った矢先―


「…やっぱり、似てるよな…」


低い声が、

すぐ近くから聞こえた。


顔を上げると、

黒瀬さんが立っていた。


いつもは

隅で黙って資料を

読んでいるだけの室長。


話しかけてきたのは、

これが初めてかもしれない。


「え?」


黒瀬は何も言わず、

古びたクリアファイルを

一枚差し出してくる。


中には、色あせた写真。


狭いオフィス。

ブラウン管モニターや

紙の山に囲まれた机。


そこに座って、

少し照れたように笑う青年。


くしゃっとした短い赤毛。

どこか人懐っこい目。

Tシャツには、

昔のレジェンズソフトのロゴ。


「…この人は。」


赤木あかぎ つかさ


淡々と言う。


「昔の、ここでの相棒だ。」


写真の中の赤毛と、

自分の髪を、

つい見比べてしまう。


色味は少し違う。

でも、

質感とか、

目の光とか、

どこか共通点が

あるように見えた。


「俺に、似てるってことですか。」


「赤毛もそうだが。」


空真と写真、

それから机の上の

「失われた王国」

ノートを順番に見ていく。


「“まだ何者でもないくせに、

世界を作りたいって目”

がな、空真くん。」


その一言に、

心臓がドクンと鳴った。


自分でもちゃんと

認識していなかった願望を、

いきなり見抜かれたような感覚。


「赤木さんも…世界、

作りたかった人なんですか。」


「そうだ。」


少しだけ遠くを見る目をする。


「ここで最初に、

“うちも本気でRPG作ろうぜ”

って言い出した、バカ。」


ぶっきらぼうなのに、

そこに乗っている感情は

悪意ではない。


「剣振り回してたよ。」


「剣?」


「比喩だよ。」


肩をすくめる。


「現実世界で、

世界作りたいなんて

言い出すやつは、

だいたい何か背負って

剣振り回すことになる。」


写真から視線を外し、続けた。


「赤木は

―昔ここで戦ってた戦士だ。」


そこで、一度言葉を切る。


「…まぁ、今はそれくらいでいい。」


それ以上は語らない、

という線を引くように、

写真を机に置いて

自分の席へ戻っていった。


白木先輩が、

横から写真をのぞき込み、

静かに笑う。


「赤木さんの話、

黒瀬さんの口から聞くの、

久しぶりに見た。」


「そんなに、

すごい人だったんですか。」


「“最初期の世界づくり組”

の一人。

うちがPCで

ファンタジーRPG

作り始めた頃のね。」


写真とこちらを見比べて、続ける。


「…似てるよ、空真くん。」


その言葉に、

何かが胸の奥でカチッと

音を立ててはまった気がした。


夢の中で城に

立っていた赤毛の少年。

現実で

写真の中にいる赤毛の青年。

資料室で企画書を

並べている自分。


全部が同じ人物ではない。

でも、「続き」

みたいに並んで見えた。


(まだ何者でもない。

ただの資料整理係。

でも―

少なくとも、

“世界を作りたいと思ってる目”

くらいは、

持ってんのかもしれない。)


そんなことを考える自分が、

少しだけおかしかった。


「それ、読んでみる?」


机の上のノートを

指でとんとん叩く。


『失われた王国

~世界設定ノート~』


手書きの文字。

紙の端は少し黄ばんでいる。


「資料室の特権。

“読んでくれる人”

がいるなら、

きっとこのノートも喜ぶよ。」


そう言って、

眼鏡をまたずらし、


隣に少し身を寄せた。


ノートを開く。


そこには、

城と、

赤毛の剣士と、

青髪の少女と、

魔王と、


失われた王国の歴史と――


誰かが本気で作ろうとした世界の、

最初の落書きたちが息づいていた。


(終わらせるのは――)


ふと、昼休みに見ていた

退職代行サイトの画面が頭に浮かぶ。


“送信”

ボタンを押せば、

ここから離れられる。


でも、今この瞬間だけは、

この資料のページをめくる指を

止めたくなかった。


(―もう少し先でいいか。)


立川の空を、

モノレール

が静かに走っていく音が

聞こえる。


地上を走る中央線と、

空を走るレール。


過去と未来。

現実と物語。


そのちょうど真ん中、

資料で埋まった小さな部屋で―


赤毛を隠した青年、

空真 颯真は


ようやく、

自分の物語の

“1ページ目”

に指をかけたところだった。


---


(第1話 赤毛の三人 完)

つづく

(※ここから作者より)


初めての投稿になります。


一話は夢のパートが多めで、「タイトルと違う?」と感じられた方もいらっしゃるかもしれませんが、それでも最後まで読み進めていただき、本当にありがとうございます。


今後は物語が少しずつ現代とリンクしていき、現実世界でのドラマや、二人のヒロインの活躍も本格的に描いていく予定です。


初めての小説で、無謀なチャレンジかもしれませんが、皆様のご意見をいただきながら成長していけたらと思っています。


誤字脱字などのご指摘や、感想・アドバイスなど、どんなアドバイスやメッセージでも励みになりますので、お気軽にコメントいただけると嬉しいです。


少しでも続きが気になったら、ブックマークしてもらえると更新に気づきやすくなります!


これからもよろしくお願いいたします。

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― 新着の感想 ―
まだ1話ですが、面白いです。 主人公の心境と行動がリンクしていてよいですね。 なんか評論みたいになってすみませんm(_ _)m
夢と現実のパートが違和感なく、また主張し過ぎることなく丁寧に書かれていますね。 読みやすく、登場人物の心境も納得でき、とても良い作品と思いました。(*´∀`*) まだ第一話を拝読しただけで、解釈違い…
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