7話 三人寄れば
「――あかり!!」
切迫した声に困惑しながら、あかりはリビングからそろそろと顔を出した。二人は肩で大きく息をしていた。
「おまっ、泣いてたって……」
「ごめんあかり。そこまで傷つけてたって思わなくて」
二人は先に寄ったまどか屋で、お母さんからあかりが泣いて帰ってきたと聞いたらしい。汗を拭うこともせず、見るからに狼狽えている。
思わずあかりは俯いた。普段から二人の前では素でいても、泣き顔を見られるのは嫌だった。自分がまだなにも知らないのだということが、バレてしまいそうな気がして。
玄関で三人、それぞれが気まずさ覚え、それがその場の空気にも滲み出していた。
その場が動いたのは、おばあちゃんがリビングから様子を窺いにやって来てからだった。
そう。いま洋太と律は、あかりのせいで互いの半身が磁石のように強く引き合っている状態なのだ。つまり、そんなものがおばあちゃんの目に触れたとしたら――。
「あかりちゃん?」
慈愛に満ちたあたたかな微笑みが、氷の花を思わせるようなそれに様変わりした。
瞬時に悟った。これは逃げられない、と。
「……はい、おばあちゃん」
「返事が小さい! そこに直りなさい!」
「っ、は、はいっ!」
あかりは弾かれたように返事をし、玄関マットの上に正座した。おばあちゃんの怒った声を聞くのはずいぶんと久しぶりだった。
魔法の力は人のために。
魔女としての大切な心構えを幾度となく聞いていたというのに、それをあかりは堂々と破ってしまったのだ。
理由はどうあれ、悪意を持って人に力を向けてしまった。今までは、いくら気が昂ったとしても人に危害を与えることだけはなかったのに。
魔法は意識しないと簡単に人を傷つけてしまう。それなのに、あかりはよりにもよって、洋太と律に対して行ってしまったのだ。悲しかったからとか、言い訳にならない。
正座した足が痺れるくらいの間、おばあちゃんの説教はこんこんと続いた。
「あかりちゃんにはまだまだ薬草のお世話は任せられないわ。だから私、元気でいなくっちゃ」
自らを奮い立たせるようにそう言ったおばあちゃんは、「じゃあね!」と勇んで店に戻って行った。
あかりだって今すぐに任せてなんて言うつもりはない。それでも将来的には任せてほしいと思っていた。だけど、自分の未熟さのせいで、それも自信がなくなってくる。足がどんどん痺れていくのに、その場から立ち上がれなかった。
その様子を見ていた幼馴染み二人がなにを思ったのかは知らない。お尻の下で重ねたあかりの足の指先に、突然ちょんと刺激を寄越した。
「――ひっ」
体を少しずらした拍子に、足先に耐え難い痺れが走る。体中の意識はすべて足にそそぎ込んでいると言っても過言ではないから、抗議もできない。
必死で痺れが過ぎ去るのを待っていると、頭上から声が降ってくる。
「あーあ。誰かさんのおかげでどえらい嵐にあった気分だわ」
洋太がわざとらしく言う。
「いや、ここは魔女の説法を直々に拝聴できたと喜ぶところかもしれないぞ」
「あれ説法か? 相変わらずお前はズレてんなあ」
ってそうじゃないよ!
「誰、さっき足つついたの!」
「んなもん、あかりが辛気臭せえ空気出してたからだろー」
おまえが犯人か! と洋太に牙を剥きそうになったけれど、すんでのところで飲み込んだ。あかりが意気消沈していたから、場の空気ごとほぐそうとしてくれたのだ。それくらいは、わかる。
「落ち着いたんなら、とりあえずこれ、どうにかしてくんね?」
「うん。そろそろこう……じっとりと汗ですごいことになってるというか」
ぴっとりと引き合った洋太と律の半身は、連日30℃を越える猛暑日により、ところどころ衣服に汗染みを作っていた。
申し訳なく思う。けれどあかりにはどうすることもできない。なぜなら……。
あかりは二人からさっと目を逸らす。
「おいあかり……もしかしてまさかなこと言わねえよな……」
「……あ、あは」
「か、勘弁しろよ! なんっでこんな目に……いや、わるいのはこっちだけどさ!」
洋太は自由がきく左手でガシガシを髪を掻き毟る。
「ほ、ほら、猫が木に登ったのに降りられない……みたいな」
「みたいなって! なんか方法ねえのかよ!」
そう言われても、感情に任せて魔法を使ってしまったから、元に戻す方法がわからない。
あのときはとにかくいじわるな気持ちだった。
――わたしだけのけ者にするなら、あんたたちは一生ひっついてなよ!
そんなふうに思ってしまったから、その逆を念じれば離れるかと思い試してみたけれど、どうやらそう簡単にはいかないらしい。これが言いつけを破って人に魔法を向けてしまった罰といえる。
「あかりのおばあちゃんなら元に戻せるんじゃないか?」
律が冷静に言う。
「……それだ!」
「待って、わたしまた怒られるじゃん!」
あかりだって自分で元に戻せないとわかった時点で、おばあちゃんの顔が浮かんだ。けれどあれだけ怒らせてしまったあとで、助けてくれるだろうか。
「まぁ、たまにはいいんじゃないか。こういう状況なのも。それにあかりは怒るかもしれないけど、あかりがまだ魔女として未熟だと仮定したら、時間が解決してくれるとは思わないか?」
律がのんきに言う。
「それは一理あんだろうけど、甘やかすな! 俺らも悪かった。けど、それと『これ』は別だ。なんで律、お前は順応してんだよ。冷静に考えろよ。このままだと生活のあらゆるとこにお互いが入り込むんだぞ。あらゆるとこに!」
「甘やかしてるのは洋太も大概だけど。それから、煮え切らない態度をとってしまったのは俺も反省してる。でも洋太こそ冷静に思い返してみたらどうだ? 子供の頃以来じゃないか。昔はお風呂に一緒に入ったり、一緒の布団で眠ったりもしたじゃないか。トイレはさすがに経験がないけど」
律は懐かしいなと言って笑った。
「懐かしがってる場合じゃねえわ……」
洋太と律で進んでいく会話。洋太と律はボケとツッコミみたいに息が合う。さみしい。自分のせいで二人が困っているのに、あかりはそんなことを思う。
「……さすがにわたしは一緒にお風呂は入れないもんね」
「はぁ? なに当たり前のこと――」
途中で言葉を切った洋太は、口を結んで視線を横にそらした。
洋太が飲み込んだ、いや、飲み込んでくれた言葉の続きを、あかりは正確に理解している。もうわかる。本当は最初からわかっている。わかっていて、でもあかりたち三人の間に、そういうものを持ち込みたくなかった。嫌だ嫌だ、聞きたくない、のその正体。
「変わってくんだもんね、わたしたち。周りの視線もそう。わたしたちは男の子と女の子で、心も体も成長していく。当たり前のことみたいにさ」
「……意志とか、そんなん関係ねえから」
「うん」
自分たちの意志とは関係ないところであかりたちは大人になって、お互いのいろんな違いを目の当たりにして、できていたことができなくなっていく。あかりはそれが嫌で、だから反発するように、聞きたくないとはね返していた。
「……おばあちゃんのとこに行こう。ごめんね、二人とも。乱暴なことして」
まだちゃんと謝っていなかった。あかりは二人に頭を下げた。
玄関を出ようとしたとき、「いって!」と洋太が言った。どうしたのかと振り返ると、律が動かない。ぴっとりと引き合った洋太と律は、どちらかが別の動きをすると引きつれそうな痛みが伴う。
「律?」
あかりはどうしたのと視線で問う。すると眼鏡の奥の、透き通るように綺麗な瞳とぶつかった。
「決めつけなくていいんじゃないか?」
「え?」
「変わっていくとか、できなくなるとか。そうなるかもしれないし、ならないかもしれないだろ。もちろん否応なしに訪れる変化はあると思う。でも、それで俺たちの関係まで全部変わってしまうかどうかは、わからないんじゃないか。意思とは関係ないところで変化もあれば、意思で変わらないものもきっとある」
「え……うん」
律の言わんとしていることを掴みかねて、あかりは曖昧に相槌を打った。
「なんか今のあかりと洋太の話を聞いてると、ちょっと諦めてるように聞こえた。この先、俺たちの関係までもが変わっても仕方ないって」
あかりは戸惑った。そういう話ではなかったんだろうか。
「俺たち三人とも、三人でいるのが好きだ。そうだろう?」
律が当然のことのように言った。
「ああ、そうだな」
それに迷いなく答えた洋太。
ぎゅん、と鼻の奥が痛くなった。
わたしだけじゃなかったんだ。三人でいるのが好きって思ってるの。
「とりあえず、俺たちは今の気持ちを大切にしたらいいんじゃないかと俺は思うけど」
そうだ。もしあかりたちが、この先それぞれに起こる変化によって離れることになったとしても、それは未来の自分たちの話だった。今、さみしがることじゃない。
あかりたちは、呼吸を共有している今このときのことしかわからない。一秒先のこともわからないのだ。もしかしたら、三人の意思で離れる未来だってあるかもしれない。
今、あかりは洋太と律と三人でいるのが楽しい。洋太と律だって、息を切らしてあかりを追いかける理由がある。それでいいのだと。
「そうだな。その通りだわ」
「勝手に諦めてた、ごめんね」
律は眼鏡の位置を直しながら満足そうにうなずいた。そんな律を見ていると、あかりはいつもみたいにつられて笑っていた。洋太の声も明るい。
「にしても、律にこんなふうに諭されるとはな。いつもボーッとしてんのに」
「だてに日々君たちをフォローしているわけではないので」
あかりと洋太は二人して吹き出す。
「誰だよ」
「岩戸律です」
「知ってっし」
楽しい。幸せだ。やっぱり、この二人といるのが最高に楽しくて、幸せだ。
これでいいのだ。
今は、これだけで。
見違えるくらい、世界が明るくなったような気がした。心があたたかくて、胸のスカスカも感じなくなっていた。
今ならなんでもできそうな気がしてくる。
あかりは強く、強く念じた。
――未来は反発するみたいにどうにもならないものではなくて、時にはわたしたちの意思をのせて、しなやかにたどり着くもの。きっとどんなときでも、わたしたちはわたしたちなりの明日を歩む!
ひときわ強い閃光が玄関を覆い尽くす。
変化をおそれなくなったわけじゃない。でも、もう大丈夫だと、あかりは思った。
だってどんな明日でも、三人でいれば大体のことはハッピーってことになるのだと、思い出したから!
了
さまざまに揺らぎやすい時期に、
自分たちの気持ちを大切できる三人がとても好きです。
こちらの作品で「秋の文芸展2025」に参加させていただきました。
寒い日々、少しでも温められる物語であれたでしょうか?
最後まで読んでくださり、ありがとうございました!




