1話 魔女のいる町で
海と山。坂と階段がいくつもある、ちょっぴり住みにくくて、でもたぶん、一生ここで暮らすだろうなと思う程度に好きなこの町には、昔から――魔女がいる。
目立たず、ひっそりと。けれどその息遣いは現代に至るまで紡がれている。
遠くに海を望める高台に、その魔女が営む小さなお店がある。
大きな町にあるお洒落なカフェよりはお洒落じゃないけれど、明らかに住居ではないとわかる程度には周辺の民家から浮いている。けれど、『まどか屋』と書かれたささやかな看板の横を走り抜けた照島あかりとって、まどか屋は十分お洒落で、大好きなお店だ。
「あーもうっ、モヤモヤする! おばあちゃん聞いてよ!」
高校から下校したその足で、あかりは自宅の隣に位置するまどか屋に一目散に向かった。勘定台で薬草の仕分けをしていたおばあちゃんがあかりの声に顔を上げた。おやまぁと眉を下げるおばあちゃんに、あかりはたまらない気持ちになり駆け寄った。
ただいまの挨拶よりも自分の感情を優先する孫を注意するでもなく、困ったように眉を下げながらも微笑みを絶やさないこのおばあちゃんこそ、この町に住む魔女だ。
「ったく、ただいまくらい言えよな。あ、今日もお邪魔しまーす」
あかりの後ろから見え透いたよそ行きの声で高原洋太が入ってきた。
「俺は今日に限ってあえてしっかり挨拶する洋太のシタゴコロも気になるけど」
次に軽く会釈しながら店の戸をくぐったのは岩戸律。
この二人は保育園に入る前から付き合いがある、あかりの幼なじみだ。
「別に、シタゴコロとかねえし」
見え透いた嘘をつく洋太は、縁台に並ぶ三つのカラフルな座布団のうちのひとつに、どかっと我が物顔で座り込んだ。それはおばあちゃんがまじないを込めて作ったものだ。あかりは「ちょっと!」と抗議をせずにはいられない。
「よく言うよ。洋太は週に一度のあかりのおばあちゃん特製のお菓子が目当てのくせに」
すました顔の律が、洋太の隣に行儀よく座った。眼鏡の位置を直す律が考えていることなんて、あかりにわからないはずがない。もちろん洋太だってそうだ。
「しょうがねえだろ、俺の好物だし! てかお前もだろ律!」
そっぽを向く律に、鼻を明かしてやろうとうるさい洋太。あかりの憤りなんてこれっぽっちも気にしていない幼なじみたちに、あかりのモヤモヤは増していくばかり。
「そんなことより! ……いや、おばあちゃんのお菓子はわたしが誰よりも楽しみにしてるし愛してるんだけどっ。それはそれとして、わたしの気はまだ収まってないんだよ!」
切実なのと訴えても幼なじみたちの感心は別のところだ。
「ねえ、おばあちゃん!」
聞いてくれない幼なじみよりおばあちゃんだ。あかりは本来の目的を思い出したかのようにおばあちゃんを振り返った。
「おい、あかり。おばあちゃんに迷惑かけんなよな」
「うるさい! 元はと言えば二人がろくに話きいてくれなかったんでしょう!? 明日の体育がどうとかそんな話ばっかりで!」
「あーあー、わかったって。うるせーうるせー」
おばあちゃん、あかりがマジごめん、と洋太はおばあちゃんに手を合わせたあと、あかりの顔を見たと思ったら大きなため息をついた。失礼極まりない上に、面倒くさそうにさそうにスマホまでいじり出す始末。
「あかり、あまりカリカリするな。ビタミンCが減る一方だ。健康によくない」
律は律で、頓珍漢なことを淡々と言うとリュックから小説を取り出して読み始めた。
「なんなの二人とも!」
自由人すぎる! あかりは肩をいからせ、二人に詰め寄ろうとした。けれどそのとき、勘定台の向こうから、あたたかな手がそっとあかりの肩に触れた。
――不思議だ。
真新しい冷たい生地のブレザー越しになのに、肩を起点にじんわりと温かさが全身に行き渡るように伝わっていく。「気」という概念は、さすがにわかる年齢だ。普通の人でも知らず知らずのうちに発していると考えると、魔女であるおばあちゃんなら容易に扱えるはず。
胸に満ちた不満が全部消えたわけではないけれど、ほう……と呼吸がしやすくなったような気がした。あかりはさっきよりは落ち着いて、幼なじみに向き合った。
「……なんで、そんなにどうでもいいことみたいに聞いてくれないの」
律が本から顔を上げる。
「あかりは忘れてないか。俺たちの存在を」
「え?」
「そーそ。あかりがなんて言われようと俺らがいんじゃん」
ことは深刻ではないとばかりに手をひらひらさせて洋太が言う。
「そう、かもしれないけど。でもさ、私はイーッてなったもん。不快だったんだよ」
あかりは改めて、今日学校で起きた出来事を思い返す。
そう、あかりは嫌な気持ちになったのだ。嫌なものは嫌なので、回数を重ねたところで嫌じゃなくなることはない。
新しい環境に身を置くとき、あかりには必ず耳にする不快な言葉の数々が存在する。どうせ回避はできないと思う反面、いい加減聞き飽きたその言葉たち。聞かずに済むなら万々歳だけど、ほぼ百パーセント願いは叶わない。その証拠に、それぞれがクラスでのポジションをおおかた決め終えたであろう今日、その『お決まり』の言葉を聞く羽目になったのだから。
――照島さんってさぁ……ほら高台にある家の。
――ああ、あの魔女の一家ってウワサの。
――都市伝説じゃなかったんだね。
毎回毎回、あかりはしっかりと憤る。都市伝説もなにも、しっかり実在していますが、と。けれどいつも、言い返したいところをグッと堪えている。だって、照島と聞いて「ああ、あの高台にある家の」とすぐに出てくるくらい、あかりのおばあちゃんはすごい魔女だということだからだ。この町には、おばあちゃんに感謝している人がたくさんいることを、あかりはちゃんと知っている。だからこそ、おばあちゃんを誇らしく思えば思うほど、嫌な気持ちは増していく。
遠巻きに見て噂話をするくらいなら、直接言ってくれたらいいのに。そうしたらあかりだって、おばあちゃんすごいでしょって笑って済ますことができるのに。
「おいおい、髪の毛に静電気蓄えんなよ。乾燥シーズンでもねえのにバチっとしたくねえ!」
ふわっとボリュームが増したあかりの髪に大袈裟に反応を見せる洋太を、あかりは半眼で睨む。気持ちが昂るのと同時に無自覚に魔力がこぼれ出てしまった点については反省する。あかりにも、少なからず魔女の血は流れているのだから。
「大丈夫だ洋太。こんなときにしかリアルメデューサは見れない」
「まって、さっきからその絶妙に間違ってるフォローの仕方やめてくれない!?」
「ウケる」
「ウケないよ! 律も洋太もすぐそうやってはぐらかす……」
口を突き出して抗議すると、あのなぁと二人分のため息が届く。
「はぐらかしてるわけじゃねえって。あかりにしょんぼりしてほしくないだけ。俺も、律も」
「俺たちはそばにいる」
二人がふっと笑う。そこにいい加減さや投げやりな態度は微塵もなかった。縦横無尽に広がったあかりの髪が重力を取り戻して元の位置に戻る。
「……わかってるもん」
小さい頃から、洋太と律はこうやってあかりの心を守ってくれていた。魔女だからと、ないことばかり囁かれてきて、その度に枯葉に肌をチクチク刺されるような痛みを感じてきた。毎回新鮮に憤ったり落ち込むあかりを、二人はその度に励ましてくれた。
なにも、気にする必要はないんだよね。二人がいるんだから。
だけど、何度も揺らぐ自分がいる。それは洋太と律の存在ごとなかったことにしているみたいで、後ろめたい気持ちになる。律があんなことを言うはずだ、とあかりは下を向いた。
「あかり、曲解してないか」
「え?」
「あかりには俺たちが見えているし、俺たちにもあかりは見えている」
律が眼鏡を直して言った。
「テ、テレパシー……?」
「あほか。こっちはあかりの思考パターンを、もう嫌というほど見てんだよ」
ったく、飽きもせずによく何回も何回も……と洋太がぼやけば、それに何回も何回も付き合ってる洋太も洋太で人が良いよね、と律が言う。それはお前もだろ律、と洋太が言えば、ふふっと涼しく笑って当然だという律。自分で言うな! という洋太の突っ込みとあかりの心の声が重なる。
なんだ。こんななんでもない言葉のやりとりを聞くだけで気分が上向いていくんだな、わたし。
洋太と律と目があう。言外にもう大丈夫だなと言われたようだった。
友達は二人のほかにもいるけれど、あかりはやっぱり洋太と律といるのが一番だと、改めてそう思った。
いつの間にか、肩にあったおばあちゃんの温もりはなくなっていた。
洋太と律のアホ毛がひょいひょいと踊っている。あかりの指先は、まるでストーリーテラーの指揮者のよう。指をひとふりするごとに毛が踊り、舞台を彩るように芳しい香りが鼻を抜けていく。
コト、カチャ……と上品な音を立て、おばあちゃんがトレーに乗った焼き菓子と薬茶を縁台の端に置いた。
待ってました!
あかりたちは今、きっと寸分違わず同じ音色に心を躍らせ、同じ表情をしている。
今日のおばあちゃん特製の焼き菓子は、薔薇の花の形をしたマドレーヌだ。黄金の焼き色の下に、かわいいピンク色が見え隠れしている。これがあかりたちの週一回のお楽しみ。まじないを込めたローズエキスで作られた、ありがたい特製のお菓子だ。
そして白いティーカップに淹れられた薄い黄色の薬茶。これがまどか家の看板商品であり、町の人々がおばあちゃんに感謝している一番の所以でもある。
おばあちゃんの薬茶はあかりたちが住む町では有名で、店では効能別にブレンドされた薬茶から、その場でお客さんの悩みを聞いてブレンドする薬茶まで取り扱っている。ただのハーブティーの類だと、侮るなかれ。
魔女が作る、ひみつの薬茶。人々のちいさな幸せを願い、まじないを込めながら育てた薬草でできている。
おばあちゃんの召し上がれ、という陽だまりみたいなあたたかな声を合図に、あかりたちは差し出されたマドレーヌと薬茶をめいめいに口に運ぶ。
とても、とても、やさしい味だ。
――魔法の力は人のために。
代々の照島の魔女たちが、一番大切にしてきたこと。魔法は自分のためにあらず。
おばあちゃん曰く、時代に風化して必要とされなくなったら、その力は徐々に薄れていくものらしい。まどか屋が繁盛しているのは、町のみんなのおかげだと。おばあちゃんだって、いろいろ噂されたことがあるはずなのに、そんなふうに町の人のことを思えるのがすごいと、あかりは常々思う。
おばあちゃんは優れた魔女だけど、私はそれほどでもないよ、と母は笑っていた。きっとあかりにもたいした力はないのだと、なんとなくわかっている。それでも、おばあちゃんのまどか屋を任せてもらえるくらいには、まじないのセンスがあればいいなとも思っている。
自分でも薬茶が作れるようになれば、洋太と律に元気がないときは、なにか力になれるかもしれない。二人には助けて貰ってばかりだから、いつかお返しがしたい。
魔法の力は人のために。まずは身近にいる大切な二人から幸せにすることを目標にしたっていいはずだ。
なんだかむくむくとパワーが湧いてきた。傷ついてへたった心がぽかぽかとあたたかい。
おばあちゃんの薬茶は偉大だ。きっと気を落ち着けるようなブレンドにしてくれたのだろう。
「やっぱあかりのばあちゃんが作るお菓子うめえ!」
「うん。優しい甘さだし、甘いものが苦手な俺でも毎回美味しいと感じる」
「薬茶もイイ! おばあちゃんのお茶は、渋くてもなんか飲めるんだよな」
「おばあちゃんの薬茶が渋かったことはないが、『イイ』のは同意見だ」
気づけばあかりは笑っていた。相変わらずな会話と、美味しそうにおばあちゃんのマドレーヌを食べている姿。胸のあたたかさが増していく。ここをあたためられるのは、まじないの力じゃないのよと、以前おばあちゃんは言っていた。
「どわ! あかり、今度は毛先が茹でたタコみたいにくるっとこう、外向きにカーブ描いてんだけど!」
「よかったじゃないか。タコ、洋太の好物だろ」
「いやいやいや、そういうことじゃねえわ!」
うん、ほんとそういうことじゃないね。
なんだかんだ結果的に、今日も今日とてハッピーだという気持ちになってくる。
昨日もそう思ったし、きっと明日も明日で、明日なりのハッピーになりそうな気がしている。
だってこの二人と一緒だし。三人でいれば、大体のことはまぁいいやってことになってしまうのだから。
肌寒い季節にぴったりな、彼女と彼らのお話。
最後まで楽しんでもらえたら嬉しいです。




