誰も来ない映画館で、ポップコーンが泣いていた
劇場のロビーは、静かだった。
ポップコーンの香りだけが、空気に漂っていた。
三浦泰和は、チケット売り場の前で立ち尽くしていた。
自分の映画が上映されるスクリーン。封切り初日。午前10時。
観客は——ゼロ。
「…あれ?今日って…平日だっけ?」
誰にともなく呟いた。
秘書の遠峰クンが、タブレットを見ながら近づいてきた。
「はい、平日です。でも、他の作品は満席です」
「えっ…他の作品って…あのゾンビのやつ?」
「はい。ゾンビは強いです。監督は…弱いです」
三浦は、ポップコーンを買った。
誰もいない劇場で、自分の映画を観る。
それが“泣ける映画”の監督の初日だった。
スクリーンが暗くなり、映画が始まる。
父が山に登る。母が涙する。息子が叫ぶ。
三浦は、ポップコーンを口に運びながら、心の中で叫んだ。
「誰か…泣いてくれ…!」
しかし、泣いているのは自分だけだった。
ポップコーンの塩味が、涙と混ざってしょっぱかった。
上映後、劇場スタッフが声をかけてきた。
「監督…お疲れ様です。あの…ポップコーン、よく売れてます」
「映画は…?」
「…まあまあです」
三浦は、ロビーのベンチに座り込んだ。
そこへ、明美さんが現れた。
サングラスを外しながら、ため息をひとつ。
「あなた、泣ける映画を撮ったんじゃなかったの?」
「うん…泣けるはずだったんだけど…」
「泣いてるの、あなたじゃない」
「…うん」
遠峰クンが、冷静に報告する。
「監督、SNSでは“泣けない映画ランキング”に入りました」
「えっ…ランキングって…何位?」
「2位です。1位はゾンビです」
「ゾンビに負けたの…?」
三浦は、ポップコーンの袋を見つめた。
そこには「泣ける映画のお供に」と書かれていた。
「…僕の映画、ダメですか?」
その言葉に、遠峰クンが即答した。
「映画はダメでも、監督はもっとダメです」
明美さんは、笑いながら言った。
「あなた、映画よりポップコーンの方が泣けるわよ」
三浦は、泣きながら笑った。
そして、心の中で誓った。
「次は…泣かせるんじゃなくて、笑わせてやる…!」
——その瞬間、映画監督・三浦泰和は“泣ける映画”から“笑える人生”へとジャンル変更した。




