後日談:鏡−④/終
優雅に煙を燻らせながら叔父さんは目の前の私を見据える。レイさんは隣で意識が無いままだ。つまり、ここからは私1人でどうにかしなければいけない。
「さて、穂乃果」
「ヒカリさんに何したの?」
「眠ってもらってるだけさ。マスクケースに薬品を染み込ませておいた」
「……そんな薬品持ってるんだ……」
「お前たちが散々警戒してたこのハーブさ。元々不眠症薬でな。パンデミック後に寝つきが悪くなって知人に相談したら、独自に交配した品種をもらったんだ。過剰に摂取すると、俺のように中毒になる」
叔父さんは手元の葉巻を私に見せびらかすようにひらひらと振った。花の形が違うって言ってたのは、交配した新種だからってこと?そんなことできる人がいるんだ。叔父さんの交友範囲の広さに驚く。
山奥に引き篭ってる割に、友達も多かった。だからこそ、パンデミックで人との交流を制限されて辛かったのかな。
「万能薬って、そういうこと?」
「そうだ」
私は部屋に干してあるハーブを見上げた。無くなるのが怖いのだろう。寒くなれば、このハーブは枯れてしまう。冬を越せるように、ありったけ収穫して干しているんだ。ここで暮らすことに固執したのは、ハーブからもう離れられない体だからか。
「さあ、ここで暮らしていこうじゃないか」
「うん、っていうと思った?」
「言わせてみせるさ」
叔父さんは皿を乱暴に横に避けて、机の上にドカッとポーチを置く。中から注射器を取り出して、瓶の中の液体を吸い出した。透明な液体が、ゆらゆら揺れてる。
「……それ何?」
「彼女、綺麗だな。賢くて隙も無い。ここに留まる気も無えな」
「無いよ。何で叔父さんと暮らさなきゃいけないの」
「じゃあ俺と同じ状態にするしか無いだろ」
叔父さんはそう言って、立ちあがろうとする。注射器の先が、キラッと光った。
ハーブを抽出して、液状にしたものなのだろうか。そんなものをレイさんに打ち込もうとするなんて。
「液体を直接体に打ち込むとどうなるの?」
「燃やして吸うよりも体内に高濃度で取り込まれる。濃度が薄くなると離脱症状に苦しみ、ハーブを欲しがるようになる。俺みたいにな」
「それ、私には打たないの?」
「可愛い姪にこんなもの打つわけないだろ」
私の方へ向き、淡々とそう言う。それを聞いて、私は声を出して笑ってしまった。笑う私を、叔父さんは訝しげに見つめる。
「嘘!私の方は丸め込めそうだからでしょ?ヒカリさんは警戒心高いもんね!怒鳴り声あげたって、平然としてる。私は恫喝すれば固まっちゃって動けなくなるし、貴重なハーブを使わなくてもコントロールできそうだと思ったんだよね?ヒカリさんをジャンキーにして、ここに釘刺しにしておけば、私は何も出来ずにここに留まるだろうって。ふふっ、随分馬鹿にしてくれちゃって」
「…………」
叔父さんは黙ったまま、私を見つめる。私は隣で眠っているレイさんの顔から、マスクを外した。
「他の家族はどうしたの?」
「……随分前に殺した」
「どうして?」
「奴ら、勝手に俺の家に来て、俺のテリトリーを荒らして行った。それだけじゃない、一緒に住むことを受け入れてやったのに、動物は感染するとかなんとか言って、コハクを殺しやがった!俺が家を空けてる間にだ!クソ!」
ガンッとテーブルを拳で叩き付け、食器がぶつかって音が鳴る。私はそれをただ見つめた。コハクとは多分、一緒に暮らしていた犬のことだろう。動画の中で叔父さんが可愛がっていた、あの子。
両親や祖母、弟がそういった行動を取るのは想像に難くなかった。結局、叔父さんのことを見下していたから、一緒に暮らしても歪みしか生まれなかったんだろう。ハーブで正常な思考をできなかった叔父さんは激昂してそのまま殺してしまったんじゃないだろうか。
「そっか。それからはじゃあ1人で暮らしてたの?」
「そうだ。想像してみろ。コハクもいない、こんな山奥で1人で暮らす、その孤独を……」
「ふーん。寂しかったんだ?」
感極まったのか、ハーブのせいか、私がそう言うと叔父さんは目から大粒の涙をこぼし始めた。私と同じ、薄い茶色の瞳が涙で歪んだ。私も泣いている時、こんな顔になるのかなと思うとなんだか愉快な気持ちになった。
私はレイさんの顔にかかった前髪を払って、寝顔を見やすくした。相変わらず綺麗な顔。寝ていても、ずっと見ていられるくらい。私はその寝顔を眺めながら、叔父さんへ質問する。
「じゃあ何で私に会いに来なかったの?」
「は?」
「叔父さん、知ってたんでしょ?私があっちの家で1人でいるの。寂しかったなら、迎えに来てもよかったんじゃない?往復分くらいのハーブはあるでしょ」
「…………」
叔父さんは、黙って葉巻を吸う。すぐに煙を吐き出した。何も言わない。何も言えないんだろう。それはつまり、そういうことだった。結局、私は家族の誰にも愛されてなんかいなかった。幼い日の記憶が、褪せたように感じられた。川に投げ込まれたのは、別に死んでもよかったからなのかな。
レイさんの頬を撫でた。私を知って、私と一緒にいたいと言ってくれたのはレイさんだけだったな。
「本当に私のことを姪だと、家族だと大切に思ってるなら、私のところへ来てくれたんじゃないかな?別に私じゃなくても、寂しくなければ誰でもいいんじゃない?」
「……面倒臭い彼女みてえなこと言うな」
「そうだよ。私は面倒臭いよ、叔父さん」
微笑んで、叔父の瞳を覗き込む。そして、私はレイさんの頬に自分の唇を落とした。寝ている子に、おやすみのキスをするように。
「あのね、ヒカリさんって、多分こんな世の中にならなかったら多分一生縁の無かった人なんだよね。ヒカリさんは海外でずっと暮らしていただろうし、私は日本を、ううん、もしかしたらあの村からすら出れなかったかもしれない。不思議だよね、そんな人が今、目の前の血の繋がった叔父さんより私のことを大事にして、一緒に暮らしてくれてるんだから。一体、家族って何だろう?」
叔父さんの葉巻を持つ手が震える。手の震えが止まらないことに気付いて、叔父さんはその手を訝しげに眺めた。そして、卓上のハーブ入りのお茶を一気に飲み干す。立ち上がって、レイさんの側に寄り、腕を持ち上げた。
「……!!」
そして、無様に床に倒れた。持っていた注射器が叔父さんの手から落ちて、私の足元へ転がってくる。それを私は思いっきり踏み躙った。何度も立ちあがろうとするが、うまく立ち上がれずにそのまま床へうずくまる。私はその様子を見て、微笑んだ。
「美味しかった?私の作ったご飯」
「調理中、目は離さなかった……!!いつ入れた?!」
「ふふ、レイさんにね、マジック教わってるんだ。視線誘導っていうの。知らない?」
私は手のひらを叔父へ見せ、その後ゆっくり握った。手を振った後、パッと開き、拳の中に握られていた錠剤を見せた。体の自由が効かない叔父は、ただ私のことを床に蹲りながら睨んだ。
立ち上がって、叔父さんの側へしゃがむ。
「あのね、叔父さんの気持ち、分かるよ。世界でたった一人になってしまったかと思って、寂しくて仕方がないんだよね。何かに依存してしまわないと耐えられなくて、でも死ぬのも怖くて。叔父さんは、依存先がそのハーブだったんだね」
「…………」
叔父さんは悔しそうにただ私を見ている。それが可哀想で、私は微笑む。叔父さんの結った髪が顔の前に流れていたので、背中の方に束を持ってきてあげた。
「今度は間違わないように、私とレイさんをコントロールして支配しようとしたんでしょ?家族とはうまくいかなかったから。ふふ、少ない時間で一生懸命考えたんだね。……でもね、人と人が暮らしていくって、そんな単純なものじゃないと思うよ?歪んだ関係って、いつか必ず綻びができてしまうから。……そうじゃなかった?お婆ちゃんとか、お父さんとか。見下して、自尊心を削られて、それでも家族だからって依存して離れられなくて……」
叔父さんは動揺したように視線を動かした。私はその瞳が、いつかの家族やレイさんとの関係に悩んでいた自分と重なって、滑稽で愚かで惨めで、愛すべき存在のように思えた。
「私、レイさんと一緒にずっといたい。だからね、そのためにも依存心を肯定してはいけないんだと思う。永遠には一緒にいれないけれど、でも出来るだけ永遠に近づけるために。私たちは、安易にお互いに依存してしまいたくなる気持ちに抗って、一緒にいるんだよ。分かるかな?」
私がそこまで言い切るか言い切らないうちに、叔父さんは目を閉じてしまった。眠ってしまったんだろう。
薬って難しい。もっと早く効くかと思ったのに。効かないかと思って、途中まですごくドキドキした。レイさんには呼吸が抑制されてしまう可能性もあるから、入れるなら量に気をつけてと言われていた。レイさんがマークされていたので、私が入れるしか無かったのだけれど、それだってバレないかハラハラした。
「さて……」
私は立ち上がって、レイさんを揺さぶった。深い眠りに入っていて、起きそうにない。でも、ここに置いていくことはできないから、どうにかしないと。深呼吸して、気合を入れるために自分の頬を叩いた。
******
「うっ……」
助手席から呻き声が聞こえた。レイさんが起きたんだ。そのまましばらく頭を押さえた後、目一杯下げていたシートの位置を元に戻して、レイさんは起き上がった。
「おはようございます。気分はどうですか?」
「頭いったい……」
「大丈夫ですか?水飲んでください」
レイさんはドリンクホルダーに刺さっていたペットボトルを取って飲む。しばらくしんどそうに肘をついて、無言で目を瞑っていた。
「……待って、なんか、鶏の匂いする……」
「えへ。連れてきちゃいました。2羽!後ろで箱を覆って暗くして、寝てもらってます」
「冗談じゃ無かったんだ……」
「卵は完全栄養食ですよ?貴重だから、絶対ゲットしたいと思って」
「逞しくなったよ、本当」
レイさんがそう言って、私は笑った。
「……窓開けるから、タバコ、吸ってもいい?」
「どうぞ」
私がそう言うと、レイさんは窓を全開にした。湿った冷たい風がビュン、と車内に流れ込んでくる。はあ、と溜息を吐いて、煙草の先に火を付けた。
「ここまで運んでくれたんだね。ありがとう。鶏まで連れてきて……」
「いえいえ。案外楽でしたよ」
「……油断したかな。あのマスクケースでしょ?」
「みたいですね。意外と細かいこと仕込みますよね」
私がそう言うと、レイさんは肩をすくめた。
「叔父さん、薬効いた?」
「効きました。でも思ったより効くまで時間掛かりましたね。体格がいいから?」
「内臓の大きさに差はないから関係ないかな。効くタイミングはあくまで目安だし」
「そっか……」
レイさんは窓の外に向かって煙を吐き出した。白い煙が、後ろに流れていく。私は運転したまま、ボソリと呟く。
「あのハーブとその煙草、一体何が違うんでしょうね」
ギクッとレイさんの肩が一度跳ねた。気まずそうに私の方へ顔を一度向けてから、また窓の方を向いて煙草に口をつける。
「美味しいですか?煙草」
「たった今、過去1不味くなった」
そう言うので、私は笑ってしまう。申し訳ないような気もするけれど、大手を振って吸っても欲しくないので、これくらいの釘を刺すくらいがちょうどいいかもしれない。2人で長生きするためには、健康にも気を遣ってほしいから。
「……私も将来、叔父さんみたいになっちゃうのかもね」
レイさんが窓の外に視線を向けながら、そう呟いた。チラリと一度だけレイさんに視線を送って、またフロントガラスへ視線を戻す。
「じゃあ、フライパンで頭叩いて正気に戻さないと」
「……待って、私が眠ってる間にそんなことしてたの?!」
大きな目を更に開いて、驚いた顔で私を見る。その反応が面白くて声を出して笑ってしまった。レイさんは、困惑した顔のまま、黙ってこちらを見ている。
「ふふ、秘密」
陽は既に傾いていて、山の奥へ落ちてしまいそうだ。すぐに夜が来るだろう。夜間の山道は運転により一層の注意をしなくてはいけない。道を外さないように、野生動物にぶつからないように。私は再度気合を入れて前を見据えた。




