後日談:鏡−③
「うわ!叔父さん?!どうしたのそれ!」
しばらく経って家に入ってから、叔父さんの姿を見て驚く。髭だらけだった顔が、きちんと剃られてゆで卵みたいにツルツルになってる。昔みたいに顔に覇気は感じらないけれど、さっきよりも随分顔が明るくなったように感じた。
「人前に出るのにあの格好は失礼だったと思ってな……」
そんな感性、おじさんにあったんだ。私はびっくりして黙る。言っていないのに伝わってしまったのか、叔父さんは笑って私の頭を鷲掴みにした。髪の毛をぐしゃぐしゃにされる。
私は叔父さんから離れて髪の毛を整えた。
「スッキリしたよ!全然そっちの方がいい!」
「バランスが取りづらい気がする……」
「そんなにあの髭重かったんだ」
「気分の問題だ」
「…………」
レイさんが叔父さんをジッと見て黙っている。叔父さんは綺麗に後ろで一つに結い直した頭のてっぺんをポリポリと掻きながら、レイさんの方を向く。
「ヒカリさんにも、みっともない姿見せて申し訳なかった」
「あ、いえ……急に押し掛けたのはこちらなので、お気になさらず」
叔父さんは薄く笑って、手をひらひらと振って部屋の奥へ入っていった。レイさんは叔父さんの後ろ姿を見つめて、最後まで目を離さなかった。
「……レイさん?」
「に、似てる……」
「え?」
「目とか、笑い方がっ……ホノカちゃんだ……目の色も同じ……」
レイさんが両手で顔を覆う。聞いたことのない声の上擦り方をしていて、私は顔を顰めた。
「……叔父さん、童顔だけど歳はそれなりですよ……」
「そういうのじゃないんだけど、何……?ホノカちゃんのルーツを感じて、こう、何というか……」
「え〜?!全然分かんないかも!」
「好きなアイドルのご両親見て、似てるって喜ぶみたいな……」
「……私アイドルでした?」
「歌もうまいしね」
そう言って、レイさんは肩をすくめる。何だか釈然としなかったけれど、まあ私と叔父さんが似ているのはよく言われることなので、受け入れることにした。
「穂乃果、ベッド用意するから手伝ってくれ」
「あ、うん、分かったよ」
「…………」
叔父さんの声が聞こえてきて、そちらへ向かう。そういえば、叔父さんの家に泊まるのはレイさん的には問題ないのだろうか。私はちょっと怖いと思ってしまっている。
2階の部屋に入ると、ベッドが二つ並んでいた。少し埃っぽい。とりあえず部屋の窓を開けた。風が通って、空気が流れてホッとする。さすがにこの部屋にはハーブは無さそうだ。叔父さんが部屋に入ってきて、寝具を2組私へ渡す。それを広げて、ベッドメイキングを始めた。
ふと壁に目をやると、何かがシミになって汚れていた。拭き取ったのか色は薄くなっていたけれど、跡がまだ残っている。液体が飛び散ったような跡だ。不思議に思って眺めてから床にも視線を移すと、個性的で派手な柄のラグの下から汚れがはみ出しているのが見えた。コーヒーでもこぼしてしまって、取りきれなかったのだろうか。
しゃがんでその汚れを見ると、ベッドの下に荷物が押し込まれているのが見えた。見覚えがある。弟のリュックだ。サーッと血の気が引いて、指先に力が入らなくなった。何故、こんなところに押し込まれているのだろう。震える手でベッドの下に手を伸ばして、それを掴んで引き寄せる。かなり奥にあったので、取るのが大変だった。肩が攣ってしまうかと思った。
手繰り寄せたそれは高校生がよく持っているリュックのブランドで、よくあるものといえばそうだった。でも、付けているキーホルダーが弟が好きなゲームのマスコットキャラだ。欲しい物がガチャガチャで一発で出た、と自慢していたのを覚えている。叔父さんはゲームには興味がない。どう考えてもこれは弟のものだ。
一度目を閉じて深呼吸をして、床に視線を落とす。このシミはつまり、そういうことなのかな。どうして、とか、何で、とか頭にぐるぐる回るけれど、でもまだどれも決まったわけじゃない。これは血じゃないのかもしれない。
叔父さんに話を聞かなくちゃ。でも、家族の話題を突っ込んでしまったら、逆上したりしないかな。触れずに、さっさとここから離れてしまった方がいいのかもしれない。どうしよう。
「――いえ、私も手伝いますので、大丈夫です、ええ」
レイさんがそう言いながら部屋に駆け込んでくる。パタン、と部屋の扉を閉じて、大きな溜息を吐いた。
「……どうしました?」
「一緒にここで住まないかって……しつこくて逃げてきちゃった」
私は自分の顔が引き攣るのが分かった。何で叔父さんは家族を排除しておきながら、私たちと暮らしたがるんだろう。手元のリュックをギュッと握る。レイさんが私の様子を見て、不思議そうに首を傾げた。
「それは……?」
「弟の、リュック」
「見つけたの?どこから?」
「ベッドの下。隠すように置いてあって……」
「…………」
「よく見たら、壁とか床に血みたいなシミも。ねえ、レイさん……」
「……もう帰ろうか。どの道、叔父さんがいるならここは拠点にはできないよ。暮らしやすそうなところではあるけどね」
「そうですね……。でもやっぱり、話は聞きたい、かな……」
叔父さんは正気では無さそうだから、ちゃんとした話を聞けるのかは分からない。でも、何も確かめずにここを去るのも嫌だった。
レイさんは私の発言を聞いて、嫌そうに微かに目を細めた。危険な目に遭うかもしれないのを看過できないからだろう。前回の件から、今後はもう危険なことにはなるべく首を突っ込まないと約束させられている。それはもう、厳しく。
「話聞くだけですよ。泊まったりしないですし」
私は焦ってそう言った。それを聞いてレイさんは考えるように目を瞑って、溜息を吐いて首を振った。
「……夜までにはここを出よう。話し合うなら、相手が激昂してもすぐに逃げ出せる場でね」
「分かりました」
そう返事をして、私たちは部屋から出た。階下にいる叔父さんへ声をかける。
「叔父さん、残念だけど私たち夜までにはここを出るね」
「泊まるんじゃなかったのか?」
「うーん、でも用事思い出しちゃったし、また来るよ。それでさ……」
レイさんが表情はそのまま、何気ない仕草で背中にあるホルスターに手を静かに掛けたのが目に入った。ここで話を切り出すなら、対応できるようにということだろう。一度言葉を切ってから続けようとする。再度喋り出す前に、叔父さんが口を開いた。
「何だ、そうか。まあ、飯くらいは食べていきなさい」
「ご飯?」
「この近くに沢がある。家の傍の小道を歩いて行った先だ。目印にテープが貼ってるから分かるはずだ。そこで食材を冷やしてあるから取ってきなさい」
「ええ……?」
「卵もあるぞ」
「食べる〜!!わーい、やった!!取ってくるね」
「…………」
呆れたようなレイさんの視線が背中に刺さった気がした。怖くて振り向けずに、そのまま私は外へ出た。レイさんの小さな溜息が後ろから聞こえて、追いかけてきてくれるのが分かった。
******
木に覆われて、太陽光もここまでは差し込んでこない。しかも側に切り立った崖があり、日陰になっているので尚更だ。幅の細い沢には雪解け水も一緒に流れているらしい。指を一本差し込むと、指先がキンッと冷えて、悴むくらい冷たかった。
「つめた!」
「天然の冷蔵庫だね」
「冬は雪に埋めたりもしますよ」
「へえ……」
流れの緩いところに、ザルが置かれている。そこに様々な野菜が置かれ、沢の水で冷やされていた。卵も鍋の中に布と共に入れられている。卵は水に触れると衛生的に不安があるからか、鍋の中に水は入っていなかった。
野菜や卵を引き上げる。私は鍋の中の卵を見て、頬が緩んだ。
「ちゃんと冷えてる。すごいね」
「ご飯楽しみ〜!卵!何作ろっかな!」
「よかったね」
「鶏連れて帰りたいな〜。繁殖させたら、鶏肉も食べれちゃう」
「……ホノカちゃん、ちょっと逞しくなったよね」
卵でテンションが上がっている私を見て、レイさんがそう呟く。血痕を拭いた跡まで見つけたのに、卵ではしゃぐ私を見て呆れているのだろうか。レイさんの方を振り向いて笑う。
「しょぼくれた私の方がいいですか?」
「無理してないかだけが心配」
淡々とレイさんがそう言う。それが何だかくすぐったくて、私はまた笑ってしまった。
「生きてるとは、思ってませんでしたから」
「……ごめん、そうだよね。無神経だった」
レイさんがしまった、と言うように顔を上げてから、気まずそうに私へ謝罪する。私は首を横に振った。
「さあご飯作って、食べて、叔父さんと話したら帰りましょう」
「そうだね。……ご飯作らせたら、ダメだよ。ハーブ使われないようにしないと」
「あ、そっか」
そう言いながら、家路に着く。扉を開けて、中へ入った。
「ただいま!取ってきたよ!」
私がそう叫ぶと、叔父さんは奥から出てきた。
「ああ……ありがとう。飯作るから、くつろいでてくれ」
「ううん、作るよ。私ご飯作るの好きだし」
「じゃあ手伝ってくれ」
「あ、私も手伝います」
レイさんもそう言う。叔父さんは顔を顰めて手を払った。
「客人はゆっくりしていてくれていい」
「いつもホノカちゃんと2人で作ってるので、お気になさらず」
「……そうか」
私たちはキッチンへ立った。何を作ろうか話し合って、鶏を潰してベーコンを作ったと言っていたので、それを使ってオムライスをつくることにした。それと、野菜のポタージュ。
小一時間で出来上がり、テーブルへ運んだ。
「豪勢だ」
「叔父さんいつも何食べてるの?卵あったら、何でも作れちゃうよ」
「野菜そのまま食ったり、卵焼いたりだな」
「まあそれも美味しいんだけどねえ」
食器も準備して、私とレイさんは席へ着く。レイさんがマスクを外してそれをしまおうとすると、叔父さんにしてはファンシーで可愛らしい紙を差し出してきた。
「使ってくれ。マスクケースらしい」
「あ……ありがとうございます」
「それ叔父さんが買ったの?かわいいね」
「昔、今回のとは違う感染症が流行った時があったろ?その時に買い込まれたのがずっと家にあんだよ」
「え?誰に?」
「元カノ」
元カノの残していったものをそのまま家に置いておくのどうかと思うけどな。そうは思ったけれど、何も言わなかった。私は手を合わせる。
「いただきます」
卵なんて、いつぶりだろう!久々だから上手にオムレツできるか不安だったけど、意外と上手くできたな。やっぱりフライパン次第なところもあるよね。くっついちゃうと、上手にまけないし。
フォークを寝かせてご飯の上のオムレツを切り開くと、中身がトロリと出てきた。その光景に、涙が出そうになる。これ!これがしたかったの!興奮気味にご飯と卵を掬って、口へ運び込んだ。
「おいし〜!幸せ!」
「何だ、鶏いないのか?卵なんていつでも食えるだろう」
「いないんだよ!感染するからって、全部処分されちゃったんだから!」
「じゃあうちに住めばいい。鶏いるぞ」
「鶏、持って帰っちゃダメ?」
「ハハ、ダメに決まってんだろ」
「2羽くらいならいいかなって」
「ダメだダメだ、移動がかわいそうだ」
「ええ〜……」
「それなら、穂乃果。お前はこっちに残ったらどうだ?」
叔父さんがそんなことを言うので、食べる手を止めて顔を上げる。叔父さんはポタージュを飲みながら、私へ語りかける。
「ヒカリさんにずっとお世話になってるわけにもいかないだろ。ここに住めばいい」
「いえ、私は構いません。このままホノカちゃんと2人で暮らしていこうと考えてます」
レイさんがすかさず間に入る。私には否定しづらい内容だったので、正直助かった。でも叔父さんは特に気にする様子もない。
「なら、ヒカリさんもうちに住めばいいだろ?男手無しだと、不安じゃないのか?こんな世の中だ」
「今まで特に困ってないよ」
「これから先困るかもしれない。まだ若いから、知らないこともある」
「……こんな世界で生きていくなんて、叔父さんも初めてなんだからスタート地点は同じじゃない?」
「俺の方が知識はあるだろ。サバイバルが趣味みたいなもんなんだから」
「それはそうかも。でも大丈夫。叔父さんと暮らさなくても生きていけるし」
「家族は一緒に生きていくもんなんだ」
一気に口の中が苦くなった気がした。同時に慣れてもうあまり気にならなくなっていたはずの、甘ったるい匂いがまた香ってきた。せっかく美味しいものを食べているのに、何でこんな話をしなくちゃいけないんだろう。
私が小さく溜息を吐くと、レイさんが隣で口を開いた。
「……ここでの暮らしにこだわっていらっしゃるようですが、理由はありますか?」
「ここが一番だ。生活が整っているし、家畜もいる。暮らしていくには十分だ」
「私たちも同じような環境で過ごしていますし、帰らなくてはいけない理由もあります。貴方がこちらに来たいと言うならご実家もあることですし止めることは無いですが、ここに残れと言うなら話は違ってきますね」
そう言って、レイさんはオムライスを頬張る。食には興味ないと言っていたけれど、レイさんはいつも私の作ったご飯を美味しそうに食べてくれる。それは今日も変わらなくて、少しホッとした。
「というのを、先ほども説明したはずですが」
「御託はいい。とにかく、穂乃果だけでもここへ残ればいい。あっちにいる理由、お前はないだろう」
そのセリフを聞いて、レイさんがガシャッと食器を雑に皿の上に置いた。怒っているのが顔を見なくても分かる。レイさんは冷静なようでいて、沸点まで達するとすぐに感情が表に出る。自分でも自覚があるようで、冷静でいるように努めているみたいだ。でも、今の叔父さんのセリフは、癇に障ったらしい。
「彼女の意思を無視するような人のところには置いていけません」
「無視はしてないだろ。穂乃果、お前1人で置いていかれて寂しかったんだろ?家族は本来一緒に暮らすもんだ。俺もいるから、もう安心していい」
「どの口が……」
「叔父さん、家族って言うけど、私のお父さんお母さんはどこに行ったの?お婆ちゃんは?それに、弟も」
私はずっと聞きたかったことを切り出した。この流れなら触れても不自然では無い。もうさっさと食事を終えてしまいたくて、私は話しながら口の中へオムライスを放り込んだ。
「補給に出ている。月に1度、遠出して物資を調達してるんだ」
サラリと叔父さんは言った。そう言いながら、大きな口でオムライスを頬張る。表情が変わらないので、味についてどう思っているのか分からなかった。
「お婆ちゃんも?それって無理ない?車はどうしたの?」
「俺とは2人で居たく無いんだとよ。俺もこの家に自分が残らないのは不安でね。あいつらが乗ってきた車、あれは壊れて動かない。補給に向く大きめの車で出て行ったよ」
「じゃあ戻ってくるってこと?いつ戻ってくるの?」
「さあな。分からないが、もう時間も経っているし、そろそろ帰ってくるんじゃないか?今この瞬間に帰ってきたっておかしくは無い」
「……でもさっきから、3人で暮らそうって口ぶりじゃない?」
「そうか?俺は食卓に着いてからは、そんな風には言っていない」
私はレイさんを見た。不愉快そうに顔を顰めているが、小さく頷いた。3人で、とはハッキリ口には出していないのだろう。急に辻褄が合うようなことを言ってきて、さっきの支離滅裂さが嘘のように思えてくる。でも違和感は拭えない。弟のリュックや、部屋のシミはどう説明するつもりだろう。
「……ごちそうさまでした」
「デザート持ってくる。待っててくれ」
私がそう言うと、叔父さんは立ち上がってキッチンの方へ消えていった。
「レイさん」
「急にしっかりしだしたね。煙に巻くのもうまいタイプだ。本当のことを言うつもりもないんだろうね」
「嘘だと思う?」
私がそう聞くと、レイさんはマスクケースからマスクを取り出し、耳に掛けながら私へ言う。
「勿論。私たちをここに引き留めようと必死な理由がよく分からないよね。家族が他にも住んでいるなら、尚更。1人でいるのが寂しいからっていう理由の方がまだ納得できる。なのに……。っ…………」
「え?レイさん?!」
話している途中で、レイさんは机の上に肘をつき、手で頭を支える。瞬きを数回繰り返した後、そのまま机に突っ伏してしまった。
「大丈夫?!ねえ!!」
慌てて私はレイさんの揺さぶる。反応はない。すぐに呼吸の音を確認したが、浅く短い呼吸が繰り返されて、正常なことが分かる。傍目には眠っているようにしか見えなかった。
ドサッと向かい側の椅子に腰かける音が聞こえ、私はそちらに顔を向けた。叔父さんが先がカットされた太い葉巻の煙草へ火を付ける。煙が立ち上ると、部屋の中に一層甘ったるい匂いが広がった。
椅子に上半身を開いて座り、横柄に足を組む。王様のように構えた彼は、私を見下すように顎を上げて視線を寄越した。




