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残光の箱庭  作者: 米田
2章
72/74

後日談:鏡−②

 それから車の中の荷物を持って、私たちは家の中へと入った。家の中へ一歩入った瞬間、一層甘い匂いが濃くなる。私とレイさんは思わず鼻を覆った。


「叔父さん平気なのこの臭い?!」

「ああ……」

「私は無理!窓開けるからね!」


 ふと顔を上げると、窓の側にもあのハーブが干してあった。室内にもぶら下げておくなんて、そんなにこの匂いが好きなんだろうか。私は部屋中の窓を開け放した。風が通って、家の中を抜けていった。やっと深呼吸が出来るようになって、ホッと息を吐いた。


「叔父さん、何なのこれ!さっきから匂いがすごいんだけど!」

「ああ……今が開花の時期だから、香りがすごいんだ。万能薬でな。今のうちに刈り取っておかないと、枯れてしまうから……」

「そうなんだ」


 私はレイさんへ視線を送る。レイさんは厳しい顔をして、小さく首を振った。どういう意味だろうか。


「茶にしても美味いんだ。出してやろう。座っていてくれ」


 叔父さんはそう言って、部屋の奥へ消えていった。私はレイさんの側へ寄る。私が近づくと、レイさんは耳元へ顔を寄せて、小さな声で言う。


「ここで出されたものは口にしないで」

「ただのハーブじゃないんですか?」

「少し知っているのと違うけど、中毒性のある薬物だよ。叔父さん、昔から常習してたの?」

「え?いや、そういうのは嫌いなタイプだったと思います。海外で友達と試すかどうかで喧嘩したって言ってたし……」

「そっか……」


 レイさんは眉を顰めて、口に指を当てて黙り込んだ。そんなに深刻な問題なのかな。叔父さんは何も知らずに口にしているだけなんじゃないかな。もしかして、似たような植物と勘違いしているだけなのかも。レイさんが間違っているのかもしれないし。私はそう伝えようとして、でも口を噤んだ。根拠もない、ただの願望だ。レイさんの専門が薬学なのに、知識が間違っているとも思えない。それに、こんな世界で生きていくのに、何かに依存してしまうことは何もおかしいことではないように思えてしまった。私だって、レイさんに依存してしまっているのかもしれない。自分の命は、少なくとも自分だけのものではないと、もう思い始めてしまっているのだから。


「……私、叔父さんのこと手伝ってきますね」

「分かった」


 私は荷物を適当に床に置いて、叔父さんの元へ向かう。奥のキッチンのカウンターには、やっぱりハーブが麻の糸に縛られ、カーテンのように干されていた。よくラベンダーをドライフラワーにするために、こうやって干されているのを見かける。オシャレだと言われればそう思えるが、部屋のそこかしこに干してあるし、レイさんの話を聞いた後だと異様に思えた。


「これ、すごいね。叔父さんが全部干したの?」

「いや、これは去年、お袋がやった」

「え?お婆ちゃん?」


 大きな声が出てしまった。そういえば、他の家族はどこに行ったんだろう。車はあるのに、姿が見えない。私はキッチンの中に入り、叔父が卓上コンロで湯を沸かすその隣に立った。


「カップ出すね。戸棚開けていい?」

「ああ」

「……ねえ、他の家族って、今どこにいるの?お婆ちゃんはどこ?」

「お袋?お袋なんてこの家にはいない」

「え?」


 叔父さんの顔を見る。叔父さんは葉巻のような太い紙巻の煙草を咥えていて、それをふかしていた。キッチンでさすがにそれはどうなんだろう、と顔を顰める。それに、お婆ちゃんがいないってどういうことだろう。


「さっきそのハーブ干すの、お婆ちゃんがやったって言わなかった?」

「ああ、だから、今はいない」

「出掛けてるってこと?」

「あいつらは全員、俺を置いて行っちまった」

「え?どこに?」

「さあな」


 甘ったるい匂いの煙を吐き出して、叔父さんはそう言う。これ、この煙吸ったらまずいのかな。慌てて口を押さえ、キッチンの小窓も開ける。


「でも、車が置いてあったよ。徒歩でみんなどこかに行っちゃったの?」

「この先にも家屋があるんだ。俺と同じようにこんな山中で過ごす物好きがいてな。そっちにいるんじゃないか?」

「…………」


 仲違いか何かをして、家族はそちらに行ってしまったのだろうか。いや、でも言っていることがおかしい。何故他人の家へ行くのだろう。しかも車を置いて。

 戸棚にしまってある、叔父さんには似合わない繊細なデザインのカップとソーサーを三組取り出した。戸棚の中に、瓶詰めの茶葉か何かが入っていて、ラベルにジャスミンと書いてある。それを手に取った。


「あ、ジャスミン茶あるんだ!ねえ、こっち飲みたいな」

「ダメだ」

「何で?」

「いいから従えよ!!そんなもん、飲もうとすんな!!ふざけんなよ!!ここは俺の家だ!!俺のルールに従え!!」


 叔父さんは急に激昂し、キッチンの天板を拳で叩きつけた。がちゃん、と音がして、のせていたカップやソーサーが跳ねた。

 体が固まって、動かなくなった。頭の中が真っ白になって、何も考えられない。叔父さん、たまに夜中にお父さんと喧嘩して怒鳴ることはあったけれど、私には怒ったことがなかった。目の前でこんな姿を見るのは、初めてだ。フーッフーッと荒い呼吸を繰り返し、怒りで興奮して拳を震わせる叔父さんを眺めることしかできない。


「大丈夫?代わるよ。ホノカちゃんは外の空気でも吸っておいで」


 私が固まっていると、いつの間にかレイさんが叔父さんの視線を遮って私の前に立っていた。


「お湯沸いてますね。入れてもいいですか?」

「ああ……」

「茶葉はこれを?」


 レイさんは叔父さんと会話をしながら私に視線を寄越し、外へ行くように促した。小さく頷いて、フラフラと玄関の扉を開ける。空は薄い水色で、夏なのに珍しく雲が1つもなかった。夏らしくないひんやりと涼しい風を受けて、やっと緊張が解けた。同時に、ドッと汗をかく。


 薄々分かっていたけれど、私は男の人が怒るのがものすごく苦手だ。昔はここまでじゃなかったはずだ。ああいう場面に出会すと、凍りついたように動けなくなってしまう。何でだろう。

 ……レイさんが、男の人じゃなくて良かった。レイさんがもし仮に男の人だったとしても、簡単に声を荒げるような人じゃないのは知っている。でも、何があるかは分からない。

 額に浮いた汗を、手の甲で拭った。濡れた部分が、風に吹かれて少し冷える。柱に頭を預けて、目を閉じた。

 私たちは、奇跡的なバランスで一緒にいるだけで、少しでも何かが傾いてしまったら、一緒には暮らしていけなかったはずだ。この間まで、不安からレイさんのことを拒否してしまったし、毒薬だって飲んでしまった。かなり危うい状況だった。今だって、そのバランスを計りながら私たちは2人で過ごしている。きっと、何か一歩間違えて依存に振り切れてしまったら、良くない種が撒かれて育っていって、もう2人では過ごせない気がする。


「ホノカちゃん、大丈夫?」


 背後からレイさんの声が聞こえてきて、振り向いた。扉を開けて、そこから顔と体を少しだけ覗かせてこちらを心配そうに見ていた。


「大丈夫です。すみません、戻りますね」


 立ち上がって、扉へ近付いた。私がさっきよりは落ち着いたように見えたからか、レイさんは少しだけホッとした表情を浮かべた。


 室内に入ると、叔父さんは落ち着いた様子でお茶を飲んでいた。私もテーブルに着いて、カップに入ったお茶を眺めた。


「……」


 独特の甘い匂いが立ち上がる。甘い物は好きだけれど、もう散々今日この匂いを嗅いでしまった。中毒性があると聞いてしまって、この匂いも恐ろしく感じてしまっている。私の顔が暗いのを見た叔父さんは、笑って話しかけてきた。


「何だ、飲まないのか?穂乃果は甘いものが好きだっただろう」

「うん、そうだけど……」

「……ああ、ジジイにでも山菜採りのついでに教わったか?これは大丈夫だ。似てるけど、中毒性は無い。花の形が違うんだ」

「え?そうなの?」

「そうだ。だから気にせず飲んでくれ」


 そう言い、叔父さんはまた口を付けた。本当に、そうなのかな。私はレイさんをチラリと見た。レイさんはカップに口を付け、飲む仕草をする。喉が動いていない。そして、叔父さんへニコリと微笑んだ。


「甘いのに葉の爽やかな匂いも後から香ってきて、美味しいです。……パンデミック後の話をお聞かせ願えますか?」

「パンデミック後?俺はずっとここに引きこもってたからな。こんな山奥くんだりまで来るような感染者もいないだろ?」

「補給で降りなかったんですか」

「降りなかったな。それに、ほら。これが万能薬だ。だから俺は感染せずに済んだ」

「……」


 レイさんは目を細めて手元のお茶を眺めている。こんなもので治るのであれば、誰も苦労はしなかった。叔父さんが本気で言っているのか、冗談で言っているのか、私には分からなかった。叔父さんが感染しなかったのは、徹底的に他者との交流を避けたからだろう。


「叔父さん、お婆ちゃんたちが来るまで1人でいたの?」

「いや、1人では無い。パートナーがいた」

「パートナー?!」


 初耳だ。叔父さんにそんな人がいたなんて。あれ、でもパートナーってなんだろう。婚約者でもなく?一緒に暮らしてる人ってことかな。私と、レイさんみたいな?

 私が1人で興奮していると、叔父さんはクックッと笑い声を漏らして、首を横に振った。


「犬だよ、犬」

「あ、わんちゃんか。そういえば動画に出てたね」


 私は思い出した。叔父さんの動画によく出ていた、垂れ耳の大きなわんちゃん。笑ってるみたいな顔をしてて、可愛かったな。なんて名前だったっけ。


「そうだ。会ってくるといい。裏の庭にいるはずだ」

「え!ほんと?!」


 猫も好きだけど、犬も可愛くて大好き!

 立ち上がって、すぐにでも会いに行こうとする。レイさんはそんな私の肩を押さえて止めた。


「では後ほど。今はお話を伺いたくて。……他のご家族はどちらに?ご挨拶をしたいのですが」

「今は出ている。夜になれば帰ってくるだろう」


 さっきと言っていることが違う。やっぱり叔父さんはおかしい。でもそれに言及することもできず、私はお茶の水面を眺めた。本当に、本当にこれは飲んでも大丈夫なんだろうか。叔父さんは万能薬って信じてる。昔の豪快で、快活で、そして博識な叔父さんの言うことだったら私は信じてたんだろう。でも、さっき怒鳴る叔父さんを見てしまった。それは私と叔父さんが築いてきた信頼関係を崩すのには十分だったように思う。


「そうですか。……この辺りに、他に生き残りの方はいらっしゃるのでしょうか」

「さあな。分からない。麓の町にも、人っ子ひとりいないな」

「1人で暮らされて、もうどれくらいですか?」


 私はレイさんの顔を見た。いつもと同じ、冷静な表情で叔父さんを見据えている。


「ん、ああ……どれくらいだ?分からない……」

「山の中にいると、日付の感覚も無くなりますよね」

「そうだな。下ではウイルスが流行っているようだし、しばらくここに籠るのがいいだろう。穂乃果も、学校休みなんだろう?」


 叔父さんはカップをテーブルに置いた。そして、何か思いついたように立ち上がった。


「2人ともしばらくはうちへ泊まるといい。準備をしてくる」


 レイさんは一度チラリと私へ視線を寄越した。そして叔父さんへ返事をする。


「……ありがとうございます」



******



 裏庭へ回るけれど、犬なんてどこにもいなかった。杭の側に落ちていた首輪は、その子のものだったのだろうか。何だか切なくて、少し泣いてしまった。動画の中の叔父さんは、あの子のことが大好きだったのが伝わってきたから。

 レイさんは随分奥まで探しに行ったみたいだけれど、何も見つけられなかったみたいだ。肩をすくめて、私の元へ戻ってきた。


「花がとにかくすごくて。ここだけじゃなくて、奥にも花畑が広がってた」

「花の状態では吸っても大丈夫なんですか?」

「そうだね。燃やしたり、粉状にして吸引したら良くないけど、この状態なら特に影響はないよ」

「そっか……。叔父さん、これは万能薬だって言ってたけど……」


 私は足元に生えていたそれを見つめた。花の形が、中毒性のあるものとは少し違うから大丈夫だと言っていた。あの状態の叔父さんに言われても、信じられない。


「確かに、私が知っているものと花の形が少し違うんだよね……」

「え?そうなんですか?」

「万能薬って言ってるのも、まあ薬なんてどれも過ぎれば毒薬だし、適度であれば薬になるし……」

「……じゃあ叔父さんはどうしてあんなに支離滅裂なんですか?」


 私は中毒症状で彼がおかしくなってしまったのだと思っていた。でも、もしそうではないとしたら、あんな風になってしまうのは説明が付かないんじゃないか。レイさんは静かに首を振った。


「分からない。分からないっていうのは、原因が絞れないっていう意味で。中毒症状かもしれないし、脳の病気、例えば腫瘍で性格が変わってしまうこともあるし、精神的なストレスでおかしくなっているのかもしれない。他にも、いろいろ。だから、詳しく調べないと分からない」

「そっか……」


 冷たい風が吹いて、頬を撫ぜた。私は羽ばたいたり、地面の何かを啄む鶏たちを見つめた。


「レイさんは、もし叔父さんが私たちと一緒に暮らしたいって言ったら、どうしますか?」

「…………」

「1人で気ままに暮らしていきたいって言う可能性も勿論ありますけど……」


 そう聞くとレイさんは視線を私と同じように鶏に向ける。長い前髪が、風のせいでレイさんの顔にかかって、瞳が見えなくなった。


「叔父さんがどう、とかじゃなくて……リカコさんとナリタさん、この間のアイツを受け入れて、良いことってあまりなかったなって……。正直、私はもうホノカちゃんと2人だけで暮らしていきたいかな……」


 アイツというのは、アズマさんのことかな。意図的に名前を出すのを避けているのだろう。この一ヶ月、そういえばレイさんから彼女の名前を聞くことは無かった。

 レイさんが私と2人だけで暮らしていきたいと思っているのは、何となく分かっていた。だって、レイさんならこういう事態を想定してないわけがない。それなのに、私から言うまで言及が無かった。きっと、話題にしたくなかったんだろう。

 多分、レイさんがここまで来てくれたのも、私が叔父の住処を新たな拠点にするのはどうか、と提案したからだ。ただ家族を探すためという理由だったら、今のレイさんなら却下していたに違いない。危ないから。


「そうですよね……」

「ホノカちゃんは、どうしたい?」


 レイさんが私へそう問い掛ける。私は微笑んで首を振った。


「……考えてくるべきでしたね。この先、どうするか。可能性を潰すためだけに来たから、本当に生きてるなんて思ってもみなくて」

「…………」

「一緒には暮らせないけど、同じ村の中でなら暮らしていけるかもしれませんね。わざわざ、同じ家で寝食を共にする必要もないのかも。それが精一杯かな」

「そうだね、それなら……」

「血が繋がってるのに、不思議。レイさんとの方が今は暮らしやすいもん」


 そう言って微笑むと、レイさんは私を見つめて微笑み返してくれた。


「……他のご家族はどうするの?」

「ふふ、分かってて聞いてます?それ」

「……そうだね」


 レイさんは私の隣に立って、手を握ってくれる。温かい。そのいつもの温度にホッとした。


「大丈夫?叔父さんが情緒不安定で、辛くない?」

「そうですね……。でも、会えただけでも嬉しいですから、大丈夫ですよ」


 隣のレイさんを見上げて、手を握り返した。レイさんはそっか、とだけ呟いてしばらくそのまま隣にいてくれた。その後、私たちは無言で外の景色を眺めていた。ハーブの銀色の葉が太陽の光を拾い、風に吹かれてゆらゆら揺れる。その瞬きは綺麗なのにな、と思っていると、レイさんは私から手を離してそのハーブを摘んだ。無言でしばらく観察して、そして地面へ落とした。

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